05-10:V.O.R.P.A.L-NO.09 "RUDBECKIA"
05-10-01:スタンバイ・ウタウタイ
今日はウタウタイ本祭であり、奏上船ウタフネが出港する目出度い日である。つまり沖合に陣取ったクラーケンという脅威が去り、翌日には全ての船が出ることが可能となるのだ。ルサルカの街中が大事に浮足立ってそわそわしている。
いや、それだけではない。
今年のウタウタイはどうにも例外ばかりだ。優勝者が決まったかと思えばウタウタイに適さぬと外され、再戦が始まるかと思いきや選定者による指名が任ぜられる。しかも正体はハイエルフらしいと言うではないか。恐るべき事態であるが……むしろ積極的に祭りに協力しているという。
本来であれば絶望して然るべきであるが、本来有るべき何の嵐も沙汰もない。
こうしてアコニートが催しを見にいくために、ごく普通に道を歩ける程度には平和だった。それが何とも不気味だと家の者は口々にしていたが、アコニートは『本当に気にしていないだけ』だと気づいている。
むしろ本当に忙しく奔走しているから、有象無象にかまう隙がないだけであろう。
ただ事実を確り認識しているのは彼女だけだ。今日だって外に出るのに両親や家のものに止められたのである。怯えようと言ったらいっそ哀れといえた……とはいえアコニートも助けられたという事実がなければ、部屋の隅に縮こまり嵐が過ぎるのを待っていたことだろう。
「お嬢様、お加減は如何ですか?」
「問題ない……」
護衛の従者に連れられて行く先は、先日工事が終わった港区の舞台……ウタフネ出港前の催しに際して用意された、組み立て式劇場『ブドウカン』である。なんとも不思議な名前の舞台だが、そも不思議なハイエルフが名付け親なのだから不思議でないはずもない。
よくわからないがきっと何か、とてつもなく深遠に近い吉凶を表す意味があるのだろう。
「アコニート様、お手を。先日の様に逸れないようお願い申し上げます」
「私は子供じゃない……」
「然し予選会では逸れてしまったではありませんか」
「……むぅ」
そう言われてしまえば立つ瀬がない。実際予選会では人混みに紛れてしまい、路地に入ってしまったのだから。アコニートはルサルカの住人であるが、道に詳しいわけではない。そもそも箱入り娘に大通り以外の小道など分かるはずもなく、また移動に際しても殆ど船頭に任せてしまう。これでは土地勘が在るわけもない。
結果祭りの熱にうかされた悪漢共に見つかってしまったのだが……。あのときハイエルフの彼女、ステラが居なければ危なかったのは事実である。
だからお礼の1つも言いたい所なのだがどうにも会うことが出来ぬまま今日まで来てしまった。彼女は気にしないだろうが、アコニートはどうしても感謝を伝えたかったのだ。
「しかし彼の御方は恐ろしきやと思えど、このような催しに東西駆けまわるとは意外でしたね」
「そうかな……?」
師たるナルキソスを通じて知ったことだが、今回の催しの裏にいるのが件のステラだと言うことは知っている。
ハイエルフが自ら
自ずと大きな事に周りを巻き込んでしまうという点を除けば、アコニートとそう変わりない年頃の乙女である。元気すぎる点はまるで逆だけれど……。
きっと彼女が居なければ、今年も例年と同じように『ウタウタイ』が決まって、例年と同じように『ウタフネ』が出港して日常が戻ってきていたただろう。だが事実として有るのは普段と異なる街の風景……歌に携わる者ならばすぐに分かる。
たとえば爪弾かれる幾多の音楽だ。目線に気づいた護衛の男は察して頷いた。
「ああ、あの曲ですか……最近良く聞くようになりましたね」
「『よく聞く』じゃない。今街で1番流行りの曲……。おまえはもう少し周囲に目を配るべき」
「いやお恥ずかしい」
師たるナルキソス曰く、今日のために1から用意されたメロディーだという。これもステラが骨子を考えたというのだから驚きを隠せない。いったいどれほどの才能をその身に備えているのだろう。
すこし悔しい。だが同時に楽しくて仕方がない。妙に聞こえがよく耳に残るいいリズムは、アコニートも認めざるを得ないほど、通りを賑やかに彩っていた。
(今日、このメロディーで歌うと聞いたけど……)
どうしてもそれを聞きたくて舞台へと向かっているのだが、中々に賑わった街路は何時も以上に人混みに溢れ進みづらい。水路は渋滞してあまり機能していない事を見越して、徒歩を選んだは良かったのだが……同じことを考えたものは彼女だけではなかったようだ。
人溜まりになりつつあるこの列の脇には、これ幸いと露店など開かれて肉の焼くにおいが漂い初めている。ルサルカは商人の街だ……それくらい商魂たくましくなければ生き残ることは出来ない。流動する市場が現れてはたち消え、ルサルカらしい光景を皆も楽しみながら会場を目指している。
そんな時に事は起こった。
「ッ! お嬢様!」
「えっ……?」
「邪魔だどけッ!!!」
突然抱きしめられたアコニートは驚いたが、護衛を通して感じる衝撃で更に驚くことになる。いったい何が起きたのか。ただ守られたという事実は確かであり、走り去る男の足音がそれを証明している。
「……大丈夫ですか?」
「うん、問題ない……」
無礼を詫びた護衛は頭を下げ、アコニートが勇猛を讃え許す。すると此方へ慌てて駆け寄る足音がアコニートの耳に届いた。
「おーい、大丈夫かー?」
「あ……」
「きっ、貴様は!」
振り向いた護衛はやってきた彼女の姿を見て凍結した。現れたその姿は護衛にとっては忌まわしきハイエルフ……ステラである。彼女はこちらの様子を伺いにへらと笑うと、ぱしりと手を合わせて『そういえばー!』とわざとらしく声を上げた。
「予選会、残念だったがちゃんと聞いたぞ! 可愛らしい歌声だったな~♪」
「……っ」
ふんすと歌うように話す彼女に、護衛は顔面蒼白と成るが……アコニートは寧ろ褒められたことにカッと頬に朱がさしていた。彼女の言葉に裏表はなく、心の底から思っている……アコニートもステラも『
「ま、お祭り楽しんでおいで! ごめんよ、小生もちょっと遊びすぎたな。じゃあね!」
「あっ、まって……」
「おん?」
止まったステラにアコニートは深呼吸して胸に手を当てる。
「あのときは、ありがと。すごく、すごく、たすかった……」
「むふふん、なんてことないさ♪」
とてもうれしそうにウィンクした彼女は、それきり人混みをするする縫うように駆けて行ってしまった。あっという間に姿は見えなくなってしまう。
「い、一体何だったのでしょうか」
「わからない……でも」
解らないが、1つだけわかるとしたら……。
「私達はお祭りを楽しめばいい。それだけ」
「……そうですね、気にしないのが良さそうです」
護衛は先程のことを見なかったことにして道を歩き始める。ただ追いかけるアコニートの足取りは、少しだけ軽くなっていた。
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