第七羽 うさぎ飼いの夜

動物駅から快速電車に揺られること十分。繁華街の最寄り駅である向日駅で各駅停車に乗り換えて五分。そんな場所にある南向日駅。私たちはそこまで事前に呼んでおいたタクシーで移動する。この駅周辺は土地的に高台になっており、駅の傍にある公園から見える景色は素晴らしいものだ。アニマルカンパニー社もその姿を遠くに見ることが出来る。

私たちの目当ては公園ではなく、その近くにあるグランドホテル。さらにその最上階にある夜景の綺麗なレストラン。

私と東十条さんは、窓際のテーブルに座り、夜の光に包まれた夜景を見ながら、コース料理を食べている。



うさぎ飼いの夜。


二人用の大きさのテーブルに向かい合う私と東十条さん。店内に明かりは殆ど無く、テーブルの上に蝋燭が置かれており、それが幻想的な雰囲気を作り出しながら限られた世界だけを照らしている。これは夜景をより綺麗に見せるための演出でもあるようだ。

「景色綺麗ですね。私、こんなドラマのワンシーンでしか見られないようなレストラン、初めてきましたよ」

今日は先輩に任せなさいと言って、店選び、コース料理、ワイン選び。その全てを東十条さんはしてくれた。仕事だけでなく私生活も充実している感じで、本当に尊敬出来る存在だ。そんなことを思っている私に、東十条さんは疑っていない表情で話しかけてくる。

「またまた、彼女とよく行ってるんじゃないの」

「彼女は私の部屋から出ようとしないですからね」

「ふふ、妬けるわね」

ペットのうさぎに妬かれても困る。


私たちの皿が空になったときに、タイミングよく次の料理が運ばれてくる。例え気を許しあっている同士でも料理の待ち時間というのは長く感じるもので。だからこの気配りは嬉しい。ウェイターが運んできたのは、メインディッシュであろうステーキ。少し小さい気もするが、コース料理として出てくるものはこんなものなのだろう。そしてステーキの横には、にんにくの欠片が置かれていた。

「そういえば、どうして増田さんと別れたのですか」

東十条さんと増田さんは、今でもまだ付き合っているのではないかと思えるぐらい、社内で仲が良いのだ。そういう雰囲気をしている二人を見て、ずっと気になっていた。

「こんなときに他の女性の話をするなんて、罪な男だな」

東十条さんはそう言って、やれやれと手を上げる仕草をする。

「増田さんは男性ですよね」

オカマさんなので普段は女装をしているが。そしてここにいる女性は、普段は男性の格好をしている。なんともややこしい話だ。

「そんなややこしい話じゃないわよ。うさぎに対する考え方の方向性。それがお互い変わっていったということ」

そう言うと、東十条さんは視線を夜景へと移す。

「前にも言ったと思うけど、私と京子は同期なのね。そして、うさぎ課の一期生でもある。うさぎ課自体は実は歴史が浅かったりするのよ。でもまぁ働いているのは他の課から移ってきた人なので、素人ではないけどね。ちょっと話がそれちゃったから戻すけど、その当時は私たち二人とも社長兼うさぎ課長のロップじいの下で働き、ロップじいの考えるうさぎ論に賛同していた。でも、しばらくして京子はうさぎ課を出て猛獣課に異動した」

「どうしてですか?」

「それは、うさぎを捕食する側を理解するため」

東十条さんは少し思い返した後、そのときに増田さんが言った言葉を教えてくれた。


うさぎを捕食する側を学ぶことで、うさぎが危機を感じる状況をより深く知りたかった。頭上から触れられるのを怖がるのは、鷹のような空からの捕食動物に本能的に怯えているから。それなら同じ視線の高さから触れられるのはどうか。同じ視線を持つ捕食動物には、イタチがいる。だからもしかしたら実は同じ高さの視線から触られるのも少しは怯えを感じているのかも知れない。そういった理由から、捕食する側の動きを理解することで、うさぎが本当の意味で安心出来るスキンシップ。それを探すのが私のうさぎに対する方向性よ。


