第8話

 指が痛い。でも痛いってことは、それだけわたしが頑張ってる証拠。上達に近づいてる証拠。一人でいる時間はたっぷりある。だからあいつに聞かれずに練習できる。夢の主はまだ帰ってこない。あーちゃんに代わってちゃんと仕事に行ってくれるあたり、律義で助かる。

 レンに聞いたところによると、ギターを弾き始めた時の最初の難関が、Fのコードなんだとか。人差し指で全部の弦を押さえなきゃいけなくて、これがホントに難しい。でもあーちゃんが夢の中で教えてくれた押さえ方は、三本の指で三本の弦を押さえればよくって、人差し指だけ二本の弦を一度に抑えるから頑張んなきゃだけど軽くグーを握った形に近いからなんとか押さえられた。Cセブンってコードは人差し指で全部の弦を押さえるけど、指の形はFほど難しくないからいわゆるFの壁ってやつにはひとまず邪魔されなかった。簡単だとは言わないけど、あーちゃんが言った通り、弾けないこともないかも。

 でもまだ練習二日目、弾き語りができる気なんてしない……。

 我ながら無茶な勝負を仕掛けました。

 あれは昨日のこと。

 おばさんとイケメン兄さんの話を整理するため、ヒナタと二人でおばさんに会いに行った。イケメン兄さんとおばさんは今一緒に、ヒナタのマンションのすぐそば、あの、最初にイケメン兄さんを見かけた電信柱のところの家に住んでいた。

 お兄さんと話したことを伝えると、おばさんは詳しい話を聞かせてくれた。

 そもそもあの指輪はおばさんの息子さん、つまりイケメン兄さんのお父さんのものだったんだとか。でももう何年も前に息子さんは事故で亡くなって、指輪はお嫁さんのものになった。その後、当時は仲が悪かったおばさんとお嫁さんは会うこともなくなり、時々イケメン兄さんの写真が送られてくる程度の付き合いだったんだって。

 ある時、おばさんはお嫁さんと再会した。健康診断で再検査になって、いつもとは違う大きな病院に行った時の事。お嫁さんは、もう、あまり長く生きられない状態だった。

 そこで指輪を預かったそうだ。イケメン兄さんがこの指輪に合うくらい大人になったら、お父さんの形見として渡してほしいって。それまではなくさないようにしっかりと預かってほしい、って。

 刻まれているのは、未来、というフランス語の詩。早くに死んでしまった両親がお兄さんに託した言葉。

 病院での再会以来、おばさんはお嫁さんと仲良くなれた。でも自分の命が残り少ないことをなかなかお兄さんに言い出せず、それがばれてしまうきっかけになるかもしれないから、お嫁さんはおばさんと再会したことをお兄さんに話していなかったようだ。

 ずっと離れていたし、仲が悪かったから、お兄さんはまだまだおばさんを信じていないみたいだ。そのあたりにも事情だとか誤解だとかがあるらしい。

「あの子の両親は駆け落ち同然で、式も挙げずに勝手に結婚しちゃってね。周りを説得もできずに出て行ったのがなかなかゆるせなくってねぇ。こんなことになるんだったら、もっとわかってあげればよかったと思うのよ。二人には二人の事情や考えがあったんだろうしね。……息子が死んだ後も、なぁんにもしてあげられなかった。申し訳ないことをしたわ。今あの子のそばにいてやれるのはわたしだけだから、せめて少しでも何かしてあげられないかとは思うんだけどね……」

 お兄さんは、他に行くところがなくって、おばさんとお嫁さんが再会していなかったら養護施設に入ることになっていた……。

 だから、わたしとヒナタは決めたのだ。

 二人を仲直りさせよう、って。

 昨日はそこで時間切れ、そして今日、ピアノが終わった後のヒナタと待ち合わせた。仲直りの方法を考える為にまた小学生タイムぎりぎりまで児童館で作戦会議をしていた。またレンに会った。そこに、何という偶然! お兄さんもやってきたのだ。

 前回お兄さんを見かけたのも、どうやらわたしたちを見張ってたとかではなくって、児童館に用事があったからだったようだ。お兄さんはギターを持っていた。知ってる人のいない町に引っ越してきて、自分の居場所を作るために、クラスメイトの誘いに乗ってバンドに参加してるそうだ。

 イケメン兄さんは隆之介くんという名前で、先月第一中学校に転校してきた中学二年生。バンドで二週間後の児童館のサークル発表会イベントにエントリーしている。

 そこで、なんとわたしは無謀にも勝負を挑んでやったのだ。一粒で二度おいしい作戦を思いついちゃったんだもん! 

 レンはドラムの練習中。

 ヒナタは小っちゃい頃から習ってるピアノが得意。

 わたしには、今は夢の中でしか会えないけどあーちゃんがついていて、あーちゃんを取り戻すためにはギターを覚えなきゃいけない。

「隆之介くん! 勝負だっ」

「……は? 何で? 」

「あなたが勝ったら、指輪返してあげる。好きにすればいいよ。そのかわり」

 ええっ、と隣でヒナタも驚いた。

「わたしたちが勝ったら、わたしたちを信じてもらう」

 えええっ、と三人が同時に声を上げた。

 わたしたち。

 わたしがヒナタとレンの腕を掴んだからだ。

「わたしたち三人も発表会に出る。どっちがレッサー……じゃなくってお客さんに喜んでもらえるか、勝負だっ」

 さああとは、猛練習あるのみ。いろいろ巻き込んだからあともどりできないぞっ! と。


 夢の中であーちゃんに相談して、ピアノとドラムを追加したかっこいい演奏を伝授してもらう。あーちゃんも困っていた。

「アレンジさせんの? まともにやったことないんだけどなあ」

 うひひ。あーちゃんを困らせるの、なんか楽しい。

 夢の主も聞いているんだろうけど、このところおとなしい。あーちゃんになったりレッサーパンダになったりグレムリンになったりしてちょいちょいわたしの前に現れるけど、あーちゃんのことは大事にしてくれているっぽいからそれはそれでいいや。

