04-01-02:未熟な剣士と眠れる神剣
「くっ、くるな! くるなーー!!」
その剣士は小柄な身体を木に預け、
緑の髪の奥、橙の瞳からぽろぽろと涙をながし息は荒く、端正な顔立ちは涙と鼻水でグチャグチャだ。履いたズボンからは小さく湯気を立ち上げている。
だが眉をひそめる者は居ない。
その無様が心底嬉しくてたまらない者しかここには居ないのだから。
「プギュゥ!」
鳴いたのは豚の頭をした巨躯である。手に携えるのは赤黒いシミと、毛のような物がへばりつく棍棒だ。俗にオークと呼ばれる魔物である。
合図を以て、些末な棍棒を持つゴブリン4匹はジリジリと剣士に詰め寄った。
「ゲギギギギ!!」
「ギュゲァ!」
剣士は魔物の言葉を解さないが、しかし暗い願望は濁る目に宿った光で十二分に察することが出来る。
予見される危機に必死に足掻こうとするのだが、しかし剣士には100に1つも助かる見込みがない。今剣士が生きているのは、偏に愉しむための前戯に他ならない。
「ゲギャアア!!」
一体が我慢ならぬと高く飛びかかり、剣士は引きつる声をあげて緑の悪魔を見る。宙を駆けるように動くゴブリンがゆっくりと此方に向かってきて、だからこそ剣士は全てを目撃することになった。
「あ……」
ねじれ模様のひし形の石がゴブリンの頭蓋へとまっすぐ突き刺さり、ねじり込むように潜っていく。これはストーンアロー? 土に属する基本的な攻撃魔法であるが、見た目以上の威力が秘められていることは確かだ。
押し出されるように黒い目玉が半分飛び出して、黒い眼球が剣士の顔を映し出す。穴を中心に裂け目が幾多も走り、皮をむくようにめくれあがる。
やがて螺旋に巻き込まれるように斜めに広がって、一度くしゃりと内側に引き込まれてから赤い花が咲いた。
「ひ」
悲鳴は誰にも聞こえることなく、ただ一つの爆音に覆い隠される。
「あ」とも「お」とも聞こえる咆哮だ。明確に『止まれ』という意志を込めた魔法の叫びに、思わず両耳を押さえてうずくまる。無事だったのはただオーク1匹だけで、それ以外は得物を取り落として動けずに居る。
暴力的な音が止めば、次に黒い風が飛び込んできた。
風は一条の銀光を伴い、目にも留まらぬ速さで奔る。剣士の目にはただ美しい流線と黒しか見て取れない。
やがて止まった風はひゅんと剣を振りはらう。うずくまるゴブリン達は仕草の意味を理解できなかった。
だから焼ける熱を喉に感じたとき、一体何が灼熱するのか理解できず。
思わず掻きむしればぬるりとした感触が一瞬だけ手に帰り。
首を傾げようとしてころりと地面に転がった。
4つの首なし従者に傅かれ、風は静かに構えて凪となる。曇りない切っ先はぴたりとオークの醜い鼻へと向いていた。
「プギュルエエ!」
オークが風に向かって構えた。手の凶悪は踊る風すら一撃で屠るに事足りる呪いが見て取れる。幾多の血を啜って恨みを積み重ねたが故に呪具となった棍棒だ。オークが絶対の信頼を寄せる相棒は、一度振るえば全てがくしゃりと解決する。
にやりと笑うオークに対し、風が浮かべるのは憐憫だ。しかしオークはその意味を理解することはないだろう。
頭上より飛来する魔法の槍はオークの肩口から勢い良く侵入し、尻から抜けて地面へと突き刺さった。
「か、ぷキュエ?!」
槍は石でできていた。
縫いとめられたオークが混紡を取り落として身をよじり、槍を抜こうと掴むもびくともしない。それもその筈、槍は大樹のように根を張っているのだ。幾ら掴み揺すった所で抜くことはできない。
また壊す事も不可能だ。綿密に織られた魔力は剣士をして美しいとしか言いようがない。もはや痛みにうるさく泣き喚く豚となったオークは、故に視界に黒の風が来たるのを直前になるまで気づかなかった。
「キュ、プァ!」
きっとやめろ、といったのだろう。だが眼窩へまっすぐ突きこまれる刃は、プティングでも切り取るように頭蓋の中へと滑り込む。半ば埋まる剣をギリと捻じれば、歪な脳はひき肉のようにかき混ぜられた。
オークはけぴ、かぱ、と音にならない悲鳴を叫んだあと、ビクリビクリと失禁しながら絶命した。
◇◇◇
シオンが強烈なアンモニア臭に顔を顰めつつ、剣を収めながら振り返る。木の根元では
「あの……大丈夫ですか?」
しかし剣士は押し黙って応えない。唖然とシオンを見てピクリともしないのだ。慌てて近寄って顔に手をかざすも反応しない。
「あー、気絶してる……ちょっと衝撃的すぎますしね」
その衝撃的処刑技を行ったハイエルフが笑顔で手を振り駆けて来た。
「おーいシオンくにゅっぷぇっ?!」
「ステラさん?」
ステラは突如足をとめ、両手で鼻をつまんで涙目となった。
「なんっ、こぉゔぇあっ! くっ、臭っしゃ! 臭っしゃい!」
「だ、大丈夫……じゃ無さそうですね」
「に゛ゃん、こっ、うおおあっ、くおおお……っ
「うわあ!!」
風速20メートルの
踏ん張れない何もかもがコロコロと転がって、風下へと追いかけっこを始めるほどだ。
「ステラさーん!
