03-15-04:シャトー・リフラクタ/虚構の淑女
通された部屋は案の定趣味が悪かった。不安定な空気というか、とらえどころのない不穏な空間が待合室の1.5倍増しになっている。此処まで
だがこの状況こそが真を隠す偽りのヴェールと知ったステラには、また違った光景として目に映る。
侍る|没個性メイド達は故に目立ち、その所作一挙手一投足が悪意の上塗りにすら見える。表情のない彼女たちの姿は、今や悪魔の笑顔にさえステラは思えた。
座すべき舞台はただの
「奥様、お客様をお連れしました」
「ええ、下がって頂戴」
そう答える彼女こそ悪魔の主菜、農紅を纏うマントゥール夫人その人である。
(うーん、とんでもねぇ……)
まず金髪が炎のように螺旋を描いて伸び上がり、青い瞳は目つきも鋭く値踏みするようにこちらを観察している。化粧もアイシャドウが青、血塗れのような濃いルージュ、ファンデーションは濃く塗り固められている。
次いでドレスの襟がヴィーナスの誕生のシャコ貝めいて隆起し、そのものが金糸で装飾された一つの絵柄を作成していた。端はギザギザになって、山形になるのに合わせて小さなルビーをあしらっている。
肩のバルーンスリーブは本当に丸くアーマーの様になっており、幾つか見えるスリットからは瞳のようにサファイアが飾られている。もちろんその縁は金糸で細やかな刺繍がされている。
腕から袖にかけてはリストフォールの、ゆるく蕾が咲くような袖口であるのだが……此処にもボタンの様に小さなエメラルドが縫い付けてある。そして……金糸の刺繍だ。
ギュッとコルセットで絞った腰回りが胸を押し上げて、その金の刺繍を之でもかと引き立てる。その渓谷はささやかであったが……胸元を飾るのは唯一質素とも言えるレファラのブローチである。
テーブルの下にあるスカートも恐らく似たようなものだろう。ふわどーんキラッ。大体そんな感じだ。ギャグ漫画でなく現実なのが辛いところである。
その虚構こそが今の夫人の今を表していた。だからステラは覚悟を決めてテーブルに座る夫人にニコリと笑いかける。
「今日は公姫様。小生はステラ、本日はお招きに預かり光栄の次第」
そう礼をすると夫人は笑顔になったが、しかしそれはすぐ凍りついた。
「死ぬほど化粧ケバイですね?」
「「「?!」」」
場がしん、と鎮まるのを感じた。扇で隠しているものの、夫人の口元がピクピクと動いてファンデーションがビキリと割れた。どれだけ厚塗りだったのだろう、闇のゲームでも嗜んでいるというのだろうか。
「そんな仮面みたいな厚塗りで大丈夫ですか?」
「あ、貴女……」
プルプルと震えるマントゥール夫人に、終始にこやかなステラが席をひかれる前に勝手に着く。すると周囲の使用人が声をあげようとした……のに先じて静かに一言を告げる。
「しーっ。【静かに】!」
「「「ッ……」」」
それだけでメイドたちは口をパクパクと開けて声が出せなくなった。
これは
以前
【大喝】が表面的な感情をぶつけるのに対し、明確な言葉と意志を織り交ぜた之は心に直接届かせる。そして意志による反抗に失敗したら言葉通りの効果を押し付けられる。
そして予想どおりにこの場の誰一人ただ『静かにしてね』という意志に抗うことが出来ない。
(何にせよ甘言で籠絡するような連中だ、意志が強いわけも……あれなんかおかしい)
最初に一歩を踏み出した者が脂汗を流して震えていた。ピクピク震えて、喉をかきむしるように押さえ……。
(あっこれ息止めとる……? 止まってる?!)