「夢の主ねぇ。あれ悪いやつじゃないよ。どっから現れたんだろーねー」

 あーちゃんは囚われの身なのにのんきだ。体を勝手に使われて、ずーっと眠ってるのに、結構快適そうだ。

 早く帰ってきてほしいんだけどねー。

 ここんとこのわたしの晩ご飯は、卵焼きかオムレツかスクランブルエッグのどれかなんですけど。栄養偏っちゃうよ。トマトも毎日食べてるけどね。相変わらず夢の主にはほっぽっとかれてるから、勝手にごはんたべて、帰ってきたらちょっとは話をしたりもするけど、とっとと寝ちゃってる。おかげで早寝ではある。ちゃんと夜中に一回起きて、寝てる夢の主の手首に帯締め結ぶことは忘れないけどね。

「ちゃんと衣装揃えるんだよ。ステージの上は全部がお客さんに届けるものなんだよ。着ぐるみでも制服でも狙っててもなんでもいいから、見る人に夢を見せるんだよ」

 着ぐるみも制服も持ってないんだけど。

「歌はね、うまくなくていいから。楽器もうまくやれなんて無理な話だし。ただ、自信持って、顔上げて、笑って、元気にやんなきゃダメ。人を楽しませるならまず自分が真っ先に楽しむ、これ鉄則ね」

 舞台ココロエよりも演奏教えてください。

「ドラムはとにかくリズムキープに徹して。鍵盤が一番頼もしそうだから、おかず的なものは鍵盤にお願いしよう。コードに含まれる音で遊んでいいから。メロディがあるとこは……そうだな、右手は控えめで、左手でベースしっかり弾いてこっか。ギターはストローク頑張れば何とかなる。チューニングだけはしっかりね。大人に手伝ってもらってでもそこは厳守すること」

 最低限の注意とアドバイス。

「音源あるから聞いときな。なれるのが一番」

 首輪をつけられてるからなのか、今日の夢のあーちゃんは犬ごっこだ。白い犬小屋の赤い屋根に寝っころがって、世界一有名なビーグル犬みたい。早口で楽しそうにいろいろ教えてくれて、最後にこう付け加えた。

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」

 わお名言! 

 ただし、シュルツの、ね。パクリは駄目です。

 だんだん、夢の中の方が本物の生活みたいな気がしてきていた。学校とかは別だよ。でも、早く寝て、寝てる間はあーちゃんと過ごして。この一週間は普段よりずっとあーちゃんと一緒のような気がする。

 ……これは、温泉の主がプレゼントしてくれた時間なのかな。マッサージのご褒美に、あんまり時間のないわたしたちに、一緒に楽しむ時間を増やしてくれたのかな。

 ちょっと嬉しくって、だいぶ困って、かなり面白いご褒美だ。

 わたしの考えてることがわかるのか、あーちゃんがこんなことを言った。

「温泉の主ってやっぱあのタヌキ? 」

 銀の湯の置き物タヌキ。看板タヌキだ。

「ルカが小っちゃい時になりたかったのってあのタヌキなんだよ」

 はい?

「タヌキ目指してたの」

 なんとなく覚えてる。何でだったか豆ダヌキって呼ばれてて、自分でも気に入ってて、大きくなったら一人前のタヌキになって化けてやるんだって思ってたんだよね。

「いちまんえんのたぬきになる! って張り切ってたんよー」

 いちまんえん……って。

 そりゃ置き物だよ。

 いや銀の湯のタヌキは一メートルぐらいある立派なヤツで、さすがに一万円じゃ買えないだろう……。

 わたしも立派な主になれるかな。大人になったら何かの主になってたりするのかもね。

 明晰夢は便利なようで不便かもしれない。普通の夢と違って、だいたい好きに動けるけど能力以上のことはできないんだもん。ホントに現実っぽい。夢の癖に思い通り何かできたり、ギターが弾けたりしない。タヌキにも、ならない。せめて自分の夢の主くらいにはなりたいのに、自分の夢ですら、ない。

 赤い屋根に上ってあーちゃんの隣にごろんと寝ころんだ。あは。屋根、せまっ。引っ付かないと落っこっちゃう。しがみついた。

「何甘えてるのー。るーちゃんかーわいー」

 あーちゃんが頭をくしゃっとした。

 隆之介くんのことがふっと頭に浮かぶ。

 あの人の頭をくしゃっとしてくれる手はもうどこにもないんだ。せめて、守ろうとしてくれる手があることを教えてあげなくちゃ。

 わたしにできることなんか何もないかもしれないし、やろうとしてることも意味がないかもしれない。

 でもさ。

 無理やりにでもシチュエーションを作らなきゃ、きっとおばさんの言葉を聞かないだろうし、おばさんも、話せないんじゃないかな。

 夢の中なのに眠たくなってきた。今日は主もレッサーパンダも現れなくて平和だなあ。

 夢の中で眠って、現実で目覚める。

 

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