「だ、そうだ」

東十条さんは切り分けたステーキをにんにくと一緒に口にする。

「人間だってうさぎを捕食する側だ。だから愛情を注いで飼っているとは言っても、くつろぎの姿を見せてくれているとしても、少なからず怯えは持っているのかも知れない。こればかりは聞いても答えてくれないしな」

確かにラビーも足を伸ばしてくつろいでいる姿を見せるが、そこで少しでも近づくと反応してその体勢を元の移動出来る状態に戻している。でも、ウーサはそうでもなかった気がする。

「あくまで俺たちうさぎ課は、うさぎのために生きるもの。いくらうさぎのことを考えるためとは言え、捕食する側の世話をするのは筋違い。俺はそう思った。だから、京子とは別れた」

そこまで言うと、東十条さんはこっちを見て、申し訳なさそうな顔をする。

「ごめんね、つまらない話をして。ささ、食べましょう」

東十条さんはそう言って、食べる。ステーキではなく、少し大きめなにんにくの欠片を。

それはにんにく好きな増田さんに敬意を払っているように見えた。

ウェイターが近づいてくる。

「お客様、お飲み物のおかわりはいかがでしょうか」

グラスが空になったのと同時に、私たちに声がかかる。

「私はオレンジジュース。東十条さんは?」

「俺もオレンジジュース」

ドレスを着てどこから見ても女性な姿をしているのに俺という言葉遣いをする東十条さん。だがウェイターはそんなことを気にする様子もなく、カウンターへと向かっていく。これがプロか。

「野うさぎ君は、お酒飲まないんだ。飲めないの?」

「いいえ、飲めますよ。飲まないだけです」

私の答えに、東十条さんは感心したようだ。

「その理由は、俺と同じということね」

私は頷いた。私たちだけが納得していてもあれなので、その理由を説明しておく。うさぎにはアルコールはよくないからである。直接飲ませるのはご法度として、アルコールを含んだ息をうさぎの近くでするのも出来る限り避ける。それが習慣になっているから、基本的には飲まないようにしているのだ。

うさぎにとってよくないもの、食べてはいけないものと言えば、アルコールの他にも、ネギ、にんにく、人間用のチョコレートや甘いお菓子もそうだ。何故食べてはいけないのかというと、中毒症状を起こす原因になるのと、うさぎには高カロリー過ぎるからだ。

だが私は何か引っかかる。本当にそれだけの理由なのだろうか。そんなことを考えていると、

「せっかく感じのいいレストランで食事しているのだから、今日ぐらいはうさぎに遠慮せずに美味しいものを食べましょうよ」

東十条さんはそう言って、ステーキの皿に乗っているネギを食べている。

「東十条さんはネギが大好きですよね」

東十条さんは、そうなのよ!、と言いながら私の皿にあるネギまで食べてくる。どうやら本当にネギが好きなようだ。



 ☆



ごちそうさま。


食事も一段落し、私たちは一息つくことにした。東十条さんは化粧直しに行き、私はその間、少し前に運ばれてきたコーヒーを味わいながら、静かに夜景を眺めていた。そして、思いに耽る。

明日は、私がアニマルカンパニーに残ることが出来るかが決まる日。私の今後の人生が変わる日になるのだろうか。就職活動をしていた頃もこんな気持ちになっていたのだろうか。全然思い出せないが。

ぶるるっ。武者震い。そして、高鳴る鼓動。

「ただいま」

この鼓動は、明日を思ってのことなのか、それとも目の前にいる女性を想ってのことなのか。

「おかえり」

今の私には、その答えはわからなかった。



 ☆



東十条さんは相変わらず話題が豊富で。普段うさぎ課であれだけ話をしてくれているのにも関わらずよくそれだけレパートリーがあるものだと関心する。だから時間はあっという間に過ぎていき、気がつくと、二十三時を過ぎていた。食後のコーヒーも飲み飽きて、そろそろレストランを出ないといけないかなと思っていたそのとき、ウェイターがやってくる。

