【 11 】



 話は地球誕生を神話になぞらえた『皇天記』の一小節から始まる。


 日本神話で言う『国生み』と同じ発想を持つその出だしを聞かされるにあたってはさしものキリンジも、

──始めからとは言ったがそこまで遡るのか?

 そう疑問を持ちつつも口にはしなかった。


 そのことはミコトとて承知の上ではあろうし、むしろ斯様に空想じみた創話に己達現代人が強く関ってくることへの興味が、キリンジを話に集中させた。

 かの神話では生まれ出(いで)し地球を『皇地(こうじ)』、月を『皇天』と呼んだ。


 天壌(宇宙)の中に発生した皇地は、己が存在を確固とするべくにその他の星々もまた生み出す。

 しかし最後の国生みにおいて皇地は苦心する。


 それは『潮の満ち引きを司る』星を作り出そうとした時のこと。己と同じくに『引力を司る』その存在だけは一から作り出すことが叶わなかったのだ。

 かくして皇地は己の体の一部を切り離し、その分身に役割を担わせることとした。

 この時に切り出された皇地の一部こそが皇天──すなわちは『月』である。


 しかしながら生み出された皇天は皇地から離れたくないと泣き、役割の場へ留まろうとはしなかった。

 既に他の星々は機能しだしており、このまま皇天が皇地の元へ戻るようなことがあれば作り出した星系そのものが崩壊してしまう。


 苦慮の末、皇地は実力行使に出る。 

 月の鏡・星の珠・太陽の剣の三宝を使い、半ば力づくで皇天を天壌に貼り付けた。


 この三宝が在り続ける限り、皇天が帰ることは叶わない。泣く泣くその任へ就くことを了承した皇天ではあったがその別れ際、以下の歌を皇地へと捧げる。

 


『月より出し綺羅の道 日の元に分かつ 地にあらば見る夜見の道 望む まぐわいまぐわい』



 いつの日か皇地の元へと帰る。その為には手段を択ばぬという呪詛を残したのだ。


 そしてその『いつか』に備え、皇天は忠実な下部(しもべ)もまた残していく。皇地が己の望みの為に皇天を生み出したよう、皇天もまた己の体から下部達を生み出したのだ。

 その者達には、自分を縛る月・星・日の『天』を象る三宝の探索を下知したことから『天三宝』と名付け、やがては天壌の彼方に退いた。


 そして更には変化の光を月光に紛らわせることで、皇地の上に立つ生物体の半分を『神』の姿に変えた。

 ここでいう『神』とは『人間』の形を指し、本来は国生みを終えた皇地と皇天のみが象ることを許された姿であった。皮肉にも皇天は、その高貴なる存在を低俗な動物達に模させたのである。


 しかしそれは憎しみの発露であると同時に、皇地の元へ遣わせた下部達を人の中に紛れ込ませる為の策でもあった。

 これは功を奏し、皇地は終ぞ身中に潜み込んだ天三宝を見つけることは叶わなかった。


 皇天は密かに再会を夢見る。

 


──いつしか変化の月光が解かれるその時こそが再会の時。心して待つが良い──

 


 その決別より幾星霜──ついに1999年となる現代において人類は獣化を果たした。

 皇天が施した『変化の月光』が解かれたのだ。

 それこそが鬨(とき)。そして預言通りに地へ降り立った者こそが──




「……シュラ、って訳か」

「そう……これが『皇天記』。うちの堺家に伝わる神話。……バカみたいな話でしょ?」


 一息ついてはそう笑うミコトであるがしかし、その目にこれらを軽んずる気配は見られない。それはキリンジも然りである。現に天三宝は存在し、人類の獣化と時同じくしてシュラが降臨したのだから。


 同時に合点がいった。

 武術・天三宝における自然体の構え──つま先立ちとなるそれは、獣化現象に際しても能力を損なわぬよう考案されたものであったのだ。


「しかしまだ分からないな……その話の中に登場した『三宝』っていうのは何なんだ? そもそも皇天たるシュラが降り立ったってことは、もうそれらの封印は解かれたってことなのか?」


 尋ねるキリンジを正面に見据えたまま、ミコトは細く息をついて瞼を絞る。


「……皇天様は、親であり神である皇地のやり方を悉く模倣したわ。天三宝を生み出したこともそう」

「うん? 質問の答えになってないぞ?」

 訝しむキリンジをよそにミコトは続ける。


「皇地が生み出した『三宝』は、アタシ達『堺家』と同じくに……この地上に存在しているのよ」


 ミコトの言葉にキリンジは得も言えぬ戦慄を覚えた。

 それが何を意味するのかはまだ分からない。……否、深層意識の内では気付いてしまっているのかもしれない。


 呪縛を壊すために作られた堺家──それゆえに今日までの破壊活動や任務があったとするならば、その標的であった者達こそが『三宝』……──すなわちは、



「………サヤカ、か?」



 キリンジは自力にて真相へとたどり着いていた。


「そう。皇天記にある『太陽の剣』、その役割を担っていたのがサヤカの『田中家』……」


 ミコトは頷くとキリンジから視線をずらす。

 キリンジ達が田中アシナの社を襲撃したあの日、ミコトだけは秘密裏にこの事実を伝えられていた。


「だが……だが、それでは何故サヤカは生きている? もし田中家が皇天を縛っていたのだとしたら、アシナを始め一族郎党は滅ぼされていなければならないんだぞ?」


 滅ぼされなければならぬ──己の言葉にキリンジは強く苛まれる。今までに自分は、容易くも無慈悲に他者の命を奪ってきた。その被害者の一人がサヤカであったのかと思うと、キリンジは狂い出さんばかりの後悔に胸を焦がした。

