04-01-07:幸せ宿屋と今後の方針

 案内された宿屋を見たステラはひと目で全てを理解した。


 領主館寄りの少しだけ良い宿であるとか、街の中では比較的治安のいい立地にあるとか。または1階は食堂兼居住スペース、2階と3階が宿屋になっているという間取りの話でもない。


「この宿屋からを感じる」

「なんですその間の抜けた表現……」


 神妙さに反して台詞がすごい。


 だが2人を案内したケリーはウンウンと得心いったように何度も頷いている。なお案内にあたり兜を脱いでいる彼は、完全に厳しいゴリラ以外の何物でもない。


「正に『幸せの長尻尾亭』は義妹から取ってるからな。当時は爆ぜろとよく言われていたものだよ」


 宿屋の主たるケリーの弟はラソンというテナガザルの獣人で、妻はトゥリープというキンシコウの獣人である。2人の娘のトゥイシ、こちらは母方の種族を継いだようだ。


 まるで不整合に思えるが、獣人同士の混血の場合は両親何れかの種族を継ぐためにこうなるのだ。つまりケリーとラソンはゴリラとテナガザルの両親を持つということになる。


「しかしやっべーよシオン君、まだ宿に入ってないのに料理の臭いがやっべーよ。

 料理うめーとかそういうレベルではねーよ、やっべーよシオン君」

「テンションを上げても望みのウースは出てきませんよ?」

「チクショウメ!!」


「じゃあ案内するぞ。付いてきてくれ」


 ケリーもステラの扱いが分かってきたようで、扱いはざっくり雑になった。それについてステラは不満がないし、飴ちゃん用意してくれる可能性があるならと非常に寛容である。


 なお全て視線で主張はバレているため、苦笑するケリーは次から飴ちゃんを用意しようと心のメモに書いておいた。


 一階食堂がそのままカウンターを兼用しているらしく、奥には旦那らしい影が仕込みをして良い匂いを漂わせている。

 テーブルを拭くエプロンドレスの女性は女将トゥリープだろう。


「あら、ケリーじゃない、どうしたの? そっちの方は?」

「スマンがトゥリープ、部屋は空いてないかね? この2人が宿を探しているんだ」

「2人部屋が1つ開いてるけど……お2人はそれでも大丈夫?」


 シオンとステラは互いに顔を見合わせ頷いた。


「分ける意味ないよな?」

「そうですね」


 そもそも野営の時点で2人きりだし、部屋を分ける位なら浮いた金で串焼き奢ってくれと嘆願する相方である。ラブロマンス? そいつは墓の下で永眠しているよ。


「あとは値段の方なんですが……」



 シオンがケリーを交えて値段交渉している間、ステラは手持ち無沙汰にテーブルに座って待つことにする。


 ぴこぴこと長耳を揺らして話を聞くに、物価がとんでもないインフレを起こしていると解る。


 『幸せの長尻尾亭』は街の外ではちょっといいお宿ぐらいのグレードなのだが、1人あたり1泊銀貨7枚もするのだ。同じ条件なら銀貨1か2あれば事足りる事を考えるとあまりに高い。しかしこれでも『かなり安い』というのだから、迷宮という存在がどれだけ莫大な富を生み出しているか解る。


 最終的に2人揃って単日あたり銀貨4で決着がついた。領主側事情とまとめて10日の先払い契約で決着を付けたようだ。


 非常に為になるやり取りなのだが、同じことはできそうにないなとステラは思う。以前挑戦した時は完全にボられてしまったし、今後も治ることはないだろう。


 なにせ商活動とは商品を納得させるための真剣勝負なのだ。そこにステラが持つ香りを嗅ぎ取る権能は一切機能せず、むしろ真剣さが薫香となって、結果的に悪い方向へと動いてしまうだろう。能力を無効化出来ない以上、感覚の良し悪しを見てしまい、敗北の歴史をただ積み上げるのは目に見えていた。


「じゃあ俺は仕事に戻るよ。連絡は宿宛にするからそのつもりで居てくれ」

「了解しました。ではまた……」

「ああ、またな」


 ケリーが去ると尻尾をゆるりと動かすトゥループが手を降った。


「じゃあ、案内しますよ。此方です」


 2人は3階の角部屋に案内された。


 ベッド2台とサイドテーブルが収まる8畳ほどの部屋で、寝泊まりするだけなら十分広い。また鍵付きのチェストも備えられていてちょっとした旅装などを仕舞っておけるのも嬉しい。


