04-02-06:小生、君が気に入らない!
受付職員のゼーフントは、両者にらみ合う広場の中央で腕を組み泰然と佇む。だが内心は気が気ではなく、まるで落ち着きがなかった。
理由はただ1人、腰に手を当てふんふーんと囀るステラである。
領主館からもたらされたハイエルフの探索者の情報は、正に今探索者ギルドで急速に名を知られつつある人物のものだ。
何を思ってそうしたのかさっぱり見当がつかない。ギルドとしてはいい迷惑だが……くるものは拒まぬのだから受けざるを得なかった。
回付情報によれば本人はハイエルフらしからぬ、至って普通の娘らしいが……そんな訳がないとゼーフントは思う。なによりの末尾にはこう書かれている。
『本人が望む望まぬに限らず、トラブルが起こる点に注意』
正に災厄ではないか。目の前の状況も裏付ける証拠と言えるだろう。
隣の相方、シオンは彼女のストッパー役だという。言えばちゃんと聞くというのも眉唾物だったが、先程のやり取りを見る限り概ね正しいと言えそうだ。
だが不安が彼の背筋をぴりりと刺すのだ。
ゼーフントが現役
何か想定外の事が起ころうとしている……思わず顔をしかめたとて仕方のないことだろう。
「……ステラさんよ」
「んぉ? なにかな?」
「自重しろよ……?」
「もちろん怪我はさせません!」
胸を叩いて咳き込む様は全くハイエルフらしからぬ様子だ。事実を知らねば間抜けた娘で見ていられたろうに、今となっては不安しかない。
しかし試合の場に審判として立ってしまった以上、もはや止めようもない。
「おう、はやくおっぱじめろよ!」
「そうだそうだ! はやくしろォ!」
「はやくはじめるですよー!!」
ぴいぴいうるさい
とはいえ引き延ばしても無くなるわけではない。ゼーフントは無事茶番が終わる事を祈りながら、重い口を開いた。
「では両者構えろ……」
『グラン・クレスター』の面々はそれぞれの得物を手に布陣する。前衛は剣士のトルペに盾役のグルトン、後衛に魔法使いのピカロと弓主のレント。シーフのチャルタは遊撃だ。
先程は一方的な展開であったが、本来はチームワークで動く
対するハイエルフ御一行は……それぞれ隣に並んでただ佇んでいる。前衛後衛の基本スタイルのはずだが、なんとも超然としているではないか。
いや、
対して
ゼーフントが耳にした限り、賭けのレートは『グラン・クレスター』に傾いていたが事実はどうなる事か。まるで彼らを生贄に捧げているようで気が気ではない。
彼は両者を一瞥すると天を見上げて口火を切った。
「はじめ……!」
言った瞬間地が揺れた。
形容しがたいそれは、強いて言えば『 ど ー ん 』である。
そういう音だし、衝撃であったし、舞い上がる硬い土くれは衝撃の残滓であり、結果としてゼーフントの前から1人消えたのである。
姿を消したのは盾役のグルトンだ。
なにが起きたか目を凝らせば、彼が居た場所には四角く切り取られた穴があいていた。
つまり、落とし穴である。
漏れ出る声を確認した瞬間、カチンと鋼の鳴る音が聞こえた。鈴鳴りがステラが響かせたとゼーフントが気づいたとき、彼女は既に得物を振り下ろしていた。
途端穴の上に巨大な水球が現れ、ごぼり湯だつように泡立つと『 ざ ば ば あ 』と底が抜けて穴へと落ちていった。
「や、やめっうぁあああガボボボボ!!」
「ひっ!」
穴の底から挙がる悲鳴で状況を理解する。溺れさせるつもりなのだ! ギッと歯をかんだゼーフントがならず者を止めようとして……なにかおかしいと気づいた。
「あああ~~ああ、あ……? あ~~……あ゛ゝぁ~~……」
そんな間の抜けた声が穴から響いて、
「はふぁ〜……」
と落ち着いた声が聞こえてくるのである。
観客の誰もが首を傾げる。『はふぁ〜』ってなんだ、やたら心地よさそうな声ではないか。
一体穴の底で何が起きているというのか。
唖然と止まるのは『グラン・クレスター』の3名と、ストッパーになっていないシオンである。
止めろよとゼーフントは思ったが、止める間もなく起こったのだから仕方がない。
そう、彼女を誰も止められない。
広場中に『何が何だかわからんが、とにかくアイツはやべーやつ』と広がっていく。
観客の視線が
