04-08-04:『風呂に憑かれた男』
娼館『プリムラの詩』を辞して帰路につこうとしたところ、ステラの耳がぴょんの跳ねるのをシオンが認めた。
「どうしました?」
「えっ? ああ、なんか
シオンの顔が引き締まり目を細める。戦闘態勢に移行しているのを困惑するステラが認めた。
「穏やかじゃあ、ありませんね?」
「寧ろ穏やかだけど?」
「えっ?」
「えっ?」
最近の状況を鑑みて『人攫い』と直結したシオンであるが、どうにもステラの様子は楽観的だ。それもそのはず、耳にした諍いとは一方的な頼み事によるものである。
「ちょい見に行かんか?」
「えぇ……?」
「一応知り合いなんだけど」
「えぇー……?」
ウェルスに来てから知り合いはそう多くない。むしろ限定される上に我の強い連中ばかりが脳裏に浮かぶ。できれば関わり合いになりたくはないのだが……。
「なんていうかな、小生に辿り着くのは時間の問題? なら早々に片付けるべきと思う」
「身から出た錆じゃないですか!」
「あっはっは! こればっかりは仕方ねぇとしか言いようがないねぇ!」
快活に笑うステラがてこてこ歩き出したので、シオンも仕方なくそれに続いていく。
◇◇◇
(やっぱ穏やかじゃないやつ……!)
それを見たシオンが思ったのはまさにその一言である。
ドゲザする鎧の男が娼館のまえで、護衛の男に追いすがっているのだ。男も男で、突っかかってくるでもなく、ただ突拍子もない願いにほとほと困り果てていた。
「頼む風呂かしてくれ。風呂だけでいいんだ、風呂を風呂を!」
「ええいなら女を買えばいいだろうが!」
「俺の目的は風呂なんだ……ッ! 女はむしろ余計……ッ!」
「えええ、お前なんで花爛区来たの?!」
「そこに風呂があるからだ!!」
断言するのは確かステラが
これ絶対面倒なやつと認めたシオンは、ステラの手を即座に掴んで回れ右して立ち去ろうとした。
「あああああっ!!!」
だが見つかった。
鎧を跳ね上げがっしょがっしょとチャージングする様はまさに
ジャンピング
「麗しき御身に相まみえたる事、このグルトン光栄の極みにて!」
ステラに頭を垂れる様に周囲の見物客の視線が集まり、何より対応していた護衛男の視線が痛烈に刺さる。
視線が示すのは、ステラでなくても一目瞭然。
『お願いだから引き取って』
最早祈りに近い願望に、頬をかくステラは立ち上がるよう促して話を聞くべく店を後にした。
◇◇◇
所でウェルスの家具、特に椅子というものは特に頑丈に出来ている。それはそれは頑健な
勿論お洒落なお茶を出すような店ではその限りではない為、いま話を聞いているのは酒場の一画である。昼間だというのに客入りはそれなりにあり、杯を片手にげらりげらと語り合っていた。
3人は軽いツマミとワインを頼むと、軽く乾杯してから話を聞くことにした。
「で、一応聞くけど何故ゲザってたんだい?」
言いつつ煽るワインは少し酸味が強い。だがこれを付け合わせのチーズをかじって飲めば、事他無く合う。
故に舌が最適解を導き出した。ステラはこっそり
姐さん、こいつァたいへんなことですよ!
ステラの頬がふにゃんとゆるみ、長耳がぺしょっと下へ垂れた。
「風呂がどうとかと言ってましたね?」
有様を見たシオンが無言でチーズ辺を差し出し、ステラが指先をちょちょいと揺らす。ぐにり形を変えるチーズはほっかほかだ!
急いで含めばもっちもちなチーズのうま味が溢れ出し、シオンもほっこり笑顔である。無論当社比であり、ほかから見れば恐らく笑っている程度のものであったが。
「まさにそれなのだ……俺は風呂に、風呂に入りたいだけなのに。でも――」
「「でも?」」
「風呂がないのだ……」
「「あ~」」
注がれたワインにも手を付けず、悲しげなグルトンは語る。
つまりこの世界、湯というものが燃料を要する故に値が張る代物なので湯屋がない。ステラが普段、艤装生活魔法でやるように生み出すことは可能だが、やはり沸かした湯は桶に汲んで体を拭くのが基本となる。
体ごと湯に沈めてあたたまる、という経験自体が稀なのだ。
もちろん『プリムラの詩』で確認したように、あるところにはある。だが金があるところにはあるという話で、グルトンのお財布事情では風呂付きの宿は難しいようだった。
なお風呂だけ借りると言うのも出来なかったらしい。あくまで宿泊者向けのサービスなのだろう。
この点商売になりそうだが、ウェルスは魔法陣で出来た街だ。湯屋を経営する区画整備となると許可が降りないのかもしれない。
となるとシオンに1つ疑問が浮かぶ。
「グルトンさんは何故花爛区に? 風呂があると言っても娼婦が使うもので、客向けでは無いですよね」
つまり存在は知られていないはずなのだ。なのに何故ピンポイントでわかったのだろう。だがグルトンは鼻をヒクリと動かして誇らしげに胸を張った。
「湯の匂いがしたからな……!」
シオンがうわぁと頬を引きつらせた。明らかな
でも命を助けてくれでもなく、娘を助けてくれとかそういった踊る展開ではなく、『俺を風呂に入れてくれ』である。
これで奮起する
「それな!」
「やはりお分かりに!!」
ガッシと握手する2人に、シオンはため息を付いた。まぁ風呂の良さは分からないでもないのは事実である。また彼女なら即座に作り出すことも容易だろう。
「ステラさん」
「なんだい? シオン君もお風呂派?」
マジか! とグルトンがシオンを見た。此処は風呂サークルではないのだが、完全に風呂狂いの集いのような形になっている。
まて、やめろ。そんな目で見るんじゃないとシオンが睨むが、期待の篭った4つの瞳はそれを意に介さない。
「いやそうではなく。もしやるならこっそりやってくださいよ?」
「なぜだ? 風呂は良いものだろう」
「そうだよシオン君。風呂は良いものだよ」
「わかりますよ。ええ、わかります」
「「なら!」」
「……それで人が殺到されては困るんですよ」
「「!!!!!」」
その発想はなかった! と見られてもシオンは困るだけだ。
仮に放置したら浴場経営でも始めそうだが、シオンとステラには目指すべき目的がある。ここで制御を過てば抜けるに抜けられなくなるだろう。
さすれば訪れるのは、温泉処油屋エンドだ。
「なので、やるなら我々の使っている宿で、隔離してやってくださいね。今なら庭の隅ぐらいなら貸してくれそうですから」
「むぅ……仕方ないな。なら『アガート雑貨店』によってから行こうか」
「む、何故だ? 行くなら今すぐ行けば……」
「チャルタちゃんを撫でる約束をしてるんだよ。だから一緒にかたをつけてしまおうかと」
成る程、とグルトンが頷いた。彼と彼女は同じステラの
「話は付いたようですね」
シオンが勘定を懐から取り出しテーブルに置くと、すっくと立ち上がった。
「早く行きましょうか」
「え、いいのかい?」
「どうでもいい問題は早く片付けるに限ります」
「「風呂はどうでもよくないよ!!」」
揃った声に、シオンは目頭をぐにぐにと揉んだ。
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