「鍵はこれを使ってちょうだいね」

「え、ちゃんとした鍵付きって珍しいな」

「鍛冶屋が多い街ですから。あとつっかえ棒もありますから使ってくださいね」


 ドアを見れば確かに太い木の棒が備え付けてある。この世界の宿屋としては非常に高水準のセキュリティだ。


「お湯は夕方に桶1杯は用意するけど、それ以上はお代を頂きます。洗濯は銀貨1枚、必要ならかごに入れて出して頂戴な」


 指差す先を見れば細い蔦であんだ丸いかごが置かれている。つるりとよく扱かれた表面はつるつると滑らかで使い心地が良さそうだ。


(しかし高いなぁ洗濯代。機械もないから仕方ないんだろうが……)


 洗濯は古来より重労働の代表格だ。それは魔法という力があっても変わらないのだろう。

 もし手回しの洗濯機と絞り器があれば話は変わるのだろうが、すぐに用意するのは難しいだろう。


「食事は一階が食堂になってるから。宿泊者は割引サービスしてるけど、テルテリャ・ウースは朝の内に注文してね。ウチのは特別美味しいけど、仕込みが大変なの」


 神速で振り返るステラに彼は苦笑しつつ頷いた。なんと気前の良い男であろう、彼女は明日の夜が楽しみになった。


「あとは……そうそう! 大事なことがあったわ!」

「おぅ? なんだろうか」


 ステラは部屋を見回すが、説明が必要な設備はないように思える。女将はにやりと笑いながら小さい声で2人に囁く。


「あんまりと響くから気をつけてね?」

「おおそりゃまずいな、留意しよう」

「ステラさん?!」


「うふふ、それじゃあじゃあごゆっくり~♪」


 楽しそうな女将がニコニコと去っていった。


「ステラさん……何言ってるんです?」

「そりゃ開いてる部屋が1つってことは、ご近所さんが目白押しだろう。

 ご近所トラブルの筆頭は騒音問題だと知っているか? ちょっとした気遣いで皆が幸せになるなら当然そうすべきだろ」


「それはそうなんですが、そうじゃないんですよ……」

「はぁ……?」


 首を傾げるステラに、シオンが頭を抱えて項垂れた。



◇◇◇



 部屋で荷物を簡単に整理した2人は、1階で軽く夕食を取った後、今後について話し合うことにした。


 ただ隣で満面の笑みでテルテリャ・ウースを貪る客が居たため、彼女の機嫌は最底辺である。だがシオン虎の子のアルエナ丸薬茶を差し出すことでチョロくも復活した。


 なにせこの安っぽくも優しい味が世界で一番好きなのだ。どんな機嫌だろうが直らないわけがない。


「チッ! この一杯で絆されたなどと思わんことだな……!」

「じゃあ緩みきった頬をなんとかしましょうか」

「クッソクッソ! 美味いのが全部わるいんじゃ!」


 ふやけてくにゅくにゅぷちりとした花びらを、つぴつぴりと1枚すする。嘗て5歳を主張したステラの心理定義は6歳、いや7歳ぐらいには成長しているはずだが、簡単に食べ物に釣られる辺りまだまだ成長しきれていない。


