第6話

 村に火の手が上がる。魔王城からは遠く離れた貧しい農村。家は焼かれ、逃げ惑う者たちの悲鳴が、そこかしこで響いている。

 凶器を手にした男たちは、村人たちに次々と襲いかかった。逃げ惑うものの背中を斬りつけ、家の中に逃げ込んだものを力ずくで引きずり出す。縋る者を足蹴にし、慈悲も温情もなく、ただ自分たちの目的のために非道を尽くした。

「いいかぁお前ら! 女は殺すなよ。たとえガキでもだ。そういうのを好んで買う連中もいるからな!」

「「「へいっ! お頭!!」」」


 枢密議会――魔族内における最高意思決定機関である。軍事、政治、商業、社交界など、魔族社会を構成する各分野に置いて、大きな力を持つ十二の魔族と、それを束ねる魔王によって構成される議会だ。魔族全体に関わる案件を話し合う場であり、滅多のことで招集されることは無い。

 アルが魔王健在を伝えるために参加したのも、この枢密会議である。ただし、その折は臨時の集まりであり、顔を出していないものもいた。

 それ以来、議会員が全て揃った状態の会議は、これが初めてとなる。 

「今回の議題ですが、領内における野盗の出現についてです。これまでも散発的に野盗の被害は出ていましたが、今回は一度に複数の地域で起こっています。しかも、これまでにないほどに大規模に。これは、単なる偶然とは思えません」

 ルナが切り出す。魔族と一言で言っても、全てが一枚岩になっているわけではない。大抵は魔王の存在に頼り、治安を乱すようなことは控える。しかし、魔王に反発していたり、不満を持ったりする者は、秩序に従おうとはしない。

「やはり、あの噂のせいでしょうなぁ」

 以前の会議でもやたら張り切って喋っていた男が声を上げる。

 魔王様が無事でよかった、責任は誰にあるのかなど、とにかく場を仕切ろうとしてた小太りの男。そのため、アルが苦手とする〈貴族〉そのものの姿であり、警戒感を抱いている相手だ。

 その男――貴族代表のバンバーグ公爵が言っているのは、魔王に関わる噂が広まっているということだ。

「たしか、魔王様は死んだ……とかいうデマでしたか」

「私は、魔王様が乱心した、という噂だと聞きましたが」

 議員たちも、単なる噂とはいえ、魔王に関わるものを聞き逃したりはしない。まして、この微妙な時期なら、余計に無視するわけにはいかないのだろう。魔王の権威が落ちるというのは、すなわち魔族全体の結束が弱まるということ。このままだと、野盗どころの騒ぎではなくなるかもしれないのだ。

「魔王様の現状については、我々枢密議会のメンバー、あとは城内の者だけの秘密でしたね。一体どこから漏れたのか」

 メガネをかけた商人風の男が、ポツリと呟く。

「情報が漏れているとは限りません。記憶と力の喪失という、事実と一致する噂は存在しないとの報告を受けています。あくまで、魔王様が表に出ない状況に対する不安から来るものでしょう」

 ルナは自分の推測について語った。無論、情報漏えいの可能性全てを否定する気はない。ここで議会が荒れるのを避けたいと考えたのだ。

 だが、議員たちは裏切り者の存在を疑い牽制を続ける。それを止めたのはガッデスの一言だった。

「お待ちください、議員の皆様方。噂の出処について我らがここで話しても詮なきこと。今大事なのは各地を荒らす野盗共にどうやって対処するかでしょう」

 ――そっちが本題だよなぁ、ここは。

 同胞の命が脅かされている状況で、それでもなお、権力争いをする者たち。アルはそういう光景にうんざりしている。だからこそ、アルは自ら切り出した。

「えっと、ガッデス大将。軍隊を動かして、野盗に備えるんじゃダメなのか?」

 アルの言葉に対して、ガッデスが神妙な面持ちで答えた。

「不可能ではありませんが、先だって人間共の進軍に対処すべく、兵力のほとんどを南方に集結させております。現状、領内に残るのは治安を維持する最低限の兵のみ。これをすぐに動かすのは、さすがに無理でございます」

 魔族にとって、人間に対抗するというのは最優先課題の一つだ。どれだけの兵があり、どんな武器を準備しているのか……そういった情報が、全然入ってきていない。

 大陸南端部に陣取る人間たちに対しては、常に万全の備えをしておきたいというのが、ガッデスの本音だ。

「加えて、今回野盗が現れたのはイースタン地方北部、ノーザン地方南東部、そしてウェスタン地方北東部です。これだけ距離が離れていると、別々に指揮官を配置せねばなりません。これからすぐに再編成しても、五日はかかるでしょう。それまでは各地の駐屯兵や自警団に努力してもらう以外には……」

