04-08-05:『プリムラの詩』

 時は夕刻。シオンは薬師ヴァイセと共に道を歩いていた。美少年と薬品の香りのする医師のペアは何かと目を引き、幾人もの人が振り返って行き先を見やる。


 とはいえチラッと見ただけでそれ以上のアクションは無い。それより重要なのは己の懐にチャリンと音を立てる硬貨であり、また見合った良い女アテを探す事だ。


 左様、2人が歩く町並みにあるのは女の嬌声と甘い香りだ。


 むき出しの色香に欲望と金銭。迷宮ラビリンスが生み出した、ウェルスは花爛区アウェーラ。流し目に開いた胸元、伸びる鼻の下とが混ざりあったここは『スリアン』通り。


 なお肩は赤く塗らないのでご容赦願おう。


「アンタ……いや、シオン君。何で俺は連れ出されてるんだ?」

「『プリムラの詩』支配人の頼み事……ですね。内容は『ぜひお礼がしたいから連れ出してくれ』とのことです」


 店の名前にぴしりと額に手を当てて項垂れる。


「ラティーナか……俺は忙しいんだがな」

「お知り合いなのですか?」


「以前診療で何度か治療した娘だ……何故かなつかれちまってね」


 シオンがニヒルに笑うヴァイセを見上げる。その視線は伺うように疑問に満ちて、見定めるようにじっと目を見た。

 しっかり者に見えたが、ハマるときはハマってしまうのだなぁとその目は語る。


「いや違うからな? 純粋に治療行為をしただけだからな?」

「まあ、信じましょう。しかし、何故こうも如何わしく聞こえるのでしょう?」


「行き先が行き先だしな。それに――」

なんてのもあるようですしね」


 これにはヴァイセも目を見開いた。そんな事を知っている者が居るなど思いもしなかったのである。


「君詳しいな? 高級娼婦位でしかやってないんだが」

「耳にする機会はありましたから。存在は知ってますよ」


 エルフは見た目によらぬが、しかし目の前の少年は随分と大人のようだとヴァイセは思う。もしかすればのかもしれないとも。


「そう言うヴァイセさんも何かと乗り気なのですね?」

「何がだ……?」


「娼館の『もてなし』に応じるとはでしょう?」

「……軽く話をして帰るだけだ」


 ハマるひとは皆そう言うんだ。シオンは賢いし知識も豊富だから知っている。とは言え財布の出処は己の財布だろうし、多くは語らぬべきだろう。


「……因みにステラ、さんはどうした?」


 これに渋い顔をするシオンがため息混じりにつぶやく。


「……夜警の仕事に付くからと、行ってしまいました」

「は? やけいって……あの『夜警』か? 夜の警備の?」

「その夜警です。能力的には問題ないんですが……」


 シオンの脳裏で、満面の笑みを浮かべたステラが『グッどぅラッ!』などと親指を立てるのが思い起こされた。その謎の呪文の意味はわからないが、恐らく『行っといで』と言うことだろう。


 まったくもって余計な世話だ。


「しかしよく許したな……君達は恋人だろう?」

「いえ、違いますよ。あくまで探索者ハンター相棒バディです。ただ強いて言えば――」


「いえば?」

「……飼い猫的な?」

「あー……」


 ヴァイセの腑に落ちた感覚は確かにねこだ。もとより猫と仲良しすぎであり、集まりに混じって丸まって寝たとしても不思議ではない。

 シオンから見ても猫耳は生えるし、猫の道を自在に駆けるし、以前日向で丸まって寝ていたことすらある。言われてみればさもありなん。


 となればステラ以外の何者でもない。


「まぁ、頑張ってくださいとしか言いようがありませんね」

「何を言っているんだ? 君も来るんだろうに」

「……何を言っているんです? 僕の仕事は貴方を届けるまで――」


 そんなシオンをヴァイセは微笑ましげにじいっと見つめる。


「……な、なんです?」

「いや、俺も昔同じことを言っていたなって……」

「……」


 どこか遠い目を見る彼に、シオンが肩をすくめる。左様これから赴くのは男というものを手玉に取り、いいこいいこする猛者集う牙城である。さしもの少年とて油断すれば飲まれる魔窟なのだ。



