第2話
「いやはや、魔王様がご無事で本当によかったでござりまする。これからも、何かあれば私に言いつけてくださりませ」
今、アルフレッドに声をかけた少女の名はローラ。魔王の世話係だ。
「着替えの中に女性物の下着が混じっているけど……?」
アルフレッドの手には、いわゆるカボチャパンツが握られていた。それを見て、ローラは顔を真っ赤にして大慌てになる。
「そ、そそそそ、それは私のでございまする! き、汚らしいものをお見せしまして、申し訳ござりませぬぅぅぅぅ!」
ローラという少女は、少し間が抜けているらしい。アルフレッドはそんな彼女の姿に、少し好感を抱いていた――相手は魔族だったが。
アルフレッドは、メイド娘が持ってきた服に着替える。何やら面倒な装飾品の付いたものばかりで、彼は怪訝な表情を浮かべる。特に両肩に付いた羽の塊が、顔を撫でてこそばゆく、違和感を覚えるからだ。
そうしているうちに、ローラの出ていった扉から、別の少女が入ってくる。
「ルミナリア……さんか」
「ルナでいい。魔王様はそう呼んでおられた」
ルナ……アルフレッドの正体を知る少女であり、今の彼が唯一頼れる存在である。しかし、全てを委ねることはできない。彼女もまた、魔族なのだから。
「なら、俺のこともアルって呼んでくれよ」
「呼ばないと言ったはずだ。誰かに聞かれれば、それで全てが終わるのだ。自覚はあるのか?」
二日前、ルナはアルに対して一つの提案をした。魔王を演じること。彼女はアルを殺さない条件として、魔王として行動することを迫ったのだ。
「今考えても、とんでもない話だと思うぞ」
「今の魔族は魔王様の存在が支えている。それがなくなるのは困る。私個人としても、魔王様の姿をしたお前を殺せば、間違いなく反逆罪で処刑される」
ルナは素知らぬ顔で言ってのける。
「まぁいいさ。俺としては元の体を取り戻す方法が見つかるまでは、バレないように気をつけるだけだからな」
結局、アルは今の状況を打開する方法がないため、ルナの提案を受けた。彼女の話によれば、魔王との決戦が行われた広間に、アルの肉体はなかったという。加えて、魂が別の体に入り込むという現象も、魔族側に記録がない。今のアルには打つ手がないわけだ。
「しっかし、アレだな。何なんだ、コイツの貧弱なナリは」
「魔王様は強力な魔力を持つお方だった。ただ、基本的な体力は並の魔族をはるかに下回っていたからな」
三日三晩、魔族と戦い続けられるほどの底なしの体力。鍛え上げられた肉体こそ、アルの持つ勇者としての素養の一つだった。
「これじゃあ、まともに剣も振れないぞ……」
「振るな。魔王様は剣で戦ったりはしない」
何でもかんでも、魔王に合わせなければいけない……アルにしてみれば、全くもって面倒な話である。メイド娘が用意した服を全て身につけると、アルはルナに部屋の外へと連れ出された。
「今日のところはとりあえず挨拶だけ。余計なことは口にしないように」
「はいはい、わかってますよ」
両手を頭の後ろで組みつつ、アルは不満そうな顔で応えた。
「魔王様はそういう態度は取らない。歩き方ももっとしっかりしろ。胸を張って堂々と……きちんと股を閉じろ!」
そう言うと同時に、アルの足元へルナの翼剣が突き刺さる。アルは動じない。
「殺したければ殺せばいいさ。お前たち魔族が困るのは、好都合だからな」
静かに睨み合う二人。しばらく視線を交わすが、ルナが向きを変えて再び歩き出すと、アルもそれについていく……今度はきちんと背筋を伸ばして。
大会議場――そこには巨大なテーブルと十三の椅子が並んでいる。正面にある、もっとも豪華な装飾が施された椅子が魔王のもの。それ以外は、魔族の有力者たちが座る椅子である。
今、それらの椅子のうち、すでに十一が埋まっていた。そこへ、アルとルナが現れる。
