第4話

「とりあえず、いったんガッデスを逃がすのは?」

 アルの提案に、ルナは眉をひそめた。

 猶予であった三日間、アルたちはできる限りの手を打った。特にバンバーグ寄りの議員を懐柔しようと奔走したが、成果が一切得られないままである。

 だからこそ、アルはガッデスを逃がす提案をしたのだ。だが、ルナは反論する。

「それでどうする? 結局、父は居場所を失うだけだ。それに追っ手だってかかるだろう。バンバーグ公は草の根を分けても父を探し、命を奪うだろうな」

「なぁ、本当にそんなことするのか? 確かにバンバーグって奴は気に食わないけどさ。それでもガッデスの親友なんだろ?」

 ルナは首を横に振る。

「我々が捕まえた野盗たちがいただろう? その首領はな、元はバンバーグ公爵に仕えていた士官だった。しかも、奴らが死んだ夜、公爵の小間使いの姿が牢の近くで目撃されている」

「それじゃあ、何か? バンバーグは自作自演で野盗騒ぎを起こして、捕まったら、連中を始末したっていうのか?」

 ルナはこくんと頷く。

「それで奴を追求すればいい! ガッデスを追い落とすことが目的で、国の治安まで乱すなんて……」

「証明できない。あくまで、元士官だからな。目撃された小間使いも捕まえたわけじゃない。知らぬ存ぜぬと言われれば、それでお仕舞いだ!」

 自分の策謀のために手下を始末するような男。それなら、弾劾に追い込んだ友人の命を奪うのもためらわないかもしれない。

 アルはようやく、ルナの不安を理解する。

「それならなおさら、ガッデスを助けないと! 殺されてからじゃ、どうにもならないだろ!!」

 アルの言葉を聞いて、歯を噛み締めるルナ。

「……議会が紛糾する。それでは魔族が割れてしまう! それを避けるために、父は捕まっているのだ。それなのに、脱走などと」

「あー、もう! 面倒くさいやつだな!」

 そう叫ぶとアルはルナの腕を引っ張る。そしてそのまま部屋を出た。

「ちょっと待て……待ってください! 何をするのですか、魔王様!」

「ローラ! ローラはいるか!」

 アルが声を上げると、遠くから返事が聞こえた。廊下を小走りしながら、ローラがアルたちのところに来る。

「お呼びでござりまするか? 魔王様」

「これからガッデスを助ける。どこか匿える場所を知らないか?」

 アルの言葉を聞いて、ローラは一瞬目を丸くする。だがすぐに、思案する様子を見せた。

 二人のやりとりを見て、ルナは大声を出す。

「余計なことは言うな、ローラ! 魔王様、父はもう覚悟を決めているのです。脱走などと……無茶なことは考えないでください!」

「私の故郷でしたら、しばらくは隠れられると思うでござりまする。みんなルナ様には恩を感じておりまするから、そのお父上とあれば、秘密は守ってくれるはずでござりまするよ」

 その言葉を聞いて、アルはローラの頭を撫でた。さらに慌てるルナ。

「二人共、いい加減に……」

「いい加減にするのはお前のほうだ、ルナ!」

 ルナのほうへと振り返ったアルが強く言う。真っ直ぐ自分を見据えるアルの目に、ルナは一歩後ろに下がってしまう。

「ガッデスの覚悟とか、議会が荒れるとか、魔族が割れるとか……そんなことはどうだっていいだろ。お前はどうしたいんだ? このまま、父親が死んで、それで納得できるのか?」

「それは……でも、しかし」

 言葉が出てこないルナ。その様子を見て、今度はローラが口を開く。

「ルナ様はもっと自分の気持ちを大切にするべきでござりまする。ルナ様はいつも、ご立派に振る舞っていらっしゃるでござりまするよ……でも、今は! 今はご自分の望まれることを!」

