07-05:飼い猫救済計画

07-05-01:冷笑するメイド

 ファルティシモ家のとある一室で2人の女性が向き合っていた。1人は長身美麗なるステラ、彼女は着慣れぬAラインのドレスに身を包んでいる。1人は美人薄命なるイオリ、こちらも小柄なワンピースを纏い可愛らしい。笑顔を浮かべる彼女たちは互いに挨拶する。


ごきげんようファッキューステラ様、お加減いかがさっさと帰れ

ごきげんようなんだテメェイオリ様。とても良くてよやんのかゴルァ


 すると『ヒュカッ!』という鋭いムチの音が響いた。


「「ヒッ」」


 殺気ではない。しかし恐るべき圧を放つのは乗馬鞭をトントンと弄ぶパーフェクトメイド、ハシントである。彼女の目は凍てつき、まるで今さっき人をバラしてきましたとでも言わんばかりである。


 げにおそろしきは完璧なるメイドか。


 だが2人はその目線に真っ向から向き合わねばならなかった。何故ならハシントは今、2人の先生であるからだ。何の先生かといえば、先日約束したマナー教育である。それもハシントが容赦なく指摘する最高クラスのものだ。


 この教育に関してハシントは『ファルティシモ家の名にかけて』と宣言している。一切手加減のない全身全霊を賭けた教育は2人を恐怖のどん底へ突き落としてなお押し込む物がある。


「御2人とも考えていることが顔に出ています。貴族社会では感情の動き1つで10以上を知られるのですよ? 左様に分かりやすくては貞操すら危ういと知りなさい」

「「はっはい」」


 そんな試練をぽやっと眺めるのは部屋の隅でお茶するシオンである。彼もこの授業に参加していたのだが、2~3の指摘を直すだけですぐに終わってしまった。さすがはシオンくんとステラも誇らしく思うのだが、それより我が身の危険が危ない状態であった。語彙力が明後日に飛んでいく緊急事態である。


「でっ、でも突っかかってくるんだよ? これは反撃しても良いのでは?」

「突っかかってるのはそっちでしょ! 私は悪くない」


 いがみ合う2人であるが、鞭の痛烈な音は嫌なノイズが耳に刺さって息を潜める。恐る恐る顔を上げれば、表情のないハシントが其処に居た。


「「ヒッ」」


 とても、とても冷たい視線だ。養豚場のブタでもみるかのようであり、とても人がしていい目ではない。この部屋だけ厳冬の時代である。


「ステラ様。売り言葉に買い言葉とは申しますが、この程度はさらりと流すように」

「いっイエスマム!」

「イオリ様。貴女は自ら志願したのですから、真面目に取り組んでください」

「はっはい!」


 こうして相容れないはずの2人は故に孤独に打ちのめされ。だからこそ身を寄せ合って生きるしか無い現実を突きつけられている。なおイオリは本来なら授業を受ける必要はないのだが、シオンが絡むとあって強制的に『自分も!』とねじ込んできたので自業自得である。かなりお転婆な彼女の我儘はこれ幸いと両親が送り出している。


 イオリはたいそう喜んだが、己の掴んだ権利が地獄への片道切符だとついぞ気付くことはなかった。タノシイタノシイ苦行はまだ始まったばかり。後悔後先に立たずであった。


(それもこれも全部この女がわるいのよ……!!)


 イオリが八つ当たりにぐぬぬと見上げれば、ステラが喧嘩は買ったるとふぬぬと見返す。もちろん全てハシントの眼の前でのことであり、彼女はそれはそれは深い溜息をついた。


 思わぬ吐息にビクリと2人は怯え……氷結の魔女の様子を伺う。


「これは根本的にが必要と見ましたわ」

「「ヒイッ」」


 ナニカサレルヨウダ。直感がけたたましくアラームを訴えるがもはや逃げることは出来ない。地獄逝き快速列車は途中下車できないのである。


 やれやれとため息をつくシオンは助言とばかりにアドバイスをすることにした。


「ステラさん、イオリ姉様。このままだと物理的にされるので、ちゃんとハシントの言う通りやったほうがいいですよ」

「え、まって。まって。なにそれ顔面凍結? ちょっと意味がわかりませんのですが?」

「……聞きたいんですか?」

「ッ?!」


 明後日の方向を向く黄昏シオンにステラは恐怖した。彼をして虚無をもたらす『顔面凍結』とは一体……何をされるというのだ。


 恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。


 ステラとイオリは泣き出しそうを通り越して固まり、いつもの笑顔――勿論魔王か何かにしか思えない――のハシントを見た。ここより先は死地にあらず。死より恐ろしい煉獄が待っているに他ならない。故にステラとイオリは目を合わせ、互いに一時休戦を誓った。ハシントの冷血へ抗うには、それしか方法がなかったのである。


「では挨拶をもう一度お願いしますね」

「「ハイ」」


 空虚な返事を揃えて言って向かい合えば、真っ青なお互いの顔が見える。失敗してはならい。失敗はゆるされない。何故なら仁王の如く聳える獄卒がそばにいるのだから。


 震えそうな声を抑えて、イオリはなんとか声を絞り出した。


「ごきげんようステラ様……お加減いかが」

「ごきげんようイオリ様。とても良くてよ……」

ニャーウニャンごきげんようステラ

「「……んん?!」」


 緊迫の間を読まず突然猫が混じって挨拶してくる。一体何事であろう、緊迫に突如穿たれた楔に2人は驚いて飛び上がってしまった。


ニャァアン?すみません、いま話よいですか?

「エッ?! アッハイ!」


 割り込んできた猫は先日忠告をしてくれた、ハイエルフの飼い猫たるティグリスである。害はないと解ってもハシントは身構えて猫の動向を伺うのであった。



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