第4話
こんに、もう狐は狩らないと約束した兵十だったが、既に獲ってしまった二匹は、どうしようか? ……と、途方に暮れていた。
本当だったら毛皮を剥いで売りたい所だが、道具は家の中にある。
今は、こんは寝ているが……作業中に起きて狐を見られたら、彼女は再び気を失うだろう。
家の外で、どうしたものか? ……と、悩んでいる彼の元を弥助が訪ねて来た。
「やあ、弥助。悪いが、この狐を貰ってくれないか?」
兵十は弥助に狐を二匹差し出すと、そう提案した。
「どうしたんだ? こんな立派な獲物を、それも二匹ともタダで俺にくれるなんて……なんだか気持ちが悪いな?」
弥助の疑問は、もっともだったので、兵十は理由を話す。
「実は、こんは狐が大の苦手らしくてな。過去に怖い思いをさせられたのか……見るだけで気絶してしまったんだ」
「へえ、こんさんがねぇ……」
兵十が余所者を家で預かっている事は、既に村では周知の事実だ。
茂平と弥助くらい兵十と親しい間柄だと、こんと会話を交わした事も二、三度では無かった。
少し近寄り難いくらいの別嬪さんだったが、器量は良くて性格も悪くなさそうだった。
何より兵十を看病して元気づけてくれたので、茂平は兵十の父親代わりとしての立場からも特に気に入っている娘さんだ。
弥助も兵十の事を少し羨ましく思う程度には、こんの事を気に掛けて受け入れていた。
兵十は弥助に狐を渡す、もう一つの理由を語る。
「いつぞや弥助の仕掛けた罠を外して、狐を逃がしてしまった事もあっただろう? その詫びも兼ねて貰ってくれないか?」
「そういう事なら、一匹は有難く頂戴するが……」
そう言いつつ、弥助は財布を取り出すと、中から銭を出して兵十に渡した。
「もう一匹は、きちんと買い取らせて貰うぞ?」
「……こんなに沢山?」
兵十は掌の上の銭を勘定して驚いた。
「なあに、それだけの価値がある獲物だ。これで元気の無くなった、こんさんに美味い物でも食わせてやるといいさ」
弥助は笑って言った。
「すまないな」
兵十は弥助の優しさと気遣いが心に染み入った。
翌日の朝。
兵十は何を思いついたのか……こんに留守を頼むと、猟銃も持たずに何処かへと出掛けた。
こんは兵十が帰りは遅くなると言っていたので、洗濯物を干すのを終えると昼飯を先に食べて、夕食の支度を始める時までは、掃除や干した洗濯物の取り込み、そして繕い物などをして過ごした。
日も暮れようとしていた時間に兵十は、ひょっこりと帰ってくる。
「ただいま。今日は、こんに土産があるぞ?」
兵十は、そう言って酒の入った徳利を片手で持ち上げて、こんに見せた。
こんは初めて酒を呑んだ。
そして、その甘い香りと美味しさに喜んだ。
人の身であった彼女は、少しずつ酔っ払って気分も良くなってくる。
兵十も、そんな赤くなった彼女を見て、綺麗だな、色っぽいな、と思いながら楽しくなってきた。
しかし、酔いが回ってくると、こんは少し寂しい表情をして兵十に尋ねる。
「兵十さんは、もう狐は狩らないと、私に約束してくれました」
「ああ、したな……」
兵十は静かに頷いた。
「それでは、あなたが憎いと思っている子狐を見掛けても撃たないのですか?」
こんは兵十に顔を寄せると、じっと見据える。
こんは何故その子狐の事を、そこまで気に掛けるのか? ……と、兵十は考えたが、答えには辿り着けなかった。
幼い子供の持つ可愛らしさに、特に女は弱いのかも知れないな……とだけ、彼は思った。
兵十は自分の母親が亡くなってから、それなりに時が経った事もあり心境が変化していた。
「ああ、殺しはしないよ? 考えてみれば子狐だって、悪気があってした事では無いだろうし……食べる為に、生き抜く為に仕方なくした事だろう。こちらの母親の事情など知っている筈も無いだろうしな……」
優しい表情で、そう語る兵十の顔には、もはや鬼が現れる様な事は無かった。
こんは心の底から喜んだ。
酔いもあってか、身体中が嬉しさの余りに火照ってしまう。
今なら、私の正体を兵十に打ち明けられるかもしれない……。
そう思って彼に話し掛けようとした時だった。
「実は……こんには、もう一つだけ渡したい物があるんだ……」
兵十が、そう言って上半身を捻って後ろに隠していた小さな化粧箱を手に取ったので、こんは告白の機会を失い黙ってしまった。
何より兵十が、自分に渡したいと言う物の方が気になってしまったのだ。
兵十は、こんの目の前まで化粧箱を寄せると、少し照れた表情をして開けた。
中には美しい
素敵な飾りが彫られており、金と銀の箔押しが眩しく輝く綺麗な櫛だった。
初めて見る煌めきに、こんは驚いて目を丸くする。
「これを……私に?」
兵十は頷いた。
「そして、こんには俺から、お願いしたい事があるんだ」
兵十は櫛を、こんに渡すと……そのまま彼女の両手を自分の両手で覆う様に軽く握り締める。
そして彼女の目を見て、はっきりと伝える。
「こんの事が、大好きだ。俺と
その言葉の意味を理解し、こんは驚いた。
兵十は人間で、自分の本性は狐……。
しかし、そんな不安な考えを押し流す様な感情の波が、こんの心の中を満たしていく。
彼女もまた、既に彼の事を心の底から惚れてしまっていた。
こんは涙を流すと、大きく静かに全てを受け入れる様に頷いた。
兵十は、とても嬉しそうな喜びの表情を彼女に向けると、そのまま強く抱き締めた。
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