第14話

 ステージを下りようとしたとき、もふっとした手に肩をたたかれた。

 銀ちゃん!

 黄色い大きな猫の手が、何かを指差す。その先には……。

 マイクスタンド。

 に、両面テープでくっつけたままの、予備のピック……。

 赤い三角の中の猫娘のスマした笑顔……。

「やっと気づいた」

 笑う声が聞こえた。

 うっ……。

 今更だけど顔がかーっと熱くなる。どうしていいのかわからなくって、両面テープをぺりぺり、とはがすと急いで丸めて手の中に隠した。銀ちゃんの手が、ぽんぽんと頭をなでてくれた。

 余計に恥ずかしいです……うれしいけどね。

 下を向いたまま、もう一回頭を下げた。

 少しの拍手が、わたしを見送ってくれた。


 隆之介くんたちはグランプリだった。

 控室にまでファンの女の子たちが押しかけて、お祝いの言葉やプレゼントを渡している。相変わらずすごい人気。

 着替えも片づけも終わって一息ついたところで、まだライダースジャケット姿の隆之介くんがこっちに来た。

「指輪の件だけど」

 ヒナタの首元を見る。ちゃんと、そこにある。

「……勝負ってどおなってんの」

 隆之介くんは、困ったようにちょっと笑っていた。

 グランプリを取ったのは隆之介くんたち、だけど。

 わたしの首にかかっているのは、特賞のメダル。

 そのほかの出演バンドも、それぞれ金賞と優勝と大賞をもらっていた。

 ……差がわかりません。

 何となく、特賞だけがくじ引きみたいだなとは思ったけど、もらったメダルはみんな同じもので、しかもチョコだった。レンは既に完食済み。参加賞もみんなおんなじ、本日限定商店街で使える五百円券だった。

「隆之介くんがあんなうまいなんて知らなかった」

 ずるいよ。言ってよ。

「初心者だなんて一言も言ってないけど? 」

 おっしゃる通りですが。

「俺もおまえらぐらいの時からずっと弾いてんだよ。でなきゃ転校してきていきなり途中から入ったりはしないって」

「……無謀な勝負を申し込んだなと後悔してます」

「もう遅いって。で、観客を楽しませた方の勝ちだったよな」

 隆之介くんはわたしの前のパイプ椅子に反対向きに座って、背中をまるめて背もたれをかかえた。それから自分の金メダルをつまらなそうな顔で少し見てから、食べた。

「特賞オメデト」

「……ありがとう。グランプリおめでとう。すごくうまくてカッコよかった」

「一緒のステージ立ててうれしかった! あこがれちゃう」

 ヒナタはライブが終わると、すっかりハートのおメメになって隆之介くんを見ていた。

「で。」

 隆之介くんがそのヒナタの方に手を伸ばす。

 ……渡すしかないか。結局、力にはなれず気まずい時間を引き延ばしただけなのかも。隆之介くんはおばさんの気持も、おばさんを信じたお母さんの気持も、わからないまんまなのかな。二人っきりの家族なのに誤解したまんまなんだろうか……。

 ピック落とさなきゃ、もっとマシだったかな。あるいは、予備の猫娘にちゃんと気が付いてれば。もっと練習してれば。もっと英語うまければ。もっと……。

「信じるから。そんでどうしてくれんの」

「……は? 」

「負けたとは思わないけど、勝ったとはもっと思わない。おもしろがってるヤツもそりゃいたけど、観客が楽しんだのはお前たちの方だろ。俺らは応援が多かっただけだ」

「そんなことないよ! だって一番うまかったし一番かっこよかったし、わたしすごく楽しかったもん。隆之介くんたちの聴いててホントにすっごく楽しかった。だから自分たちも楽しくできたんだもん」

 隆之介くんは大きな目を何度かまばたきして、それからちょっと恥ずかしそうに頭をかいた。

「じゃあ引き分け。キャリアのハンデ分俺の負け。で、おまえの言うこと信じるから、だからお願いだから指輪返して」

 イケメンすぎる……中身まで! 

