第5話

 ルナが牢でガッデスと会っていた時、アルはシルフィと共に自分の寝室にいた。ルナたちの心配をしながらも、シルフィが戻ってきたことにほっとするアル。

「無事に戻ってきてよかったよ」

「無事、ですか? ワタクシ、お父様のところに戻っていただけでございますよ?」

 アルは、自分が口を滑らせたことに焦る。

 ――また、余計なことを言っちゃったな……。

 バンバーグの娘であるシルフィにとって、自分の父親の元に戻ること自体は、何らおかしなところはない。

「いや、顔が見れないと、やっぱり心配だなっと」

「うふふ、まおう様ったら。そんなにもワタクシのことを、想ってくださっているのですね」

 シルフィはそう言うと、アルのことをベッドへと連れて行く。ルナたちの動向が気になるアルだが、今はシルフィをこの場に止めることを優先し、彼女に合わせてベッドに座る。

「ワタクシ、まおう様のことを本当に愛していますの。ずっとずっと、あなた様のものにしていただけたこと、感謝し続けておりました」

「あ、ああ。それは何度も聞いたよ」

 アルの言葉を聞いて、シルフィは彼をベッドへと押し倒す。アルも慣れたもので、彼女に迫られても、あまり動揺した様子を見せない。顔は赤らめているが。

「それなのに、まおう様はワタクシのことを抱いてくれなくなってしまいました」

「いや、だからそれは……」

「いいえ、よいのです。ゼクス様が記憶を失われ、戸惑っておられることは、ワタクシも十分に承知しております」

 シルフィは、ゆっくりとアルの体の上に移動し、覆いかぶさるように四つん這いになる。さらに、彼女は自分の顔をアルの顔へと近づけた。

「ですから、代わりにワタクシのお願いを一つ、聞いていただきたいのです」

「お願い?」

 シルフィがアルに、お願いをするのはこれで二度目。二日目の夜に、抱き締めてほしいと言った時以来である。

 ――ずっと、彼女の期待には応えられてないからなぁ。

 魔王を求めるシルフィに対して、アルは完全に役者不足の状態だった。抱いてほしいという彼女の願いを叶えられない事実が、アルには少々後ろめたかった。

 だからこそ、それ以外のお願いなら、何とか叶えてあげたいと思ったのだ。

「俺に叶えられることなら」

「大丈夫でございます。あなた様にしか、できないことですから」

 シルフィはアルに近づけていた体を離し、ゆっくりと上体を起こしていく。体を思いきり反らし、彼女は天井を仰ぎ見るようなポーズを取った。

「まおう様、ワタクシのために……」

「えっ!?」

 アルはシルフィの様子がおかしなことに気づく。その場から抜け出そうとするが、シルフィはアルの体を足でがっちり挟んで離さない。

「ワタクシのために、死んでくださいませ!」

 その叫びと同時に、シルフィは両腕を魔甲で覆った。純白の結晶で覆われた拳は、人の頭ほどの大きさがあり、それはアルに目がけて振り落とされる。

 バッゴーーーーーン!!!

 ベッドが四散する。

 破片は部屋中に散らばり、周囲にはホコリが舞う。

「はあ、はあ……シ、シルフィ?」

 シルフィが放った一撃を、アルは上体を反らすことで何とか回避した。

「まおう様? どうして避けてしまわれたのですか?ワタクシの願いを聞いてくださると仰ったのに……」

 状況が飲み込めないという顔をするシルフィ。しかし、アルのほうは自分が追い込まれていることを理解する。ベッドが壊れたことで、シルフィの足が緩んでいることに気づいたアルは、すぐに立ち上がって後ろに下がる。

