05-08-03:燻る薪

 中央区に屋敷をもつナルキソスは、猫が届けてくれた不思議な手紙を読みながら自室で燻茶を嗜んでいた。ろうそくの光に照らされた葉紙には子供が書いたような文字で次のように綴られている。



――今夜、お茶会に伺います ・・・ステラより



 名前はかのハイエルフのもの……にしては字がであるのが気になるが、無碍にするわけにも行かない。事実であれば来ることは確実なのだ。今屋敷は厳戒態勢が引かれている状態と言える。


 しかしながらナルキソスの所管としてステラは悪辣ではなく、むしろ善性であるとは認識している。とはいえ緊張しないかと言えばしないわけもない。ハイエルフとはそれほどの存在なのだ。


「よっと」

「?!」


 たとえばこうして眼の前に現れるなんて、想定外のことをしでかしてくれるのだから。


「あ、ごめん。驚いた?」


 フードをあげてテーブルの対面に立つのは嘗て海岸で見たのと同じ美貌、ハイエルフのステラだ。とはいえハイエルフらしからず、今もまた申し訳なさそうに頬をかいてニコニコ笑っている。


「……せやな、突然やもん。ビックリしたわ……どっから入ってきたんよ」

「まぁ色々あるのだ色々。でもこうして偲んできた理由も分かってほしい」

「ああ、領主様のやろ? 昼間っから騒がしゅうてならんわ」

「それはごめん! でも小生が言い出したんじゃないし……あとこっそり来たのは有象無象が屋敷の前に屯するよりはいいかなって」

「気ぃつこうてもろて感謝感謝や。で、話ってなに?」

「そう! 話はシンプル、小生は君について話を聞きに来た」


 ステラの言葉にナルキソスは眉をしかめた。


「ウチの教え子たちの話でもしたらええんか?」

「いいや、だ。君自身の話が聞きたい」

「どういう事や。『ウタウタイ』を選ぶんなら、なんでウチの話を聞きたいん?」

「君は当時、不完全燃焼のまま歌ったときいた。それは事実だろうか」

「……もしや、を聞きに来たっちゅうんか」

「うんっ!」


 キラキラした目は真っ直ぐナルキソスを射抜く。まるでこの世全ての悪など知らぬが如き清き笑顔だ。あまりの真っ直ぐさに彼女も言葉を失い、まっさら真っ向の純粋な疑問なのだと気づいた。思わず深くため息を付いてしまうほどに。


 ナルキソスは仕方なくステラと向き合うことにした。


「……確かにあの時、最前線を走っとったんはウチとアイツやった。お互いがお互いを意識しおうて良い好敵手やった。ウチが鋭い熱やとしたら、アイツは流水の調べや。ゆったりまったり、自然の美しさを歌ってのけよる。プリムラはええ歌い手やったんやで?」

「やはり意識していたライバルだったんだね」

「当時は2大歌姫なんて言われたもんやわ」


 懐かしむように窓の外を眺める。日は落ちて真っ暗闇が広がっているが、彼女の心の中では嘗て見た光景が心中に蘇っているのだろう。


「ならもう一度、プリムラさんライバルと歌えるならどうする?」

「……なんやて?」

「歌う舞台を小生が用意する、と言っているのさ」


 語りと立ち上がるナルキソスは対面のステラを見上げた。


「せやかてあの娘は『心の歌エゴ』を失っとるやろ。歌えへんはずや」

「それってほんとうなのかな?」

「なんやて……?」

「彼女は何故歌えなくなったのか。それは『心の歌エゴ』を失ったからだと本当に思うかい? 愚図な男のせいですべてを失ったと、本当に思っているのか?」

「それは……」


 ナルキソスが口をつぐみ、ステラがふんすと鼻息を吐く。


「小生も見出して分かったが、『心の歌エゴ』は……心の真ん中はそう簡単に失われたりしない。忘れられない、忘れようがない己自身の心の有様こそが『心の歌エゴ』だろう? なら彼女の『心の歌エゴ』は失われたのではない、のだ。分かりやすく言うとだけだな」


 だが自慢げなステラに対してナルキソスの態度は徐々に悪化していく。


「……ステラさん、そんなことはで? 『呪歌使いローレライ』の心は繊細や。一度閉ざした心がもう一度開かれることは早々あらへん。だからアイツは……プリムラは歌えへんねや。アンタこそ分かってへんとちゃうか!」


 怒りを顕にする彼女に、しかしステラはクスクスと嬉しそうに笑うのみだ。


「君、やっぱりプリムラさんが大好きなのだな」

「なっ?!」


 カチンと固まったナルキソスはプルプル震えた後、頬を真っ赤に染めて拳を振り上げた。


「何言うとんのや! あんな蒼角好きな訳無いやろ!!」

「本当に嫌いだったら怒らないよ。侮辱されたから君は怒った……違うか」

「ち、ちゃうわい! 紛らわしいッ!」

「まあいいさ。今はのが目的だから」

「共通見解……?」


「プリムラさんが歌えるという確信。そして歌えるならばくすぶりは燃え上がる事実。このふたつだ」


 顔をしかめるナルキソスがフゥと息を吐いて気を落ち着けた。


「……ステラさん、アンタには出来るんか。プリムラの凍った心を溶かすことが……出来るっちゅうんか?」

「うーん。厳密に言うと出来ないな」

「出来ないんかーい!」

「てへぺろーい!」


 渾身のツッコミが炸裂し、ステラが心地よさそうにぐっと親指を立ててウィンクした。むかっ腹がたつものの、どこか憎めずにぐぬぬと唸る。


「まぁということだ。小生が出来るのはちょっとした事だけというかなんというか。奇妙に感じるかも知れないが、既にのだよ」

「どういうことや」

「つまりはだな――」


 ステラがかいつまんでやろうとしていることを解説する。説明を聞くだにナルキソスの目は丸くなってゆき、最後には腕を組みふむふむと唸って頷いた。


「――というプランだ。どうかな?」

「……なるほどな。なら行けるかも知れん」

「もし成功したら小生の話、付き合ってもらうがよいかな?」

「出来たんならな。そんときは堂々受けたるわ」


 夜の暗がりの仲、2人の女性がクスクスとお互いに笑い合って頷いた。

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