「わかりました。じゃ、さっそく場所変えてじっくりお話ししよ。そうと決まったら落ち着いて話せるとこ、どこ行こっか」

 そしてヒナタもどこまでも抜け目なくヒナタなのです……。


 隆之介くんはお仲間と別行動をとって、しばらくわたしたちに付き合ってくれた。

ダブリン出身のバンドのファン同士という理由であーちゃんと仲のいいアイルランド人のおじさんがやっているお店で、参加賞の五百円券三枚をみせると、ジンジャーエールと大きなライ麦のビスケットを三人分出してくれた。

「きょうはあーちゃん、ステイホーム? ナットドリンク? 」

 子供だけで来るのなんて初めてで緊張。おっきな体の、赤っぽい髪のおじさんが、大げさな身振りでカタコトのニホンゴとシンプルな英語をまぜてニコニコしてる。ニコニコされてもやっぱりちょっとコワいです。

「……常連? 」

「うちのおかーさんがね。」

 おじさんは、いつもそうなんだけどいつまでもそばにいて話しかけてくる。

「ここおさけ出すレストラン、コドモだけでくるのホントはダメね。バット、きょうはオマツリ、ノープロブレム。ドアもオープンね」

 開けっ放しのドアから風が入って気持ちよかった。

「これもアゲルよータベテね、サービスサービス」

 カウンターからアップルパイが出てくる。いいからお仕事してください。

 といっても、店内にはわたしたちだけ。風の音を消す古っぽい楽しい曲が流れている。豪華客船が沈没する映画で貧乏な人たちが踊る曲と同じだと思った。ちょっと話の雰囲気と合わないな。

 おじさんが奥に戻ると、わたしたちは誰ともなくふう、と大きな息をついた。どうやら緊張してたのはわたしだけじゃないらしい。

「これ」

 ヒナタが指輪のレックレスをはずしてテーブルの真ん中へ置いた。

「隆之介くんにわたしちゃっていいのかなあ? 」

「俺の――母さんのものだ」

「おばさんが預かってるものでしょ、でも黙って持ち出したんでしょ」

「あの人が持ってるのがおかしいんだよ」

 あの人、という呼び方がぎこちない。

「おばさんは、ヒナタがこれを拾ったのを知っても取り返そうとはしなかったんだよ」

「なんでおまえあの人の味方すんの? 」

 わたしたちは別におばさんの味方な訳じゃない。むしろ、隆之介くんに味方したい。

「わたしはおばさんとはお友達だからちょっとはわかる気がする。全然意地悪な人じゃないよ。わたしにはいっつも優しいよ」

 そういえば、おばさんはずいぶん前に言っていた。孫がいてね、ルカちゃんよりちょっと大きくて、ずっと会ってないからわからないんだけどすっごく可愛くってね。母親に似てきれいな子なんだよ……。

 キレイって言ってたから女の子だと思ってて、隆之介くんのことだって気が付かなかった。おばさんは、お嫁さんの事全然悪く思ってる感じじゃなかった気がする。

「おばさんは隆之介くんの好きにすればいいと思ってるんじゃないかな」

「じゃあ問題ないだろ」

「でもね、指輪、隆之介くんが勝手に持ち出したのわかっておばさん悲しそうだったよ」

 それに。

 テーブルの上の何気ない手。大きいけどきゃしゃで、細い指。

 まだ指輪は似合いそうにない。

「隆之介くんが大人になるまで、お父さんやお母さんのかわりに見守りたいんじゃないのかな。指輪と一緒にその役目を託されたって思ってるんだと思う」

「……」

 となりでヒナタがライ麦ビスケットをぼりぼり音を立てて食べている。おかげで空気がちょっと軽かった。音楽も陽気で、年上の男の子に真剣な話をしててもそれほど怖くなかった。

 わたしもパイをひとかじり。リンゴが思ったより歯ざわりがよくておいしい。ほっとした。

「あたしたちはね、この指輪について何も知らなかった。だからおばあさんは取り返そうと思えば簡単に取り返せたんだよ。でも敢えてそうしなかったのは、隆之介くんが持ち出したことを知らないフリをしたかったんだろう、とか、気付かないフリして待ってれば隆之介くんが元に戻してくれるって信じてるんだろう、とか、思う」

 ヒナタはライ麦ビスケットをたいらげてからちょっと早口で言った。

「それに、隆之介くんなら落とした指輪を取り戻すに違いないって、わかってるんだよ。だからあたしたちに預けたまんまなんじゃないかなあ」

「それで? 」

「おばあさん、ちゃんと隆之介くんのことわかってるし、信じてるんじゃない? 」

「あの人は俺のことなんて何も知らないよ。ほとんど会ったこともなかったんだし。母さんが苦労しながらなんとか俺をひとりっきりで育ててくれてる時だって、何年も知らん顔だった。そりゃ俺は行くところがないから置いてもらうのは正直助かるけど、今更だよ。簡単に信用するとか無理に決まってるだろ」

