05-10-02:ライブ・ウタウタイ

 港区に作られた舞台は工期が短い割にしっかりとしたコロシアム状になっていた。勿論ルサルカ史上最大の劇場だ。

 物好きや金のある商人は最前列に居座って、往年のウタウタイたるナルキソスが復活する時を待ちわびている。また一部はプリムラのファンもやって来ており、あの日のリベンジが始まる瞬間を今か今かと待っていた。


 そんな様子にアコニートはなんとも言えない表情を浮かべる。今回は対決ではないのだが、事情は彼らもよく解っていないようだ。いや、本質を理解しているのは実際に歌声を聞いた者たちだけであろう。


 だからこそ今回に限り、。片鱗を知るアコニートは事前に注意されていたとおり、中央よりに席を取ることにしていた。勿論席は空きがあるため買うことは容易だ。


「しかし珍しいですね。席に対して場所代を買う必要があるだなんて」

「うん……露店運営の仕組みと同じ」


 通常であれば入り口で一律料金を払ってそのままという形が多い。だが今回は席が全て指定しているという……アコニートが指摘する通り、やっていることは祭りに際して行う露店の整理と同じだ。規模が座席単位なだけで、慣れない一般人を除けば混乱は少ない。


 実際に徴収を行う衛兵たちは手慣れたように作業を熟しているが……如何せん量が量だ。圧倒的な作業量で右往左往している。頑張れ衛兵、負けるな衛兵、街の平和は君達に託されている……等とアコニートは内心で祈っておいた。どう思ったところで手伝えることは1つも無いのだから。


(しかし予想外……。こんなに人が集まっているなんて……)


 向かう道すがらも確認したが見渡すかぎりの人、人、人。舞台が軋み、崩れないのかと心配になるほど多数の人が詰めかけていた。会場入りしたアコニートが見積もる限り、少なくとも5千はいるだろうか……。正確な数は解らないがまずであることは確実だ。


(領主肝いり、という事実がたくさん伝わっている証拠……コマーシャルだったかな)


 これもナルキソス経由で知ったことだ。街に流れる流行りの曲、吟遊詩人たちを通して具体的な宣伝をして集客を試みたのだ。結果はご覧の通りの盛況ぶりである。


 アコニートも多少なり商売に心得が有るため宣伝の重要性は理解しているつもりであった。だが吟遊詩人を第第的に活用した広報がこれほどの集客効果を生むとは。精々噂になる程度と思ったのだが、事実目にした集客効果には正直舐めていたのが実情だ。


 これは使……ルサルカのどこの商家も思っていることであろう。今後商売形態は劇的に変化を迎える可能性が非常に高い。波に乗り遅れると家が潰れてしまうほどの衝撃を生んでいた。


 そんな事を考え込んでいると、舞台の上に何者かの姿が現れていた。手には白銀の円筒があり……。



――さあお集まりの皆様ご注目あれ!



 劇場の全員が驚いた大声量に目を向ける。最前列など飛び上がってしゃがむものもいるほどだ。成る程、これほどの声量であれば最前列は寧ろ。アコニートが今いる位置がちょうどいい位置だと言えよう。


 会場全員が同じ様に口を綴じ、微かな海鳴りが聞こえるほどに静まり返った。中央に在りしは……領主トゥキシィの姿である。しかしこのような大音量は一体どこから。答えは客席からある商会の製品であると言うことが耳に入る。


 やられた、とアコニートは感じた。この観客の効果に加え、人が集まる所に実践する商品を伝える。これを見て『欲しい』と思う者がどれだけいることだろうか。……一体幾人の商人が本質に気づき爪を噛んでいるだろう。



――今日集いし歌に惹かれし者たちよ!

――まず我輩より口上は言うまい、それこそ無粋の極み故に!

――故に酔いしれ給え。今この時、新たなウタウタイ……

――『アイリース』誕生の瞬間である!



