第五羽 エリート
アニマルカンパニー、うさぎ課。そこでの仕事は多岐に渡る。仮入社の身分では週次ミーティングに出席しないので私が知る機会があったものだけになるが、仕事内容を紹介していこう。
まずは、社内で飼われているうさぎの世話。うさぎの中にはドラマや雑誌に映るアイドルうさぎもいて、彼らには専属スタイリストがついている。飼われている場所もアイドルうさぎ達だけ建物の最上階とのこと。私はあくまでアイドル以外のうさぎの世話のみ許可されているのでその部屋に入ったことすらないが、時々建物の前ですれ違うスタイリストさんの雰囲気からして、王族が住むような部屋になっているに違いない。おっと、話が逸れた。うさぎの世話は、基本的に家で飼っているうさぎに対して行っている事と変わりは
無い。なので仕事をしているという感じはしないが、ことうさぎ課にとってはこれが重要な仕事であることを認識している。そういった心構えの違いが、仕事の出来の細部に関わってくるもの。この言葉を教えてもらえたことだけは、前の会社の上司に感謝しなければならない。
その他の仕事と言えば、うさぎ関連商品の営業だ。うさぎ課で開発した商品を全国のうさぎを扱っている店に勧めていく。これはいかにその商品の知識を持っているのか、うさぎがその商品を触っているときを見ているか、知っているかが重要になる。お客様は人間側が想定した使い方を聞きたいわけではなく、実際にうさぎ達が使ってみてどういう結果になったのかを知りたいのだから、
そして、うさぎ関連商品の開発・改良。現在、うさぎ商品考案大会としてアイデアを競い合っているが、普段からもそういったことはうさぎ課内で行われている。
つまり。
私が仮入社としてうさぎの世話やうさぎ商品考案大会に出ているということは、正式な社員になったときに必要なスキルを養っているということになる。仮配属として過ごすこの一ヶ月間。私はロップじいや他の皆の好意に恥じぬよう、努めなければならない。
だがその決意は、彼によっていつもかき乱されている。
「おーい、野うさぎ君」
東十条さんだ。彼はいつも不真面目な態度や言動をとっているように見える。しかしアニマルカンパニー社内の大会においての優勝数はトップである。うさぎ商品の開発数、新規営業場の開拓、うさぎ育成理論本の執筆。そしてうさぎだけではなく学会で動物論が評価されるなど、幅広い知識も合わせて持っている。彼の噂を聞けば聞くほど、エリートであることがわかる。普段見せている姿は、仮の姿なのだろうか。
「野うさぎ君や、デートしようか」
「東十条さん、仕事中ですよ」
「えっ?! それはまさか仕事中じゃなかったらいいってことかな」
「違います」
東十条さんは残念だなぁと言いながら笑っている。これだから、この人は嫌いだ。
東十条さんは、仕事中にこんな感じに色々とちょっかいを出してくる。今もまたそうだ。何故か私に上着を着るように促してくる。確かに今日のうさぎ課内は肌寒いけど、私は少しぐらい寒いほうが好きである。
「そうじゃないって。今週はロップじいも戻ってきたから仕事に余裕があるだろ。だからせっかくだし、まだ行っていないところを案内してやるよ」
昔、新入社員が猛獣課に迷い込んで食べられたという噂を聞いてから一人で第一セクションの探検すら出来なくなっていたので、これは嬉しい提案だった。
私は仕事をきちんと努めるのは明日からにしようと駄目な決意をして、上着を手に取った。
☆
うさぎ課の周りの位置関係を説明しようか。うさぎ課のある建物は、アニマルカンパニー社の敷地の南西にある。うさぎ課を出て東に少し歩けば、私が初めて訪れたときに歩いた庭園のような雰囲気を持つメインストリートがある。そこから南に行けば動物駅方面、北に行けば第二以降セクション、そして社長室のある本社がある。
メインストリートから東側のエリアは、うさぎ以外の小動物エリアとなっている。犬や猫はそちら側のようだ。
では、うさぎ課の西側はどうなっているか。
私と東十条さんは、うさぎ課がある建物を出て西側にある道に入る。こちら側にはまだ行ったことがないのでどきどきだ。前を歩いている東十条さんは振り返り、私にデートだからもう少し近くで歩けとわけのわからないことを言っているので、私は頷いて近くに寄る。これでも上司には従順なのだ。
