03-16-06:レサルフラーレ/追跡野伏
神殿都市を出て下山し一夜明けた街道、その途中の林の中にそれは居た。身を潜める2人はステラの
「……待ち伏せじゃん?」
装備は均一、掲げるは不相応なるレファラの花。陣取るのは黒い騎士と丸い少年である。勿論騎士に露見される事を恐れて注視はせず全体を俯瞰するように見ている。
彼等は街道沿いにいつもの黄金宮車を置いて、それを中心に30人程度が哨戒しているようだ。ある意味関所の様に設けられた陣所であり、これを突破するのは一筋縄では行かないだろう。
「……ちょっと早すぎますね」
「情報がリークしてんじゃないか?」
「まぁそう、なんでしょうが……」
シオンが苦渋に眉根をひそめる。仮にそうだとしたらリークしたのは……。頭を振ってそのイメージを振り払う。
「っていうか、相手の狙いは明らかに我々だぞ。剣を取りに行ったことも筒抜けらしい」
目を閉じて意識を集中すれば、か細いその話し声も断片ぐらいは聞き取ることが出来る。曰く『女』『シオン』『探せ』『剣』『ドゥフフ』であり、大体やりたいことは推測できる。特に笑い声など文字で見るにはそうでもないが、実際耳に聞くと背筋が凍るのだ。
必要ならまだしも、まだ
「このまま迂回する場合、林を超えて森を経由する必要がありそうだぞ」
「ええ、分かってます……」
広く展開した哨戒布陣は些細なものも見逃さない。また比較的見通しのいい林であるため、迂回するには大きく距離を稼がねばならない。そうするとステラが言うとおり森を差し掛かることに成り、魔物との戦闘が余儀なくされる。
また結果的に迂回できたとしても、迂回していると判断されれば街道を後退して再度布陣を敷けばいい。迂回することで掛かる時間は、相手にとって理にしかならないのだ。
「ひと当てするのもいいけど、多勢に無勢だよな」
「……それにあの騎士は荷が勝ちますよ」
兵士はあの日見た素行が悪そうな者がほとんどであるが、30人と対峙するのはやはり容易ではない。曰く『囲んで棒で殴る』とは非常に有効な戦術であり、これを突き破るサトゥー=マの加護を2人は受けていない。
なにより
「あの騎士って一体何なんだ?」
「……すみません。僕に剣を教えてくれた人ですね」
「剣の師匠か……成る程なぁ」
確かに立ち振舞いが似通っている。以前に感じたデジャヴは師弟ゆえであったようだ。
「仮にシオン君が戦って勝てる?」
「無理ですね」
「じゃあ回避するか、別の手を打つ必要があるな」
今この場にいる限りは見つかることは無いのでじっくり考えられるが、こうして居るのも千日手。何か案を思いつく必要がある。
「……作戦は3つ、かな?」
「なんでしょうか」
シオンが神妙な顔でステラの目を真っ直ぐ見る。
「1つ、正面から突っ切る。ブルンブルーン! うなれエンジン、俺は
「凄いダメっぽいですね」
「1つ、大きく迂回する。くおっ~~! 森に打つかるゥ~!! ここで
「実演しなくていいんですよ?」
「1つ、正面からすり抜ける。わあっ♪ サラマンダーより、ずっとはや~い!!」
「何故かイラッとしますねそれ」
シオンが呆れた顔でステラの顔を責めるように見る。
「もっと真面目に考えて下さいよ……」
「いや、超真面目だよ? 具体的には3番目でファイナルアンサーだとおもう程度には」
「はい?」
何を言っているんだと首を傾げると、ステラは悪戯が上手く行ったようにニヤリと微笑んだ。
「シオン君……小生はサラマンダーよりずっと速いんだぜ?」
その笑みに薄ら寒い何か頷いては行けない感覚を得たのだが、事情が事情故に思わず頷いてしまったのだった。
◇◇◇
頷いたことを彼は後悔した。
「フォオオオオオ!! 最高の気分じゃあないか!!!」
「――――」
突き抜ける暴風の轟音が耳に痛い、だがシオンの背に密着するステラは蝶★サイコーにごっきげんだ。何が楽しいのかシオンにはさっぱりわからない。
「シオン君どうだああ?! 気ン持ちいいだろーーー!!」
「――――」
シオンには答えられない。というより身体が固まって動かない。僕は石僕は石僕は石僕は石と催眠を駆けるかのごとく暗示で乗り切る。というか乗り切らないといけない。
「空ってったぁぁのしぃいいいいいい!!」
「――――」
そう、飛んでいるのだ。
ステラがシオンをギュッと抱き締めて、見たこともないほど高い位置に居る。つまり足が地についていないのである。最初はやわぽよい2つの丘が背中にギュッと押し付けられて気恥ずかしさでたまらなかった。身体年齢はまだしもシオンは25の男、これはあまりにつらい……等と飛行体験の10秒前までは思っていた。
「ちゃんと口閉じてね? じゃあいくよぉ~、
一瞬の浮遊感の後とんでもない勢いで下に押し付けられる。ステラが抱きしめる胴体から骨の鳴るミシミシという音を聞いて無意識に〘フィジカルブースト〙を発動。加速に驚いたステラがなお一層抱きしめて、その柔らかを如実に感じるがそんな事より風圧がすごい。