いつのまに回り込んだのか、シーフのチャルタが彼女の背後に居たのである。正に今飛びかからんとする瞬間であり、誰しもが『殺った』と確信するタイミングであったのだ。
チャルタが会心の笑みを浮かべたのが遠目でも分かる。そのまま無音で振り抜けば首筋を強かに打ち据え昏倒するだろう。
そうならないから観客は息を呑んだのだ。
「
「ぬに゛ゃっ!」
くるりと回転したステラが左手に持った
(
既存の魔法にないカスタムした詠唱魔法。ゼーフントの見立てでは結界を作る〈シール〉のカスタムに見えるが果たして。
中空で突如殴りつけられ、かちあげられたチャルタはくるりと後転しながら勢いを殺す。
自らに起これば誰でもそうする最善手であるが、目撃する観客からみれば最悪手としか言えなかった。
誰が思うだろう。
さらに足音1つ、衣擦れすらも聞こえないのだ。間違いなく〈フィジカルブースト〉を実用レベルで使いこなしている査証である。
普通の魔法使いはこのような事は出来ないし、これから起こることを考えればそんな使い方は絶対にしない。
地に付いたチャルタは前を向き、どこにもステラが居ないことに焦って顔をゆがめる。背後のステラは獣の眼光で獰猛に笑い、驚くべき一手を打った。
「仔猫にしちゃスロウリィ!」
「ひっ!」
彼女は小柄なチャルタを抱きしめた。だが彼女は少し、いやかなり怒っている。
「うわーやっぱりか。だめだな~これはだめだよ、目を逸らすなんてあり得ない」
「はっ、離せ!」
何とか逃れようともがくがびくともしない。チャルタも〈フィジカルブースト〉を使っているだろうに、まるで効果がないとでも言うのか。
「小生、君が気に入らない!」
「はなせったらーー!」
「手入れしてない毛並み、もうがまんならん!」
「はっ? なにいっ、にゃぁあん!」
艶のある声が響き、場がしんと静まりかえった。一体何をしたのだろう? 答えは彼女が宣言してくれた。
「これより
「は、はぁ?! っつううん」
よくみいればがっしり拘束した彼女の手がチャルタの体をまさぐっている。
いや、そうでは無い……彼女はただ撫でているのだ!
ゼーフントは迷った挙句止めようとしたが、またもや手を出せないことに気づいた。
異常な行動である事は確実だが、チャルタがもう拘束されていないのである。
「さあくすんだ毛並みよ、蘇るがいい!」
「ちょっ、やっ、めえっ」
彼女は逃げようと思えば今すぐにでも逃げられる。ステラは追うだろうが、チャルタは何故か逃げ出す気配がない。
見た限り出来ないわけではない、ただされるがままであるだけで……。
結果手出しできずに撫でられる猫獣人が一ヶできあがった。こうなるといくら観客が多数前かがみになろうと、その事実は揺るがない。
「あぁ~ダメージが多いよぉ? 野外商売なんだから気をつけないとねぇ~」
「ちょっやめっ、うぅんっ!」
彼女の両手が無数の残像を生んで素早く動き、チャルタがされるがままに撫でくり回されている。
明らかにやましい現場なのだ。しかし彼女の宣言した通り、くすんだ毛並みが撫でる毎に蘇っていくのもまた事実である。
最初は顔をしかめた女性陣も変身していくチャルタに驚愕し、手を口に当てて押し黙った。原石が磨かれて宝石となる様を見せられて、意見より嫉妬が勝りつつあるのだ。
お忘れかもしれないが、ステラは撫でているだけである。
「特にねー耳がねー気にくわないんですねェ〜。
ぴこぴこ耳は一番かわいいチャームポイントなのにもったいない!」
「にゃっあうっめっ、ふうっ!」
「手入れをしたならハイこのとおりィイイ!! こんなに綺麗になんだよ、わかった? わかった?」
しゅるりと撫で上げた耳が垂れ、整った毛並みが輝いていく。また柔らかくふわりとした毛並みが思わず手を伸ばしたくなる。
「美しい……ハッ!」
それは誰がつぶやいたことか。野暮ったい猫が闊達な光を持って輝ける令嬢に生まれ変わっている。もはや嫉妬すら置き去りにして、ただ1人の姫が生まれる過程を見せつけてくる。
こんなのおかしい、まるで奇跡の魔法ではないか。
特に居合わせた男性獣人達は頬を真っ赤に染めてチャルタを見た。胸が高鳴り心は弾み、抑えたくても尻尾がうごく。
これがなぜ撫でられているだけと思うだろうか。そう! なんと撫でているのだけなのだ!
