第8話
「そこだぁぁぁ!」
ローラは叫ぶとともに、一瞬で二十メートルほど前方に飛んだ。その足は魔甲に覆われている。野盗の一人を捉えた彼女の蹴りが、男を吹き飛ばず。
「テメェ、よくも仲間を!」
その様子を見ていた別の野盗が、ローラに向かって飛びかかる。右手に持った剣を振り下ろすが、ローラはそれを跳び上がって回避する。すぐに相手の右側から回り込んで後ろを取ると、そのまま後頭部に回し蹴りを入れる。
アルはローラの元へ行こうとするが、別の野盗が現れ、二人の間を遮った。
「おいおいマジか。あっさり二人も脱落とか、だらしねぇにもほどがあるぜ」
ニタニタと笑いながら、そう言った男は、明らかに他の連中とは違う。肉体はしっかりと鍛え上げられ、立ち振る舞いに隙がない。アルからは距離があったが、軍人のそれだとすぐにわかった。
「あんだが野盗の親分かぁ? 怪我したくねぇなら、どっか行っちめぇ!」
ローラが威嚇する。しかし、そんな言葉で動じてくれるほど、相手は甘くない。
「はっはっは! 威勢がいいねぇ、お嬢ちゃん。なかなか腕も立つみたいだしなぁ。俺はお前みたいなの、嫌いじゃあないぜ」
野盗の首領は、ゆっくりとローラとの間を詰めていく。
「いろいろ用意してたみたいだしな。まあ、ここらで散々暴れてたんだ。こういうこともあらぁな」
村に設置された松明へと視線を移す首領。その一瞬の隙を、ローラは見逃さない。相手の視線の逆方向に跳び、そこから一気に懐に飛び込む。そして全力の蹴りを叩き込む!
「ダメだローラ! 誘われてるぞ!」
アルの叫びは遅かった。ローラの蹴りは首領の腕で防がれる。魔力で強化された腕は、まるで巨大な盾のように広がり、蹴りの衝撃を受け止めた。
「それなら……!」
盾型の魔甲を足場にして体勢を立て直そうとするローラだが、首領はその動きも読んでいた。力を入れて踏み込もうとしたローラに対し、首領は空いた左手で彼女の脚を掴む。そして体を振り回し、思いきり放り投げた。足を持たれた状態で投げられたことで、ローラは受け身を取れないまま、家屋の壁に激突する。
かはっ!
小さな呻き声とともに、わずかに血を吐くローラ。アルは駆け寄ろうとするが、目の間の野盗がそれを阻む。
「邪魔だ、どけよ!」
何とか通り抜けようとするが、相手の剣がアルに襲いかかる。決して強い相手ではない。もしアルが元の体であれば、一瞬で斬り倒せる敵だ。しかし、今のアルはその剣戟を何とか躱すのが精一杯である。
「ローラ! 逃げるんだ、ローラ!!」
アルの叫びが届いたのか、彼女はよろよろになりながらも立ち上がる。だが、折れてこそいないものの、その右腕は上がらない。足にもうまく力が入らず、戦うのは無理な状態だ。その姿を見て、野盗の首領はローラに近づいていく。
「どうした? あの兄ちゃんが言うように、逃げちまえばいいじゃねぇか? お前、なかなかにいい脚を持ってるみたいだしな? そうすりゃ、さすがに俺も追いつけやしねぇ。見逃してやってもいいぞ」
ニタニタと笑いながら首領は言う。ローラにそんなことができるはずがない。そんな選択ができるなら、初めから村に戻ってきたりしない。
「まだ……まだでござりまする」
「ああん?」
ローラの目から、まだ光が消えてないことを野盗の首領は見抜いた。
ここまで来ても希望が消えていない瞳。首領は急にイラついた様子を見せ、怒鳴り始めた。
「調子に乗ってんじゃあねぇぞ、メスガキがぁ! それなりに上玉だから、きっちり変態貴族にでも、売っぱらおうかと思ってたんだが……」
首領はローラに近づくと、その幼い体を思いきり蹴り飛ばした。吹き飛びながらも、何とか姿勢を保ち着地するローラ。しかし、すぐに首領が距離を詰め、彼女の体を背中から踏みつける。
苦痛に呻くローラだが、その姿を見て首領の口元が緩む。
「お前みたいのはダメだ。売った先で、何か仕出かされたら、こっちの商売上がったりだからな。ここできっちり始末してやるよ!」
そう叫ぶと、左手で剣を抜き、大きく振り上げる首領。何とかローラを助けようとするアルだが、やはり目の前の敵が邪魔で前に進めない。
「ローーラーーッ!!!」
アルが力いっぱい大声で呼びかけた時、ローラの目が自分を見つめていることに、彼は気づく。
彼女は、アルに向かって微笑んでいた。
――死ぬかもしれないのに……なんで笑って?
