第2話

「お前の言い分はわかるがな、ルナ。誰かが責任を取らねばならん。バンバーグもそれがわかっているのであろう。魔族全体のことを考えての決断なのだ。ヤツを……悪く思わんでやってくれ」

 アルの機転で弾劾決議は延期された。魔王の記憶喪失を理由に、判断を下すまでの猶予を得たのだ。決議は三日後――月が輝く満月の夜になった。

 月の女神を信奉する魔族にとって、満月は特別な意味を持つからだ。

 決議は延期されたが、ガッデスは城の地下牢に幽閉されることになった。ルナは必死に説得を試みるが、ガッデスの決意は固い。

「自分をハメた相手を気遣うのか? あの様子じゃ、確実にこっちの負けだ」

 ルナの後ろから、アルが牢へと近づいてきた。さらにその後ろからは、ローラがついてくる。

「あの、ガッデス様。お腹が空いていらっしゃるかと思いましたので、オムスを作ってきたのでござりまする」

 ローラの手には、二人の白い塊が乗っている。白い粒上の穀物を炊き上げた食べ物であるコーメ。それを軽く握り、塩で味を付けた食べ物が――オムスだ。魔族の間では携帯食として重宝されている。

「これは魔王様。先ほどは慈悲をかけていただきありがとうございます。ローラも。ちょうど腹が減っていたところだ。ありがたく食べるとしよう」

「で、どうしてバンバーグの肩を持つ? あれはどう見ても、次の軍事指揮官を狙っているみたいだったぞ」

 弾劾決議をわざわざ提案している以上、バンバーグが議会の半数を握っているのは間違いない。ガッデスから指揮官職を奪い、自分が後釜に座ろうという魂胆があるのは、アルにもすぐ理解できた。

 もしそうでなければ、戦争を知らないただの馬鹿である。

「……ヤツとは四十年来の仲でしてな。お互い、性分や立場の違いから、しばしば衝突もしました。それでも、一緒に魔族を盛り立てようと誓い合ったのです。ヤツが……バンバーグが私を追い立てるというなら、きちんと意味があるはず。私は、ヤツを信じておるのです」

「その気持ちはわかります! ですが、父上……」

 ルナが言葉を全て口にする前に、ガッデスはルナの頭にポンッと手を置いた。

「ルナ……お前がこの件について、責任を感じる必要はない。これは、私が負うべきものだ。お前はこれからも、魔王様をしっかりと支えよ。魔族として恥じぬよう勤めを果たせ」

 その言葉を最後に、ガッデスは牢のベッドに座り、静かにオムスを食べるのみだった。ルナはしばらく彼を見つめていたが、視線を交わすこともなく、アルたちと共に立ち去っていった。


 地下牢から戻る途中、ルナは俯きながら歩くだけだった。その後ろをアルとローラは、彼女を心配そうに見つめている。

「そう落ち込むなよ。別に仕事がなくなったからって、死ぬわけじゃないし」

「……職を奪うだけで済むはずがありません。バンバーグ公爵は必ず、父の命を狙います。軍人としても将軍としても、父は魔王軍全体から多くの支持を受ける身。それをただ役職だけ奪って見逃すはずがないのです」