◇◇◇



 ステラが前世をもとに教えてくれた歌に、物悲しい『売られたウェルウェルが悲しげにしきりに此方をチラ見する歌』がある。もとはウシなる家畜を売る歌だと言うが……悲しげにするなら暴れて逃げ出せば良いのだ。


 少なくともウェルウェルならそうする。


 だいたい毎年気性が荒いと言い含めてもちょっかいを出して、大怪我を負う阿呆が後をたたないのだ。『ウェルウェル泥棒おおまぬけ』とはそうした『バカ』に対して言われる教訓のようなことわざである。


 シオンは丁度緩くカーブを描く長い薄金の髪の女性が、ヴァイセにしなだれかかって奥へと招いていくのを見る。彼女が白金ラティーナと呼ばれた娼婦であろうか。

 彼女の表情はとても嬉しそうであり……アレが演技ならちょっと人間不信になるなとシオンは眉をひそめる。


「ねぇ、どうされましたの?」


 シオンの側に居るのは濃い紫の髪の長蛇種獣人ラーミアの娘である。半人半蛇の獣人であるが、人に近い彼女は手指に現れる鱗に痕跡が残るのみだ。恐らく普人族ヒューマのハーフだと思われる。


 フィジイと名乗る彼女は腕に巻き付くようにくっついて、ふくよかな祝福をぐいぐいと押し付けている。少しひんやりしたそれは、夏なら抱きまくらにちょうど良さそうだ。

 とはいえステラの祝福かみぱいには及ばないのだが。


「いえ、しかし良いのでしょうかね? フィジィさんはナンバー2なのでしたっけ?」

「勿論よぉ? お医者センセのお友達なんでしょ」


「依頼人と顧客ですけどね」

「へぇ~そうなのねぇ。じゃあいっぱいサービスしないと、ね♡」


 言うものの、シオンの目線は彼女に向かない。気に食わず身を寄せようとする彼女にシオンはため息混じりに1つ質問をする。


「このあたりって……治安が悪かったりしますか?」

「やだぁ、それより――」


「かなり真剣なお話です」


 じっと見る瞳に色はなく、フィジィはただ深い井戸を見ているような心持ちになる。恐るべき怪物のようにも思えて彼女は少し尻込みした。


「んもぅっ! この辺はそうでもないわよ」

「そうですか……今悲鳴と剣戟が聞こえたんですが?」

「え? そんなバカいるはずが……」


 花爛区は潜行者ダイバーが多く利用することもあり、治安には特に気を使っている。また力にかこつけて料金を踏み倒そうとするならば、路地裏でひっそり息を引き取ることになるだろう。


 だが確実な戦闘音がシオンの耳には届いていた。こうした殺気について、彼の知覚は非常に鋭い。


「すみませんがこれまでです」

「えっ、ちょっ……」

「料金は勿論払っていきますよ」


 そう言って金貨を取り出すが、彼女はうち1枚だけをつまみとった。


「まったく、之でもナンバー2なんですけどぉ? その上で振るなんてよっぽどなのね」

「今懇ろになっても事態が悪化するだけですからねぇ。そればっかりはごめんです」


「なら次はちゃんと解決してから来なさいね?」

「機会はあるか分かりませんよ」

「あら、つれないわね。でも……」

「でも?」


 フィジィが振り返ったシオンの顎をつつりとなでる。


「気に入った子だもの。来てくれると嬉しいな」


 そう言って嬉しそうに微笑むのだ。シオンをしてすこし心が揺らいだのは、本心から来るもの故であろう。

 少し頬を染めたのを見て、フィジィがしめたとばかりににっこりと微笑んだ。

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