「どうして? どうして逃げるのでございますか? ワタクシのお願いを聞いてくださると……」

「一体、何があったんだ! シルフィ、君は……」

 二人の言葉は噛み合わない。しかし、シルフィは容赦なく、ふたたび拳を振り下ろす。

 ズドン! ドガーン! ガラガラ……。

 戦いに慣れていないシルフィの拳は、アルに当たることなく床や壁にぶつかる。しかし、その威力は強大で、殴られた部分はことごとく粉砕されていく。

「心配なさらないでください。見ての通り、ワタクシなら、まおう様を一瞬で死なせることができますわ。痛みなんてほとんど感じませんから」

「頼むシルフィ! 話を聞いてくれ!」

 アルの叫びはシルフィに届かない。彼女を倒す方法を、アルは持っている。野盗と戦った時、見よう見真似で使ったローラと同型の魔甲。

 ルナとの特訓を経て、アルはそれをある程度使いこなせるようになっていた。

 シルフィが腕を振り上げた瞬間を狙って、魔甲の脚力で飛び込めば、彼女を無力化できる可能性は高い。

 しかし、アルは彼女を傷つけることに躊躇いを感じていた。

 反撃ができないまま、アルは崩れた壁の際まで追い込まれていく。倒れ込み、周りを見渡す。しかし、両脇の床も崩れ、逃げる場所はどこにもない。

 ここは城の上階であり、踏み外せば遥か下まで真っ逆さまだ。

「ようやくですわ。もう逃げる場所はございません。さぁ、ワタクシのために死んでくださいませ」

 二コリと笑いながら、シルフィはゆっくりと両手を振り上げる――その時だ。

 ミシ、ミシミシ、ミシミシミシ……。

 アルの耳に奇妙な音が聞こえる。

「魔王様! 大丈夫でござりまするか!!」

 今度は寝室の入口から、ローラの叫びが響いた。

 ローラはルナと一緒に部屋に飛び込んでくる。部屋の状況を見て、ルナがシルフィを止めようと声を上げた。

「シルファルファ王妃、お止めください!! ご自分が何をなさっているのか……」

「もう遅いですわ。これでまたワタクシは、父上に……」

 ミシィィッ!!

 シルフィが拳を振り下ろそうとした瞬間、彼女の足元が崩れる。

 散々に破壊された床は、彼女を支えきれなくなったのだ。シルフィの体が、床と共に下へ落ちそうになる。

「シルフィーー!!」

 瞬間、アルの足は魔甲で包まれる。そのまま全力で飛び、シルフィの体を抱え込んだ。

 崩れる床を超え、二人は壁に激突する。アルは自分の体をクッション代わりにし、シルフィを守った。

「くはっ! いてててて」

「魔王様、王妃様! 大丈夫ですか?」

 アルたちの元へ、ルナが駆け寄ろうとする。

 だが、立ち上がるシルフィの魔甲はいまだに解けていない。ルナも腰の翼を広げ、戦闘態勢に入る。

 だが、シルフィはぼうっと経ったままだ――まるで迷子の子どものような表情で、アルを見つめながら。

「どうしてワタクシを助けたり……いいえ、そもそも何で抵抗しませんの?」

 シルフィは、震える声で問いかける。アルは倒れたまま、彼女の目を見つめ、ゆっくりと答えた。

「どうしてって……だって、君は俺を殺す気ないだろ? その気なら、最初の一撃で終わってたさ」

「ちっ、違います。ワタシ、ワタクシは、まおう様を」

 頭を抱えて動揺するシルフィ。膝を折り、体を小さくして丸まってしまう。

「君に何があったんだ――シルフィ?」

 アルの言葉に頭を上げるシルフィ。涙でズブ濡れになった顔に、アルは驚いてしまう。

「まおう様、ワタクシ……ヒック、どうすればよいのですか? このままじゃ、お父様にも……ぐすん、まおう様にもだれにも……誰にも必要とされなくなって……」

 そこまで言うと、再びすっと立ち上がるシルフィ。崩れた外壁へと向きを変えた彼女に、アルが呼びかける。

「シルフィ、待て……」

「ワタクシ、お家に帰らないと。お父様に、叱られてしまいますもの」

「シルファルファ王妃……待って、シルフィ!」

 アルとルナの呼びかけを無視し、シルフィは崩れた壁から飛び降りる。

 落下の衝撃を、魔甲の腕を叩きつけることで相殺。無事に着地した彼女は、南の方角へと駆けていった。

「クソ、一体何が、どうなって……る」

「い、いますぐ、お医者様を呼んでくるでございまする!!」

 ローラは全速力で部屋を飛び出していく。

「魔王様! しっかりしてください、魔王様!」

 アルは静かに目を閉じた。ルナの呼びかけは、彼の耳には届かない。

 二人の姿を、沈みゆく月だけがゆっくりと照らしていた。

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