04-13-02:ターゲット・ファルティシニア
『ファルティシニア』。迷宮都市ウェルスでも老舗の高級酒場だ。昼の営業はゆったりとした休憩スペースとして、夜はしっとりとした大人の社交場として人気の店である。
軽く身なりを整えたシオンは、招待状を手に『ファルティシニア』へと向かった。
鎧は当然着用せず、元々謁見用に誂えた丈の短いマントを着用している。またステラが
勿論帯剣しているが、フォーマルな場に出る
何より彼の作法が良い。背筋はピンと伸び、歩きは軽く、気負いもない。店の警護をする門番も凛とした佇まいにため息が漏れるほどだ。
正しく店が求めるにたる紳士と言える。
「招待状を持参いたしました。エンビディアの名で予約しているはずです。確認をお願いします」
「……はい、確かに確認いたしました。どうぞ奥へ、係のものが案内いたします」
エンビディア。ヒュージ・エダルベアの一件で同行した
(概ね予想は付きますが……ここまでしますか)
案内された個室は昼間において、日の光をうまく取り込みつつ明るすぎない設計になっている。用意された調度品もシオンの目をして良いものだと解る。
見回す部屋には椅子が2つ用意されていたが、まだ彼女は来て居ないようだ。ホストより先に着いたのはまずいと言えるが、待たせるよりは良いだろう。
幸いあまり待たずにドレスを纏った彼女はやってきた。胸元を大きくはだけだ、真紅のマーメイドラインは彼女にとても似合っている。
シオンが立ち上がり出迎えた。
「あら、待ったかしら?」
「いいえ、
シオンが近寄り差し出す手の甲にうやうやしくキスをする。
「作法も確りしているのね。何処で習ったのかしら」
「まぁ秘密ということで」
「秘密は乙女の専売特許でしてよ?」
「ミステリアスな紳士も良いものでしょう?」
くすりと笑う彼女に応じ、引かれた椅子に座る。同時に足音小さく給仕が食前酒を注ぎにやってきた。黄金色の液体が透明なグラスを滑り、とくとくと注がれれば甘く爽やかな香りが部屋を満たしていく。
「じゃあ乾杯と行きましょう」
「ええ」
お互いにグラスを掲げて一口、果汁の甘みが色濃く残る飲みやすいエールだ。だが決して酒精が弱いわけではない。
「……成る程、ドワーフの火酒を使ったラタフィアですか」
「おわかりなの?」
「ええ、少しうるさいのです」
ラタフィアはドワーフが好む酒精の強い酒に果物と砂糖を漬け込んで作る果実酒だ。最終的に薄めて飲むためドワーフからは軟弱な酒として嫌われているが、それ以外の種族からは概ね好まれる甘い酒である。
同時につまみと鳴る軽食が運ばれてきた。どれも少量ながら考えられた一品であり、出されるエールに合わせて考え抜かれている。並の貴族でもここまでのもてなしが出来る家はそうあるまい。専門故に可能な、テーマを持って楽しむ為のメニューであった。
実際
「有名店の名に恥じぬ選択ですねぇ。面白い」
「楽しんでいただけたようで何よりだわ」
「ええそれなりに。7423年物の『
「そこまでわかるのね」
『
酒場で提供されるような小樽を用いるのだ。だが一体何の因果か生まれる味は以外なほどに柔らかで、まるで音楽を奏でるように複雑である。大樽では絶対に出せない味なのだ。
転じて量産がしづらいワインであり、大変高価なブランドワインである。
シオンが新たに注がれたワインをひと飲みして一息ついた。
「さて……そろそろ本題に入りませんか? だいたい予想は付きますが、余り楽しんでばかりいても」
「そうね、紳士的なのも良いけれど……そのほうが私も好みだわ」
エンビディアが肘をつき手を組んで、胸元を強調するように前のめりになる。
「貴方、
「やはりそうなりますか……」
ふぅ、と溜息をついてコトリとグラスを置く。
「何故僕を?」
「
笑う彼女は妖艶に笑い、悩ましい仕草で指を立てた。
「貴方の過去は気にしないわ。その仕事についてもね」
「……へぇ」
シオンの雰囲気が少し変わる。目を閉じ腕を組む程度でほんの些細なものだ。しかし見るものが見れば戦闘体制にあると解るが、しかしエンビディアは動じることはない。