横並びに歩く私たち。視線はお互いに前方に向けているのが普通だと思うが、東十条さんは口を開くたびに視線をこちらに向けるからこけそうに見えてあぶなっかしくて困る。でも目線がこっちを向いていても障害物を避けるから、うさぎの様な視野を持ってそうだ。
そんなことを思いつつ、気がついたことがある。
「東十条さん、赤いですね」
その言葉に、東十条さんはわざとらしく驚く。
「なんで俺が赤いパンツを履いていることを知っている。君はエスパーか、透視か。いやらしいやつだな」
と、わけのわからないことを供述しており。
「いや、眼ですよ。でも今まで何度も東十条さんの眼を見ていたと思いますが、赤いイメージなんてなかったのですけどね」
そうなのだ。何故か今日の東十条さんは赤い眼をしている。充血しているという意味ではなく、中心の黒目の部分が赤いのだ。私の言葉を受け、東十条さんはさりげなく胸ポケットから小さなケースを取り出す。そしてそれをこちらにちらっと見せてすぐにまたポケットに戻した。
「カラーコンタクトだよ。俺はパンツの色にあわせて、コンタクトの色を変えているのだよ」
「なんでそんなことを?!」
「お洒落だからだよ。だろ?」
残念だがその意見には同意出来ない。なので私は苦笑いをしながら足を少し速めることにした。
気がつくと足元が石畳から芝生に変わっている。周りもメインストリートやうさぎ課の辺りの整備された感じではなく、公園の一部のような雰囲気になっている。そして、所々にうさぎの糞らしきものが落ちているのが見える。
「ここは、うさぎの散歩コース。いくらあのうさぎ達がいる部屋が広いといっても、たまにはこういう陽が当たる場所で散歩させないと元気に育たないのさ」
私が今自宅で飼っているうさぎのラビー。彼女を一度外に連れて行ったことがあるが、そのときは怯えてなのか全然動かなかった。うさぎ課のうさぎ達が喜んで散歩するというのなら、やはり外で散歩するということも慣れが必要なのだと思う。ラビーも小さい頃から少しずつ慣れされておけばよかったかな。
そんなことを思っていると、東十条さんはうさぎの散歩コースに面している建物の壁を指差す。そこには一メートル四方程度の大きさの絵画がいくつも飾られていた。おそらく有名な絵の複製画だろう。名前や作者まで思い出すことは出来ないが、どこかで見たような作品ばかりだ。
「これはうさぎ課の皆で提案して飾ったんだよ。うさぎ達にも色々な絵を見せてやりたくてな」
東十条さんはそれぞれの作品の近くまで行き、タイトルと作者と見所を順に説明してくれる。でも一気に覚えられるわけもないので、大半は耳から零れていってしまった。ココロの中でごめんなさい。
私は、なるほどと言いながらも、気になることがあるので尋ねる。
「うさぎ用にしてはサイズ大きくないですか」
東十条さんはその言葉に、何もわかっていないな、と首を振る。
「おいおい。野うさぎ君は絵画を見るときに自分の身体のサイズにあわせた大きさにするのかい」
「しないですね。なるほど」
東十条さんの言うとおりだ。実際に飾られているものと、画集に載っているものとではイメージも感じ方も大きく違うものだ。だからこそ私たちは美術館に海外の絵がやってくるのを楽しみに待っているのだ。言われるまで気が付かなかった。この観点は今までの私にはないものだ。それはつまり、新しいアイデアを生み出すきっかけになるかもしれないし、ならないかもしれない。
「おーい、置いていくぞー」
そんなことを考えていると、いつの間にか東十条さんは先に進んでいた。私は追いつこうと小走りに向かおうとして、
「うさぎの散歩コースでは、走るの禁止!」
歩いて向かった。
☆
うさぎ課がある建物を出て、西側にあるうさぎの散歩コースを越えたところにある横長の大きな建物の前に私たちは着く。この建物には入口が複数あり、警備員がいないところからして、倉庫だろう。
「正解。ここがイチイチ倉庫だ」
第一セクション・第一倉庫だから、イチイチだそうだ。イチイチでイチャイチャするクチャラー。なんでもない。