一体いつまで堪えればいいのだ、目をつむってぎりりと歯を噛んで耐えること少し。無限にも感じる時の後でようやく圧は止まった。
「おし、上空到着。風防はもっとカスタムできるな。だいたい3kmなら乱気流もあるだろうし」
「……?!」
声を上げる事もできなかった。目の前に広がる全ては小さく、蒼と黒のグラデーションが見える。森の緑と平野の新緑が広がって、街道を堺に塗り分けたように色分けされている。
ところどころ人里らしき家の固まりと、畑らしき茶色がいくつも見える。ふと足元を見れば見慣れた白い尖塔や街並みが広がっており、当然のように
「すっすてらさんじめっ、じめっんないっなっ、ない」
「あ、君高いとこダメなのか……。じゃあちょっと待ってーねっ!」
「ひあっ」
フワッと持ち上げられて無重力を味わった後、彼の視界は真っ暗になった。同時にふわっと嗅ぎ慣れつつあるミルクの匂いを感じる。ふわっと頬に触れる柔らかさと暖かさは――。
そんな事より『フワッ』が死ぬほど怖かったので、シオンはそのままがっしりと細い腰をホールドした。足も使ってもう二度と離さないフォームである。町中で見かければ衛兵出動待ったなし、確実に牢屋行きのセクハラ状態である。
しかし堕ちるよかァずっとマシだ。抗議するやつはこの有様を見てから言えばいい、そうして勝手に落ちてしまえばいいのだ。シオンは死にたくないので震えながらしがみつく。
「じゃ、ちょっと我慢してね。GO AHEAD!!」
「――――」
この頃からもうガチガチに固まったシオンはピクリとも動いていないのだが、それに彼女はさっぱり気付いていない。暴風の叩きつける音が耳に響いてキンと痛い。不思議と向かい風は殆ど無いし、寒さも感じないのは彼女の魔法故だろうか。
「ビューン! とトンでくすーてら~♪ まほうつ~かいィ~♪ イェア~♪」
謎の歌を歌いながら、ステラは空を飛んでいった。
◇◇◇
「……」
「し、シオン君大丈夫か?」
「ええ、だいじょうぶ、です、はい」
膝が絶賛大爆笑のシオンは、この世に大地が存在することの意味を知った。その点地神イデアって凄いよな、だって見渡す限り地面作ってくれるんだもん。今なら地面にキスする無様さえ光栄なことに思えた。
既に対象との距離は5km程先行する位置にいる。こうなるとすぐには追いつくことはないだろう。
「うーむ……しかし
「しっ、しかし、いつ戻ってくるか、わっ、わかりませんよ?」
「なら要は遅滞トラップでも仕掛けりゃいいんだよな?」
「それは、そうですが……勿論街道にトラップなど仕込めば犯罪です」
「トラップじゃなきゃいいんだろ?」
そういうステラが自嘲するように笑い、泣き笑いでシオンを振り返った。
「……おくのてがありますの」
「奥の、手……? それは一体」
「うふふ、わたくしにおまかせあれ、ですわ♪」
「なんか人格が違いますよ?!」
カクカク震えるシオンがビクビク震えるステラに手を伸ばす。だがビリケンさんの呪いに掛かった膝は言うことを聞かない。そろりと2剣を抜いたステラが銃を構えるようにグラジオラスを前に。ロスラトゥムごと柄をホールドするように握る。
丁度太極が手の内で生まれたような格好だ。
「
ロスラトゥムの逆刃がしとりと濡れて水弾のストックと成る。以前は一々
「フルオート、
撃ち出す軽い衝撃と同時に水球が飛翔する。有効射程距離は10mだが、今回求めているのはこの『水玉』そのものだ。地面にあたって弾けるそれを、通路に広く散布するようにばらまいている。
これはもう
「ステラさん、一体何を」
「ごめんあそばせ! ここからがしょうたいむですわ!」
「あっ、それまだ続くんです?」
「こころをつよくもつひつようがありますの」
「えっ? はい……?」
そんなステラに困惑しつつ、彼女は鞄から手のひら大の陶器の瓶を取り出し振りかぶった。
「オドルアアアア臓物ぶち撒かんかいィ!!!」
「最後だけごんぶとすぎません?!」
腰の入った強烈なピッチングでしゃばしゃばになった街道の中央で、それは弾け割れた。同時に中の黒い結晶が砕けて水の中にぱしゃりぱしゃりと落ちていく。
変化は一瞬である。
ごぽりと水面が黒く変色して波打ち、黒い触手がずぶりと持ち上がった。それが1メートルほどの高さに持ち上がると先がぴしりと割れてべしゃりと回りに倒れていく。そこから侵食する様に水気を求めて菌糸を伸ばしていく。
「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」
ステラが謎の八尺音波を発しつつそのさまを見守り震える。あっという間に伸びていく菌糸はステラの足元まで迫っているのだが、余りの恐怖に足がすくんで動けないのだ。だが水のないここまでは……そして見てしまった。
「ぽぽぽ?!」
ステラの草臥れたローファーに……魔法の水が引っかかっていることを!!
