03-12-06:鈍き護りと戦闘訓練

 ロスラトゥムの代金を支払ったステラとシオンは、さんさん降り注ぐ太陽の下をてくてく軽快に歩いていた。周囲に人影は皆無であり、流石はといった所であろうか。


 ここはソンレイルの東門を出て、1時間程にある東の森である。いまだ城壁の見える場所であるが、森に一歩踏み入れば魔物の出没する危険地帯である。

 しかし人の手がなかなか入らないが故に、豊かな植生に恵まれたこの森では、山菜やキノコ、稀に甘い果実等も採る事ができる。


 またその恩恵に預かる動物もまた多数存在しており、食肉を得る狩人達の狩場フィールドでもある。


 ソンレイルの食卓の豊かさは、この森が支えているといっても過言では在るまい。


 この森に唯一欠点があるとすれば、探索者が使う薬草が一切生えていないことくらいだろう。薬草を求めるなら北へ、食材を求めるなら東へとはソンレイルにおける採集の基本である。


「うーむ、解っちゃいたけど、一歩外へ出れば人の営みなど皆無だなぁ。そしてこのサワサワと心地よい森が危険な領域だとはとても思えん」

「……ステラさんの居たトーヨーは違うのですか?」


「どうなんだろう? 大昔は野盗は出たけど、街道が整備されすぎて、寧ろ乗り物のほうが怖かったと思う」

「?? 意外と平和ですね……」


「そうかな……都で道を歩いていると、触れる程近い場所を馬が全力疾走してすり抜ける事もあるんだけど」

「?! やはり危険か……」


 気をつけよう、うっかりよそ見で、事故一生。危ない運転は誰も幸せにならないのだ。


「ところでステラさん」

「なにかな?」

「これから森に入るんですが……」


「油断大敵? まあガバガバなのはわかるが」

「気づいてましたか」


 シオンが関心したように頷く。ここで問題ないと答えるものは数多いが、本当に問題ない者など居はしない。


「でも心で理解してないから無意味かも」

「あー……それが分かっただけでも重畳かと」


 どうにも平和ボケした乙女である。そこはシオンも予想していた点であり、先日の帰らずの森の一件からも解っていたことだ。


 故に遅ればせながら、野外演習をする必要があったのだ。そうで無くとも危なっかしい彼女である。リスクは可能な限り低減して然るべきである。


「もしシオン君に連れ出されなかったら、気楽にピクニックにでも来てたかもしれん」

「容易に想像できますね」


 この場所でピクニックなどした日には、狩人無き赤ずきんになり兼ねない。また空想が現実となった今、『エロ漫画みたいな酷いこと』は事実として存在する。オオカミ足り得る脅威など、幾らでも居るのだ。

 例えばこれから狩る魔物などはその筆頭格である。


「この森に出没する魔物は、主にゴブリンだったかな?」

「はい。弓師をリーダーとした4個体を単位とした群れが、よく見かける構成ですね」


「特性は残虐性と繁殖力。後者は異種族であっても孕ませることができると」

「そうですね。女性は特に注意が必要です」


 そこでステラが首を傾げた。


「なあ、なんで男は孕まんのだ?」

「はぁ?」


 シオンが素っ頓狂な声を上げてステラを見る。また何を言い出すんだこの娘。やはり休養が必要だったのではとシオンが懸念を顕とする。


「本気で何を言っているか分からないんですが」

「仮に小生が多数のゴブリンに輪姦まわされ孕んで産んだとしよう。ここで生まれるのは紛れもなくゴブリンだよな?」

「例えは置いといて、そうですね」


「それはヒトとゴブリンのんだな?」

「え、ええ……そうなります」


「なら必要なのは、ゴブリンという魔物が形になる環境インキュベーターであって、丁度よく手に入るのが異種族の女の孕ってだけじゃないかな。

 また女性全てが対象となるのも、人類は全て交配可能……つまり環境が同一だからじゃないか?