「ふぁっ?!」
声に気付いてステラが
「う、その、ご……ごめんよ」
「いえ……強烈な匂いでしたしね、仕方ないです」
しょぼくれるステラの欠点の1つが、ハイスペック故に知覚に過敏である事だ。ある程度の慣れはあるのだが、突発的な刺激にめっぽう弱い。
「す、すぐ直すからちょっとまって」
上着のポケットから取り出した銀の櫛で、シオンの乱れた髪を整える。この櫛はシオンの母が亡くなった時に、形見分けとして彼女が貰ったものだ。ちょっとした魔道具になっていて、梳れば髪がさらさらになる機能をもった優れものである。
常に最善を保つステラの髪ではその真価を問う事は出来ないが、しかし梳る感覚は存外心地よいので重用している。
この櫛でさくりさくりと梳るとなれば、くしゃくしゃの髪もあっという間に元通りだ。
「よっしできたー。男前だよシオン君~」
「お世辞は結構、それよりさっきの子を助けましょう」
「男前はホントだがなぁ?」
頬をかくステラを伴い木の根元で倒れる剣士……が居ない。慌てて見回せば10メートルほど風に飛ばされた剣士が、形容し難い難解なポーズで地に横たわっていた。強いて言えば……ねじれた失敗作のはにわである。
慌てて駆け寄り仰向けにして脈を取れば浅く鼓動が返ってきた。助けたトドメがステラの魔法となれば寝覚めが余りに悪すぎる。
シオンがかるく診断した結果、目に見えるのは最初にあった足の怪我だけのようだ。
「……剣士ちゃんの傷は、やっぱ普通に治療するの?」
振り向くと剣士のレイピアを抱えたステラがシオンを覗き込んでいる。
「そのつもりですが……まさか回復するつもりですか?」
「あー、その……傷が残らない程度にでいいんだけど~」
ステラが提案している回復魔法は使い手が稀有であり、公開するには危険な能力だ。探索者でも使えるものは居るが、基本的に公示することはない。
勿論心象魔法を使うステラも同じで、建前上
だが今寝転がるのは剣士の身なりは非常に良い。鎧も軽量の
「だめかい?」
「……安価なポーションを使った程度に収められますか?」
「っ、いいのかい?」
「ただしちゃんと普通の手当てもすること。良いですね?」
「勿論だとも!」
剣を側に置いて嬉々としてステラが治療に取り組み、その手際を見る。
治療魔法が使えるという事実は、転じて治療機会を逸すということでもある。積極的にタイミングを見つけなければ、手当てを練習する機械も無い。
とはいえ教えたことは覚えているようで、たどたどしくとも問題なく出来ているようだ。
頷いたシオンは一度離れて、残されたゴブリンやオークの討伐証および魔石を抉り取ることにする。とはいえ頭は風に飛ばされて転がっており、茂みに隠れて幾つかは見当たらない。
仕方なく残った胴体を捌いて、心臓近くにある小さな魔石を取り出していく。
オークの討伐証は特徴的な豚鼻である。他にも皮や睾丸が売れるのだが、ステラの槍が見事に一物を刺し貫いていた。糞尿に降り混じって白いぬめりが混じるのは生存本能故だろうか、全てが混ざりあう故に非常にキツい臭いを放っている。
これでは売り物にならないだろう。オークも売れるのは魔石と討伐証だけのようだ。
「
鼻をつまんだステラがそよ風(強)を纏ってやってきた。
「ならすみませんが穴を――」
「ファッファファ!