「尻尾はもっときれいになるよ! よかったねぇ、よかったねぇ。これでモテモテだよ~?」
「あひっ、ひっぽだめっ、そっ、やっ、ひっあ」
瞳が潤むチャルタはもう立っていられない。だが決断的に毛並みが気に入らないステラの覚悟は一切揺るぐことはなかった。
涙目のチャルタを無視して、するりと尻尾に手が伸びた。
何度も言うがステラはただ野暮ったい仔猫がかわいそうで、一心に撫でているだけなのである。此処に一切の他意はない。
「しゃらっとふわっと出来上がりィ! っと」
「にゃっはぅううあ! あっ、……んっ……ぅ……」
「うわっ、小生完璧すぎ?」
くてんと倒れる彼女を支えたステラは、己の仕事ぶりに汗のない額を拭った。静かな場にぴくぴくと荒い息をあげるチャルタの声が響き、ステラは彼女を抱き上げた。じゃまにならない所で〈ストーンウォール〉らしき石のベッドを作り上げると、其処に彼女を横たえる。
そのまま「うにゃん」とまるまる彼女はまるで眠り猫姫だ。
「さて」
立ち上がったステラは唖然と動けぬ『グラン・クレスター』の3人を認めると、
「フフフ」
「「「!!!」」」
にこりと非常に可愛らしく笑ったのだ。
だがそれを見たままに捉えるなどできようはずが無い。正に仲間だったモノが今、石のベッドに丸まっているのだから!
かつかつ、とブーツの音に後衛の2人がおびえる。なんたってやべーやつだ。頭のおかしい女である。なんか良くわからない手段でもって、あひんあひん言わされるに違いないのだ。
それは余りにおそろしいなって。
ピカロとレントは怯えつつ前で剣を構えるトルペを見て……前屈みで全く頼りにならないと悟った。
「だから言ったでしょう、やめたほうがいいと」
「「……」」
沈痛な声はストッパーの剣士であるシオンだ。『グラン・クレスター』の面々は怯えながら彼を見た。彼の言った全てが今なら分かる。
だが彼女は立ち尽くすシオンを見て足を止めた。キョトンと首を傾げる様は可愛らしいが、魔女が笑ったとなれば話は変わる。
「シオン君どしたん? てっきりもう終わっているものかと……残りも小生がやる?」
「……ちょっとこっちに来なさい」
「え? 何何?」
「ここに立って、背筋を伸ばしてください」
「ふむん? わかっ
情け容赦の無い一剣がステラの頭を直撃し、無情無頼の殴り落としが見事に決まった。べシャっと潰れる彼女は「ぬわー!ぬわー!」と頭を抑えて蹲る。
突然の凶行に『グラン・クレスター』の生き残りもひくっと息を呑んだ。コイツも『やべーやつ』だったか、それぞれの瞳から光が失われ望みが絶たれた……かに見えた。
「今のうちです。今すぐかかってきなさい」
「な、何を言っていますの……?」
弓師のレントがふるえながら問いかける。
「僕ならちゃんと戦いますよ?」
「「ッ……」」
押並べて普通のことである。
それは凄まじく魅力的な提案であった。
しかし恐ろしく屈辱的な提案であった。
立ち向かって死ぬか楽に死ぬか、確約された敗北を自ら選ばせようというのだ。
レントとピカロはお互いに顔を見合わせる。頼りは今目の前にいるライバルだけなのだ。しかし、
「ステラさんが起きたら、僕もう止められらないですよ」
「「やります」」
その一言で2人は折れた。もうどうにでもなれとの思いでシオンに殴りかかり、彼はとても丁寧に2人の意識を刈り取った。
紳士的な一打に対し、彼女たちの表情は大変安らいだモノであったという。
「……君はどうしますか?」
「っ……」
