第4話

「――我々の土地に人間たちが現れるようになった。これがおよそ百年前だ」

「それ、俺が知ってる話と全然違うんだけど」

 アルは心底不機嫌だった。ルナから教わる知識、特に歴史に関わるものが、自分の教えられてきたものとは大きく食い違うからだ。アルが抱く不満は、表情にハッキリと浮かんでいた。ルナはそれを読み取り、きっぱりと告げる。

「別に信じる必要はない。ただ、覚えておくことだ。お前も魔族として、魔王として生きるなら、我々の常識を理解しろ」

「……わかってるよ」

 ルナが先生としていろいろと教えるようになって一週間が経過していた。彼女の口から出てくる話は、ほとんどがアルの全く知らないことばかり。魔族がどうして北の大地に住むようになったのか。どうして〈魔力〉という力を手に入れたのか。そうした話を、人間の中できちんと知るものは皆無に等しかった。

 ただ、魔族は人類に仇なす敵であり、滅ぼす以外に道はない……アルを含め、ほとんどの人間がそう教わるからだ。

 コンコンッ。

 その時、部屋の扉を叩く音がした。

「失礼しまする。入室してもよろしいでござりまするか?」

 アルが「入れ」と告げると、ドアからメイド娘――ローラが入ってくる。

「昼食の用意ができましたので、お迎えに上がったのでござりまする」


 ルナと別れたアルは、食卓の間で席に着く。広く大きな卓上には、たくさんの料理――もともと大食らいなアルにとっては、山ほど用意された食事というのは実に気分がいい……はずだが、彼は困惑した表情を浮かべる。

「これは……なんだい?」

「はい、そちらは極北海産のマーロという魚でござりまする。赤身のお魚でして、薬味と一緒に召し上がると、とても美味なのでござりまする」

 アルが気になっているのは、それが何なのかではない。どうして生で出ているのかということだ。魔王としての生活は、アルにとってそれほど悪いものではなかった。幼い日を孤児院で育ったアルは、いつもひもじい思いで暮らしてきた。勇者になった後も、贅沢とは縁のない日々。それが魔族の王とはいえ、絢爛豪華な城の中、周りから大切に扱われる存在になった。貴族のような生活を通し、どこか満足感を覚える部分もあったのだ。

 しかし、食事に関してだけは、どうしても慣れない。

「昨日のあれは、なんて言ったかな? あの足が十本ある……」

「ああ、クラックンの丸焼きでございまするね。あれは素晴らしい食材で、生でよし、煮てもよし、焼いてよしなのござりまする。ですが、私としては干物にするのが最高だと思うのでござりまするよ」

 ウネウネした十本足の生物を食べるのは気が引けて断ったが、まだ生の魚を食べるよりはマシである。

「じゃあ、それを持ってきてくれないか。この魚は……」

「そうなのでござりまするか? 以前はマーロが大好物でござりましたのに」

 そう言われて、アルはギョッとする。いくら記憶がなくても、味覚まですぐに変わったりしないはずだ。それなら……。

「いや待った。とりあえず食べてみよう。話はそれからだ」

 ローラは不思議そうな顔をしている。かつての大好物を食べるのに悪戦苦闘しているのだ。それは当然かもしれない。だが、そんなローラの反応さえ、アルにはほとんど見えていない。未知なる食べ物を口に運ぶのに神経を使っているからだ。恐る恐る、生魚を口に運んでいく。

 ――ええい、勇者が食べ物一つでビビるな!!

 パクリッ。モグモグ……。

 それはとても不思議な味だった。基本的には淡白で、さほど味は強くない。けれど、じんわりと旨みがあり、動物の肉とは違った味わいを感じる。

「思ったよりも悪くないぞ」

「こちらのソーイと、ワスビをつけるともっと美味しゅうございまする!」

 その後もアルは、食卓に並べられた食事を、一つ一つ確認しながら口に運んだ。舌に合わないものもあったが、大抵は美味しく食べることができた。

「お食事に関わるものまでお忘れしていて、何だか寂しいのでござりまする」

 ローラは伏せ目がちになりながら、そう言った。アルは彼女の頭にポンッと手を乗せ、優しく撫でながら言う。

「どれも美味しかった。ローラは本当に料理が上手だ。ごちそうさま」

 すると、ローラは驚いたような、喜んでいるような不思議な表情を浮かべる。

「そんな風に仰っていただいたのは始めてでござりまする……魔王様? 魔王様は本当に魔王様なのでござりまするか?」

 魔王は家臣に対して、理不尽なことを言いはしなかった。けれど、優しさを見せることもない――アルはルナからそう聞かされた。できる限り、同じように振る舞おうとしたアルだったが……。