 隆之介くんの言葉には熱がない。何というか、おばさんのことを積極的に嫌ってるとかって感じでもないし、自分の境遇も嘆いているような感じじゃあない。クールだ。

「……そのとおりだと思う」

 その感じは、わたしのよく知ってる感覚に近いような気がした。

 わたしのパパは元気だし、年に何通かはメールのやり取りもする。その度に会いたい、大好きだよ、と言ってくるけど、それだけ。最後に会ったのはいつだっけ? わたしのパパはケータイの画面の中の数えるほどの文字でしかない。好きでも嫌いでもない。まさに文字ほどの存在感しかないのだ。

「今までほとんど無関係だった人がいきなり家族になってもそりゃピンとこないよね」

 無関心なんだ。わたしがパパにそうであるように、隆之介くんはおばさんに関心がないんだ。嫌いですら、ないんだ。

 ふと、あーちゃんの姿をした夢の主が思い浮かんだ。好き勝手遊んで、飽きたから夢に帰るんだという、わたしに関心がない存在。

 この数週間、ほんとつまんないんだよ。一生懸命ギターと歌の練習してたから気付かないフリができたけど、家族が無関心だと、本当に本当に、つまんないんだよ。このつまらなさは、ただの退屈とは全然ちがう、なんかもっとずっとタチの悪いモノだ。うまく言えないけど、夢のない将来を思い描くような、表情のない顔のような。

「でもそんなの嫌だ。すぐには無理でも、簡単じゃなくても、隆之介くんの家族はおばさんしかいないんでしょ、関心持たなきゃ。そうでなきゃつまんないよ。隆之介くんの生活がすっごおぉくつまんなくて、心が笑ったりおこったりできなくなっちゃうよ。よくわかんないけど、うまく言えないけど、そんなの嫌だよ」

 ホントにうまく言えない。隆之介くんの真っ直ぐな眉毛が、ちょっと八の字に寄った。

「おばさんはずっと前から隆之介くんのことホントに嬉しそうに話してたんだよ。年の近い孫がいるからって、わたしにいっつもジュース買ってくれたり、頭拭いてくれたりしてるんだもん」

 ヒナタが、わたしとおばさんがフロ友であることを簡単に説明した。

「俺そんなあの人拒否してるように見える?むしろどうでもいいんだけど」

「それがダメなの。無関心は、嫌いよりも拒否よりもきっとよくない」

「そうなのかなぁ? 」

 隆之介くんは困ったような顔をした。テーブルの上の手を組んで、ほどいた。

「……なんかエラく俺の心配してくれてるのはわかったよ。ありがとな。でも俺今……何も感じないんだ。母さんが死んですげぇ悲しいけど、生活が変わっていろいろ戸惑うけど、全部どっか他人事みたいで実感がない。なんか空っぽな感じなんだよ。だからあんまごちゃごちゃ言われてもホント悪いけどよくわかんない」

「あたしたちを信じてくれるんでしょ」

 アップルパイもたいらげて、唐突にヒナタが言った。

「大丈夫。時間はかかるかもだけど、おばあさんのことしっかり見てれば、大事にされてるかどうかちゃんとわかる。あたしたちは隆之介くんは必ずそれがわかる人だって信じるから、隆之介くんはそのあたしたちを信じて」

 大人みたいなセリフだ。なんかかっこいい。

「指輪は隆之介くんに返します。どうするかは、よく考えてくれるよね」

「……わかった。まあよくわかんないけど。でもおまえたちの言うことちゃんと信じるよ。俺のかわりに俺のこと考えてくれてるみたいだし」

 指輪を受け取るとそれをポケットに入れようとして、やっぱり首にかけた。そして隆之介くんもビスケットとパイをあっという間に食べた。

 別れ際に隆之介くんが言った。

「なんで俺にそんな親身なの? 」

 何で……だろ? 

 言われてみれば、なんとなくそういうタイミングだったのと、なんとなくそういう流れだっただけのような気がする。

「そんなの! 」

 ヒナタが大胆に、隆之介くんの腕に抱き着いた。うわ、男の子に抱き着くなんて無理だ。

「運命だからに決まってます~! 」

 ……ヒナタはどこまでいってもヒナタだった。

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