第3話
「どうだった、俺の演技。なかなか上手だったろ?」
アルは自慢げに言う。魔族の有力者が集まる議会の場で、魔王健在の報告を済ませたアルとルナ。二人が魔王の私室に戻ってきた直後だった。
「演技も何も……〈記憶喪失〉ということで誤魔化したのだ。お前が何を言おうと関係ない」
だが、ルナは素っ気ない対応をする。アルは不満げな顔を浮かべた。
「これから協力していくんだろう? もう少し愛想良くできないのかよ」
「今日のところはもう休め。明日からは、お前にいろいろ仕込んでいくからな」
アルの言葉を無視し、ルナは部屋から出ていった。大きなため息を一つ吐き、アルも彼女を追うように扉を出る。
すでに廊下を歩いていたルナが、突然「あっ」という声を出した。アルのほうに振り向いた彼女が、一度咳払いしてから口を開く。
「そうでした。大切なことを一つ言い忘れていました。今日からご正……」
「ま~お~う~さ~ま~!!」
ダッダッダッダ!!ズドッテーーーン!!
ルナが話し終えるより前に、その横からアルに向かって駆け込む影が現れる。勢いよくアルにぶつかったその影は、彼を巻き込む形で盛大に転んだ。アルは自分の手に何か柔らかいものが当たっているのを感じる。
「お怪我、治られたのですね。ご無事で嬉しゅうございます、まおう様!」
アルのことを押し倒したのは、純白のドレスを身に纏う女性。翡翠の色をした長い髪はサラサラで、アルの体をくすぐっている。うっすらと涙を浮かべた表情に、アルはうろたえる。しかし、手に当たる心地よい感触に、自然と指が動いてしまった。
ムニュウゥゥ……ムニムニッ。
――うおっ?? 何だろうこの、言葉にできない心地よい感触は???
「ひゃん! もう魔王様ったらぁ。こんなところで、大胆すぎますわ!」
アルが手に掴んだのは、目の前にいる女性の胸である。彼の手のひらでは掴みきれないほどの豊満な肉の感触に、アルは心地よさを覚えるとともに、その状況にただ戸惑うばかりだ。
「な……なんだ?? 一体」
「コホン。そちらのお方はシルファルファ王妃様。魔王様のご正妃にあらせられます。しばらくの間、ご実家にお帰りになっていらっしゃいましたが、本日から再び城へとお戻りになられました」
アルは「聞いてないぞ!」と叫んだが、それはルナが立ち去った後だった。
シルファルファによって、半ば強制的に寝室へと連れてこられたアル。そのまま訳もわからないままベッドに座る――その左腕を彼女の胸の谷間に埋めて。
「ワタクシ、ゼクス様が人間に斬られたと聞いた時、全く信じられませんでした。でもそれが本当だと知った時には、心臓が止まるかと思いましたの。今でもあの時の、身も凍るような感覚が忘れられませんわ」
魔族の歴史上でも、類を見ない強さを誇ると言われていた魔王ゼクス。その強さこそが、今の魔族を束ねる原動力となっていた。圧政を敷いているわけではなかったが、力への崇拝から来るカリスマ性が、魔族たちの心を一つにする。
その魔王が生死の境を彷徨っていたのだ。ほぼ全ての魔族が、その事実に動揺していた。まして、魔王の妃であれば、心中は言うに及ばない。
「ワタクシにとって、ゼクス様こそ全てですわ。もしあなた様が消えてしまったなら、ワタクシもこの世界から消滅するしかありませんの」
シルファルファという女性は、魔王を心の底から愛している。アルは彼女の言葉や表情、視線からその気持ちをハッキリと理解した。
「わ、わるい。ありがたいけど、君のことは記憶にないから……」
「聞いておりますわ。記憶を失っておられると。もしかしたら、ワタクシのことなら覚えていらっしゃるかと思ったのですが……これは自己紹介が必要ですわね。ワタクシの名前はシルファルファでございます。魔王様の妻でございます。シルフィとお呼びくださいね」
残念そうな表情を浮かべるシルフィ。アルは彼女を騙していることに、わずかな罪悪感を覚える。しかし次の瞬間、シルフィは満面の笑みを浮かべていた。
「でも、あなた様が覚えていらっしゃらなくても大丈夫ですわ。また一から始めればよいだけのこと。そうしていれば、記憶だって戻ってくるはずですわ」
そう言うと、シルフィは、アルの前に立つ。そして彼をベッドに押し倒した。
「え……えぇ?」
「安心してください。何もかも全て、ワタクシにお任せくださいませ」
シルフィはゆっくりとアルの服を脱がそうとする。細くて白い指が、すっと胸元へと入り込む感覚に、アルは一瞬何が起こっているのかがわからなかった。
「ななななな、何をして……」
「ワタクシたちはこうして何度も、この寝所で愛を重ねてきましたのよ? 思い出せませんか?」
アルに思い出せるわけがない。全く別人なのだから。
――いやいや、ちょっと待って! そりゃあ、美女に押し倒されるなんて、夢に見たこともあるけど!!
アルの心臓は、とてつもない速さで脈打っている。体温が急激に上がり、息が荒くなっているのを、アル自身も感じていた。この先に訪れるものが何なのか……彼にも想像がついたからだ。アルは一瞬、この先に待つ甘美な時間を、受け入れたいという衝動に負けた自分を想像する。それはあまりにも夢のようで、彼からすれば、拒む理由など存在しないように思えた。だが……。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
アルはあまりにも動悸がキツくなり、心臓の辺りを抑えてしまう。
「……傷が、痛みますの?」
心配そうな表情でアルを見つめるシルフィ。彼の態度に胸の傷が痛んでいるように映ったのだ。実際は若干の違和感こそあれ、痛みは随分と薄まっている。
「そうなんだよ。だから今日のところは、あまり……」
シルフィが勘違いしてくれたことに気づき、アルはうまく乗っかろうとする。
「それは申し訳ございませんでした。そうですわよね、ワタクシったら焦り過ぎでしたわ。ゼクス様がご無事というだけで、それだけで嬉しいはずですのに」
何とかアルの言い訳を聞き入れてもらえた。シルフィはすっと立ち上がり、扉の前まで行くと振り返る。
「今晩はここで失礼いたします。どうかごゆっくりお休みくださいませ」
「ああ、ありがとう」
シルフィが寝室の外に出る。それを見送った後、アルはベッドに寝転がった。
「惜しいこと、したのかなぁ」
勇者アルフレッドは童貞である。勇者として研鑽を積んできたアルだが、女性との触れ合いは皆無に等しい。当然、床を共にしたことなどない。
「それに、相手は……魔族だ」
今のアルには、魔族というものがよくわからなくなっていた。人間の敵、打ち倒すべき相手。そう考えてきた彼からすれば、こんな風に魔族と話をすることなど考えられなかったからだ。
「いつか、アイツらを倒す日が、来るのか……な」
慣れない土地、知らない相手、癒えきらない傷。そうしたものが重なり、アルは急な眠気に襲われ、まどろみの中へと沈んでしまう。
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