03-15-03:シャトー・リフラクタ/部屋の認識
ステラは馬車に揺られていた。
シックで嫌らしくない真っ当な外見の馬車には、小さい葉の蔦と
カーテンの隙間から見える車外の景色は、大きなお屋敷ばかりの見慣れぬ街並みだ。ここが同じソンレイルの街なのかと疑問に思うほど、この場所は何もかもが違っている。
(流石は貴族街、ってとこか)
いわゆる上町と呼ばれるソンレイルの中核部である。
(ふーむ。然し馬車って思う程揺れないんだな……)
勿論生前の自動車の程ではないが、気になるほどの揺れは感じない
所謂サスペンションが組み込まれているのだろうか。それが板バネなのか、コイルバネなのか、はたまた魔道具的なものなのかはわからない。
殆ど連れ去られる様により乗り込んだのだ、それを確認する暇はなかった。
(やれやれ、これではシオン君の『仕事』とやらも甚だ疑問だなー)
あの電撃的な呼出しはステラを狙うためのものだろう。でなければ彼女がこの馬車にのる理由にはならない。
(ハシントさんには心配をかけてしまったなぁ)
それに歯噛みしつつ、そうして先程までのやり取りを思い返す。
◇◇◇
「我が主、マントゥール様よりお茶会のご招待でございます」
突然訪れた執事服を纏う使者……ステラに用事と呼び出した小麦の毛色をしたイタチ属獣人の男は、ニヤニヤと笑いながらそう切り出した。
何のことかさっぱり解らず首を傾げると、これに同席したハシントが毅然と抗議した。
「お待ち下さい。ステラ様を、とは如何なる理由でしょうか。公爵家と何ら関係も無く、理由もございませんでしょう。先触れもなく一体何のつもりなのですか?」
それに対して使者は一言、
「所詮銅級の探索者でしょう? 選ばれたことを光栄にお思い下さい」
とピシャリと断じる。非常に暴力的だが事実として正しい。銅級は完全に試用期間であり、また身分としても見習い以前の階級である。人権も何もあったものではない。
またアルマリアは貴族家ではないため食客としては守れても、権力そのものから身柄を保護することは出来ない。何よりアルマリア家は公爵の直接的な庇護下にあるのだ。
公爵家名義の呼出であればそれを断ることは出来ないし、また直接的な上下関係があることから『呼んでやる』のが正しい態度だ。
故に先触れも必要がないし、使者が馬車を持ってきただけ有情であると言えよう。
「さあ、夫人がお待ちです。お早く」
その白々しさにステラの笑顔が引きつる。ハシントが使者そのものに警戒しているのに反し、ステラはまた別の視点で脅威を見取っていた。
仮にステラに1人であれば如何様にも出来るだろう。心象魔法はステラに自由の粋を齎してくれる。
だがステラを守ろうときゅっと手を握りしめたハシントや、厨房で今日の献立を考えるヴァグン、或いは姿の見えない庭師のデルフィはその限りではないだろう。
全てを護りながら撃退することは不可能であるし、また撃退できたところで次がない。
(いやらしい……)
こうなると強硬に出ることはできなかった。暴力で解決できない山賊、いわばヤクザモノの対処など今のステラに出来ようもない。
ステラはふぅ、とため息を付いて満面の笑顔でハシントに顔を向けた。
「やあ、ハシントさん。お茶会の呼び立てならいいじゃあないか。それだけだよね使者殿?」
「左様でございます」
「くしくもマナーを覚えた直後でね、失礼がなければよいのだが。許されるかな」
「問題ございませんとも」
「それは本当だろうね? 無礼討ちなどされたら堪らんよ」
「ええ、奥様は懐の深い方ですので」
「くらくなる前に帰れるなら往こうじゃないか」
「承知いたしました」
それにステラがうむと頷くと、そのハイエンドアイが厭らしく嘲笑う一瞬を捉えた。故にぴっと指を立てて最終質問する。
「最終確認だが、それ以上ではないのだな? 破ったら針千本だが」
「ええ、もちろんですとも」
「なら宜しい」
「ステラ様?!」
「大丈夫だよ」