しかしアニマルカンパニー社にある建物は基本的に外見はほぼ同じである。なので一見しただけでは何の建物かがわからない。ここイチイチ倉庫の場合は、横長であるということと、空調音が他の建物に比べて少し大きめである。倉庫と言えば海岸沿いにあるものをイメージして、シャッターの入口を想像されるかも知れないが、あくまで基本構造は一緒なので自動扉になっている。
東十条さんは社員証をセンサーにかざし扉のロックを解除する。解除音を確認し、私たちは中に入る。中の冷んやりした空気が私たちを包む。
「この中には第一セクションで飼われている動物の餌が保管されている」
中はホームセンターの様な内装になっており、ただそれと違うのは、並べられているのが全て動物の餌ということだ。
東十条さんは何かを思い出したようだ。
「昔、京子に猛獣セクションの餌が置いてある倉庫に連れていかれたことがある。いいか、言っておくぞ。あそこは俺たちが入る場所じゃない。いいか、もう一度言うぞ。あそこは俺たちが入る場所じゃない」
あの東十条さんが思い出し震いしながら二度言った。よっぽどのことだと理解した。私たちはそんな怖い話を含めた雑談をしながらも、うさぎの食事が置いてある区画に辿り着く。
「あれ、ここには普段うさぎに与えているもの以外の種類のペレットも置いてあるのですね」
ペットショップで見かけるような様々な種類のものがある。
「ああ。基本的には同じ種類のペレットをあげるようにしているけれど、体調によっては低カロリーのものに変えたりもするんだ。アイドルうさぎの皆さんは、もちろんこの高級なやつだ」
なんてったってアイドルだしな。正直に言うと内容の違いがよくわからないので、値段でその良し悪しを判断していたりする。うさぎ課で働くのであれば、今後はそんなことではダメなので勉強しておこう。
などと思っていると、東十条さんは自然な動作でペレットが入った大袋を開け、中から数粒取り出し、それを口に入れる。ボリボリボリという、うさぎが食べているときと同じ音が静かな倉庫内に響き渡る。それを見て驚いている私に、東十条さんは一言。
「ん? 野うさぎ君も食べるかい?」
私は全力で首を振った。
「というより、なんで食べているのですか?!」
東十条さんはやれやれという仕草をする。
「その質問はもう何回されたかわからないな」
そう言いながら、今度は別の袋を開けて、ボリボリボリ。
「野うさぎ君は、自分自身で食べられないものをうさぎに与えているのかい。それじゃあ出荷用と家庭用で農薬濃度を変えている農家と同じだぞ」
それとこれとは問題が違う気がするし、農家も売るために仕方なく農薬を撒いていると聞く。でも最近無農薬野菜の販売もそれほど高価ではなくなってきていることからも、努力でなんとかなる問題だったのかもしれない。あれ何の話だっけ。
「そんな難しく考える必要はない。うさぎに対して筋を通す。それだけ守ればいいのさ」
そう言って、東十条さんは私に対してペレットを渡す。
今までペレットを自身で食べるということを考えたこともなかった。でも実際に食べようと考えたとき、衛生面は大丈夫なのか、腐ったりしていないのか、害はないのかといったことが頭を過ぎる。
「可笑しい話ですね、自分自身が食べるということになって初めて、色々考えさせられる」
自分自身で飼っている可愛いうさぎに対してすら、これらを考えたことはなかった。それだけ私は無責任でいたのか。確かにうさぎに健康でいて欲しいという思いを持っていても、これでは筋が通らない。
私は決意して、ペレットを口の中に入れようとしたその瞬間、私の手は払われる。地面に落ちるペレット。
私の手を払ったのは、食べろといった本人、東十条さんだった。一体何が起きたのか。
驚きの目で東十条さんを見ると、その手には小さなクッキーがあった。それを口の中に入れて、ボリボリボリ。その音は、さっき聞いた音とそっくりだった。
「まさか」
「そのまさか。実際はクッキーを食べていたのだよ。ペレットを食べるわけないでしょう」
そう言って東十条さんは、いやらしく笑った。
今までに何度言ったかわからないが、今回も言おう。私は東十条さんが嫌いだ。
☆
ペレットと言えば。
「そういえば、ペレットについて質問があるのですが、よろしいでしょうか」
「お、人気の無い場所での二人きりの勉強会だな」
そういう危険な発言は置いといて。ここもうさぎの知識がある方は読み飛ばしていただいて大丈夫である。では、れっつうさー。