「お待たせして申し訳ありませんでした。少し準備に戸惑ってしまい……」
「いやいや、魔王様もまだ傷が癒えていないのでしょう? 少しくらい待つのは臣下としては当然でございます。そうでしょう、皆さん。」
ルナの謝罪を聴き終わる前に、かっぷくのよい魔族の男が、満面の笑みで言う。
「ところで、今日は大将殿はいらっしゃらないのかな?」
「ガッデス大将は先日より始まりました、人間たちの進軍に対処しています。今回は相手も気合が入っているようで、なかなか追い返せない状況です。」
勇者の特攻と人間側の攻勢はつながっている。勇者が魔王を倒すことで、魔族の軍隊を混乱させ、勝利を収める計画だった。そのため、まだ人間たちが魔族と必死で戦っているという事実は、アルにとって心苦しい話だ。
「ガッデス殿も手ぬるいですな。いや、もうよい歳ですし、耄碌なさっているのかもしれません。そもそも、魔王様がかような傷を負ったのも、ガッデス殿の失策があったからで……」
さっきから、肉付きのいい魔族が一人でしゃべり続けている。それを聞いている魔族の中には、眉間にシワを寄せるもの、疲れた表情を浮かべるものもいる。
「どうでしょう? これを機にガッデス殿に暇を与えては?」
この男、大将と呼ばれる人物を失脚させようとしているのだ。
――こういうツマラないことを考えるヤツはいるのか。
アルは心底、嫌悪感を抱いていた。勇者として活動していたとき、彼は人間同士の権力い闘争というものを散々目にしてきたからだ。誰が魔族と戦う兵を出すのか、戦利品の分け前はどうするのか――それは、勇者として弱き人々を守ろうとするアルにとって、暗く淀んだものにしか映らなかった。
そしてそれは、魔王を演じる今でさえ、彼の目の前に現れたのだ。彼からすれば、そんなものは〈どうでもいい〉ことなのに。
「……知らん」
そっけなく、アルは言い放つ。 アルからすれば当然の言葉だが、議場にいた魔族たちは面食らってしまう。
「し、知らん……とは、どういうことでありますか?」
アルの一言に対し、別の魔族からも疑問が上がる。彼は答えを口にするのさえ面倒そうに――だが、はっきりと全員に聞こえる声で――自分の素直な気持ちを言葉にした。
「いやだって、何もわからないから」
ルナが頭を抱えるようにして、大きなため息をつく。それから頭を上げ、議場の全員に聞こえるよう、大きな声で彼女は切り出した。
「大変申し上げにくいのですが、魔王様は記憶を失っておられます」
議場がさらにざわつく。そこにいる者たちは、高い立場を持つものばかり。並みの魔族よりは冷静さや度量があるはずだが、それでも魔王の記憶喪失という状況には驚きを隠せない。
「さらに悪いお知らせとして、魔王様はご自身の力を上手く使えない状態です」
「そ、それでは……魔王としてのお役目を果たせないのでは!」
それは当然の懸念である。力もなく、記憶もない……これでは、いくら姿形は同じでも、全くの別人と変わらない。実際別の人間なのだが。
「実質的な政務、軍務などは以前より、この会議の御歴々で決められていらっしゃいました。問題はありません」
「それならば、何もわからない者ではなく、新しい魔王を立てるべきではないか?」
今度は、キレ者っぽい魔族が発言する。
「しかし、我らは魔王様に忠義を誓った者。いくら記憶がないとはいえ、未だご健在の魔王様を廃することなど許されますまい」
続いて、いかつい体をした大男が声をあげる。
その様子を見てニヤリと笑う者がいた。ルミナリアである。
「皆様、どうか気をお沈めください。このように会議が割れるのは、誰も望んでいないはず。魔王様の傷もまだ癒えておりません。記憶が戻る可能性もあるでしょう。ここはしばらく様子を見るというのはいかがですか?」
