07-08-05:まことのあるじ
エルフの国、ハイエルフ中央区でただ『公爵家』といえばただ1つの家を指し示す。
輝かしき『ヴォーパル』の名のもとに、担い手として連綿と続く騎士の家系だ。その発言は王家、ましてや元老院とて無下には出来ぬ影響力をもつ。ある意味でこの国の真なる支配者はかの公爵とも言えよう。
だというのに当主たる公爵は、邸宅の一室で1人の青年に恭しく傅いていた。
「面をあげよ」
そう言うのはうつろな目をした公爵家嫡男であったカストゥロである。当然格は父たる公爵の方が断然上である。だが顔を上げた公爵に侮蔑や憤怒の感情はなく、ただ狂気的な崇拝だけが浮かんでいた。
「ハイドランジア様、体の御加減は如何でありましょうや」
「ああ良い、とても良いぞ。クフ、クフフ……」
邪悪なる笑みをたたえる青年は、在りし日の寡黙なものではない。左様、公爵の言葉通り『カストゥロ』という存在が無くなって久しい。先だってヴォーパルの騎士を任ぜられたカストゥロは、たちまちに
いや、捧げたというのが正しいか。なにせ端からそのように画策されたものであったのだから。
しかし彼を愚かとは言えぬ。カストゥロは拝領するその瞬間まで、御伽に映えるきらびやかな騎士を夢見ていた。またその担い手たる自負と誇りも、鍛錬も積んできたのだ。そして夢を現実とするために今までも、そしてこれからも努力をすると決めた者である。
だがしかし、さりとて言わねばならない。
全てはただハイドランジアの最適な器たるを求められてのこと。カストゥロのちっぽけな夢などまさに夢幻の彼方の幻想にすぎない。ならばそこに悪意が侍るなら嬉々として牙をむき、幼稚な精神なぞ容易く引き裂き蹂躙してしまうだろう。
おお、ならば何故カストゥロは喰われたるか。
彼が腰に帯びたるは7剣が1つ、ハイドランジア。オーソドックスなロングソードが返す怪しき輝きは魔性ともとれる妖艶な気を孕んでいる。それもそのはず、ハイドランジアは量産型にして唯一、7剣に選ばれたのだ。叶う性能があったからこその7剣、担う器があったからこその7剣。その正体が善を敷く剣でなく、魔の劔であったとて何を驚くことがあろう。
こうしてカストゥロという青年は居なくなり、代わりに公爵家の秘奥たるまことのあるじは身体を得て罷り越したのである。
「して何用であるか。貴様が理由なく傅くなどありはすまい」
「その御慧眼、感服次第でございます。例の人形についてご相談がございまして」
「ああ、あの木偶か。貴様等の好きにせよと申した筈であるが」
「ははぁ! それはまこと光栄なれど、やはり我らの手には余るようでございます」
事実公爵はハイドランジアに相談するまで、ありとあらゆる手で
人形は公爵の言うことを聞かなかったのだ。
監禁する部屋にただぼうっと佇み、外を眺めてピクリとも動かない。食事も取らぬ、眠りもせぬ。動かそうにも床に張り付いたように動かぬ始末。ようやっとと思い、いくつかの儀式の代償として利用したものの全ては失敗に終わった。
何故、どうして。この人形は恐るべき魔力を孕む筈。スナッチが計画した尽くを破綻に追いやる驚異であり、神がもたらした大いなる器ではなかったのか。これでは本当の木偶人形でしかない。どうしてこうなってしまったのかまるで見当がつかなかった。
困り顔で嘆願する公爵にハイドランジアは気色悪く嘲笑い、『やはり』とつぶやく。
「それは如何なる……」
「我も少々神を見誤っていたようだ。形ばかりとは言え神が給うた器、たかが凡愚に扱える品ではなかったということよ」
「左様でございますか……それは残念な」
これで潰された計画を塗り替えるほどの成果が見込める予定であった。だがこれではもとが取れぬ……歯噛みする公爵に、ハイドランジアは呵々大笑としてみせる。とても機嫌が良さそうであり、公爵はそのさまに困惑する。未だかつてそのような姿を見たことがなかったからだ。
「如何なさいましたか?」
「これが笑わずにいられようか。かの人形は『器』なのだぞ? それこそ神を受け止めて足る聖杯なのだ。これの意図することが理解できるか?」
「……ッ!! 魔獣の后として我等が神を降ろすのですか?!」
くつり、とカストゥロだったものが口角を上げ、公爵は歓喜に震え汗を一筋流す。
「これまでのように些末なかけらを1つ1つ、丹念に肚に埋め込む必要はない。一度だ、一度で全てを満たすことが出来る。あれは左様造られた代物だ。大いなる母たるべくして顕れた物だ。喜べ下郎、ハイエルフはもはや神へと手が伸びる存在となろう」
「おお……おお……」
賜る言葉に公爵は涙を流す。魔獣の后とはハイエルフの奥義たる術理の深奥である。即ち聖樹ユグドラミニオンに封ぜられしジャバウォック、その破片を女の肚へと降ろしたのちにまぐわいて子を造り出す継承の儀。ハイエルフがハイエルフたる所以であり、また己をより高みへ至るための禁呪中の禁呪。即ち始祖より連綿と繋がる血のサヴァトである。
「だがそのためには贄を多く取らねばならぬが……ああ、丁度都合よくいきのよいものがおったな」
「左様に御座りますれば」
全てはハイドランジアのたなごころの上、つまるところは――。
「今こそ刈り取るときぞ。準備は如何に」
「出来ております。贄たる翅は既に蜂起しておりますれば」
「では万事抜かり無く」
「仰せのままに……」
暗がりの中、銀色の剣は怪しく輝いている。
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