残ったリーダー・トルペも決断を迫られる。此処までくればさすがに格の違いは理解しており、勝ち目がない事も分かっている。
「……だからって、退けるかよ」
「そうですか。では遠慮なく」
トルペが剣士の矜持に従い大上段に構えて制止した。一刀に全てを注ぎ込む、単純にして奥義の一撃である。
もし彼が疲れていなかったら。
もし最初から侮ったりしなかったら。
結末は変わったかもしれない。しかし結果は結果である。
「せあああ!」
「っ!」
飛び込んできたシオンを迎撃すべく振り下ろされた大剣は、急制動したシオンに届く事はなく。
「チェストォオオ!」
すぐさま再加速したシオンの剣が、彼の肩口をしたたかに打ち据えることになる。トルペは衝撃にぐしゃりと崩れ落ち、そのまま気絶して起き上がることはなかった。
シオンが剣をヒュンと振るってフゥと息をつく。
「……と、こんなところでしょうか」
「ゔごごごご……」
ひゅんと剣をふって息を付く彼に、観衆の誰かが拍手をする。1つが2つに、2つが4つに。波紋となって観客の全員がトルペの健闘と、シオンの紳士的な振る舞いに喝采する。
やべーやつとかそういうなんかはぜんぜん無かった。
穴から響く気持ち良さそうないびきとか、うにゃうにゃまるまるシーフとか、いつの間にか寄ってきた猫達が囲んでいるとか……。
そういう瑣末な出来事は、万雷の拍手の前で気にしてはいけないのだ。
「言うまでもないが、勝者はシオンと……あー、そこのステラだ」
拍手と同時に様々な声が挙がる。それは勝負に満足した結果であり、賭けに勝ったが故であり、若造が成長した瞬間を見たからである。
ぬるりと立ち上がるステラは、傷みをこらえながらシオンをきっと睨みつけた。
「うう……しおんくんひどいよ……小生の頭は木魚みたいにいい音は鳴らんのだよ?」
「あれだけやったら自業自得ですね?」
「でもでもううう……」
ぽろぽろ泣き出すステラに、流石に力を込めすぎたかとシオンが焦る。
「すみません。ちょっと、やりすぎましたね……」
「もうしらんし! しらんしっ、ふっうぐぐぅ」
まずい、これは子供の部分が起き上がって居る状態だ。発作的に起こる子供化は、まだ未熟な彼女の内面の発露である。このままでは確実に泣き出すだろう。
「……今日はおやつ奮発してもいいですよ」
「……ふぁ、ほんと?」
彼女はくしくしと涙を拭って、シオンの手をきゅっと握る。
「ならあれがいいな、あれのやつ。さくさく」
「……もしかして、バタークッキーです?」
「うん……糖衣のやつがいい」
「構いませんよ」
「……ふへへぇ、約束だぞ!」
ぶんぶん手を振るステラは、機嫌を取り直したようだ。そして徐々に自分の失態に気付いて顔を赤くするまでがワンセットである。
グワーと声を上げる彼女を見つつ、ゼーフントは額に手をやりカツカツと人差し指で叩く。これの何処が至って普通なのか皆目見当がつかない。
ただ脳裏を過るのは、
『本人が望む望まぬに限らず、トラブルが起こる点に注意』
という一文である。これは居るだけで目まぐるしくトラブルが舞い込む機能とでも言えば良いのか。となれば……担当を押しつけられるなとゼーフントは確信した。
他にも受付は居るだろうが、上手く対応出来るのは現在のギルドでは自分だけであろう。
これから長い付き合いになるだろう2人組を、彼はため息混じりでじっと見下ろすのであった。
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