この提案を聞いて、会議に参加していた者たちも静かになる。ここまではルナの想定通り。誰も魔族全体を割るようなことは望まないという見立てだ。
――この女の思い通りに進んでるのか? なら、少し掻き回してやろう。
アルの中に、小さな悪戯心が芽生えた。状況に流されたまま、魔王を演じることになった不満もあったのだろう。そこには、ここまでの流れについて、アル自身が納得できなかった部分もあった――だから、彼はルナの思惑とはかけ離れた言葉を選んだ。
「俺はどちらでも構わないぞ」
アルの口出しに、一瞬慌てるルナだが、平静を装う。
「魔王様は何も心配なさらないでください。記憶が戻るまでは我々にお任せを……」
「いや、それじゃダメだろ」
どんどん発言するアル。ルナは彼の行動に、自分の計算が崩れる音を聞く。
「記憶がない、力もない。理由はどうあれそういう奴が、勝手に人の上に立っていいはずがないだろ? それでも魔王をやれるなら、それはここにいる全員から力を借りないとな」
その言葉に、議場の魔族たちは目を点にした。
「もし、ここにいる全員が納得できないなら、今すぐ俺はこの椅子から降りる。何もできない俺でも――このまま魔王を続けていいのかな?」
アルの問いに対し、しばらく誰も何も言わなかった。しかし、一人、また一人と拍手を始める。
パチパチパチパチッ!
一際大きな音で拍手をするのは、会議の初めからしゃべり続けていた太った魔族だ。
「ご自身の立場が危ういという最中、皆のことを考えて発言できるとは……。魔王様の器量に私、感服いたしました! どうでしょう皆さん。ここはやはりもうしばらく様子を見ましょう。何、必要なことは我々が全て動かしていけばよいこと。魔王様には一日も早く、完全なるご回復をしていただきたい!」
この言葉に会議参加者は全員、はっきりと頷いていた。
「それはそうと、我らが魔王様に深手を負わせた……勇者とか言いましたか? その人間は結局どうなったのですか?」
メガネをかけた賢そうな魔族が、ルナに対して尋ねる。物言いは丁寧だが、口調は明確に彼女を責めている。
アルとしても、勇者が――自分の体がどうなったのかは、知りたいところ。これまで何度かルナに尋ねたが、わからないという答えしか返ってこながった。
「私が駆けつけたときには、傷ついた魔王様の姿しかありませんでした。近辺を捜索させていますが、いまだに発見できておりません」
アルにとっては、がっかりな話である。仮に元の体に戻れる方法があったとしても、帰るべき肉体がなければ意味がない。
「では、勇者を倒したという確証はないのですね! なんということだ。力を失った魔王様では、もはや勇者に対抗することはできないでしょう。これは、どなたかに責任を取ってもらうしかありませんなぁ!」
小太りの魔族が、再び大きな声を上げる。彼の視線の先にいるのは、じっと立ち尽くすルナ。その表情は、苦虫を噛み潰したようなものに変わっていた。アルは、そんな彼女の表情を見て眉をひそめる。
――どうも、旗色が良くないらしい。ここは……
アルが、どうするべきか思案していると、ルナは自分を責める男に対して、鼻息を荒くして言葉を口にした。
「私の首を差し出せば、満足いただけるのですか?」
「そのような話はしていませんよ! 戦における責任を取るべきなのは、もちろん軍を預かる……」
ごほっごほっ!
激しい咳払いをしたのは、アルだ。いかにも苦しそうに顔をゆがめ、口元を抑えている。
すかさず、ルナが言い放った。
「……魔王様もまだ傷が癒えてはおられません。ここで会議は解散とさせていただきたく思います」
「いずれ、この話はしかるべき場で結論を出していただきますぞ」
不服そうな顔をする小太りな魔族をしり目に、アルとルナは議場を後にした。
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