うさぎの食事は大きく分けて、ペレットと、チモシー牧草に分かれる。ペレットの原材料は草。そしてチモシー牧草も、もちろん草である。同じ草なのに、ペレットを与える量は制限するがチモシーは基本的に食べ放題にする。この理由は何なのか。
「簡単に言えば、草の栄養分の違いだな。例えるなら、俺たちが食べる野菜も、同じ緑色の野菜でも栄養素が違っているだろ」
「確かに」
「そもそもペレットというのは、その形状を意味する。だからもちろんその種類は様々だが、基本的には人間でいうところの白ご飯だと思えばいい。そして、チモシー牧草がおかずだ。白ご飯ばかり食べていると太ってしまう。バランスよく白ご飯とおかずを食べなければいけないというわけだ」
「なるほど、そういうことだったのですね」
「草と言っても色々な種類があるということ。またその種類も季節によって変わってくる。アイドルうさぎ以外ではそこまで厳密に使い分けする必要もないし、そもそもうさぎにも好みはあるから、餌を変えようとしたら食べなくなることもある。大切なのは、こういったことを飼う人間が意識する必要があるということだ。意識していれば、自ずとどういった行動をとらなければならないかは理解出来るはずだ」
「私はホームセンターに売っているお徳用のペレットとチモシー牧草を与えています」
「もちろんそれでも悪くはない。だが、うさぎが歳を重ねたときにいざカロリー低めのペレットに変えようとして、それを食べなかったら困るだろう。だから、小さい頃から少しずつそれらを与えていき、慣れていってもらったほうがいい。ほら、うさぎ課で飼っているうさぎ達は何種類かの餌を食べることが出来るだろ。自然とそういう風になってくれるのが理想だな」
「なるほど、勉強になります!」
「うむ、今回の勉強会は文章だけじゃなかったな。こっちの方がわかりやすいかな」
誰に問いかけているのだろうか。そんなことを思った今日この頃。そんな勉強会。
☆
うさぎの餌についてイチイチ倉庫で東十条さんとイチャイチャ話をしていると、足音が近づいてくるのが聞こえる。その音がする方を見ると、見慣れた女性が近づいてきていた。
「東十条先輩、野うさぎさん、探しましたよ」
愛撫クイーンだ。少し息が切れている辺り、色々な場所を探し回ってくれたのだろう。申し訳ない。愛撫クイーンは話を続ける。
「今日はロップじいの視察がある日ですよ。色々と隠さないとまずいことになりますよ」
東十条さんと私はお互いに携帯電話を取り出し、現在時間を確認する。視察の時間まであと十五分ほどになっていた。
「おお、あぶないところだった。ありがとう愛撫クイーン」
「だからその言い方はやめてください」
東十条さんはそんな愛撫クイーンの言葉に、珍しく微笑みで返す。
「それなら、もう一つぐらい全社大会で優勝するんだな」
そして、私と愛撫クイーンを残して、我先にと駆けていった。
私はその後姿を見ながら、思う。東十条さんが、撫子さんが愛撫クイーンと呼ばれることを嫌がっているのがわかっているのに、ずっと言い続ける理由。その理由が今の言葉なのじゃないだろうかと。そう思うと、やはり無性に思う。東十条さんが嫌いだ、と。
私と愛撫クイーンも、東十条さんに続いて戻る。戻っている最中に、愛撫クイーンにさっきの倉庫での出来事を言うと、
「野うさぎさん、東十条先輩に騙されたのね」
「そうなんですよ、危うくペレットを食べるところでしたよ」
「そこじゃないわよ」
「えっ?」
「東十条先輩はね、」
ごくり。思わず生唾を飲む。
「ペレットの味判別大会の優勝者よ」
☆
うさぎ商品考案大会、予選第二十五回。
三回目の挑戦となる。ここで負けてしまうともう後がなくなってしまう、なんて、負けたときのことを考えてはいけない。今日、勝てばいいのだ。自分のアイデアに自信を持たなくて何がプレゼンテーションか。
『それでも、楽しまなきゃ。自分自身が楽しんでいないと、うさぎのことを楽しませることも出来ないわよ』
愛撫クイーンの言葉を思い出す。気負いし過ぎの自分を勇める。
「気負いするぐらいでいいぞ。相手はこの俺なのだから。まぁ肝心のアイデアがどうしようもなかったらプレゼンをがんばっても仕方がないところだがな」