慌てたステラが続けて
「ごっ、【ごくふつぅ~に静かにしてくれればよい】よ、うん。お茶会は静かに楽しむものだよね?」
それにカクカクと頷くメイドは、つかえが取れたように息を吸った。心に直接攻撃を仕掛けるこの心象魔法の怖いところは『これ』だ。意志が弱ければその分、押し付ける言葉をより強固に達成しようとする。
今回の場合は『静かにするということは、息すら止めるほどの静寂』に至るまで効いてしまったようだ。この魔法は今後よっぽどのことがない限り封印だな、とステラは脳裏で思う。
夫人は使用人の様子がおかしいことに気付いたようだが、何が起きているかまでは解らないようだ。ただ夫人の知らない未知のカードを切ってこちらにアクションを起こした、それを理解して目が冷たく輝く。
だがこれから使うカードは何れも魔法を用いないただの言葉だ。それはもう耳をふさぐしか止める方法がない純然たる月曜日の調べである。
(さあて、言祝ぎの本質はこれからだぜぇ~……)
ステラが雰囲気を変えて手を組み頭を下げた。
「さて、試すような真似をして申し訳ない。とは言え小生は一介の探索者、無礼はご容赦いただけると助かりますがね?」
「え、ええ……ですがまずはお茶を楽しんでいって下さいな。当家で作った特別なアルエナの茶葉ですのよ?」
「左様な品を銅級如きに振る舞って宜しいので? この様に不敬の固まりのような者ですが」
「構いませんわ。……貴女はハイエルフ、相応に御持て成し致しますとも」
視線は不敵に蠢くがその奥に明確な怯えをステラは感じ取った。
いかに心を潜めたとしても目は本心を物語る鏡だ。幾多の感情に晒された彼女の視線知覚は、対人において必殺に近い強力な能力である。ハシントが懸念したとおり感情とは情報、相手の機先を制するための重要なファクターだ。
こちらの情報はその長耳から筒抜けかも知れないが、それ以上の機微を抜かれているなら話は別だ。正に深淵覗きは深淵に見返されているのだから。
そうしている間にも己の本分を果たすべく
今、動いている彼女たちは一体何を思っているのだろう。カチャリと無機に用意された眼の前のお茶がその答えだ。
(ふむ……)
ステラの前にことりと置かれたカップは金縁の幾何学模様が描かれた青磁で、艶のある表面が何とも涼やかな逸品だ。それを確認しつつ顔をあげると夫人がお茶を飲む所だった。
こうしたお茶会では、まずホストが一口含む事になる。これは毒味の意味もあるため、先ず持て成す側から飲むのだとハシントは言っていた。
夫人も同じ作法で一口含んでステラに促されたので、同じように一口飲み込んだ。夫人の瞳がキラリと光ったところで、ステラが残りを一気飲みした。
「は?!」
ごぼり、とも鳴らず口元に落ちたそれをもって、ステラがカチリとカップを置いた。
「っぷーふ、まっずーい。よくこんな物美味そうに飲めますね、感心しますよ。いやあ天晴ですねぇ」
「な、何を……」
ステラが机を人差し指でトントンと2回叩いた。もちろんお茶のおかわりを求めるのではなく、『まぁ聞けよ』という威圧である。
「良い茶葉なんでしょうね実際。でも淹れ方がおかしいのかな~……どうして魚の腐った臭いがするのかまるで見当もつかない。お茶っ葉の管理が失敗したのでしょうね。ハハッ。今笑うとこですよ?
味も悪いですね、最悪と言っていい。旨味の欠片もない以前に、乳を腐らせたような酸味がエグいです。さらに刺す苦みがアクセントになって凄く嫌らしいですね~。
ああ舌触りもビックリするぐらい気持ち悪いです。なんですこれ、何故ヌメるんでしょうね。まれにどろり濃厚めいた飲料はありますが、アルエナでこれはないですわー……。
カップもよろしくない。確かに目麗しいけれど、渋みの強いアルエナ系は薄いカップが常道でしょうよ。温度がすぐ下がりますし完全にワースト・マッチですよ。一体どうしちゃったのか逆に心配になります。
いやー、こんなに台無しに出来る人って居るんですね~初めて知りました。
小生の知るメイドであれば、市井の品で最高に美味しいお茶を持て成してくれますよ?
公爵家の持て成しと言うことで、非常に楽しみにしていたのですが……。
はー、残念だなぁこの程度ですかー。ドン引きです。程度が知れます。もしかして巫山戯てます? 巫山戯てますよね。でなければこんな酷い事になりませんし。
おや、顔色が悪いようですがどうしたんです?
