第13話
レンが踏み鳴らすバスドラの振動が、そのまま背中から入ってわたしの胸をどん、どどん、と叩くみたい。ホントに空気に押されてる。どきどきする。
Fのコードを押さえる。ここは手元を見ないと怖いけど、顔上げて、顔上げて。
ステージを見る人、通り過ぎる人、立ち止まる人……。
しゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃん……。
キーボードでずっと鳴らしっぱなし、タンバリンの音。この音が鳴るといつもオレンジシャーベットが思い浮かぶ。シャリシャリして酸っぱくて甘くて何かかわいい。同時にわたしのギターも八分音符を刻み始めた。
自信持って。迷うな迷うな、大丈夫。
一瞬目をつむって鼻から息を吸い込む。
口からすう、っと声が出た。息が音に代わる瞬間。
「ザナイウィーメッアイニューアイ、ニディユーソー」
マイクを通した自分の歌声は、思ったよりずっと小さく聞こえた。演奏が始まる前はあんなにでっかくてびっくりしたのに。よかった。これぐらいのボリュームならヘンな感じがしない。
「エンイファーイハーダチャンスアイ……」
アミパパからイギリス英語を教えてもらってるのに、わたしの英語は完全にカタカナだ。でもほら、カンペキなのがよければお家で本家でも聞いてください。これはこれ。
Bメロからコーラス。ヒナとレンの声が加わる。
「うー」
「ソウォンチューセイユラブミー」
「あー」
「アィルメイキューソープラウドブミ」
キーボードの低音も加勢。音が増えてきれいに重なって気持ちいい!
G、Cセブン、サビだよF、プリーズ!
ずっと八分音符を刻んでた右手を、一小節じゃらーんと伸ばして、ピックを持ったまま三回手招き。みんな歌ってくれるといいな。一緒に歌ってよ。この歌はみんなで歌えばうたった分、楽しくてかっこいい。三人だけじゃ勿体ないんだよ。
手拍子が聞こえ始めた。
ビマイベイビナぁぁぁぁあー。
合唱が生まれる。
サビラスト、古いこの歌を知ってるオトナが一緒に歌っていた。
う、うれしい! なにこれ。
楽しいってこういうことなんだ。見てる人が、見てるだけじゃなくて一緒にライブしてる感じだ。見向きもしないで通り過ぎてく人もそりゃいるけど、知らない大人がわたしたちと一緒に歌ってる。そっかそっか、顔上げてなきゃこれはわかんないわけだ。
二番も順調、だんだん音が増えて、手拍子も増えて、一緒にコーラスを歌ってくれる声が増えた。
気持ちいい。
ぜんぜん上手じゃないわたしたちの、わたしたち三人だけじゃたよりない音を、力づけるように守るように音がふくらんでく。
ブレイク。
イントロと同じように、二小節ドラムだけが鳴って――。
びゅううう。
ひときわ強い風が吹きつけた。
一瞬、ビニール袋が飛んでくるのが見えた気がした。
うわ、目にホコリがっ……。
なんですとぉ!
目を閉じかけたわたしの顔に、わさっと音を立ててビニール袋が張り付いてきた。
な、や、ちょ、そんなぁ!
視界が白くなる。あわててビニールを顔からはがした拍子に、猫娘の赤いピックがぽろっと、こぼれた。
え……。
どうしよう。ピック落としちゃった。
観客がざわっとなって、笑い声も聞こえた。
長い長い、数秒が流れた。
タンバリンのしゃしゃしゃ、という音はキーボードの打ち込みで、勝手に流れ続ける。音楽は止まらない。だから演奏も止められない。アクシデントに気づかないのか、ヒナとレンのコーラスはわたしのボーカルを促すように歌う。
指じゃちゃんと弾けない、ギターが、止む。ネックから手を放した。コードを押さえることをあきらめる。
鳴らないギターにヒナがこっちを見た。
何か弾かなきゃ。
わたしの手が握ってるのは、白い、レジ袋……。
レジ袋をくしゃっと雑に丸めて、マイクの前でタンバリンと同じリズムで叩いた。
しゃかしゃかしゃかしゃか……。
夢の主が、せんキャベツをわしゃっと食べてる姿が浮かんだ。あはは。何か似てる。
「ビマイリルベイビー」
何事もないように、歌った。
「セイユビマイダアぁリン」
手拍子も、歌声も、まばらになった。
「ビマイベイビナーああああゥ」
ダメかな。また、トイレットペーパー飛んできちゃうかな、まあ、それでも楽しく、最後まで楽しく……。
「ウォ、ウォ、ウォ、ウォ」
通りが、歌いだす。
うっそ。
なんかノリのよさそうなおじさんが、ものすっごい笑いながら歌っていた。頭にタオルを巻いたベビカス屋台のおじさんも、店の前に出てる。前の方のおねえさんが、小っちゃい子が、わたしのまねをしてお店のレジ袋をしゃかしゃか鳴らしていた。
あ……はは。みんな、何やってんの!
レジ袋の楽器が広がってく。また音がふくらむ。
すっごいマヌケ!
ものすっごぉい、楽しい!
だかだんどこどん、とレンのドラムが一番の見せ場でリズムを転がる。いいぞいいぞ! ここが一番おいしい、っていっぱい練習したもんね。ヒナの鍵盤が力強くベースを連打する。お客さんがレジ袋を鳴らしながら笑ってる。
最後のフレーズをとにかく元気に、歌った。
じゃーん、とキーボードが尾を引く中で、思いっきり頭を下げる。足のむこうにさかさまのドラムセットが見えた。
「ありがとうございましたっ」
打ち合わせたわけでもないのに、三人の声がそろった。
レジ袋のがさがさいう音がちょっとして。
ぱちぱちぱち……。
やわらかい拍手がそれに加わった。
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