 っていうかこの条件なら、環境さえ整うなら生体である必要性すらないよ」

「で、でも子供は女性から……母から産まれるものです、よ?」


「シオン君。命はね、条件が揃えば生まれてしまうものなんだ」

「ですがッ!」


 ステラがフフ、と笑ってシオンに蕩けたように目をうるませて手を伸ばした。


「『今日、大丈夫な日だから……きてぇ♡』」

「ッ?!?!」


 少年の顔が真っ赤に染まる。女神級の美貌を持つステラが掛け値なしの全力演技による誘惑である。つまり神代のお誘いに等しい。

 たとえ女性を性的に見ることが出来ずとも、頬を染めずに居ることは難しいだろう。


 そんなシオンのどぎまぎはさておいて、ステラはすぐに何時もの状態に戻る。


「――とか言った所で、ヤることヤれば子供が出来てしまうだろー? だから避妊はちゃんと……シオン君?」

「……!! ……?!?!」


「シオン君?! だ、大丈夫か?!!」

「も、もんだいない、です」


 シオンが胸をぐっと抑えて呼吸を整えている様を、ステラは首を傾げてみる。勿論誘惑したという自覚は欠片もないし『ちょっとした演出じゃろ?』ぐらいにしか考えていない。


「大丈夫ならいいんだがな……。


 それでだ、環境が整えばその繁殖力が発揮されるなら、つまりゴブリンは一匹居ればその数を増やすことが出来るんじゃないかな。つまりゴブリンの生体は寄生虫めいたの可能性がある」

「1匹居れば増えるんですか?!


「そういう生態もあるってことだ。ちなみに多様性は、恐らくレイプすることで解決しているんじゃないか? 見たことはないが、聴く限り腹がタプタプになるまで注がれるんだろう。

 そうなると腹の中で多数精液が混ざり合うことになり、その時遺伝情報が交換されて個体差がうまれるのかもしれん」

「えぇ……」


 シオンが青褪めてステラを伺う。仮に事実ならゴブリンが根絶できず、また突然発生する根拠になり得る主張だ。またそれが正しいならステラの主張は――。


「本当かどうかは要研究だろうし、悍ましい実験が必要だから証明しづらいだろうがね」

「やれないことは無いでしょうが……」


「まぁ、なんだ。つまり何がいいたいかというとだよ」

「なんですか?」


「色々と小生に気を使ってくれているのはとっても嬉しいけど、

 君も気をつけ給えよ?」

「は、はい……」


 なんて脅し文句だろうか。シオンは何となく尻がヒュンとなる感覚を得て、ゴブリンという魔物の危険度を3……いや5段階は引き上げた。



「取り敢えず訓練だけど、見敵必殺サーチ・アンド・デストローイでいいかな?」

「〘ファイアアロー〙は勿論禁止です。大火事になった場合、賠償請求等されてもおかしくはありません」

「そうだな……となれば、【風の刃】うぃんど・ぶれーど【石の矢】すとーん・あろーあたりを使えばいいかな」

「そうですね、そうしてください」


 ふんすと鼻息荒いステラは、拳をぎゅっと握って決意を新たにする。膾切りウィンドブレード螺旋潜行ストーンアローなら、ブチ撒けるファイアアローよりは見た目もマシであろう。


「さて、森に入ります。準備は宜しいですか?」

「おうとも。なんとかしてみせよう」


 そう言ってステラはマントのフードをばさりと外す。耳がぴこぴことせわしなく動いて、やる気は十分なようだ。意気揚々とグラジオラスを抜いた彼女は、シオンに先導して森に足を踏み入れた。



