誤用の広まり

 文章に誤用、誤植が混ざっていても、それを認めない。


 明らかに誤用だと分かっていてもそれを押し通す、確信犯です。




 とまあこの「確信犯」という言葉も元々は「政治的確信に基づいて行わる犯罪」の事です。


 「悪いと分かっていてやる犯罪」とは遠くなくても違うものです。


 罪になる事を理解した上で行う、事には違いないですが、そこに信念がある事に意味があるので、用途としては適さない事になります。


 まあこれは「確信犯」という言葉を最初に定義した側にも問題があるとは思います。


 政治的確信に基づいて行わる犯罪には馴染みが無いです。


 個人的な意見を言うなら「絶対領域」とあまり変わらないネーミングですね。



 現在は辞書でも認められ、テレビラジオで普通に使われています。


 言葉はそこから意味が通じなくては適切とは言えませんので、これは正当な改革と言えるのではないでしょうか。

 (でもこれ法律用語なので裁判では誤用になり、場合によっては取り返しのつかない事になります)



 誤用も広く普及すれば認められるので、言葉の改革は時代と共に進みますね。


 ネットの普及でそれは急速に進みました。


 中には誤用して、指摘されると「今は認められてるんですよ? 知らないんですか?」と鬼の首を取ったように返してくる人もいます。



 割と新しい物では「的を得る」。


 正しくは「的を射る」なのですが、実はこれも諸説あります。


 しかし説はあくまで説なのであって、「的を得る」が改稿によって直されてきたのは事実なんですね。



 広く使われているから、テレビで言っているから、辞書に載ったから、と平然と誤用するのが間違いだとは言いませんが、

 確実に言える事はそういう人達は日本国民であるという自覚が足りない。



 日本の文化は外国の人も見に来るわけです。


 日本語を学ぶわけです。


 日本語学校の講師は言葉の語源、意味を説明するわけです。


「Target ヲ get スルとはどういうシチュエーションなんデスカ?」


 と質問されるわけです。


 縁日の射的で的に命中させれば景品をゲットできるので、そうとも言える。


「ではライフルを射るでイイんですネ」


 とかになるので確証のない事は言えない。きちんと語源を説明できるなら正しいものとして良いと思います。



 誤用が広まって定着したものはそう教えるしかない。


 そんなものが増え続けると「日本人は日本語をちゃんと使えない民族なのか?」という印象を与えかねない。



 皆が使ってるから――ではなく、言葉の意味をちゃんと考えるようにしていきたいです。



 以前取り上げた「課金する」もそうですね。


 ネットで課金した、とか言われますが、課税が「税を課す」納税と対になる言葉ですが、課金はお金を支払う意味で使われています。



 今時の人は自分の妻の事を「嫁」と呼びますが、嫁というのは「息子の妻」の事です。


 奥さんが旦那を呼ぶ時に「婿」とは呼びませんね。


 かなり昔から定着している言葉ですが対になる言葉が崩れてしまっています。


 婿を夫の意味にしてしまったら、必殺仕事人の「婿殿」の意味が変わってしまいます。



 読み方ですが、「重複」は「ちょうふく」ですね。


 「じゅうふく」と読む人も多いですが、統計的には「ちょうふく」が多いそうです。


 知っているけど癖で使っている人も多いかと思います。


 これは「ちょうふく」と読むと「正しい日本語を使う人」に見られる傾向もあります。



 似たものに「続柄」。


 「ぞくがら」と読む人多いですが「つづきがら」が正しい。


 契約を取る仕事をしている人など正しい日本語を使っていれば相手に与える印象が違いますね。


 日本語の表現としては自由でも、相手が誤用だと知っている場合、結果に影響するかもしれません。


 大衆に馴染みが無いので反対に「気取りやがって」と気分を害されるかもしれませんが。



 しかしながら


 寄贈「きそう」


 依存「いそん」


 など、発音が濁るものは使っていく上で言いやすいように変わっていったものですから、読み方は正当な改変と言えると思います。


 依存などはプログラムやっていれば3秒に一回は言うくらい馴染みのある言葉ですが(嘘です。そこまで多くないです)、


 皆「いぞん」と発音しますね。


 漢字変換もどちらでも出てきます。



 「新しい」も「あたらしい」と読みますが、


 これも本来は「あらたしい」が正しい物です。


 「新たな」は「あらたな」と読みますね。


 これも言いにくいから変わっていったものだと思います。





 言葉の改変というのは意味が伝わりにくいなど、不都合がある場合にされるべきだと思います。


 単純な誤用が広まるのはそれだけ学校できちんと教えていないからなのであって、

 それはそのまま国の学術水準なんですよ。


 そしてその水準を諸外国は量るんですね。


 言葉はそういうものなんだ、言葉くらいで、と言ってしまえばそれまでですが、


 その水準が言葉だけにしか現れていない、なんてのはちょっと考えられない。



 その改変が進化なのか退化なのか、そこが問題だと思うわけです。

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