「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ!?!?」
こうなってはステラすら捕食対象である。グジュルグジュルと亡者が手を如くステラの足元へと迫り……。
「ぽおおおお?!」
急に背中にひっぱられて後ろに倒れる。硬い石畳に尻餅をついてしまうが、菌糸はもう追ってこないようだ。
「大丈夫ですか?」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…ハッ……ハッ………ハッ………きゅう」
かくんと操り糸が切れたようにステラは後ろに倒れた。勿論頭を打たないようシオンが咄嗟に支えて事なきを得た。そしてステラが成したその成果を見回し深くため息を付いた。
「……ああ、たしかにこれは通れないですし、説明のつけようがない」
一面の黒いぬめてかる平原と成っていた。一部はごぽりと泡立って……小ぶりのアムル・ノワーレが顔を出している。
「これだけ広範囲に菌糸が蔓延ると、少なくとも馬車が通れないですね」
このぬめりをシオンは知っている。ブーツ越しとは言えこの上を歩いたのだ、生半可なぬめりでは説明がつかない程ぬめるというのは体感済みである。そしてこの上を馬車……正確には馬が通ることが出来ないだろう。ひづめでこのぬめりを上手く超えるには、繊細な力加減が必要だが……すべての馬が同時に加減できるかと言えばその限りではない。
同時に林を通る選択は取らないだろう。枝打ちされていない木々が擦れて馬車が破損する可能性がある。仮に突っ切るとしても、壊さないように至極ゆっくり動くことに成り、遅滞効果は十分に発揮される。
もしそのまま通過するために撤去しても難しい。モップの1つもあればいいだろうが、そんなものは積んでいないだろう。となると手作業に成るが……手探りで退けるには余りに粘性が高い。遅々として作業は進まないだろう。
結果兵士諸君はくんずほぐれつレーティング・ワン=エイトやむなしである。
ここで馬車を捨てる、或いは追跡部隊を別途切れれば大器とも言えたのだが、あの少年はそれができない。つまりこれ以上手がない以上、少なくとも事が終わるまでに追いつく事はない。
「さらに足がつかないのも良いですね。彼等はアムル・ノワーレが繁殖可能なんて事実知らないですから」
何らかの関連は疑うかもしれないが、不可能を可能とした事実を受け入れるのは中々に難しい。植生が明らかでないキノコであることも一因だ。
勿論研究者が見ればひと目でおかしいことは解るだろう。その場合でも『おかしい』確定するのは数年後の話になるだろう。
「さて……おーいステラさん起きてくださいよー」
バッドステータスを解消したシオンは、何か恐ろしいものを見て固まる顔のステラ見る。黙ってれば美人とはまさにこれかと思いつつ、眠りから呼び戻そうと肩をゆらゆらと揺する。
「ヒッ、ウミボウズ!!」
「なんですそのヘビっぽいものは」
「ゆ、夢か。恐ろしい腐海を見た気がするよ。
寝ぼけるステラの頬をぺちりと叩いてシャッキリさせると、2人は来たときと同じように街道を駆け出した。
なお遅れること数時間、夕方に帰路を急ぐヴァルディッシュ一行はぬるぬるプロレス乱交勝負で深夜まで足止めされることになる。余りの有様に馬鹿なゴブリンも襲撃を控えたその様は、森の怪として長くソンレイルの街に言い伝えられることになる。
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