もしかして……『とても素晴らしいですね』等と言われると思ったのですか? だとしたらお笑いですねぇ。これなら野営で飲む即席アルエナ丸の花茶のが断然美味い。ありゃいいですよ、くしゅくしゅした花びらがとぅるっとして美味しいんだから。
はて、そう考えるとマントゥール夫人はちゃんとお茶を飲んだことが無いのですか?」
「ッ貴女、言わせておけば!!」
立ち上がろうとする夫人の目を射抜くようにステラの金が見つめる。ただそれだけで夫人を黙らせたステラがさらに続ける。
「そういう怒りは『持て成し』の意味を掴んでから言ってほしいんですよ。
小生を呼び出したってことはそれなりに背景を調べたんでしょう? 仮にも招待したならその外っ面ぐらいわきまえて頂きたい。
持て成すとは相手を見る事……つまり貴女の青い瞳は何も見ていない。完全な節穴だ。明後日を向いている。己ですべき何もかもを見失っている。
特にそこのメイドはお茶に悪戯をする始末だ。貴女が憧れた何者も、今の貴女の振る舞いをみて失望するだろうよ」
「ッ?!」
突然話を振られて、カートの側に居たメイドがビクリと跳ねた。その袖口には暗器めいた小瓶が仕込まれていることをステラは捉えている。【鷲の目】のお手柄であった。
アルエナ茶に本来無いような刺す苦みはそれが正体であろう。薬効は不明だが良くないおくすりであるのは確実だ。
(さて、夫人の今を思っきし扱き下ろしたがその反応は如何に)
見れば彼女は顔を真っ赤にして目に涙を溜めて震えていた。今にもはち切れそうな感情が、しかしやり場を無くして今にも爆発しそうになっている。心配したが、こうして思う所があるならまだ間に合うだろう。
「ま、小生は神じゃないから上手く汲み取れないけど……。
貴女が真面目で一生懸命な人ってのはよーくわかったよ」
「は……?」
突如褒められて夫人がポカンとこちらを見た。そのまま組み立てた
「貴女は一体何がしたかったんです? リフラクタにある何もかもがその本音を示さない。
だが貴女が成し遂げたいと願うことは確かにあるはずだ」
「ッ……」
言葉に詰まる夫人を見て、ステラは続ける。
「待合室で2枚の絵画を見ました。あれはカイル公とヒラソル夫人ですね?
何故あれに手を加えなかったのですか」
「な、何故、って……」
声に詰まるのを見て、更に推し進める。
「この城の惨状にあって、唯一それだけが聖域の様に取り残されている。
それは手を出せなかったからでは?
羨み、しかし敬い。妬み、しかし恋して。憎み、しかし愛した。
それくらい大切な相手だったんではないのですか?」
「なに、を……何が、わかったつもりで……!」
あれは正に最後の領域なのだろう。彼女が彼女であるための、また壊れてしまった
そしてトリガーは夫人が既に身につけている
「なら何故そのブローチを身に着けているのか。それはヒラソル夫人の愛用していたものだろうに」
「ッ!!」
そう、豪奢にあって唯一おとなしめのブローチは、正にヒラソル夫人の絵画にあるブローチと同じものだ。
「君はヒラソルさんのように成りたかった、ただそれだけだろう?」
「ち、違う……」
「何が違うんだ? カスミさんを遠ざけたのはヒラソルさんの影を見てしまうからだろう?」
「違う……!」
「どう違う? そうなれないから離れることを選んだのだろう」
「違う違う!!」
「いいや違うね」
ガクガクと震える夫人に更に言葉をつなげ、立ち上がるステラは大仰に手を差し伸べた。
「なんたって君はまだ取り返すことが出来るのだから。だから選ぶがいい。
前に進んで願いへ歩くか。
今に留まり虚構に踊るか。
これが君の分水嶺。今この瞬間を見失ったなら、それは二度と手にはいらないぞ?」
だが夫人は思考停止したように固まってしまった。無理もない、甘言とは酔言葉……心を長く蝕む毒のようなものだ。夫人という個が麻痺してしまっては動くものも動けない。
しかし甘い言葉は幻想でしか無い事は心が既に知っている。最早それに何の価値もないことを理解している。
だがそれでも踏み出すことを恐れた者が、改めて1歩を進むのは困難を極める。
なら後押しするために、その選択をするために。ちょっとだけ後押しするのは神に連なる巫覡の努めであろう。
「なぁ、マントゥール・アドミラシオン。君はもう……憧れに振り向いてほしいと願わないのか?」
虚構の女は差し伸べられた手のさきに、輝く光を見た気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます