第6話

 風邪も治りかけて大分具合が良くなってきた兵十に、新しい疑問が湧いていた。

 具合が悪い自分に精がつく様にと、こんが持ってくる兎や瓜坊たち……。


 あれらの獲物を、こんは何処から持ってくるのだろう?


 こんに尋ねてみたものの、秘密です……と言われ、はぐらかされた。

 こんに猟銃が扱えるなんて話は、聞いた事が無い。

 それに猟銃を持ち出した形跡も無かった。

 いくら茂平と弥助は、我が家と親しくて優しいとは言え、あのような獲物をタダで恵んでくれるとも思えない。

 銭を使って購入したのか? ……と思ったが、春に祝言を挙げる為の蓄えに手を付けている様子も無かった。

 別に銭を遣う事に対して文句がある訳では無い。

 現に自分は医者を呼ばれて蓄えの少なくない分を削ってしまい申し訳ない、と思っている。

 その自分に美味いものを食べさせようと遣う銭に、なんの文句があると言うのだろう?

 物を買えば、銭が減る。

 当たり前の事だ。

 物を得ているのに、銭が減っていないから不思議なのだ。


 へそくりかな?


 兵十は、そうも考えた。

 しかし、こんが自分に隠れて銭を何処かへ隠す姿を、彼は想像できなかった。

 大方、茂平に罠を借りて使い方を教えて貰い、こんが自分で捕まえたのだろう。

 兵十は、そう結論づけるのが自然だと思って、それ以上は気にするのをやめた。


「調子も良くなったし久し振りに、今日は猟に出掛けるとするかな? ……今まで、こんには苦労を掛けたな?」

 こんに兵十は、そう伝えた。

「いけません。まだ少しだけ熱があります。今日一日だけは、大人しく寝ていて下さい」

 起き上がろうとする兵十を優しく押して倒しながら……こんは、そう言って彼を布団に再び寝かせた。

「身体が、なまってしまうよ?」

「今日一日だけですから?」

 子供の様な顔をして反対する兵十を、なだめる様に寝かしつけながら、こんは彼の胸を掛け布団越しに優しく叩いた。

「私は出掛けて参りますので、留守を御願いしますね?」

 こんは微笑んで兵十に伝えると、出掛ける為の支度を始めた。

 兵十は溜め息をついたが素直に、こんの言う通りに眠る事にした。


 こんは、ここ数日の狩りに嬉しさを感じていた。

 狐の姿に戻って狩りを行うと、こんは眠っていた本能を刺激される思いだった。


 獲物を追う喜び。

 獲物を捕まえた歓び

 そして、獲物に牙を突き立てる悦び……。


 いつしか自分が、あの時の狐である事を兵十に告げる時が来たならば、その日から自分も狩りに混ぜて貰う暮らしも悪くない。


 兵十は獲物を見つけるのは、下手だが……一度でも獲物が目に入ると、必ず仕留める。

 あいつは村一番の猟銃の使い手だ。


 こんは弥助が兵十の事を、そう褒めていた事を思い出す。

 こんは、まだまだ大きな兎を捕まえるのが苦手だった。

 瓜坊ならば、ともかく……巨大な猪などに飛び掛かる勇気も無い。

 でも彼等の匂いを追って見つけるのは、得意だった。


 私が獲物を見つけ追いかけて出てきた所を、兵十が撃つ。


 その情景を想像するだけで、こんは胸が高鳴った。


 兵十が私に獲物を見つけてくる様にと、近付いてしゃがんで、顔を寄せながら指示を出す。


 その時の様子を想うと、なぜか身体が熱くなってくる気さえした。


 だけど今は、独りだけ。


 間違っても他の猟師には撃たれない様に、人間の気配には細心の注意を払いつつ、こんは森の中で更に深い森の奥へと、また狐の姿で入る為に服を脱ぐのだった。


 そのころ兵十は、ふと目を覚ましてしまう。

 寝過ぎたせいなのか、身体中が痛い。

 彼は布団から出て立ち上がると、腕や脚を動かして柔軟運動の様な動作をする。