「多分、前からそう思っていたんじゃないかな? 口にしなかっただけで」

「そう……なのでござりまするか? きっと、そうなのでござりまするね!」

 ――なんか、アイツを思い出すんだよなぁ。

 自然と穏やかな言葉が出てしまう。アルはその幼い背中に、かつて一緒に育った女の子を重ねていた。

「では、お腹が落ち着きましたら、中庭のほうにいらっしゃってくださりませ。今日も魔力の扱い方をお教えするでござりまする」

 ローラは大量の皿を両手に乗せ、バランスを取りながら食卓を後にした。しばらく休んだ後、アルもまた席を立ち、中庭に向かって歩いていく。


「ダメだ、やっぱり意味がわからない……」

 アルは眉をひそめる。ローラが何を伝えたいかが、点で理解できないからだ。

「もう一度お手本をお見せするでござりまする。目を離さないでくださいでござりまするよ!」

 ローラが構える。体を前に倒し、両手を地面に付けつつ、両脚を折る。

「お腹にある力を、ドカーンと動かして……」

 ローラの足が変形する。まるで宝石のような青い塊が、彼女の足を覆いつくしていく。それはまるで走り出す直前の猫科動物の足――その力強いフォルムは、少女の足には不釣り合いに見える。

「バシューンと出す!」

 ボフーーーン! その言葉通り、彼女は飛び出していった。自分の身長の二十倍を優に超える高さまで。

 ズドーーーーン!!

 着地と同時に大きな音が立ち、衝撃で砂煙が舞い上がる。ローラの跳躍力が凄まじいものだと理解できた。

 その直後、ローラの足を覆っていた結晶は、パラパラと剥がれ落ちた。

「何度見てもすごいな……これを皆ができるのか?」

「いえ、誰でも同じようにできるわけではござりませぬ。それぞれ魔力の量も違いまするし、得意な使い方も異なるのでござりまする。私の場合は、もともと脚力には自信があったのでござりまする。そこに魔力を重ねて、こういう形になったのでござりまするよ」

 寒く痩せた土地の多い過酷な地域で生き残るため、魔族たちが獲得したという魔力。才能とはいえ、人間と比較にならない強大な力を小さな少女が秘めている。

 ――これじゃあ、人間が魔族を倒せないの当然かもしれない……。

 目の前で見せつけられる少女の実力に、感心と落胆を同時に抱いた。魔族に対抗するため、長い間訓練をしてきたアルとしては、複雑な気分になるのは当然である。

「ローラの脚力強化は、魔族でも特に秀でています。今はまだ幼いためにメイドをさせていますが、いずれは一軍を任せてもよい器でしょう」

 突然、ルナが姿を現した。この時間、ルナがアルの前に姿を現すことは、これまでなかったのだが……。

「ルナ、仕事は? この時間は忙しいんじゃなかったのか?」

 アルが尋ねると、ルナは深々とお辞儀をする。

「魔王様、大将殿がお戻りになりました。挨拶をしたいとのことですので、お手間を取らせますが、一緒に来ていただけますか?」

「大将? ああ、魔王軍を指揮してるっていう奴だったか」

 軍を預かる者が城に戻ってきた――それはつまり人間側が撤退したということ。アルが帰還せず、魔王が健在と知ったからだろう。それだけに、アルの心中は複雑だった。


 ルナに連れられ城内を歩くアル。ルナは足を止めずに尋ねてきた。

「少しは魔力が扱えるようにはなりましたか?」

「全然だ。さっぱりわからん。どうやったら体をあんな風に、変形できるんだ」

 アルがため息混じりに呟く。しかし、ルナは全く気にかけない。

「変形させているのではありません。体の中に溜まっている魔力を、自分のイメージに合わせて形にするのです。〈魔甲〉と呼ばれる外殻は、一定時間稼働し、通常の何倍もの力を発揮します」