 アルのほうへと振り向いたルナ。言葉こそ普段の彼女のものだが、声は震え、目にはうっすらと涙を浮かべている。

「私には……私には、父を救う力がありません。こんなに悔しいのですね、無力であるというのは」

「無力かどうかは、まだわからないぞ。何のために時間稼ぎをしたと思ってるんだ? 勝負は、まだ――これからだろ」

 そういうとルナの肩を叩き、そのまま寝室のほうへと歩くアル。その後をついて歩くローラも、ルナに一言かける。

「何があっても、私はルナ様とガッデス様のお味方でござりまする。私にできることがござりましたら、何なりとお申し付けくださりませ!」

「すまない……ありがとう、ローラ」

 ルナは一度目元を拭った後、たしかな足取りで執務室へと向かっていった。


 月が夜空を照らす頃、アルはベッドの上で浮かない顔をしていた。そんな彼を、シルフィは後ろからギュッと抱きしめる。たわわな胸を押し当てるように。

「何があったかは存じませぬが、ワタクシはあなた様のものでございます。悩みがあるのでしたら、ワタクシに吐き出していただいても……」

 シルフィは自分の胸元にある紐を解こうとする。それが解ければ、彼女の寝巻きは前から全開になり、ほぼ丸裸になってしまう。

「そういうのじゃないから! ていうか、まだ君のこと思い出してないし――シルフィは自分のこと話してくれないし……」

「何度もお伝えしておりますわ。ワタクシはあなた様のもの。それ以上でもそれ以下でもございませぬ」

 アルはため息を吐く。これまでにも何度となく、このやりとりを繰り返してきたからだ。

 シルフィは、なぜか自分自身の話をしようとしない。そのことを不思議に思いつつも、アルは相手への遠慮から、あまり深くは聞かなかった。

 ただ、この日の彼は、もう少し踏み込んで尋ねてみた。

「そもそも、君はどうして魔王と……俺と結ばれたいと思うんだ? 自分のことを何も憶えてない相手なのに」

「なぜと言われましても……ワタクシは、そのために生きているからですわ」

 アルはその言葉に、共感と違和感を同時に覚える。

「シルフィ、君は本当にそれで……」

「もうやめましょう。ワタクシの話など面白くありませんわ。それよりもまおう様のお話を聞かせてください。何か悩んでおいででしたが?」

 シルフィはそう言うと、今度はアルの腕に抱きついた。アルの腕はシルフィの胸の間に吸い込まれ、その柔らかな感触がハッキリと伝わってくる。そのせいで、アルの顔は再び赤くなる。

「た、大したことじゃないけど! 議会で大将が責任を問われてるんだ」

「……ガッデスおじ様が? あの方が責めを受けるのですか?」

 驚いた表情を浮かべるシルフィ。アルはその様子を見て尋ねる。

「君は、ガッデス大将を知っているのかい?」

「はい。幼い頃より存じ上げております。いろいろとお世話になったこともございますし……あの方は、罪を犯すくらいであれば、自分で命を絶ってしまうでしょう。あれほどご立派な方は、そういらっしゃいません。一体どうして?」

 不安そうな顔をして、シルフィはアルを見つめる。アルはいつもよりも語気の強い彼女の言葉に驚き、そのまま本当のことを話してしまう。

「実は、枢密議員のバンバーグ公爵が、ガッデスの免職を求めてきたんだ。何とかしたいとは思っているんだが……」

 アルの言葉に、シルフィは目を点にした。

 その困惑した様子に、アルはシルフィが話を理解できなかったのだと感じる。

「ま、まあ、難しいことはこっちに任せて。俺も彼の立場を守れるよう力を尽くすから」

「……あ、はい。ガッデスおじ様には本当に、お世話になりましたから……ワタクシからもお願いいたします」

 そう言うと、シルフィは黙り込んでしまう。

 しばらくして、彼女は部屋の窓から月の姿が見えることに気づいた。胸の前で両手を組み、静かに祈り始める。

「月の女神様――リュミシールだっけ? ガッデスのことを祈ってるのかい?」

 アルは静かに尋ねた。その問いかけに、シルフィは一瞬表情が固まる。だが、すぐに普段と変わらない笑顔を浮かべ、返事をする。

「はい……我らが月の女神は、正しき者を救い、誤った者には導きを与えます。満ちたる月の恩寵が、ガッデスおじ様を守ってくださいますわ」

 彼女は静かに語り、アルは微笑みを返す。すると、今度はシルフィが慌てた様子で、言葉を重ねた。

「あ……もちろん、まおう様のお力を信じておりますわ! 神頼みだけにするわけではございませんよ!!」

 焦って訂正を口にする彼女の姿に、アルは笑ってしまう。

 シルフィは、頬を膨らませ、不機嫌な様子を見せた。

「もう!! 夜も更けてまいりましたわ! 早く眠りましょう!」

 シルフィのその言葉を最後に、二人はベッドに入り横になる。窓からは、わずかに欠けた月が部屋の中を静かに照らしていた。

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