第3話
「失礼します!」
翌朝、ルナは思いきり魔王の寝室の扉を開ける。ドアが開く大きな音と、ルナの大声でアルは飛び起きた。
「はい! おはようございます、先生!」
まるで 叩き起こされた子どものような反応をするアル。それを冷たい目で見つめるルナ。
だが、一つ妙なことに気づく――シルフィの姿がなかったのだ。彼女が魔王と一緒に寝ていることはルナも知っていた。
違和感はあった――しかし、今のルナに気にしている余裕はない。
「猶予は三日。遊んでいる暇はないぞ。まずは議員たちと直接話をする。面会は申し入れてあるから、すぐに着替えろ!」
そう言うと、ルナは寝ぼけ眼のアルの手を掴み、着替えが用意されたテーブルの前に立たせる。
アルは非常に寝起きが悪い。普段もシルフィが声をかけてから、二十分はベッドから出られない。勇者として旅をしていた頃の緊張感が解けたことで、最近はさらに寝覚めが悪くなっている。
そんなアルの様子を横目に、ルナは彼の寝巻きをそそくさと脱がせ始める。上着が脱げ、今度はズボンへと手が伸びた時、ようやくアルの意識がハッキリとした。
「ちょ……お前、何やってるんだ! この変態!」
「早く起きないのがいけないのだろう! 嫌ならさっさと自分で着替えろ!」
「いいから、服から手を放せ……って、うわあああぁぁぁ!」
ドテーーン! ルナが半分ズボンを脱がせてしまったせいで、アルはバランスを崩して転んでしまう。しかも、ルナがいた方向に。
「いててて……朝っぱらから何なんだよ?」
ムニュッ!
――あれ? 何かほんのりと心地よい、感触が……。
アルは自分の手に、何やら柔らかいものを感じる。一体何だろうと、視線を上げると、ルナの胸を思いきり握る自分の手が見えた。
次の瞬間、ルナの二つの翼剣が、アルの首の前で交差する。
「……さっさと起き上がれ。そして、最速で着替えろ」
「……りょーかいしました」
ルナの冷たい言葉に、アルはただ小さく頷くことしかできなった。
その日の夜。
一日中、貴族たちの屋敷を渡り歩き、アルはヘトヘトになっていた。
にも拘わらず、大した成果は得られないままだった。バンバーグに近い議員のほとんどが、忙しいことを理由に面会を断ってきたのだ。
おかげで、アルは徒労感でいっぱいになってしまう。
そんな彼にとって、夕食に用意されたソレは、まさに追い討ちだった。
「臭い!! クサいぞ! 何だコレ!!」
「これはナトーと言いまして、私の村では伝統的の食べ物でござりまする。豆を腐らせ、旨みを引き出しているのでござりまするよ」
アルは強烈な匂いに負けそうだったが、何とかナトーにフォークを入れる……だが、豆と豆の間に糸が引く光景を見て、再び叫び声を上げる。
「うわあああああ!く、腐ってるぞ、これ!」
「ですから、そういう食べ物……仕方ないのでございまするね!」
慌てるアルを横目に、今度はローラがナトーの皿を持つ。そして食器で一気にかき混ぜていく。
ぬちゃぬちゃぬちゃ……。
奇妙な音を立てる食べ物に、とうとうアルは気分が悪くなる。
魔族の食事には、それなりに慣れてきていた彼だが、ここに来てあまりにもインパクトの強いものが現れ、怯んでしまう。
――やっぱり、理解できないかも……人間である自分には、魔族の味覚はわからないんだなぁ。
アルがそんなことを考えている間に、ローラはナトーを混ぜ終えた。
「さあ、これで出来上がりでござりまする。これをコーメの上にかけてお召し上がりくださいでござります!」
喜々とした表情を浮かべるローラを見て、アルは観念した。目の前に置かれた腐った豆の塊を、ゆっくりと口へと運ぶ。
――太陽神のご加護を!!