フッと笑って答えると、ハシントが悲鳴のような声を上げる。心配するその声がなんだか少しうれしくて、でも迷惑をかけている事実も心苦しくて、ステラは申し訳なさそうに頬をかいた。
「いいじゃないか、茶をしばく程度ならどうとでもなる」
「しかし……」
貴族の茶会という行為、それが地獄の釜の蓋を開くに等しいことを彼女は理解しているのだろうか。いや、どれほど嫌らしいものか、きっと理解してはいないだろうとハシントは思う。
間抜けた妹のような客分は、いつもぽやぽやして目が離せないのだから。
そうしている間にもカチャカチャと剣帯を外して、鈍色ごと差し出すステラは苦笑いしつつ、それをハシントに手渡した。どのみち武装した所で城に入るときには外さねばならないだろうし、何よりそのまま取り上げられたら目も当てられない。
特にロスラトゥムは
何よりこの使者の目論見と最終的な目標を予想すれば、使い手のないダガーなど、そうしないわけがないのだ。
だからこれを預けるとすればハシントの手の内がよい。その柔肌の上こそが最も信頼できる場所なのだから。
「おゆはんには帰れるだろう。んじゃあ行ってきますよーい」
「ッ、行ってらっしゃい、ませ……」
深く頭を垂れる彼女に、ステラは軽く手を降って執事の
こうして馬車に揺られて向かう先は、嘗て遠く目に見た|白い尖塔の城リフラクタ。シオンの父親たるカイル公の居城であり、魍魎跋扈する魔窟に他ならない。
果たしてこの先生きのこれるのか。程なくたどり着いた白亜を見上げ、ふうとため息を付いた。
◇◇◇
城の中はなんとも言えない違和感があった。
城自体は良いのだ。全体的に石造りの剛健な造りであり、使用された木材もよく手入れされている。そこには長く磨き上げたが故の色っぽい艶があって、あたかも協会の様な厳かな雰囲気がある。
ただ通路を飾る装飾が、色気の全てをぶち壊していた。
単体では非常に華美であり輝いて見えるそれは、絶望的なまでに浮いているのだ。例えばルーブル美術館のそこかしこで二次嫁原画展を開くような致命的な乖離が潜んでいる。
これはヴァルディッシュ少年の馬車を彷彿とさせる、悪趣味の片鱗である。
(家を守るは妻の役目とはいうが……)
この内側から侵食するような有様は見ていて非常に気持ちが悪い。視界のあらゆる面がトリックアートのように歪み、目のとらえどころが無いのだ。
一貫性のないこれは空間の歪みを目にしているようで、ある意味『帰らずの森』を連想させる。
そうしてたらい回しの如く付いていくと、何度か『ぴりり』と肌を刺す感触がある。これは一体なんだろうと目を凝らすと、白線で作った壁が幾つか張り巡らされているのが解る。何某かの結界であろうか。
(まぁ公爵の居城だし、それぐらい当然か)
そもそもアルマリアの屋敷にも対使い魔用の結界は存在している。重要人物の居城たるこの城に無いわけもない。問題はその効果であるが……特に何かされた感覚もない。何を目的としているのか不明だが、こんな目の粗い網戸で何ができるというのか。さっぱり予想がつかない。
実際は強力な
これは結界を張った
(うーん、網見てたら海魚食べたくなってきたや……)
という食事の事しか頭にないのだった。どうにも刺し身が恋しいお年頃である。
そんなことを考えていると、彼女はとある部屋へと通された。メイドにボディチェックを受けた――何故か執拗に胸を揉み回され、何か獣のような目線が怖かった――あと、ここで待つように言われる。
そう言うからには待合室なのだろうが、何処に落ち着く要素があるというのか。
(なんだろう、この喧しい部屋)
兎に角ぴかぴか。金銀財宝モリモリで、財の限りを尽くしましたと言わんばかりの部屋なのだ。海賊のお宝部屋だって『積み上げた達成感』が在る分まだマシだろうに、ここには
もちろん貴族なら見栄は必要だろうが、それは品格を伴ってこそだ。『財宝』と名のつくものをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはリフラクタの待合室……なぜこんな事になる迄指摘しなかったのか。
(いや、誰も出来なかったのか……?)
