05-09-04:ナルキソス・カレンなる情熱
ナルキソスは己の邸で発声練習から、踊りの練習とウタウタイに必要な練磨を一通りこなしていた。鏡を壁一面に配した非常に豪華な部屋だ。ステラも中々壮観な姿に目を見開いたがそれまで……彼女を驚かせるには至らなかったようだ。
そんな部屋で弟子3人が彼女を手伝いつつ見守って拍手したのだが……しかして彼女の顔色はすぐれない。
「むう……」
「どうされたのですか先生」
「アカンな、ぜんっぜんアカンわ」
3人ははてなと首を傾げる。今ナルキソスが行った演技は本当に素晴らしいものだった。このような先生に教えを受けていたのだと、また至るべき頂きを再確認して目を輝かせていた。
にもかかわらず何が駄目なのだろうか。
「私達には見事な歌声にきこえましたがー?」
「いや……えらい鈍っとる。まったく、こんなに錆びついとるとはな……。人の事は言えんわ、まったく」
「「「え?」」」
今何といったのか。声を揃えた3人のうちひとりが前に進み出る。
「鈍って? 先生の、冗談……?」
「冗談や無い、本気の話やわ。体はキレは無いし体も硬い。声はまあまあ出とるが、ウタウタイには全然ハリが足らん。恥ずかしゅうて隠れたい気分や」
「……」
歯噛みするナルキソスは己の不甲斐なさを呪った。彼女たちから見れば見事な演技であるが、彼女にしたら細やかな部分ができていない。ウタウタイとして舞台に立ったなら、まずやらなかっただろうミスが散見されたのだ。
教えるにかまけて練習を怠った結果、ということだろうか。それでも何もしていないよりはずっと高度な技術を保持しているのだが……。
(ステラ……さんはウチのことを『燻ぶる薪』と言わはったな)
燃え尽きず燻ぶるだけの存在と断じ、だからこそいま一度燃え盛ることを告げる。当初は下らないと心の何処かで思っていたが、いざやる気になってみればこのざまでは恥ずかしいにも程がある。
技を研ぎ澄まさねばならない。細部にこそ神威は宿る。
声を研ぎ澄まさねばならない。歌い手ならば至高を以て良しとする。
心を研ぎ澄まさねばならない。錆びた想いを叩き直して武器となす。
「もう一度最初からや」
情熱とはなにか。白熱とはなにか。知っていた筈が失い掛けていたすべてをなぞる様に、繰り返し繰り返し突き詰めていく。
3人も熱を目の当たりにして息を呑む。本気とはこういう事か、高みとはこういう事か。転じて……自分たちが教わっていた事は、まだ基本も基本なのだと。
いつかナルキソスは頑張っている3人それぞれに対し、『まだまだ』『甘い』と幾度も口にしたがたしかにそうだ。このような演技を魅せられては口が裂けても『出来ている』などいえるわけがない。ナルキソスが感じている以上の恥を3人は自覚した。ウタウタイに小細工など必要ではない。歌うこと自体は特別ではないが、だからこそ性格や技術がここまであらわとなってしまうのだ。
しかしありのままを美しく華麗に解き放つならば、自然と選ばれてしまうものなのだ。例えば彼女や……あの見事に歌い上げたステラのように。
1人はこれに歯噛みし、ただ嫉妬した。
1人はこれに唖然とし、膝をついた。
1人はこれに僥倖して、伸ばしていた手を下げた。
ああ……だが下げた手は諦めたからではない。その一挙手一投足を食い入るように見つめ、目に焼き付けているのは一番小柄な少女……かつてステラに助けられたアコニートだ。
彼女は3人の弟子の中で一番不出来で自信がなかった。それでも歌が好きという思いだけは人一倍強くて、両親に頼み込んでナルキソスに師事して貰うことを懇願したのだ。
心の何処かで『手が届かぬものに伸ばしている』感覚に常に苛まれながら……まるで月を手に入れようとするかのような日々を積んできた。いつかそうなりたいと、しかし心の何処かで輝けぬ矛盾を懐き。だけれど心はどうしようもなく熱く、熱く身を焦がし。ウタウタイとは『持てるものの特権だから』と何度諦めかけたことか。
だがそれでも遠く眩い煌めきに手を伸ばすことを辞めることができない。故にステラが歌った願いを、そしてナルキソスの輝きを目にしてようやく気づいたのだ。
星の輝きは確かに手を伸ばして届くものではない。いやさ誰しもが手を伸ばしたところで手が届くことはありえないのだ。
だって星とはあんなにも遠くにありすぎる。
なら星々たる彼女らは如何にして星となったのか。即ち自らを以て輝かねば星になることは出来ないのである。ではただ平凡で凡愚なアコニートがたどり着くには如何にするればよいのか。
進むしか無い。一歩一歩、前に前に。地道と言われようが構わず前へ。輝けるナルキソスがそうしているように、ただ愚直に努力するしかない。もちろんそれは当たり前のことであり、だからこそ何よりも難しい。努力は何時だって、報われるとは限らないのだ。
だかアコニートは覚悟を決めた。歩み続ける決意を胸に秘めた。
如何に残酷な結末が訪れようと、前に進むことを辞めないと、そう決めた。だから星の輝きを纏う彼女を食い入るように見つめる。その一挙手一投足が、彼女の糧になるように。己が同じ空のもと輝けるように。
だからこれはまだ誰も気付いていない輝き。未だか細い星の光は、今日このとき初めて輝きを見せた。だが艱難辛苦を超え、誰もが見える一等星になるかは……まだ誰にも分からない物語である。
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