 ローラの瞳もまた、ルナへと真っ直ぐに向く。ルナは目を外らし、俯く。

「……お前に、迷惑をかけることになるぞ」

「私はその何倍も、何十倍もたくさんのものを、ルナ様からいただいておりまする。恩返しをさせてほしいでござりまする」

 その一言が、ルナの心を決めさせた。先ほどまでの慌てた雰囲気は消え、彼女はハッキリとした口調で言う。

「ここからは全て私の責任です。魔王様は何も知らなかった。よろしいですね?」

「お前がそれで納得するならな! よし、そうと決まれば善は急げだ」

 アルがそう言うと、三人はガッデスのいる地下牢へと足早に向かっていく。


 魔王城の中には、いくつか大きな通路が存在している。地下牢へと繋がるのは、そのうち東側の大通路。そこは牢や侍女の詰め所などが集まる場所だ。

 だから、アルたちは驚いた。そんな場所にシルファルファの姿があったからだ。

「これは……お久しぶりでございます、まおう様」

 いつもと変わらない笑顔で微笑むシルフィ。

 アルとルナは状況がおかしいと感じていた。しかし、今はガッデスを脱出させることが先決である。

「どうする? 彼女はバンバーグの……」

「わかりません。内通している……かどうかは判断できませんが、父が逃げるところを見られるのは」

 ヒソヒソと話をする二人の姿に、シルフィはあからさまに機嫌を悪くする。

「どうしましたの? ワタクシ、挨拶いたしましたのに……お聞こえになりませんでしたか?」

「いや、悪かった。帰ってきてたんだな、おかえり」

 アルの言葉に、今度はニッコリと笑うシルフィ。

「ただいま帰りました。まおう様のお側を離れてしまい、大変申し訳ございませんでしたわ」

「シルファルファ様、今は少し急いでおりますので」

 ルナはシルフィに声をかけるが、彼女はそれを意に介さない。

「せっかく久しぶりに帰ってきたのでございます。できることなら、早く寝所で二人きりになりたく思うのですが……」

 そう言って、アルの胸に抱きつくシルフィ。ルナはどうしたものかと思案するが、そこでアルが口を開いた。

「そうかそうか。それなら、今からでも寝室に行こう」

「本当でございますか? その優しさにはワタクシ、言葉もございません」

 シルフィの言葉を聞き、アルは彼女の肩を抱く。そして、来た道を二人で引き返していく。

 その時、アルはルナに向かって目配せしてみせた。

 ありがとう……小さく呟くと、ルナはローラを連れて地下牢へと降りていく。

 ルナとローラは、地下牢のひんやりとした空気に身震いする。だが立ち止まることなく、ゆっくりガッデスの入れられた牢へと近づいた。

「父上、助けに参りました」

 ルナがゆっくりと声をかけると、ガッデスはすぐに彼女のほうを向いた。

「ルミナリア……か? どうした、こんな夜更けに」

「今、扉の鍵をローラに持って来させています。すぐにここから逃げましょう」

 ルナはガッデスに脱走を促す。しかし、彼の顔は険しいものに変わる。

「誰に言われようとも、私は逃げるつもりなどない」

「しかし、それではお命が……」

 ルナが何とか説得しようとするが、ガッデスは声を荒らげて言う。

「軍を預かる者として、自ら逃げ出すようなことはできぬ! 私の娘ならば、そのくらいのことは理解できるであろう!! 魔王様の側近であるお前が、脱走の手引きなど……」

「では、私の気持ちはどうなるのですか!!!」

 ルナが叫ぶ。地下牢のひんやりとした壁と、ガッデスの胸を震わせる大きな声で。

 それまで見たことがないほど感情的に娘の姿に、ガッデスは驚きを隠せなかった。

「ルミ、ナリア……?」

「父上が武人の誉れを尊く思う気持ちはわかっています。魔族全体のことを考えているのも……でも私は、私は父上にこんなところで死んでほしく……ない。この気持ちは、どうすればよいの?」

 その言葉にガッデスは何も言わずに立ち尽くしてしまう。どんな時も、自分の言いつけを守り、今では魔王を支える宰相まで務める自慢の娘。それが今、ただ父親を案じる少女として声を上げている……。

「ああ、そうか……すまなかった。ルミナリア――私の可愛いルナ。」

 先ほどとは打って変わって、ガッデスは穏やかな声でルナに語りかける。

「そうだったな、お前は優しい娘だった。私の期待に添って、ここまで立派に育ってくれた――そんなお前の頑張りに、私は甘えていたのかもしれん……許してくれ。だが、わかっておくれ。私はバンバーグを信じておるのだ。彼は私の命を奪おうなどとは思っていない」

 格子を挟んで、ガッデスはルナの頭を撫でる。頭をクシャクシャとされながら、ルナは彼に問う。

「どうして父上は、あの方をそこまで信じるのです? 父上を牢に入れたのは、バンバーグ公なのですよ?」

「あの男とは長い付き合いだ。ここまでずっと、力を合わせて魔族を支えてきたという自負がある。それに――ホレ。先ほどな、シルファルファが鍵を持ってきたのだ。おそらく、バンバーグが命じたのだろう。無論、私は牢からは出ないと伝えたが」

「王妃様が? 一体どうしてそんなことを……」

 ズドーーンッ!

 その時だった。城全体に衝撃音と振動が響いたのは。

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