ハシントの言が正しいなら、諫言どころか助言するものすら居ないのだろう。残ったのは耳障りの良い言葉を吐く者だけ。
その結果がこの有り様だというのか?
(うーん……これを成した人物像がまるで見えてこない)
狂っているにしては統一されていて、正気にしてはあまりに稚拙。唯一正面の壁に飾られた絵画2枚の周辺だけが、目の疲れが休まる領域になっている。
(……って、あれ? ここだけ質素だな)
疑問に感じてじっとその絵画を観察する。
1枚には口ひげのある紳士が、ステッキを突いて誇らしげに胸を張っている。どことなくシオンの面影がなくもないこの紳士は、恐らくカイル公であろう。
もう片方は月を思わす銀髪の女性が椅子に座って微笑んでいた。その姿は清楚であり可憐なキキョウを思わせる。胸元のレファラのブローチがキラリと光る、優しげな彼女は恐らくヒラソル夫人だろう。ハシントの言う通りの特徴を備えていた。
豪奢という違和感の中でただ絵画は其処に在る。其処だけが切り離された異世界のように見て取れる。
これは一体何なのか。何故周囲が異質な中、これだけが正常なのか。
誰彼憚らず滅茶苦茶にしたのがマントゥール夫人なら、此処だけ手を付けていないのは明らかにおかしい。これはまるで触れるのを恐れているような、あるいは不可侵の領域として守っているような。
(……これ、遠回しなヘルプサインじゃあるまいな?)
よぎる考えに青ざめる。歪な世界に平らな絵画。目の前にある2人の肖像を中心に、悪い予感が渦巻いて頭の中をぐるりとめぐる。
(考えすぎ、だろうか?)
ハシントはヒラソル夫人とカスミの仲は良かったと証言している。ではマントゥール夫人はどうだったのだろう? 少なくともカスミという人物を見る限り、歩み寄ることはしたはずだ。
そしてこの不可侵領域の様に残された絵画こそが、彼女が思う本心であるとすれば。
(ああ……全てが虚構と感じたのは正しくその通りなのか……!!)
いくら虚ろで飾ろうと、本心だけは隠せない。
そうして見るとこの豪奢で悪趣味な部屋も、アドミラシオンを食う寄生虫以上に彼女を食い散らかす悪意の影そのものにすら見えてくる。
(じゃあ夫人が小生を呼んだ理由はなんだ?)
この叫びは必ずしも気付くかはわからないし、恐らく甘言という耳触りの酔言葉に踊る夫人が意図して案内できたか言えば疑問が残る。
なら向こうは用意したシナリオ通りに動くし、そうせざるをえない。となれば直前で気づいてしまった彼女が出来ることは一体何か。
(……シナリオをブレイクする為のトリックスターでもやれってのか?!)
なんということだ、運命はステラにデウスエクスマキナでも演じろというのだろうか。キリキリ痛みだす胃を抑えていると、メイドから準備ができたと呼出の声がかかった。
(ああああぐわあああもぉおお! 気付いちゃったら無視できねーんですよ其処までメンタル強くないんですよ! いいよやったらぁあとシオン君またやらかすけどごめんなさいいいいいい!!)
先行謝罪がステラの心にこだまするが、きっと彼には伝わってないので怒られるのは間違いないだろう。
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