「いやいや、たしかに野盗というのは厄介な存在です。しかし、それよりも人間共のほうが何倍、何十倍も問題でしょう!」

 ここで口を開いたのは、小太り貴族バンバーグだ。彼は大陸南西方面に広大な領地を持つ貴族。領内の安寧を考えれば、先日侵攻しようとした人間たちを警戒するのは当然かもしれない。

「そもそも、領地を守るのは領主の勤めなれば。それができぬのは、治めるものの器量が足りぬからよ。実際、我が領内では野盗など現れてはおりませぬ」

 彼の領地は南方にある。主力軍がある土地で、野盗など発生するはずがない。

「バンバーグ殿。今回の件を、一領主の問題と捉えることには同意できかねる。魔族領内で同時多発的に起こっている事件なのだ。皆が一致団結して解決するべきだろう」

 バンバーグの意見に対して、ガッデスが穏やかに反論する。

 しかし、他の議員からは大きな――怒鳴り声を伴う反発が起きた。

「我々としては、少しでも早く野盗を排除していただきたい。掠奪行為が横行していては、我々商売人は生きていけませんからね。そもそも、こうした問題が起きないようにするため、我々は軍に資金援助をしているのです」

「何をエラそうに……金だけを出している商人風情が、自分たちの都合で軍を動かそうというのか!」

 バンバーグも怒声を上げ、議題とは関係のないところで、諍いを始めてしまう。生まれながら高い地位を持つ貴族と、地道に富を築いた商人。相性は最悪だ。二人が争う様子を見て、ガッデスや他の議員、そしてルナは表情を曇らせる。

 アルは再び始まったツマらない言い争いに、我慢の限界を迎えていた。

「ストーーップ!」

 アルが声を上げる。息を荒げる二人も席へと座る。

「野盗がずっと好き放題するのは問題だろ。被害が小さいうちに対処するべきだ。五日で準備ができるんだな、ガッデス大将」

「はっ! 魔王様の勅命とあれば、すぐにでも準備に取り掛かりましょう。一切の無駄なく、最速にて現状打開のため、働きましょうぞ」

 アルはガッデスの言葉に対して、力強く首を縦に振った。

「何であれ、同胞は守る! ツマらない争いは、全部終わってからだ!」

 アルの言葉に、反論する議員はいなかった。


 食卓に並べられた食事は、これまでにないほど大量だ。最初は苦手だった生の魚介も、今やアルの舌を喜ばせてくれる。

「いやホント、ローラのおかげで食事に困ることはないよ。助かる」

 テキパキと食事を用意するローラに礼を告げるアル。ニコッと笑顔を見せた彼女の姿に、アルは一人の少女を連想した。


「アル兄ったら、一人じゃなんにもできないんだから!」

 いつも自分の後ろを歩き、ことあるごとに世話を焼いてくれた妹分――アムラエルのことを思い出したのだ。アルを兄として慕い、応援してくれた少女。勇者として旅立って以来、アムラエルとは三年も会っていないのだが。