 トゥキシィが大仰に手を振り壇上を降りると、直ぐ様舞台周辺に楽団が配備される。ざわつく壇上で、全く新しいが始まろうとしている予感が観客に走った。固唾をのむ中ファンファーレが鳴り響き、美しいドレスを待とう2人の女性が壇上に現れた。


 1人は彼女の師、朱きナルキソス。名前の通り紅い、それでいて長い脚を見せつけるような短いスカートのドレスだ。フリルがふんだんに付けられた衣装は遠目から見ても目立ち、何とも可愛らしい。


 もう1人は好敵手、流水のプリムラ。彼女はにた形の青いドレスを身にまとっていた。ただしこちらは背中が大きく開き、代わりにスカートの丈が長く作られている。翼にもケープがかけられて、こちらは落ち着いた雰囲気に思える。



――皆、今日は来てくださってありがとうございます。



 例とともに挙がる声はナルシソスのものだ。普段の訛りは鳴りを潜めた仮面を被ったもの……であるが。



――ナルキソス……お前ここに来て猫かぶるんか……?

――な、なにをいっているんですかプリムラさん猫をかぶるなんてそんな。

――いや……ちょうキショいで? 正直引く……。

――まちいやプリムラ! アンタこそ此処で言うこと? 本番やで? 本番。

――せやかてナルキソス……お前に収まるタマやないやろ? お客さんらもそう思うよなぁ?



 話を振られた会場は少なくない数がウンウン頷いていた。ナルキソスの性格は苛烈というのはよく知られた話である……。特に『踏まれたい』と願うファンは以外にも多かった。例えば最前列のブタなどは踏まれたいと願ってやまない業深い者たちである。



――ほうれみい、皆納得してるやん?

――プリムラ。

――なんや?

――あとで覚えとき。

――ハハハ、覚えとったらな!

――具体的にはヴィスパを馳走したるからの。

――それはやめえや! シャレにならん!!



 茶番に笑いが沸き起こった。ヴィスパは死ぬほど臭い干物である。好きな人は好きな珍味で少なくない量売れるので生産が止むことはないのだが、あまりに臭い臭い食品だ。ちょっとした賭けの罰ゲームに使われる程度に臭い。臭いが……味は悪くない、むしろいいのだから辛い。ステラがこの場に居たら『くさやかよ』と言っていたことだろう。


 プリムラの良さはこうした親しみやすい掛け合いを含んでくれることだ。詩も好きだが、こうした『親しい歌い手』というのも彼女の魅力の1つである。



――さて、舞台も和んだとこやしそろそろ始めるとするか!

――せやねぇ。業腹やけどここは協力するところや。

――よっしゃ! じゃあ皆、聞いてくれやー!



 プリムラの掛け声と同時に舞台下の楽団が構える。指揮者が振るうタイミングに従い奏でる音は、参加者すべてが耳に聞き慣れたメロディーだ。だがより完成された楽曲は衝撃を持って人々の心を穿つ。


 同時に流れ出すのはまずナルキソスの歌だ。情熱をもって歌う声は熱く熱く燃えるように心を打つ。だが今までと違うのはプリムラの声……。焼き尽くさんとするほどの歌声は、しかして彼女の合いの手が加わることで柔らかな温かみとなる。


 続けて歌うプリムラについても同じだ。つめたい春先の川面のように冷たさがあった鋭さは、ナルキソスの熱で春の陽気となって歌われる。思っても見なかった相乗効果に人々は沸き立ち、歌の可能性について心を躍らせた。


 何より特筆すべきは、2人が歌に合わせて踊っていることだ。


 踊り子が踊る事はある。歌い手が歌う事はある。だがそれらを同時に行うことは、ましてやこのような大規模に行うなどありそうでなかったことだ。


 そして最後はお互いが同じ歌を、しかし別の音程で歌い合う。声による共鳴が会場を包み込み、歓声がいたるところで湧き上がった。だが膨大な声量のの中でさえ歌は鋭く、しかし優しく心に刺さって震える。


 これは2人の手にある円筒――トゥキシィも使っていた魔道具のおかげに違いない。だが心を強く、強く焼く熱はまた別の理由だ。アコニートが立ち上がり目を見開いて滾るのは、この可能性に光を見出したが故である。


 小柄、身振り、歌声。もし情熱が許すならば小柄なアコニートでも十分に戦える。


 いや、可愛らしい彼女はむしろ有利とさえ言えた。2人が見せた可能性にアコニートは目を輝かせる。目指すべきを見定めた彼女は今、感動に震えていた……のだが。


「え、あ……ちょっと……ううん……みえない! 邪魔……!」


 同じように心が燃え上がった前席の客が邪魔でステージが見えず、彼女はぴょんぴょん飛び跳ねる。それでも見えないので仕方なく従者に抱っこしてもらうという屈辱を得た彼女は、絶対ステージに立ってやると決意を新たにするのであった。

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