そう言って現われたのは、東十条さんだった。言葉は普段どおりだが、表情からいつものふざけた感じが消えていて、まるで別人だ。本当に彼は東十条さんなのだろうか。
「いいか、アイデアは思いつきじゃない。日々どれだけうさぎと接しているか、日々どれだけうさぎのことを考えているか。そしてさらにうさぎ以外の動物の視点から見ていくことでわかる世界もある。そういう意味でこのアニマルカンパニーという会社は作られているというわけだ。そこで俺がトップマスターでいられることの意味。それを今日の勝負で理解して、最終戦のアイデアを考えるといい」
東十条さんの勝利は確定という言い方。だから私は彼が嫌いだ。
私は舞台に上がり、審査員を、東十条さんを見て、口をゆっくりと開く。
「私が提案するのは、ペットボトルに巻く藁シートです」
ある日、私は何気なくうさぎの目の前でペットボトルをクルクルさせて見ました。すると、前足を使ったり思い切り噛み付こうとしたりと、今までに見せたことがないような攻撃性を出してきたのです。色が問題なのかと思いましたが、どの色のペットボトルでも同じような仕草を見せるので、目の前に回転するものがあるということに何か感じるものがあるのだと思われます。この行為でうさぎのストレス解消に繋がると考えられますが、ペットボトルの素材をそのままうさぎに触れさせるのはよくないので、藁のシートで巻けば、飼い主も安心して遊ばせることが出来るようになると思います。
私のプレゼンを聞き終え、東十条さんは頷いている。
「これはうさぎ課でうさぎを管理している中では気がつかない視点だよね。まさかうさぎがいる部屋で優雅に飲食するなんて私以外しないだろうし」
この言葉の意味。まさか東十条さんはこのアイデアを考え付いていたのだろうか。
「ココロを読みましたが、その通りです。このアイデアは前々回のうさぎ商品考案大会で東十条さんが発表されています」
審査員は私にそう言ってから、さらに無常にも失格であると告げた。がっくりと来る私の肩を東十条さんが軽く叩く。
「アイデアの観点、楽しもうという視点、そしてうさぎへの愛情。それなりに悪くはないアイデアだ。だが勉強不足だったようだな。過去のアイデアを調べるのも大切なことだ」
そう言うと、東十条さんは舞台に上がる。
「まぁせっかくだから、俺のアイデアでも聞いていくのだな」
東十条さんはそう言うと、ポケットからスプレーを取り出す。そして、それを周りに吹き散らす。甘い香りがする。
「私、東十条王子は、おやつスプレーを提案します」
このおやつスプレーは、おやつの匂いを草の塊にふりかけるという使い方をします。おやつはうさぎのココロを掴むために有効なものですが、その分うさぎの肥満に繋がっていきます。うさぎのおねだりに耐える強い心があれば問題ありませんが、人間皆そんなに強いわけではありません。そういうときに、草にこのスプレーでおやつの匂いをふりかけ、草をおやつと思わせて与える。健康のことを考えながらもおやつと同等の効果をもたらすことが出来るこのスプレー。一家に一本。いかがでしょうか。
「欲しいですね、そのスプレー」
私は素直にそう思えた。こういうのが優れたアイデアなのかと思う。私が出してきたアイデアは言わば限定的な人にのみ受け入れられるようなもの。それに対して東十条さんのアイデアはうさぎを飼っている人であれば皆が欲しいであろうもの。この違いは大きい。
「野うさぎ君は最初から諦めていないかな。こういった万人が必要・欲しいと感じるようなものであれば、もう既に誰かが考えているのではないかと。それは間違いだ。まだこの世界には様々な可能性が残されている。だからこそ、うさぎ課は存在している」
東十条さんの言葉は、今の私には少し重かった。
汗が出る。
これで私に残されたプレゼンテーションの機会は、あと一回。状況はかなり厳しいが、まだ可能性が消えたわけではない。
「でも、ココロしてアイデアを練ってください。そうしなければその可能性はありえません」
そう言いながら私たちのもとに近づく男性。
「ロップじい」
最近また体調が悪いのか、ロップじいは杖をついている。
「最終戦の相手は、私です」
その言葉に、最初は頭が追いつかなかったが、すぐに驚きが私の中を駆け巡る。ロップじいが最終戦の相手だって?!