 ――ちゃんと、下の連中の世話を見てくれてるかな? アムラエルの期待に応えたい――それがアルの、勇者としての始まりである。


「魔王様、大変申し訳ござりませぬ」

 思い出に浸っていたアルだったが、ローラの呼びかけで我に返った。見ると、ローラが大きな荷物を背負っている。

「どうしたんだ? そんな大荷物背負って」

「大変心苦しいのでござりまするが、私はしばらくお暇を頂戴させていただくのでござりまする」

 急なことで、アルは状況が飲み込めない。仕事を休むというだけなら、何も荷物をまとめる必要はないはずだ。

「どこかに行くのか?」

「実家に帰りまする。向こうでトラブルがござりまして……私の力が必要なのでござりまする」

 里帰りをする。それは特別なことではない。しかし、帰る日になって挨拶というのはあまりに急だ。

 アルはそこに、引っかかるものを感じた。

「お前の故郷ってのはどこだ?」

 この質問を聞いて、ローラは表情を曇らせた。彼女は口ごもるが、相手は魔王である。問われてしまえば嘘は言えない。

「……ノーザン地方南東の村、バルナンでござりまする」

 ――そういう、ことか……。

 ガッデスの報告にあった野盗が現れた地域の一つ。アルはすぐに、ローラが何をしようとしているのかを察する。

「自分一人が帰って、どうにかなると思うのか?」

 酷な問いだ。まだ幼さが残る少女に、どうにかできる問題ではない……そんなことは、ローラ自身が一番よくわかっている。

「五日あれば、軍を派遣するとガッデスは言っていた。それまで待って……」

「もし間に合わなかったら……私は絶対に後悔するのでござりまする」

 ローラが始めて、アルの言葉を遮るように発言した。

「たとえ何もできなくても、家族のそばにいてあげたいのでござりまする。弟たちに、大丈夫だよって言ってあげたいのでござりまする!」

 ローラの目は、アルを射抜くように真っ直ぐと輝いていた。アルはそれ以上、何も言えない。

「大変失礼なことを口にしたのでござりまする。もう、ここには戻っては来ないのでござりまするよ……長い間、お世話になりましたでござりまする」

 トボトボと歩いていくローラ。

 アルにとって、彼女を助けるメリットなどない。そもそも彼自身、今は何の力もないのだ。魔族を助けるため、命を張る理由もない。アルはもともと魔族と戦う人間――勇者なのだから。

 ――今、ローラを助けても意味なんてない。

 ――俺には自分の体に戻って、果たすべき使命があるんだ。

 ――それに、この体じゃ、まともに戦うことだってできないんだ。

 アルは自分の中にある、ありとあらゆる理由を探す。目の前の少女を見送り、見て見ぬふりをする理由――それはアルの中に、何十と存在していた。

「俺は勇者だから……相手は魔族だから、あの子を放っておくのが正しいってか」

 アルはわずかに口元を緩め、自分にとっての正義を呟く。だが……。

「んなわけないだろ!!!」

 アルは声を上げ、否定する。

 彼の目の前に今、困っている者がいる。彼女はアルのために一生懸命に頑張ってくれた存在だ。その相手さえ助けない勇者なんているわけがない。

 アルの大声を聞いて、ローラは驚き、振り返っていた。

「俺も一緒に行くぞ。連れていってくれ。」

「え、ええ? ですが、魔王様がお城を離れられるなんて……」

 あまりに唐突な言葉に、ローラは大慌てになる。まさか魔王がそんなことを言い出すとは、夢にも思わなかったからだ。

「いや、でも……待って、待ってくださいでござりまする」

「もう俺は決めた。お前についていくぞ。それとも、魔王の言葉が聞けないっていうのか?」

 そう言って笑うアルに、ローラは首を横に振る。その顔にはどこか安心感が映っていた。


「ワタクシのまおう様は、一体どこにいらっしゃいますの! 貴女が隠したのでしょう、○×&△……!」

 シルフィの怒鳴り声が、ルナの執務室に響く。夜中まで仕事を続けていたルナは、突然の闖入者に驚く――だが、もっと驚いたのは、彼女の話の内容だ。

「王妃、落ち着いてください! 魔王様がいらっしゃらないのですか?」

「そうですわ。いつまで待っても寝所にいらっしゃらないのです。ご自分の部屋にも、食卓の間にも姿がない……あとはもう、貴女が隠したとしか」

 最後の理屈がルナにはよくわからなかったが、アルが見当たらないのは本当だと確信した。

「魔王様を探されていたのですね? いつもと違う点はありませんでしたか?」

「違う点……? そういえば妙にまおう様のお部屋が散らかっていたような……そうですわ。食事が食べかけで、お皿が残っておりました。」

 ルナの顔が一気に青ざめる。シルフィを放置して、城内を駆けるルナ。

 ローラの申し出を受け、ルナは迷いながらも、彼女の帰郷を許可していた。だが、夜盗襲撃の報告が増えていたこともあり、忙しさから今日の出立も立ち会わないままだったのだ。

 衛兵たちの話から、ローラが三、四時間前馬車で城を出たこと、その時もう一人従者を連れていたことがわかった。衛兵たちも多少怪しいと思ったが、相手がローラだったために大丈夫だろうと思ったという。

「申し訳ございません!」

「いいや、まさかローラがこんなことをするとは思わなかった。私の責任だ」

 ルナにとって、ローラは最も信頼できる部下の一人だ。嘘をつかない純朴な性格と、与えられた仕事への従順さ。そして何より、他人を思いやる優しさを持っていた。

 だから、誰かを危険に巻き込むことなど想像もしなかったのだ。

「こんなことなら、無理にでも引き留めておくべきだった……誰か、早馬を用意しろ!」

 ルナは駆け足で執務室へと戻ると、すぐ準備に取り掛かった。

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