04-01-06:門番兵舎と芋のパイ
遠くに煉瓦の高い壁がみえる。門扉は贅沢にも鉄柵で作られた贅沢な品だ。巨大な金属を鋳造するとなれば、如何程の技術と金が掛かるのだろう。
貴族というのはさりげなくその財を自慢すると言うが、確かに見上げる程の鉄柵門は圧巻である。
ふとステラはシェルタに振り返った。
果たして彼女の覚悟は出来たのだろうか。領主館にたどり着いた今、真価が問われ――
「また抜け出して、一体何方にいらしたのですか! サビオ様が大変心配しておられましたよ!」
「ひっ」
――る前に門番に発見される。やはり大事になったいたようだ。大慌てで駆け寄った門番の視線に慄き、彼女はシオンの影に隠れてしまった。
厳しい目線がシオンを射抜き、携えた槍をぐっと強く握りしめる。
「貴様等は……
「いえ、
「ヴァイセか! いや、それより保護とは……?」
「
主張は門番のひと睨みでひっこんだ。門番でこれだ、シェルタの本番は一体どうなることか。2人は同席出来ないが、気絶の1つも覚悟するべきだろう。
「先ずメディエ様はこちらへ。おいお前ら、お連れしろ!」
「ま、待っ、ひやあああー!」
部下の兵士達は非常に訓練された動きで彼女を捕獲すると、悲鳴はあっという間に遠ざかっていった。およそ貴族令嬢の扱いではないが、逃げ出して死にかけたとなればなりふり構うことも出来ないだろう。
「さて、事情を説明してもらえるだろうか?」
「ええ、勿論です。宜しくお願いします」
「お願いしますよー」
シオンが物腰柔らかに頭を下げると、門番の目つきが変わった。彼の作法は異国とは言え貴族のものだ。少なくとも高貴な者の出である事は間違いないと睨む。
だが隣のステラを見て詰め所に震撼が走る。
彼女の死角で同僚はハイエルフを示す符丁を打ってきたのだ。おかしい、正門の連中は何をしていたのだろう! 門番の胃がきゅっと痛みを訴えた。
いや、まだリカバリーは可能な筈。少し時間を取って対策を――
「シオン君、兵舎で話を聞くときは、尋問部屋みたいな部屋を使うのかな」
「だと思いますが……普通の部屋じゃないですかね?」
「そうなのか? でもまぁ兵舎なんて余り見ることはないし、楽しみだなー! なら門番君よろしくね!」
にぱっと笑顔で退路を塞がれたのである。
◇◇◇
聴取を行う部屋とは、なぜこうも渋いのだろう。
傾いた日が窓から差し込み、ただでさえ薄暗い部屋に極端な陰影を生む。場にいる人物も同じように照らし出され、まるでサスペンスのワンシーンのようではないか。
否応なく溢れ出る緊張感は隙あらば心の隙間を突き、潜めた悪行を詳らかにしてくれるに違いない。
勿論使い方を誤れば悪逆の巣窟と化す危険な領域であることは間違いなく、聞くも聞かれるも強く心を持たねばならない。
ステラが手元のカップを手に黒い液体を啜る。
香茶と呼ばれる飲み物はコーヒーに似た、ブスカドルの一般的な嗜好品だ。
含む一口はほろ苦く、少しの酸味とフルーティーな甘みがどこか懐かしい。くゆる湯気が陰影に溶けて、真実と虚偽の間を揺れ動いている。
2人を問うのは門番のケリー氏だ。ゴリラ獣人の彼も手の香茶を傾けると漆黒の頬が少しだけ緩んだ。苦味を支配し克服した者の余裕がそこに滲み出ている。
ステラの脳裏に『素晴らしき上司』『嗜好の鍵』『最大のM』などの単語が踊った。特に最後のMに惹かれるのは何故だろう、いつかこの
さらに紫煙の1つもあれば完璧なのだが、流石に職務に忠たる兵士諸君。気を使って嗜むことはしない。全く紳士しか此処には居ないというのか。
おおなんということだ、ここに来てハー度もボイル度も最高潮を示しているではないか。
「フフフ……」
「……?」
となればもう場自体が事件の前触れに違いない。
もはや殺人事件の1つ起きたとておかしくはない。と言うか密室とかそんな感じの奴が起きているに違いない!