「絶対、帰ってきてね! アル兄!」
その笑顔は、勇者としての旅立ちの日に、アムラエルが自分に向けた笑顔にそっくりだった。そこに映っていたのは――期待と信頼。アルが使命を果たし、約束通りに戻ってくる……そのことを一点の曇りもなく信じる気持ちが、はっきりとアムラエルの顔には表れていた。
ローラの笑顔は、妹分の少女が勇者アルフレッドに向けたものと同じ。彼女もまた、魔王という存在に心からの期待と信頼と、希望を見ている。
アルの中で、何かが胎動するような感覚が生まれた。
ローラとの訓練を思い出す。アルは腰を下ろし、両手を前に突き出した。
「お腹の中にある力を、ドカーンと動かして……」
そう呟いたアルの足が、魔甲によって覆われる。漆黒の結晶体は、ローラが扱うソレと瓜二つだ。
アルに剣を向けていた野盗は、慌てて剣を振り下ろす。
「バシューンと……出す!」
野盗の剣がアルの体に当たる寸前、彼は壮絶なスピードで飛び出した。あまりにも勢いが付きすぎてしまい、アル自身にも制御が利かない。そのまま、首領の体に衝突する。
ズゴォォォォン!
爆音と共に、二人は吹き飛んでいく。首領はとっさに魔甲の盾を出したが、さすがに衝撃全てを防ぐことはできなかった。アルは頭から血を流しているが、意識はハッキリしている。必死に首領の足にしがみつく。
「この野郎……何しやがんだぁ!」
叫びながら、何とかアルを引き離そうとする首領。だが、アルは無理やり足を掴み、絶対に離そうとはしない。アルは頭を拳で何度も、何度も殴られる。それでも、決して手を離さない。
「何なんだてめぇ……何なんだよ、テメェはぁぁ!」
「あの子は――ローラは!俺に助けてって言ったんだ!! 約束したんだよ、俺は!! 村を……みんなを!! ローラを守るって約束したんだぁぁ!!!」
凄まじい叫び声とともに、アルは顔を上げ、首領を睨みつけた。すると、首領の顔が一瞬硬直する。
「てめぇは……いや、あなたは!!」
「全軍、突撃ぃぃぃ!!!」
森の中から、突然大きな掛け声が聞こえてくる。同時に、五十を超えるだろう馬の足音が、村に向かって進んでいった。アルも首領も、辺りを見回す。
「魔王軍……?? そんな馬鹿な! まだ時間があるはずだ!!!」
野盗の首領はそう叫ぶと、力いっぱいアルを振りほどく。馬の足音に気を取られていたアルは、あっさり手を離してしまう。
「クソッ! お前ら、撤退だ! 今すぐズラか……」
「そうはいかない。誰一人として、逃がしなしないぞ!」
野盗の首領は、首筋に冷たいものが触れるのを感じる。それはルミナリアの腰から伸びる翼剣。あと一歩前に歩けば、間違いなく首が落ちるほど、ギリギリのところで留めている。
「野盗たちは全員捕縛しろ! 抵抗を止めぬ者のみ殺して構わん。この者たちには聞きたいことがある!」
ルナの指揮のもと、夜盗たちはことごとく捕らえられた。
アルは視界がぼやけた状態ながら、そこにいるのがルナであることを、彼女の声で理解した。
「来るのが少し……遅いんじゃないか?」
「バカを言わないでください。ガッデス大将に早馬を出して、騎兵だけ六十ほど先に出していただきました。野盗が小規模で助かりましたよ」
ルナは、アルが起き上がれるように手を貸す。
顔ははっきりと見えないが、明らかに怒っているのが、声の調子でわかった。
「悪かった。今回の件は、全面的に俺が悪い」
「当然です。魔王様にはきっちり反省していただきます……ですが」
ルナはスタスタと村のほうへ歩いていく。何をしようとしているのか、アルにはおおよそ見当がついた。急いで後を追う。
「ローラ! どこにいる、ローラ!」
ルナの声は村中に響き渡った。それに応える声は、わずかに震えている。
「ルミナリア……様」
「ここにいたのか。随分とボロボロだな」
ルナはローラの姿をまじまじと眺める。服は傷だらけで、右腕は打撲した痕……口元には血まで付いている。
「自分のしたことは、わかっているな?」
「……はいっ!」
そう言うと、ローラは目を瞑り、俯いた。
「いい覚悟だ!」
ルナは叫ぶとともに、右の拳を振り上げ、そして振り下ろした。
ゴッ! その拳に威力に、体が吹き飛んだ……アルの体が。
「ま、魔王様!」
「な、何をしていらっしゃるでござりまする!」
思いきり腹の辺りに拳が入り、アルは尻餅をついていた。そして、殴られた箇所を押さえつつ、ゆっくりと立ち上がる。
「ここに来たのは……俺の判断だ。ローラは悪くない!」
「そうはいきません! これはケジメです!」
もう一度拳を振り上げるルナ。しかし、二人の間にアルは割って入る。
「守りたかったんだってよ。この村のこと……」
「故郷を守りたい気持ちはわかります。ですが……」
「自分の故郷だからって意味だけじゃない。お前が救ってくれた村だから、守りたかったんだよ!!」
ルナは、驚いた顔をする。そして、ローラに視線を移す。
「お前がしてきたことを無駄にしたくない……そう思ったから、俺に頼ってまで戦おうとしたんだ!」
「ごめんなさいでござりまする。ルミナリア様……ごめんなさい」
ルナは、歯をグッと食いしばる。そして、ローラを思いきり抱きしめた。
「バカ……バカ者が! すまない……私がきちんと手を打っておけば、こんな傷ついたりせずに済んだのに……!」
「ごめんなざい……ごめ、んなざい! ごめんなさい! うわぁぁぁぁん!」
それからしばらく、ローラはルナの腕の中で泣いていた。
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