 一方でミコトはそんなキリンジの内情を慮ったか、


「創生主たる皇地が作り出した三宝は、閉じ込める『檻』であると同時に『鍵』でもあるの。真に皇天様がこの呪縛から解かれるためには、それら『鍵』を集める必要があった」


 畳みこむようにそのことを告げた。


「だからこそ……生かしたのか。連れて帰れ、と……」

 そしてサヤカはこの堺家へと拉致されてきた。


 いずれ『剣』を取り上げるその時まで身中に抱かえておこうという堺家の身勝手に、しいてはそれを実行した己自身に、

「どこまで……どこまでサヤカを弄ぶ……!」

 心底キリンジは、嫌悪と怒りとを強くした。


 そんなキリンジが落ち着くのを見計らいミコトも話を続ける。


「たぶん、『準備』が整ったのよ。アタシ達天三宝がサヤカを擁したことでね。だから人は獣に戻されてシュラさんが遣わされた」


 これより『儀式』は始められる。そしてそこにおいて天三宝は、


「天三宝はこれより、皇天様をこの地に迎えるための『器』になるの。……その役割をアタシが担うわ」

 告げられるミコトの言葉にキリンジは眼を剥いた。


「どういうことだ? ミコトが役割を担う?」

「アタシ達が三宝を探すなんて役目は二次的なものに過ぎないの。天三宝のもっとも重要な任務は『皇天様をこの世界に降臨させる』こと……」


 矢継ぎ早なキリンジの質問にもしかし、ミコトは順を追って応えていく。


 神の『道具』同士であるところの堺家と三宝は潰し合えても、国殺し・神殺しの行為は皇天のみにしか為し得られない。その為にも皇天はこの地上において『仮初の肉体』を得る必要があった。

 天孫降臨を経てこそ、皇天による呪縛開放の悲願は達成されるのである。


 そして此度においてその大役を担う者こそが、


「アタシよ……。皇天の巫女たる、アタシの役目」


 そうミコトは告げた。

 そんな事実をただ呆けたように受け止めるキリンジ。理解が及ばなかった。

 何故にミコトなのか?


「サヤカと同じ。アタシも道具なの……あの子が『剣』であるように、アタシは『器』」


 放心の余り言葉が漏れたのか、あるいはキリンジの思考を読んだのか──ミコトはまっすぐにキリンジを見据えては応える。

 そしてキリンジは尋ねた。

 シュラはその為に遣わされたのではないのか?


「確かにシュラさんもまた皇天様の分身ではあるんでしょうけど、あくまでその役割は『使者』よ。恙なく皇天様の降臨が行われるように取り計らう調整役でしかないわ……」


 ではその後のミコトはどうなる?

 皇天に取って代わられた後のミコトの魂は? 

 ミコトそのものはどこへ行こうというのだ?


「それは……───」


 僅かに言いよどむミコトの表情に初めて不安の色が浮かんだ。

 キリンジの疑問通り、他の精神に取って代わられるということは即ちの『死』と同義である。頭では分かりつつもやはり、ミコトはそのことへの疑問と恐怖を感じていた。

 しかし同時に、


──前のアタシだったら……きっとこんな気持ちにはならなかったんだろうな。


 ふと、幸せを感じた。


『道具』であった頃ならばそうであったのだろう。しかしながら今のミコトは紛う方なき『人』であった。

 そしてそれを教えてくれた最愛の人こそはキリンジであるのだ。そんな彼からの想いを一身に受けられる自分は何と幸福なことかと考えて、場違いにもミコトはそのことが少しおかしかった。


「キリンジ……聞いてほしいの」


 静かに一歩を踏み出すと、ミコトはかつてキリンジの胸に身を預けた時のよう格子へと寄り添う。


「ミコトッ!」

「あのね……アタシね…………」


 そして最後の逢瀬になるやも知れぬその中で、ミコトが『ある告白』を為そうとしたその刹那、



「我らは皇天様より離れし物……」



 突如として聞こえたその声に、ミコトの言葉は遮られる。


 それはこの世の者ざる響きを持った声──狂飆(きょうひょう)の如く災厄の前触れを思わせるしわがれたそれに、凡そ『人』の持つ感情などは込められていなかった。


 キリンジとミコトは顔を上げた。畏怖を伴ったその響きに内耳は痒みを覚え、そこから発せられる悪寒に二人は背を震わせる。


 ミコトの視線は、今しがた自分がこの場所へと辿ってきた通路の彼方に投げられる。

 その先には、



「帰るだけなのだ……何も不安は無い」



『人』ではなく、『道具』ですらない──ただ『闇』が、視線の彼方に凝り固まっていた。



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