 そして、こんに駄目と言われていた筈の……猟の仕事をする為の出で立ちに着替えると、家を出た。


 兵十は春の祝言の前に来るであろう冬の大晦日と、正月の事を考えていた。

 こんも大晦日と正月という行事の存在は、知っていたけれども迎えるのが初めてだと言っていた。

 一体どんな暮らしをしていたのか? ……と、兵十は不思議でならなかった。

 兵十の家では大晦日の年越し蕎麦には、必ず三角に切った油揚げの煮物を入れていた。

 油揚げの煮物の作り方を、こんに教えて食べさせると、大層に喜んでくれた。

 今から大晦日が楽しみだ……と、こんは兵十に笑ってくれた。

 そして正月といえば、何より餅だ。

 こんは食べた事が無いと言うので、茶店の団子に似ているが、より大きくて厚くて美味い物だ……と、兵十は伝えた。

 彼女は、うっとりとしながら涎を口の端より少し垂らして、早く食べてみたい……と、言った。


 母親の元気が無くなってからの兵十は、自分の家で餅をく事も無く、茂平の家の餅搗きを手伝って、出来た餅を分けて貰っていた。


 しかし納屋には、まだ臼と杵が残っている筈だ。

 子供が生まれて成長したら自分と、こんが搗いた餅を食べて欲しい。

 夫婦で仲良く餅を搗く所を見て貰いたい。

 なら餅の搗き方を、こんに教えるのは、今度の正月からでも決して早くは無い筈だ。


 兵十は、そう思った。


 しかし餅米は、それなりに高価な代物だ。

 胡麻や、きな粉に醤油、雑煮に使う鰹節や野菜類に鳥肉は、ともかく……海苔も小豆も、全て合わせれば結構な値段になってしまうだろう。

 せっかくの正月なのだから、汁粉や餡子は別としても、なるべくなら、きな粉だけには綺麗な白い砂糖を使いたいという贅沢な思いもある。


 たくさん銭を稼がないとなあ……と、兵十は思った。


 自分が獲物を狩る間隔を今までの経験則から予想すると、今日から猟を始めて何とかなるという感じだ。

 全てを用意して華やかな正月を迎えるのが無理だとしても、出来る限りは揃えたい。

 なにせ、こんと一緒に迎える初めての大晦日と正月なのだから……。

 兵十は、そう考えて頑張る事にした。


 森の奥は既に雪に覆われて、辺り一面が真っ白な世界だった。

「降ってきやがったなあ……」

 兵十は木々の天辺を見上げながら呟いた。

 雪が、ちらほらと上から舞い降りてくる。

 せっかく外に出てきたのだから獲物を仕留めて帰りたいが、無理はすまい。

 兵十は、あまり森の奥へ奥へと入らずに獲物を探した。

 彼の正面だが少し距離を置いた場所から、がさごそと音がすると、背が低く密集した小さな木々の間から、大きな兎が飛び出してきた。

 兵十は猟銃を構えて兎に狙いをつける。

 すると、兎を追う様にして狐も飛び出してきた。

「あの狐は……?」

 後から出てきた狐の右の耳は、白かった。

「あの時の盗っ人狐じゃないか!」

 兵十は運命の巡り合わせに驚いた。

 しかし不思議と、もう怒りの感情が湧いて来ない。

 湧いては、来なかったのだが……。

「あの狐が兎を仕留めてから、狐を仕留めれば……一石二鳥だな」

 こんには、狐を狩らないと約束した。

 しかし時を経て、ある程度に成長した若い狐の毛並みは、とても美しくて高く売れそうだと、兵十は思った。

 とにかく今は、銭が欲しい。

 狐は彼女に内緒で、また弥助に売ればいい。

 この間の様な色を付けては、貰えないだろうが……あれだけ美しい毛並みの狐なら高値で買い取ってくれる筈だ。


 兵十は、こんに向けて猟銃を構えると狙いを定めた。

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