「よかったら、これをどうぞ」

私たちの元にワイングラスが置かれる。そして、その中に注がれるのは、

「これはお酒ではなく、純水の炭酸水です」

このワイングラスに入れられた炭酸水の意味は何か。私がわからないでいると、東十条さんはそのグラスを手に取り、優しく微笑む。

「さっき化粧直しするときに頼んでおいたの。せっかくだから、最後に乾杯しましょ」

私たちはオレンジジュースを頼んでいたから、そういえば乾杯をしていなかった。私もグラスを手に取り、そして東十条さんを見つめる。東十条さんは優しく微笑んでいる。

「「乾杯」」

カキンと響くグラスの重なる音が、とても心地よかった。



 ☆



炭酸水で口を濡らした後、東十条さんはテーブルの上にカードキーを置いた。そしてその濡れた唇を開く。

「ねぇ、今夜は泊まっていけるよね」

食事に誘われたときから期待と覚悟をしていた。私は高鳴る鼓動を隠すように、

「もし私が断ったら一人で泊まる気だったのですか」

と変なことを聞いてみる。そんな私の心境を見透かしているのだろう。東十条さんはニタっと笑いながら答える。

「もちろんよ。ホテル代が勿体ないでしょう」

そして、テーブルの上から身体を迫り出し、私にさらに問いかける。泊まるのか、泊まらないのか、と。そんなに身体を前に出すとドレスの谷間から見えるものがががが。

私は躊躇いなくカードキーを手に取ったとさ。

「ふふ、じゃあこっちは私が取るわね」

そう言って東十条さんはウェイターを呼びつけ、支払いとしてカードを手渡した。いちいち行動が私よりも男っぽい。だから東十条さんは嫌いだ。



 ☆



ホテルの一室。そのベッドの中。時計が何時を指し示しているかはお伝えできない。

「私たちは、これで恋人になったのですか」

「ふふ、野うさぎ君は色々甘いわね。本当の大人というのはね、もっとドライ、そう辛いものなのよ」

「それじゃあ明日私がロップじいに勝って正式にアニマルカンパニーの社員になれたらどうですか」

「だから甘いって言っているのよ」

東十条さんはそう言うとベッドから出て、一糸纏わぬ姿のままシャワールームへと向かう。そんな姿が、何故か悲しみを帯びているように感じた。


わからないから、このまま寝てしまう? まさか。


私もベッドをカカッと抜け出し、東十条さんを後ろから抱きしめる。東十条さんは一瞬ビクッとするも、すぐにその体重をこちらに預けてくる。そして、顔だけをこちらに向けてくる。それに合わせて口付けをする。

「よかったら、うさぎについてお互い語りませんか。朝まで」

そんな私の提案に、東十条さんは、もーー、と拗ねたように笑う。

「何よそれ。昔の俺に対するあてつけかしら」

「単純に、色々話をしたいだけですよ」

私がそう言うと、東十条さんは恥ずかしそうに小さい声で言った。


「おかわり、のあとでね」

私たちはうさぎ課。その欲望もうさぎ並。いや、なんでもない。


もちろん、もう一度のあとはお互いに疲れてしまい、そのまま眠りに落ちてしまって話は出来なかったとさ。


いやらしい場面を終え、舞台は、決戦の金曜日へと続く。



 ☆



時間は二人がいちゃいちゃし始めた頃に戻る。場所は、野花家。

ラビーは、飼い主が帰らないので小屋の中でふて腐れている。今日は食事をもらえないのかと憤っている。が、日付が変わった瞬間。

ガチャガチャ。

小屋の隅で音がする。その音をした方をラビーは見る。するとそこには食事が置かれていた。一目散に餌箱に飛びつき、がつがつがつがつ。


仕事をする以上、何かしらの事情があって家に帰れないこともある。そのことを考え、二十四時に自動的に餌が支給されるようにセットしてあるのだ。突然の外泊になっても慌てない。それが大人のうさぎ飼い。


うさぎは寂しいと死んでしまう。それは迷信。なぜなら今ここに一羽留守番するラビーは、

ゴロン。

盛大に寝転がり、くつろぎ、一人の静かな夜を満喫しているのだから。

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