「的を得る」に市民権を?

 大昔から物書きには代表的な誤用として広まっていたものですが、


 現代では特に誤用ではないともされていますね。


 誤用ではないという話が出てから使う人が増えたのか、はたまたその人達が前から使っていたのかは分かりませんが、認められたから、といってそっちに転身する人はあまり見た事がありません。


 ニュースで取り上げられるほどの事ではありませんから、未だに誤用と認知する人もいれば、違和感のある人もいる。


「的を得る」を使って素人だと思う人はいても、「的を射る」を指摘する人はいませんから。


「的を得る」を使うのなら、「この人はまだ物書きとしての経験が浅いのだな」と思われる事を考慮しておかなくてはならない。


 考慮するという冒険をする必要が無い。



 結局は「社会がどう思うか」でしかないのだから、100%安全な方向があるのにそれを選択しないのはただの不備です。


「間違いだから」ではないんですね。



 なぜなら普通に使われている表現に「射程距離」があります。


「程」というのは距離の事なので、意味としては「射てる距離の距離」です。


「頭痛が痛い」と全く同じです。



 ちなみに「頭痛が痛い」も頭の悪い表現の代表ですが、誤植ではないんですね。


 日本語では同じ意味を続けて強調する手法は認められていますから。


 痛みを強調しているわけではないだろう、というのは置いといても、


「頭痛」というものを病名……名詞だとすると文脈的にも間違いではないのです。


「傷が痛い」と言っているのと実際には同じです。



「着物を着る」も普通に使われますね。


 文字にすると違和感出る人もいるものですが、「着物」も「着る物」ではなく「キモノ」という衣類の名称として認識されているからです。


 文字の並びの問題なら「肌着着た」ではどうでしょうか。



「汚名挽回」も厳密には間違いではないとされる記事がニュースでも流れましたが、


 それなら――とこぞって使う人が現れるわけでもありませんね。



 なので今も使っている人は前から間違っていただけの可能性が高い。


 間違う、というのはそれまで正しい表現に出会う機会がなかったという事。


 機会がなかったという事は、まだまだ経験が浅いという事。


 経験が浅いなら他にも色々と拙い所があるのでしょう。


 という解釈をされる場合があるかもしれないので、使うべきではない。



 と思うのですね。

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