第3話

 こんと兵十が、一緒に暮らす様になってから月日は流れ、冬が訪れた。

 こんは兵十に内緒で時々、狐の姿に戻ると……こっそり他の家を覗いて、炊事、洗濯、掃除、裁縫などの家事を、より深く勉強して人間の様な暮らし方を身に付ける努力していた。

 兵十は、こんが自分の家に住む様になると、食い扶持は増えたが猟の仕事以外では猟具の手入れや薪割り以外の仕事を段々と、こんが分担してくれる様になったので、暮らし向きは大分楽になった。

 兵十は、こんの正体について幾度となく彼女に尋ねたが、決まって答えは……何れ話します、だった。


 こんは悩んでいた。


 実のところ兵十に自分が、あの子狐の化身であると告げる事に彼女は、さほど抵抗が無かった。

 こんは一緒に暮らしていく内に、彼女の未だ知らなかった兵十の持つ他の優しさに触れる機会が多くなり、彼の事が更に好きになっていった。

 兵十は村の人々からの評判も良く、村の女性達も本来なら兵十を放ってはおかなかっただろう。

 しかし兵十は、生前の母親を大事にし過ぎる余りに、それが返って村の女性達との縁を遠ざけてしまっていた。

 彼女達は兵十の事を憎からず想ってはいたが、自分より母親に、べったりになるであろう彼を夫とするには? と、疑問に思っている者が大半だった。

 兵十自身は、そんな彼女達の思いや、自分が母親べったりに見られていた事にも気づかなかったし、気にしはいなかった。

 そして、こんは、むしろ母親思いの兵十の方が好きな様子だった。

 なぜなら、こん自身も亡くなった母親の事が、大好きだったからだ。

 こんは兵十が食事の時に嬉しそうに、彼が子供の頃の母親との想い出を語るのを、楽しく聞いていた。


 こんは、その内に、こう思う様になっていった。


 優しい兵十なら、きっと子狐である事を打ち明けても私を受け入れてくれる。

 身の回りの世話をする事を許してくれるだろう。


 だが問題なのは、子狐である自分が彼の鰻を奪った盗っ人であるという事実だ。

 兵十が母親の願いを叶える為に捕まえた、今際の際の、その母に食べさせる為の大切な鰻を……。


 こんは母親の話をしていた兵十に尋ねた事がある。

「鰻を盗んだ子狐の事を……今は、どう思われていますか?」

 兵十は驚いた。

 いったい自分は、何時こんに子狐の話をしたのだろう?

 彼は考えたが思い出せなかった。

 それも当然で兵十は、こんに子狐の話をした事が無かった。

 こんは、しまったと思ったが……兵十は、自分が弥助や茂平あたりにした話を、こんが又聞きしたのだろうと勝手に納得した。

「子狐のした事とはいえ……今は、どうしようもなく奴が憎くてしょうがない。森の中で右耳の白い狐を見掛けたら……撃ち殺すつもりだ」

 鬼の様な顔をして、そう語る兵十を間近で目にした彼女は、悲しい表情をして心の中で、そっと涙を流すのだった。

 そんな、こんの顔を見て兵十は、優しい女性だな……と、誤解とも言えない感想を抱いていた。


 兵十は、こんと一緒に食事をする様になってから、気が付いた事があった。

 彼女は何でも好き嫌いなく食べるが、特に肉や魚が好物だった。

 雁を撃ち落として持って来た時は、喜んで水炊きにしてくれた。

 兎を獲ってきた時は、涎を垂らさんばかりの笑顔になって、切った肉に塩を振り、串に刺して炙ってくれた。


 可愛らしい女性との食卓は、兵十に活力を与えるだけでなく、懐かしい子供の頃の母親や父親との食事を想い起こさせた。


 いつかは自分も子供を持ち、傍らには妻がいるだろう。

 その時の妻が、こんであれば良いな……。


 兵十は何時しか、その様な感情を抱くに至っていた。


 ある日の兵十の狩りは、当たりの日だった。

 彼は大きな獲物を二匹も仕留める事に成功した。

 兵十は喜び勇んで家に戻り、扉を勢い良く開ける。

「こん! 見てくれ! 久し振りの大きな獲物だ! こいつの毛皮は、高く売れるぞ!?」

「まあ、それは……いったい、どの様な……?」

 玄関から大きな声を出して喜ぶ兵十を振り返り見て、こんは彼が手にしていた獲物を確認してしまう。

 それは二匹の同胞の亡骸だった。

 兵十は笑顔で尻尾を持ちつつ、その二匹の哀れな狐を、こんに見せつける。

 こんは硬直し、気絶して、横にふらつく様にして倒れた。


 意識を失った彼女は、夢を見ていた。

 満月の明かりが照らす森の中で開けた草原を人の姿のまま裸で走る自分がいた。

 やがて気配を感じて立ち止まると、森の奥から恨めしそうに、こちらを見詰める狐達がいた。

 彼等は裏切り者を見るような目付きで、こんを見ていた。

 こんは恐ろしくなって後退りをした。

 そんな彼女の裸身を優しく包み込む様に、大きな尻尾が巻き付いてくる。

 こんが首だけで後ろを振り返ると、とても大きな身体を持った懐かしい母の顔があった。

 こんの母親は、こんの思う様に、好きな様にしていい……と、そう言っているかの様な笑顔を、こんに向けた。


 こんが人の姿のままで目を覚ますと、傍らには心配そうに覗き込む兵十の姿があった。

「良かった……。気が付いたか? いきなり倒れた時は、驚いたよ……」

 彼は優しい口調で、そう尋ねた。

「すみません……」

 こんは上半身を起こすと、自分の身体が汗で、びっしょりと濡れている事に気が付いた。

「今、拭いてやるからな……」

 兵十は、そんな彼女の様子を見て、水で濡らして、きつく絞った手拭いを用意した。

 こんは上半身だけ着物を脱ぐと、両腕で胸を隠して兵十に背中を見せる。

 兵十は丁寧に、こんが痛くない程度に強く、彼女の身体から出ている汗を拭いた。

 彼は乾いた女物の寝巻きを用意すると、こんに着替える様に促す。

 着替えている彼女に背中を向けながら、兵十は尋ねる。

「こんは、狐が嫌いなのか?」

 こんは答える。

「いいえ」

 兵十は別の尋ね方をする。

「では、恐ろしいのか?」

 こんは兵十が何を聞きたいのか理解した。

 兵十に嘘は吐きたく無いと思う、こんだったが、まさか同じ狐だから亡骸を見て驚いた……とも言えない。

 しかし同胞の哀れな末路を見る事は、確かに彼女にとって恐怖以外の何物でも無かった。

 ゆえに……。

「はい……恐ろしゅうございます」

 こんは兵十の問いに、そう答えた。

 兵十は、着替え終わって布団に入り横になった、こんに伝える。

「そんなに狐が恐ろしいのなら、もう狩らない事にするよ……」

 兵十の、その言葉と、その気遣いが……単純に、こんには嬉しかった。

 彼女は布団の中で身体を横に向けると、兵十に気が付かれない様に、そっと涙を流した。

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