「イメージ、ねぇ。それはローラにも言われた。どんな力を発揮できるかは、本人の想像力によるってな」

 とはいえ、人間としての体と感覚で生きてきたアルが、急に魔族らしい想像力など得られはしない。

「時間がかかるのは仕方がありませんね。魔王様は、『記憶喪失』ですから」

 ――どうしてこう、嫌味なことを言う!

 ルナの言葉に、彼は強い反感を抱いた。アルが何かを言い返そうとした瞬間、彼女が立ち止まる。

 コンコンッ。

「魔王様がいらっしゃいました。入ります」

 ルナが扉を開け、アルに部屋へ入るように促す。そこは応接間。中央には身長二メートル近い白髪交じりの頭をした壮年の大男がいた。左目には眼帯を着けている。

「これは魔王様、わざわざご足労頂き痛み入ります」

 しっかりとしたお辞儀をする男の佇まいは、まさに模範的な軍人のものだ。一目見ただけで、アルはその男が只者でないことを理解する。

「記憶をなくされていたのでしたな。私は魔王様より全軍の指揮権を預かっておりましたガッデスと申します。魔王様がご無事で何よりでございました」

「ありがとう、こうして命があっただけ儲けものだった」

 アルは素直にそう応えた。自分は相手を知らないし、向こうも正体に気づいていない。しかし、自分の身を案じる者に対して、礼を言うのは当然だと思ったからだ。しかし、アルの言葉を聞いたガッデスは急に涙を流し始めた。

「な、なんと……おいたわしやっ!!」

 ガッデスはそう言うと、その場に突っ伏した。アルには何が起こったかがわからない。しかもガッデスだけでなく、ルナまで頭を下げている。

「勇者を倒せるのは魔王様をおいて他にはいないと……奴を招き入れた私の考えが甘かったのでございます!! 全ては我が不徳のいたすところ! いかなる処分もお受けする所存にございます!」

 アルが魔王と対峙した時、他の魔族が見当たらなかったのは、そういう作戦だったわけだ。不要な被害を出さないために、魔族最強の魔王が勇者を迎え撃つ。アルは最初からハメられていた。

「俺は……それを受け入れていたのか?」

「魔王様は、我々の提案を受けてくださいました。それが最善の手であれば、と。しかし……」

 謝罪を続けようとするガッデスに対し、アルは手を差し出す。彼に頭を上げさせ、再び立ち上がるように促した。

「それなら問題ない。結果として俺は生きてる。それでいいじゃないか」

 その言葉に、ガッデスは先ほどよりも、さらに勢いよく涙を流した。

「なぁんというぅ慈悲深きお言葉ぁぁ!!! この不肖ガッデス、魔王様の器の大きさを測りきれておりませんでしたぁ。ご安心くだされぃ! ご記憶を失った魔王様に代わり――人間共など一捻りにして進ぜますぞ、この私が!!」

 アルはガッデスが最後に放った言葉に、むっとした表情を浮かべる。そこで反論を口にしようとするが、隣のルナが腕を伸ばして遮る。

「今日のところはご挨拶までにて。魔王様、私はこれからガッデス大将とお話しがございます。中庭のローラのところにお戻りいただけますか?」

「……わかったよ。ご苦労様」

 部屋を出ていくアル。

「記憶を失うというのは、人格まで変わるものなのかな? 以前ならば、私の体が吹っ飛ばされ、壁か床に大穴を開けていたはずだが……何とも不思議な気分だぞ」

 涙を拭いながら魔王の変化に戸惑い、あるいは感心するように言うガッデス。

「さあ、どうでしょう。それよりも戦況報告をお願いします」

 ルナはテーブルの上に地図を広げた。魔族たちの住む北方大陸。全体はほぼ青く塗られていたが、南東部分にわずかに赤い地域が描かれていた。

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