05-08-04:閉した心
ステラは野良黒猫の『サガワ』君に葉紙を託してプリムラに連絡を取り、現在練習していた海岸線にやってきていた。先に来ていたプリムラを確認すると、ステラは全力ダッシュで彼女の前に現れる。
「ステラ参じょうわあああああ!」
「うわ姐さーん?!」
砂の上のスライディングは思った以上に滑りに滑る。まるで氷上のフィギュアスケーターのようだ。危うく海へドボンしかけたが其処は半歩遅い。バシャンと打ち寄せる波がステラのブーツを濡らしてしまったのだ。革靴に塩水、しかも板金で補強された一品物……手入れがひどく面倒なのは言うまでもない。
半分びっしゃり濡れたブーツに涙目になりながら、ステラは何食わぬ顔で――プリムラから見れば涙目で――プリムラの前に歩いてやって来る。
「……待たせてしまったかな? ハハハ……はぁ」
「いや……アタシもさっききたとこなんやけど……災難やったな姐さん」
「うんー……」
ステラを気遣うプリムラであるが、実はステラが来るよりずっと前にやってきていたのだ。ステラが全力ダッシュしたのも、
それはもう焦った。明らかにずっと、いやかなり待たせているのだ。呼び出しておいて遅刻など致命的に悪、シャカイジンシスベシとステラの脳裏にテロップが流れる。しかして視界は遠く、体はここに。結果全力前進、止まれず海に突っ込んだのはご存知のとおりだ。
とはいえプリムラが時を持て余していたかといえばそうでもない。やはり海に対して思うところがあるのか、ステラが現れるまでずっと物思いにふけっていたのだ。
「で、何の用でこないなところに呼び出したん? 次の『ウタウタイ』探しで忙しいやないか」
「そうだね、まさに説得中だ」
「さよか。ええ歌い手なんやろなぁ」
「きっとな」
「うん?」
言い方にプリムラは首をかしげるが、お構いなしにステラは斜めがけのカバンをごそりと弄り、まずはお目当てのアイテムを取り出す。
「まず1つ目なんだけど、これを渡し忘れていたんだよね」
取り出したのはザラリとした朱色の珊瑚で作られた優勝杯、『珊瑚の
「そういえば約束やったね、ありがとう……。でもホンマにええんか? これは『ウタウタイ』で優勝した証と同じや。ルサルカ近郊なら御免状よろしく食いっぱぐれる事はなくなるんやけど」
「もともと食うに困ってないし、小生が必要とするものでもないからね。大事なものは何時も手の届くところにある。だからそいつをどうするも君の自由だよ」
「さよか……」
手の内の酒月に目を落とすプリムラは感慨深そうにザラリと表面を撫でた。
「ところで何でそれが欲しかったんだい? 良ければ聞かせてもらってもいいだろうか」
「……せやな。ステラの姐さんは無理を通して勝ち取ってくれたんや。アタシも筋を通すのが義理っちゅうもんやね」
ふぅ、と息を吐くプリムラは酒月から顔を上げ、寂しそうに笑いながらステラを見た。
「ようは未練、やな」
「未練?」
「アタシはな……元々姐さんと一緒やってん。名も知らん誰かの為やなく、たった1人のために歌っとったんや」
「それは……死んでしまったという彼のことかい?」
海に目を向けるプリムラがコクリとうなずいた。
「アイツはほんまぽけ~っとした奴でな。ちっちゃい頃から目が離せん奴やった。何時もアタシが引っ張って、アイツがついてくる。そういう関係や」
「幼馴染だったんだね」
「でもな、本当に危険な時や危ないときは勇気を出せる奴やった。アタシが先頭を突っ走って行き過ぎたときは必ず手を握ってくれてな。つまり……穴に落ちそうなときは、一生懸命引っ張り上げてくれたんや。だからやろうな、気づいたらアイツの為に一生懸命になろ思て……好きになっとったわ」
「なるほど……」
確かに似た境遇にあるようだとステラは思う。決定的に違うとすれば彼は死んで、シオンは生きているということ。ある意味で『あり得た未来』がプリムラなのだ。
(いやまってそれだと小生シオンくんが、す、す、すきってことじゃ……)
意識する途端胸が高鳴るのはもう観念したほうが良いのだろうか。理性が否定するたびに本能は肯定を返し、最早脳内ステラ議会は紛糾極まっていた。今
「姐さん?」
「え、ああいや、大丈夫。すてらはだいじょうぶです、はい」
頭を振ってふぅと息を付くと、気を取り直してステラは言葉を続ける。
「プリムラさんにそこまで思われるなんて。その人は幸運で、しかし不幸だな」
「不幸、やて? どういうことや姐さん」
「自分の死が君を苦めると知っていたからだ。現にこうして歌えなくなった君を、彼が喜ぶはずが無いからな」
「それは……」
プリムラがチクリと痛む胸を抑える。ステラの言う通り、最早薄れゆく記憶の彼が泣いているように思えたからだ。
その痛み、今ならステラも少しだけ分かる。
ほんの少し前のことだ。根幹を揺るがす痛みと恐怖を思い出し、胸に手を当ててひび割れた暖かな手を思い出す。彼女の手を引く彼の事を思い出す。今ギフソフィア生花店で会計に勤しむだろう彼を思い出し……『全く世話が焼けますね』と言うだろう彼を想うと、自然と微笑んでしまう己についに白旗を上げた。
「私もな、多分……あー、その。しっ、シオン君がーー……そのね、うー……たぶん、たぶんなんだけど……その、えっと、うん……す……す……すきっ! なんだと、おもう。彼が居なくなったら、小生は君と同じように動けなくなる、だろう。でもな――」
「姐さん?」
「だからこそ立ち止まらない。立ち止まれないんだ。シオン君はそれを望まないから」
「姐さん……」
「君はさ、彼が居なくなったから歌えなくなったんじゃない。歌ってしまったら、彼が居なくても大丈夫になってしまうから歌えないんだ。1人で歩くのが怖いから、前に進めないのだよ」
「……」
「なぁ、プリムラさん。彼は君が歌う姿が嫌いだったのかい?」
彼女は静かに首を振った。
「彼は君が一緒に居たことを、嫌だと思っていたかい?」
彼女はうつむいて首を振った。
「なら、今彼が居たら……君になんて言うか分かるかい?」
小さく嗚咽しながら、彼女は小さくうなずいた。
「それなら、一緒に歌わないか? まず初めに、大丈夫だよって伝えるための
それから、遠く、遠く、海の向こうに伝わるように。2人の歌声が重なり合って波打ち際に解けていった。
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