「よくわかりましたね? 別段秘密にしていたわけではありませんが……」
「動きがまるで違うもの。少し観察すればすぐわかることだわ」
「そのうえで勧誘するのですか?」
「さっきも言ったでしょう? 個人的に貴方が気に入ったのよ」
その目の輝きは言葉が真実であることを語っている。調べれば解ることでは有るが、彼の背景は決して日向にのみあるものではない。清濁併せ呑むと彼女は言うが全く持って剛毅、故に後ろ盾としては申し分ないと言える。
故に……答えは決まっていた。
「せっかくのお話ですがお断りしますよ」
「あら、それはなぜ?」
「僕、どうやらアサシンではなく、ナイト・ニンジャらしいですからね」
「は……? にん、じゃ?」
困惑するエンビディアにくすりと笑うシオンは言葉を続ける。
「ニンジャとは水の上を歩いたり、土の中を無音で移動したり、空を飛ぶそうです……全く持って馬鹿げていますよね。ステラさんがどうにも誤解しているので解かねばなりません」
「そんなの関係――」
ない、という言葉を手で止めたシオンはふんわりとした笑顔を浮かべた。本当に柔らかい、見た目通りの少年の笑顔だ。
「つまりは……彼女は僕が引っ張らないと、危なっかしくて気が気でないのですよ」
「それなら大丈夫よ。向こうは向こうで頷くでしょうから」
「向こうというと……ステラさんが呼ばれた方ですか」
微笑みを崩さぬエンビディアに、成る程とシオンは頷いた。
「つまり貴方がたは……ステラさんが美食如きで釣れると思っているんですね?」
「事実でしょう? 彼女は美味しいものが大好き……誘われるのは目に見えているもの」
「実際正しいです……が、しかし半分だけです」
「半分だけ?」
「ええ、半分だけ……でも致命的な半分です」
警戒を解いた彼は口に手を当てクスクスと笑う。それはもう楽しそうに、ステラが見たことがないほど愉しそうに嗤ったのだ。
「これは賭けても良いですよ? ステラさんが向こうにゆくなら、僕は貴女の下についてもいい」
「……自信たっぷりなのね」
「あの人はそういう人ですから。それに……」
注がれたグラスを手に取ると、苦笑いしつつ香りを楽しんだ。フルーティーな香りは複雑で、彼もよく知る銘柄のものだ。だからこそ意味がない。
「僕を一息に勧誘したかったら、7423年物ではなく7405年物を持ってくるべきでしたね」
「え……それって不作の年じゃないの」
「不作、たしかに正しいです。7405年のワインと来たら、余り美味しくない事で有名ですねぇ」
ただし、と一呼吸おいた彼は説明を続ける。
「7405年は不作が続いた年でした。職人たちは危機感に迫られ、なんとか価値を生み出そうとあがいたのです。小樽を用いたのも、元々はそれだけまともな果実が少なかったから。
結果生まれたのが最高峰と詠われるこのワインなんですよ」
また一口含み、甘さだけではないコクを味わい嚥下する。さらに付け加えるなら喉越しが良い7423年物は、彼がよく飲まされていたものだ。飲みなれた味に驚きなどありはしなかった。
「つまり、7405年に『
歴史的価値、職人の試行錯誤、出来上がった極上は舌だけではなく、当時の有様を尽く感じさせる史上のワインでしょうね」
「そうなのね……知らなかったわ」
「僕も聞かされるまでは知りませんでしたから、相当深く調べないとわからない情報でしょうね」
驚くエンビディアは、しかしてむっとシオンを睨んだ。
「ひどい人。私よりよっぽど詳しかったのね」
「ええ、酒には少しうるさいものでして」
「うるさいなんてものじゃないでしょうに」
文句にクスリとシオンが笑った。
「とはいえこれが悪いワインなどとは言いません。実際に僕が飲んだ中で3番目に美味しいワインですよ?」
「3番目、ねぇ……それでもいいわ。あーあ、まったく失敗しちゃったわねぇ。なら今日は傷心の乙女に付き合ってくれる?」
「それくらいならいいでしょう」
互いにグラスを掲げて、朱の至宝をじっくりと堪能した。
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