「ふぃー……まったくアルエナ茶はするのう! ほんのりついでに今日のまとめをしようじゃないか」

「『ほんのり』にしては超元気ですが、今日は色々ありましたからね」

「じゃあ問題をおさらいしようか」



 ステラがカップを持ちながら、指を1つ立てる。


「先ずはブスカドル国に入ってウェルスまでやってきた。目的はヴォーパルの剣に会うことだな」

「しかし図らずも目的は達してしまいましたね。ですが……」


「そう、肝心のヴォーパル・イェニスターは眠り姫だ。イフェイオン曰く、イェニスターの権能を汚された故だという」

「『清掃』の権能を持ち、『清潔を望む』のでしたね。なんだか想像できないですけど」


「転じてケガレを嫌うって事でもある。これについてはシェルタちゃん……メディエ嬢の問題を解決することで、目を覚ますとのことだ」


 その名が挙がるとシオンが顔を顰める。


「なんとか断れましたが……よもや弟子にしてくれとは」

「強迫概念として『最強の剣士』を目指しているようだな。鍵となるのは『ハーブ』という少年の存在だろう」


「そもそも存在する人物なのか、念のためそこから調べる必要がありそうです」

「だがシェルタちゃんは貴族家の人間だ。果たして調べが付くだろうか?」

「良い情報屋を探さないといけませんね」



 ステラがくぴとアルエナ茶を飲み、減るペースが早い事に顔を顰めつつ指を2本立てた。


「次に街道の話。ゴブリンがあまりに多いぞ問題」

「無いわけじゃありませんが、オークも出たとなれば尚更気になります」


「魔物に総じて言えるが、強い個体は弱い個体を従えるのだよな。

 つまりボス頂点としたハーレムスタイルが魔物のトレンドだ。

 けれど、2足歩行系は別種でもその関係になることがある」


「この場合オークのほうが強いので、ゴブリンを従えた形ですね。あれがハグレならいいんですが……」


「軍団化してたら厄介だな。魔物の集団的狂乱スタンピードの予兆じゃないか?」

「と、普通は思うんですが……ケリー氏に説明した時点では『気にしておく』程度の感触でしたね。もしかしたらウェルス周辺では茶飯事なのかもしれません」


「明日探索者ギルドで聞いてみようか。どのみち書庫で周辺情報を調べるのはやんなきゃいけないしな」

「ついでに討伐証明や魔石も卸さないと。討伐証は生物だから腐っちゃいます」

「卸値高いと良いねぇ」



 ステラがふやけた花の中央、蜜が1番詰まった中央部分をちゅっと啄みつつ指を3つ立てた。


「最後は仕事について。お宿と食堂のメニューを見てわかったが、迷宮由来でハイパーインフレ状態ということがわかった」

「迷宮に依存して、金回りがいい街ですから問題ないんでしょうが……ステラさんは街の仕事を受けたいんですよね?」

 

「正確には『いつも通りの仕事』だな。まずイェニスターの問題を解決する以上、潜る時間は取れないだろう」

迷宮ラビリンスは潜るだけでかなり時間を食いますからね。

 ですが需要と供給を考えれば狙い目ともとれますね」


「……あー、成る程。潜行者ダイバー人口に対して探索者ハンターが圧倒的に少ないならありうるか」

「また迷宮ラビリンスの恩恵はこの街だけが受けているわけではありません。波及して周辺の街にも及んでいるはずですよ。

 ちょっとした村でさえ一般的な町に迫る予算があるでしょうね」


「じゃあ報酬が出せなくて全滅ーみたいなケースは早々無さそうだな。その点はかなり恵まれているな」

「ええ。なけなしの財産をかき集めて依頼が出せない、ってこともありえますから」


「あと宿賃がかなり安く上がったのが良かったな。迷宮に行かない方針で動いた場合、どうしても収入は低めになる」

「なので街の中の仕事で名を売るのは一理ありますね。

 現在はケリー氏の便宜で安くなっていますが、やはり今だけのものですから」


「フッフッフ、それなんだが実はテルテリャ・ウースをワンランク進化させルプランがございます」

「……もしかして、サンドイッチとか、タルタのタレとかです?」

「そこは乞うご期待ということで!」



 ちゅぴりとアルエナ茶を飲みきった彼女がカップを置き、勢い良く手を叩こうとしたが取りやめて、そっと手を合わせる。


「ああ、ですか」

「そうそう、拍子の音は案外響くからね。じゃあ方針をまとめようか。


 1つ、ヴォーパル・イェニスターの問題を解決する。

 今の持ち主たるメディエ子爵令息こと、シェルタちゃんの問題を解決する必要がある。その為に彼女とハーブ子爵令息を調べねばならない。

 秘匿情報である場合情報屋を頼る必要があるから、伝手を探さないといけないな。


 2つ、街の周辺事情について情報を得る。

 どうもゴブリンの出現が多いし、指揮するオークが出現している。ケリーさんは余り問題にしていないようだが少し心配だ。明日探索者ギルドで聞き取りをしようか。


 3つ、街の仕事を受ける。

 正しくはいつもどおり仕事をする。基本は街に貢献できる仕事で名を売って、迷宮に潜らずとも成立したサイクルを確立させたい。


 あとなんかあるかな?」


「仕事について1つだけ。討伐系は普段より難易度が高いかもしれないです。


 街道やウェルスの現状を考えるに、この地域の『依頼主』はある程度自衛能力があるはずです。それでも手に負えない事件が依頼として発行されている可能性がありますね」

「依頼の質や裏をより深く読む必要があるのか。そこは……受付さんとも相談かな?」


 なるほどなと腕を組む。階級ランクズィルバとなった彼女だが、特例昇級なので知識が追い付いていない。未だ知らぬことが多い故に、努めて勉強する姿勢で事に望まねばならない。


「ま、今日は日も落ちたし明日から頑張ろう」

「そうですね、久しぶりのベッドですし」

「ほんとそれな! だから今日は英気を養うのだーッハハハ!

 オヤスミ!!」


 早速ベッドにぼふんと身を投げ委ねる。いつか使ったふかふかの綿ではないが、こうした干し藁の香りも嫌いではない。ステラが目を閉じ眠りを意識すれば、一瞬で意識は落ち眠りについた。


「相変わらず寝付き早すぎる……」


 まぶたを閉じた瞬間寝られる、というのは探索者にとってはかなり有利な特技だ。それを少し羨ましいと思う反面、『神の寝付きも爆速なのか』という謎の命題が脳裏によぎって微妙な気分になった。


「……僕も寝よう、明日も早いですしね」


 浅い寝息を背景に、彼もベッドに潜り込んでうぬぬと眠りについた。

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