心の中で念じて、アルはナトーを頬張った。
……。
ハッキリと美味しいとは言えない。だが、決して不味くはない――ローラの期待に満ちた眼差しもあって、アルの評価は若干緩くなったのだろうか。
「まあ、美味しい……かな?」
「本当でござりまするか! 故郷からいっぱいいただいておりますので、明日もお出しするでござりまするね」
そう言って満面の笑みを浮かべるローラを見て、自分が余計なことを言ったことにアルは気づいた。
寝室に戻ったアルは、一人でベッドに横たわる。
部屋に入ったアルは、キョロキョロを辺りを見回した。
「今日はシルフィ、いないのか……」
いつもなら、先に寝室で待っているシルフィの姿がない。最近は一緒になるのが当然になっていたため、少しばかり寂しい気がした。
だが、頭を横に振って、その気持ちを外に追いやる。
童貞男にとって、女子の添い寝は正直は耐え難い。まして、相手が自分を最愛の夫と信じているならなおさらだ。
シルフィの誘惑から解放され、大きなベッドに小さくなって眠ろうとするアル。しかし、それはドアの開く大きな音で邪魔されてしまう。
「シルファルファ王妃はおられますか!」
そう叫んで部屋に入ってきたのはルナだ。
「またお前か! 今朝といい、全く!! ていうか……シルフィなら今日は来てないぞ」
「……クソッ! 実家に戻ったというのは、本当だったのか!!」
ルナが悔しそうに言う。アルは彼女が何に憤っているのかがわからない。
「実家に帰った? ずいぶん急な話だなぁ。けど、自分の実家に帰るのがそんなに悪いことか? 家族を大切にするってのはいいことだろう?」
もともと孤児であるアルにとっては、家族がいるというだけで幸せな話だ。だからこそ出てきた言葉だが、ルナはキョトンとした顔を見せる。
「まさかとは思うが……聞いていないのか? 彼女の実家のことを」
「実家が何だってんだよ」
額に手を当て、ため息を吐くルナ。その態度に、アルも機嫌が悪くなる。
眉間にシワを寄せ、問い直そうとする――が、その前にルナが告げる。
「シルファルファ王妃は、バンバーグ公爵の娘だ」
「な……本当かよ、それ」
アルにとって、これは完全に不意打ちである。しかし、よく考えれば何も不思議なことではない。
魔族の最高権力者である魔王に対し、貴族の筆頭であるバンバーグの娘が嫁ぐ。古典的な政略結婚だ。
――だから、あのとき……。
アルは昨晩のシルフィの様子を思い出す。
「じゃあ、彼女が動揺してたのは、自分の父親の話だったからか……」
ガッデスの身を案じる彼女の気持ちは偽りだとは思えない。けれど、そのガッデスを追い詰めているのが自分の父親だと知った彼女……アルはその心中を想像すると、胸が痛くなった。
「彼女に話したのか? 父上とバンバーグ公のことを!」
アルはゆっくりと頷くしかできなかった。それを見たルナは何かを言おうとしたが、グッと飲み込んだ。
「……また、何も言ってくれなかった。昔からそうだ、あの子は!」
ルナの言葉に、アルは二人の関係性を知る。
「お前たちは……」
「幼馴染みだ。いや、向こうはそう思っていないだろう。昔から、自分では何もしない、親の言うことばかりに従う子だったよ。今は、その相手が魔王様に変わっているが」
ルナは頭に手をやる。髪留めを指差しながら、嬉しそうに話した。
「これは、昔シルフィからもらったものだ。父上に連れられて、よく彼女の家に遊びに行った。父上たちが仕事の話をしている間、彼女は私の相手をしてくれていたのだ。そんな彼女のことを、当時の私は慕っていた」
嬉しそうな表情を浮かべていたルナだが、急にその顔が曇る。
「あの子が魔王様に嫁ぐという話を聞いた時には驚いた。しかも、私のことなど覚えていないという様子だ……だからこちらも知らないふりをしていた」
「……悪い。俺が口を滑らせたから」
二人はすっかり黙ってしまう。ガッデスを救う方法は見つからず、シルフィは公爵の元へと戻ってしまった。状況は間違いなく、悪い方向へと動いている。
「シルファルファ王妃の件は、様子を見るしかない。バンバーグ公も、まさか自分の娘に何かをしたりはしないはずだ」
ルナはアルにそう告げる。だがそれは、アルに言ったというよりは、自分に言い聞かせるようだ。
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