「……ステラさん、為念聞きますが今の件をどう思います?」
「ああ、ワトスン。これは難解な殺人事件だよ……」
「わと、なんですって?」
シオンが顔をしかめ、ケリーは唖然と彼女を見た。なる程めいすいりが過ぎて付いて来ていないようだ。宿の刑事としては頼りないが、ともに旅をするには相応しかろう。
「……その犯人とやらは見つかりませんが、間抜けは見つかりましたよ?」
「ほう! それは一体誰だって言うんだ?」
彼は間髪入れずにステラを指差した。
「それは貴女だ、ステラさん」
「なっ何?! 何を証拠にそんな……小生何もやってないぞ、アリバイだってある!」
「なら今ケリーさんとした話の内容、答えられますよね?」
「……」
「…………」
顔をそらして口笛をふこうとしたが、シオンの恐るべき爽やかスマイルがを許してくれそうにない。ここで認めないと、本日2度目のゆうごはんピンチ担ってしまう。
「す、すいあえん完全に香茶とか雰囲気に現を抜かしてました……」
「分かればよろしい」
「ふぐぅ……」
しょんぼりしつつも手のカップは話さずちびちびと飲む。貴重な美味しい香茶となれば、大事に飲まざるを得ない。
香茶という飲み物はコーヒーのように豆をローストするのだが、産地や火加減で味が千差万別になる。ステラもブスカドル国に訪れて何度か飲んだが、大体が煎り過ぎていたり、酸味が強すぎたりと満足の1は無かった。
半ば諦めた中で現れた思いがけない出会いに、テンションがあがらぬわけもない。ただ有頂天に斜め前に進んでしまっただけである。
「……なんというか、強烈だな?」
「飴玉の1つで解決する程度ですけどね」
「はは、面白い冗談だな」
ケリーが幸せそうに香茶を啜る彼女をじっと見つめる。ハイエルフらしからぬ有様はなんとも微笑ましく、傲慢ちきな同族とは全く思えない。
くぴっと最後の一滴まで堪能した彼女はふはーと至福のため息をつき、ほわほわんと笑顔を浮かべて二人に向き直った。
「で、なんの話だったかな?」
そして切り替えの速さである。頬を掻くシオンはまとめの意味も込めて説明をする。
「簡単に言えば……僕らがここへ来るまでの経緯をざっくり話しました。
またシェルタ様については時間がかかるため、今日のところは宿を紹介してくれるとのことです」
「あれ? こういう場合、屋敷にご招待とかしないのか?」
苦笑いするケリーがゆっくりと首を振った。
「スマン、少し立て込んでいてな……。部外者を入れるわけにはいかんのだよ。
かわりに俺の弟がやってる宿を紹介するから許してくれ。タダとはいかんが割り引きはしてくれるはずだ」
「その宿って……ご飯は美味しいのかい?」
「おう、義妹のテルテリャ・ウースは絶品だぞ」
ステラの目がキラリと光る。
テルテリャ・ウースとはこの地方ではよく食べられるテルテリャ芋のパイだ。小麦粉の生地をつかった包み焼きなのだが、ご家庭ごとに味付けが異なりレシピもまた違う。テルテリャ・ウースを上手く作れる女性は料理上手の証として非常にモテるため、国中の女性は研究に余念がない。
赤ら顔の男たちが語る『テルテリャ・ウースと結婚した』は定番の惚気言葉として有名だ。続く言葉で如何に嫁の料理が美味いかを語るのである。
また悪い意味でもテルテリャ・ウースは使われう。『テルテリャ・ウースは星を見ない』といえば蛇足に相当する慣用句だ。この世界にもスターゲイジパイが存在するなどステラもびっくりだ。
そんな郷土料理のテルテリャ・ウース、ありふれたが故にお勧めとあらば否が応でも期待せざるをえないのである。
「そこって暫く定宿にできますか?」
「ああ、問題ないと思うぞ」
「じゃあ晩御飯は決まりだな! ヤッホゥイ!」
既にじゃばじゃばのよだれが出ているステラが拳を振り上げ立ち上がる。もはや誰にも歩みを止めることは――。
「あ、すまないが仕込みが必要だから今日は無理だぞ?」
「えっ……」
「時間も夕方ですしねぇ。今からは難しいでしょう」
「あっ……」
途端瞳が濁る。まばゆい陽気が一瞬でしぼんで、ぽすんと椅子に座り込み、両手に手を当てテーブルに突っ伏した。心なし嗚咽が聞こえるのは木のせいではあるまい。
あまりの落ち込みぶりにケリーは慌てるが、シオンは懐からひょいと小さな宝石を取り出した。
「ステラさん、飴舐めます?」
「……なめる」
顔を上げたステラが口をあけ、そこにぽんと放り込めば、みるみる内に笑顔が蘇った。
「ね、飴玉1つだったでしょう?」
宣言通りのチョロ様に、ケリーは尊敬の眼差しで彼を見つめるのだった。
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