◇◇◇



 南の森と違い、東の森はとても明るい森である。勿論見通しはそれなりに悪いが、木々が所狭しと生えそろう訳でもなく歩きやすい。

 なにより風通しが良いためひと風が吹けば木々が靡き、しゃらりと鳴る葉音が涼やかで心地よいのだ。


 とても危険な魔物が存在する地帯とは思えない。いや、寧ろそれこそが罠なのだろうか。


「とはいえ解っていても油断しそうだなぁ」

「気持ちはわからなくもないですが……」


 特にステラはハイエンド由来の超スペックな五感に加え、魔法的な拡張感覚を備えている。


 視界は悪いとは言え【鷲の目】いーぐる・あいの上空視点は健在だし、【空間反響測位】えこーろけーたーによる全方位視界は周辺の動的反応をつぶさにキャッチする。

 もしその監視網を通過するとなれば実体がないか、或いはそれすら潜り抜ける隠密のみであろう。


 故に無警戒のヒトガタを見逃すなど、到底有り得るはずもない。


「――シオン君。2時の方向に動体4、距離250。大きさは小生の腰ほどで、動く速度はそんなに早くないようだ。

 総合してゴブリンの特徴にかなり近い。視認は出来ていなが……」

「確定でいいでしょう。本当よくわかりますね……」


 フフンとステラが自慢げに鼻を鳴らす。


「こりゃあ世界線次第では、蝙蝠男のサイドキックも張れたかも分からんね。

 とりあえず接敵の方向で良いか? 視認まで含めると距離100までは安全だろうけど」

「わかりました。どっちに進むんです?」


「だからの方向だよ」

「あの、の方向とは何処です? 何処にも掛かっていないようですが」


「ん?」

「え?」


 時間で方向を示すのが伝わらない。そう言われてステラは気づいたが、この世界に来てから時計の文字盤を目にしていない。


(もしかして、時計って存在していないのか?)


 そうでなくとも時間という概念、また前世と同じ刻み方をするとは限らない。それなら『2時』が伝わらないのも道理である。


「トーヨーにある『時計』と言う時を計る道具がある。

 その文字盤は円に12分割されていて、その分割方向を方位に結びつけて示すのが先程の『2時の方向』だ。つまり右手側ちょい前方ぐらいだね」


「つまりトーヨーの時計は12時間刻みなのですか?」


「そうだけど……こっちにも時計ってあるのか? 見たことないけど」

「貴族家なら見栄も含めて1台は持っていますね。ただ此方の時計は8時間刻みですが」


 その時計も大型がほとんどであり、また大きくなるごとに機能が複雑になっていく。お金のあるところなら、秒針、分針に加えてアラートに当たる鐘の音や暦まで示すという話だ。動力は古くは流水を使っていたようだが、今はほぼ魔道具化しているらしい。


 因みに手に持つサイズの懐中時計は存在していないようだ。理由はそのサイズに納まる機構を制作出来ない故とのこと。これは『魔道具』という視点を中々外せないがゆえの結果であるようだ。


「なるほど……そうだったのか」

「まぁ中流街以下では大まかにわかっていれば事足りますしね」

「腹時計なんてのもあるしな」

「食いしん坊ですねぇ……」

「そりゃそうさ、食いしん坊じゃないステラさんなんてステラさんじゃあるまい?」

「確かに」


 そう談笑していると、推定ゴブリンの群れは距離200まで近づいていた。


「さて、目標は見つけたわけだし行ってみようか」

「……覚悟は出来ていますか?」


 ステラがグラジオラスを両手で構えてシオンに向き合い、


「へへへへ、誰が魔物なんかぁ! 魔物なんざ恐かねぇ! 野郎ォぶっ殺してやらぁ!!」


 と、珍妙な顔で叫ぶものだからシオンの恐ろしく早い手刀がステラの眉間を捉えた。


「っぷぇあ?! な、何すッい゛にゃん!」


 撃滅のセカンド手刀が眉間に決まった。もはや一刻の猶予もない、ステラは両手とグラジオラスでデコガードの構えだ。だが眉間は守れても、シオンの怒りはガー不技である。


 だから彼の底冷えする声で、


「声、大きい」


 と言葉少なに言われたならば、


「ごめんにゃさい……」


 と平謝りするしかないのだ。怒られたステラは気を取り直しつつ、ロスラトゥムを抜いてゴブリン集団へと向かっていった。


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