だが私がそう思う以上に、隣にいる東十条さんが驚いていた。
「おいおい、それはいくらなんでも厳しいのじゃないか。次が正社員になれるかどうかの最後の機会なんだろ。そんなときにロップじいが相手をしなくても」
東十条さんのその言葉に、ロップじいは睨み返す。東十条さんは俯き、それ以上は口にしなかった。
ロップじい。アニマルカンパニーの社長。そして、ラヴィアンローズに日々通っているほどのうさぎ好きでもある。先ほど東十条さんが言った、良いアイデアを出すための条件を完璧なまでに満たしている。
でも、もうさすがにアイデアは尽きてきているかも? 甘い。さっき東十条さんも言っていた。まだまだ可能性は残されている。
私は来週の戦いを想像し、震える。これは怯えではない。武者震いだ。そんな私に、ロップじいは言う。
「もちろんハンデは与えます。今回に限り、彼女や愛撫クイーン、うさぎ課以外の人でもかまいません。アイデアを直接受け取ることは禁止しますが、アドバイスを受けることは許可します」
ロップじいはそう言って、東十条さんの方を向き、
「これは野うさぎ君だけでなく、貴方たちの今後のことにも関係していることは理解していますよね」
東十条さんは真剣な表情で頷く。それを確認してから、ロップじいは再び私を見る。
「全力で私のこの頭にあるアイデアを超えるものを考えてきてください。それを超えることが出来れば、晴れてアニマルカンパニーの社員です」
そう言って、ロップじいは帰っていった。審査員もいつの間にかいない。
残された私と、東十条さん。
「野うさぎ君、いや、甘えはなしか。とにかく戻って作戦会議だ!」
「は、はい」
こうして私の最後の戦いの幕が開かれた。
☆
うさぎ課へ戻る途中。早足で歩いている私と東十条さんとの会話。
「そういえばさっきロップじいが、うさぎ課の彼女と愛撫クイーンという言い方していましたけど、彼女って増田さんのことですかね。うさぎ課じゃないけど、いつも私たちと一緒にいるから勘違いしたのかな」
「何を言っているんだ、俺のことに決まっているだろ」
「へ?」
「野うさぎ君、まさかお前、ずっと俺のことを男性だと思っていたのか?」
「い、いやだって口調も俺ですし、名前も王子ですし」
「よくよく考えろよ。うさぎ課の人は全員あだ名で呼ばれている。俺だけ例外的に本名で呼ばれるわけないじゃないか」
「じゃ、じゃあまさか本当に」
「そうだよ、正真正銘女性だよ。急いでなかったら殴っているところだよ。本当に失礼なやつだな」
無茶言わないで貰いたい。気がつかないよ。
「兄が三人、弟が二人。そんな環境で育ったから自然と口調も男性になっていったんだよ」
「王子はわかりますが、東十条は何でついたのですか?」
「東十条で、王子だからだ」
「よくわかりませんが」
「細かいことは気にするな。それよりも、アイデアをだな」
「わかってますよ」
だから彼は、彼女は嫌いだ。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
そんなやり取りをしながら、私たちは駆けていく。
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