ぱちり、と指を弾くとゴブリンとオークの体がぞぶりと大地に沈み込んでいく。まるで大地が魔物を喰らっているような様にステラを見返すと、彼女は鼻をつまみながら親指を立てていた。
やがて汚臭ごと飲み込んだ地面は耕された農耕地のようにふかふかになっていた。此処に木の種でも植えればすぐに芽を出し大きくなるだろう。
「っふぁー臭かったぁ〜……。もうあれよな、穴掘って埋めるとかナンセンスだよね」
「だから埋まってもらったんです?」
「さっすがシオン君、話が早いねぇ!」
どちらがナンセンスかといえば確実にステラであるが、これを日常的に目にしていると流石に慣れてしまう。ちなみに詠唱魔法で言えば上級の〈サンドウォーム〉という魔法に相当し、とても指を弾いて発動できる代物ではありえない。
「さて、そろそろ御暇しましょう。
オークが出るとなれば、他にも居ると見たほうが良いでしょうし」
「それは面倒な……」
眉をしかめて頷きあうと、ふとシオンから女性の声が聞こえた。
『――剣士シオン、お待ち下さい。1点報告があります』
「「?!」」
それは彼の鎧の下に隠された金色の六花結晶のペンダント。
滅多なことでは喋らず、また必要な時に必要なだけ言葉にする
「――どう、しました?」
『剣士シオン、V.O.R.P.A.L:イェニスターを確認しました。しかし全てのアクセスを拒否し、
「「……はい?」」
ぽかんと目を見開いたあと2人が目を合わせる。一行の目的は世界に7つあるヴォーパルの剣の座所を巡り、魔獣ジャバウオックの再臨を確認することである。
イフェイオンは
そのため直接現地を確認する必要が発生し、シオンがその調査依頼を受けた形となる。最初の一歩としてウェルスへと向かっていた。
「その、どこにヴォーパルの剣があるのですか?」
『巫覡ステラの足下です。間違いありません』
「え? ってことは……これじゃなかろうな?!」
ステラが拾い上げたのは剣士が使っていたレイピアだ。
イェニスターは鈍く光る刀身を持って、鍔には小さく黄色の花を模した結晶が埋め込まれている。ただの剣と言われれば納得であり、嘗てイフェイオンに見た燐光は一辺たりと見当たらない。
「……ちょっと見てみるか?」
ヴォーパルは総じて
ステラの得物たるグラジオラスはヴォーパルではないが、星鉄でつくられた武器であり、少女の人格を持ってステラに仕えていた。普段は触れるだけでちょっとした感情の感覚を聴くくらいなのだが、より詳細に知りたければ、魔力を通す事でより直接的な疎通を行うことが出来る。
イェニスターも星鉄の武器ならば同じように意志を交わすことが出来るはずだ。いつもと同じように、しかし探るように少しだけ流し込む。
はじめは拒絶するようなそれも、受け入れを待つように滞留すれば……やがて抱く感情が溢れるようにステラを貫いた。
それは深い諦観。
何かに絶望し、諦め、目を閉じたという悲色である。一体イェニスターに何が起きたというのか、閉じこもる彼女の訴えはすぐに閉じてステラを拒絶した。
ごくりとつばを飲んだステラは目を凝らして刀身を伺う。すると魔道具を示す白い
この特徴はシオンが持つイフェイオンと全く同じものだ。
「うへぇ、マジでヴォーパルだ……何でこんな所に」
「あの『あくせす拒否』というのはなんですか?」
「何もかも嫌になって通り閉じこもっているってことだ」
『巫覡ステラの認識でよろしいかと。
よって
イェニスターが
2人が顔を見合わせる。シオンは眉を八の時にして、ステラは口をひきつらせた。
「ち、ちょっとヒントが欲しいです……例えば自閉に陥る基本的な原因とか」
『V.O.R.P.A.Lには特性を示す権能が設定されています。
それが著しく侵された場合、
「権能、ですか? イェニスターの場合のそれとは……」
『V.O.R.P.A.L:イェニスターは『清潔』の権能を持ちます。また担い手には謙虚であることを望みます』
「剣士ちゃんが何かを驕っていると言うことか?」
『
剣士[名称未定義]の問題を解決することで進展が見込めるでしょう』
それきりイフェイオンは沈黙し、困り顔の2人が横たわる剣士をみた。
「……中々ハードな課題をもらっちまったなぁ、シオン君」
「うーん、どうしたものでしょうねぇ」
顔を見合わせる2人は前途多難を想起して同時にため息を付いた。
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