03-07-07:銅級のお仕事:波紋
ソンレイル探索者ギルドは今日も表向き平和だった。
完全にステラ係になっているツァルトは、困惑気味にギルドマスターの部屋にやってきた。猫耳がピコピコ揺れており、自慢の長尻尾がゆらり揺れている。
「マスター、すみませんがまた感謝状です」
「例の関係かね?」
「そうなんですが……改めて頂けますか?」
ため息混じりに受け取ったギルドマスター、パライソはその書状を開い……すぐ閉じた。
「フゥ~~……」
「?」
パライソは目頭を揉んだ。見間違いかもしれないので、もう一度その書状を開いて……やはり閉じた。
「どうされました?」
「……おかしいなぁ、ここに〈
ツァルトの尻尾がピィン! と伸びて逆立つ。
「そ、それってあの、ですか?」
「あんなのが何人もいてたまるか」
〈
15年前に街を襲った魔物の
敵も味方もなく朱に染まるが故に、彼女は血塗と呼ばれたのだ。
「もしかして……あの物腰柔らかな若い
「は?」
パライソがそれを聞いて顔が引きつる。
「……来てる、のかい?」
「え? はい、直接ロビーにいらっしゃいました。面会を希望されていますが……。本人、なんですか?」
パライソが手を組み額に手を当てるのと対象的に、ツァルトが両手を口に当て頬を上気させる。
(まさかあの人に会えるなんて……)
ツァルトはその15年前のスタンピードで、赤に染まる彼女に命を救われたのだ。後にそれが〈
だから一言お礼が言いたい。それが切っ掛けでギルドに就職したのだが……彼女はスタンピード後すぐにギルドを辞していた。
行方の知れぬ恩人が、まさか孤児院の院長をしていただなんて。
(でも……本当にあの人なの?)
あの時見た彼女はまさしく戦姫であり、恐ろしくも気高く格好良く見えた。その時と比べて今は……。
(あまりに物腰柔らかいし、それに若すぎないかしら……)
ツァルトが首をかしげる。当時の〈
雰囲気が柔らかくなったからと言われればそれまでだが、それにしたって若すぎる。そう考えているとパライソが一つ咳き込んだので慌てて姿勢を正す。
「ツァルト、面会は断ります」
「えっ……? ど、どうしてですか?
〈
パライソがうんざりしたように深くため息を付いた。
「ツァルト君。それは嘗ての話で、今の彼女は一市民だよ? 私はそこまで暇じゃあないんだ」
「あ……」
ツァルトの顔が目に見えて曇るが、しかしその言は正しい。心苦しいが断るしか……と思った所でキ、と床がなった。
「随分ご挨拶ねぇ、パライソ?」
「わっ?!」
いつの間にかツァルトの隣に満面の笑みをたたえた淫魔属の女が立っている。ワンサイズ小さい七栄教修道服を着たカスティーリャだ。
「カスケード……ここは関係者以外立入禁止だが? 」
「今はカスティーリャよぉ? それに堂々と歩いてきたのに、まるで気づかないほうが悪いと思わないかしらぁ」
クスクスとさも楽しそうにカスティーリャは笑い、パライソは不機嫌そうに舌打ちをする。
「まあいいわぁ。今日は一言だけ言いに来ただけだからぁ」
「なんだ……」
カスティーリャの雰囲気が変わる。
柔らかいものから硬いものへ。
まるいものから鋭いものへ。
差し伸べる慈悲から鮮血の鉄槌へ。
慈愛溢れる
「あの子はちゃんと見てあげなさい? 曇った眼では何も見通せないわよ」
「ッ……」
軽く当てるような威圧。ただパライソだけに向けられたそれに、ぶわりと脂汗が浮かぶ。
「余計な世話、だな……それにお前がそれを言うのか?」
じいとカスティーリャが前を見定め……ふっと威圧が解けて院長先生に戻る。
「まぁいいでしょう。そもそも私のお節介だものねぇ」
くふふ、とカスティーリャが笑う。
「ツァルトお帰りだ。送ってあげなさい」
「あ、はい! ではこちらへ……」
「はいはぁい♪」
ツァルトが陽気に頷くカスティーリャを連れて、ギルドマスターの部屋を退室する。相変わらず足音はしないが、だが確かにあの人が背後に居る。その事実にツァルトの心臓が高鳴った。
キシキシと床を鳴らして歩く中、ツァルトは意を決して振り向く。
「……あの、カスケード様」
「もぅ。私はカスティーリャだって言っているのにぃ」
「あっ、す、すみませんカスティーリャ様! その、一言お礼が言いたかったので……」
「お礼?」
はて、と小首を傾げるカスティーリャに言葉を続ける。
「15年前のスタンピードの時に助けていただいたんです。
あの時は本当にありがとうございました」
ツァルトが深々と頭を下げた。きっと彼女は覚えていないだろう、それでも命の恩人に代わりはないのだ。
「そう、なのね……ありがとう」
顔を上げたツァルトは、とても嬉しそうに。しかしとても悲しそうに笑う彼女を見た。
◇◇◇
「……」
残されたパライソは机の上の書状、カスティーリャの感謝状を開く。
定型文で綴られたそれは、複数の人物の連名がされている。拙く下手な文字は、彼女の
最後にカスティーリャと、態々カスケードのサインすら記されている。
「奴は何を考えているんだ?」
嘗ての戦姫は引退後、何を思ったか孤児院経営を始めた。実しやかに囁かれたそれはまさしく事実というわけだ。
当然当時からギルドマスターであるパライソはそれについて知っている1人である。
突如辞めると聞いたときは驚いたが、それ以上に理由に驚かされたものだ。
特に超常を逸する力を持て余す子を引き取って、『人らしい生活をして欲しい』と言い出したときは目を疑った。
(あれは戦うことしか知らない。だからこそ、なんだろうが)
当時は潤沢だったろう資金だが、孤児院は苦境にある。大英雄とてその資金は無限ではないのだ。
「フー……」
パライソが天を仰いだ。
探索者ギルドに届く感謝状、特に探索者を指名して送られるものは特別な意味を持つ。暗にその探索者を支持を表明しているのだ。
もちろん非公式で一方的な通達なので、探索者ギルドと対象者における共通認識でしかない。ただ機があればそのまま協賛するという意思表明は、その探索者の評価に大きく関わる。
かのハイエルフにおいては既に2つの感謝状が届いている。
1つは銅級の依頼を発行しているロックン商会のもの。
2つは引退したとはいえ、元二つ名持ち高位探索者カスケードのもの。
この時点で銅級から鉄級への昇格条件どころか、一気に銀級にステップアップしても良いぐらいである。
「だがアレはハイエルフだ」
身勝手な存在。傲慢の体現。パライソはそれを許さない。
「……何か、手を打ったほうがいい、か」
そのつぶやきは、ポツリと部屋に溶けていった。
………ミィ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます