第6話
またヘンなボタンから夢が始まる。勿論選ぶのは「続きを見る」。
今日の扉は普通のドアだった。視聴覚室のドアと同じで、ドアノブでドアをぎゅっと抑え込むようになっている。ノブを上にあげると開くやつ。かたいドアノブを両手でがしゃっと上げると同じ扉がもう一枚。それも開けて中に進んだ。
サメの口のステージはもう消えていた。薄暗い廊下。両脇に今わたしが入ってきたのと同じ扉がいっぱい並んでいて、壁にはスプレーで書いた落書きとか、よくわからないチラシがいっぱい貼られていて汚い。ちょっと怖いなあ。そこら中の部屋からはヘッドホンから漏れてくるぐらいの音が聞こえてて、虫がいっぱい飛んでるみたいな嫌な感じがした。
誰もいないけど気配がする。ドアの一部がガラス窓になってるから、手前の部屋を覗いてみた。
……グレムリンだ……。
去年ぐらいだったっけ、レンタルして見た映画によく似てる。いい子でカワイイぬいぐるみみたいな生き物が、ルールを破ったらどんどん増えて、オリジナルの一匹以外はみんなワルいヤツで大暴れ、って話。妙に毛の長いレッサーパンダがその毛を逆立てて、狭い室内で好き勝手に暴れてる様子はあの映画にホントそっくり。
音楽スタジオらしくって、ドラムセットとかキーボードとか楽器があるんだけど、グレムリンレッサーたちがその上で跳んだり、あーあー、ドラムに穴開けて入ってるよ。キーボードは太い尻尾でばしばし叩かれてる。マイクをかじってるやつもいるし、ポップコーンを食べ散らかしてるのもいる。ジュースを何か機械の上にこぼして、コンセントみたいなコードを挿すところに指を突っ込んで、お約束どおり感電してる。さすが夢、びりびりしながらシルエットがガイコツ……。
感電して逆立った毛に一同大喜び。
カオスだ……。
見つからないようにドアを離れた。出てこられたらとんでもないよ。逃げよ逃げよ。
気付かれないようにこそこそーっと、でも一枚一枚中を確かめながら奥へと進んだ。どこかにあーちゃんがいるかもだもんね。
どこの扉も似たような光景。秩序がなくて、グレムリンレッサーたちが好き勝手に暴れている。なぜか布団が引いてあって、壮絶なまくら投げを繰り広げてる部屋まであった。破れた枕から羽毛が飛びまくって、毛だらけで、どこまでが枕でどこからがレッサーかわかんない。案の定、枕の代わりに投げられるレッサーもいて、そいつにつぶされるレッサーもいた。中には落ち着いた部屋もあったけど、姿は極悪レッサーなのにきちんと並んで座って、そろって腹筋らしき動きをしているのはこのぐちゃぐちゃの中ではかえって不気味だ。中でも、満員電車みたいにドアの窓にレッサーがびっしり貼りついている部屋は……相当キてる……。ドア付近だけなのかな、部屋ごとなのかな、とにかくその中はグレムリンレッサーでみっちりと埋まっている。部屋の中を想像しただけで背中がぞわっとなった。ドア開きませんように。絶対に開きませんように。
でもそのうち見慣れてきたのか麻痺してきたのかわかんないけど、初めはすごく怖かったのがだんだんばかばかしくなってきた。よく考えるとすっごいマヌケな光景だよね。だってレッサーパンダだよ? 満員電車部屋だってさ、ほら、ガラスに張り付いた肉球とかすごくカワイいんですけど。見てるだけなら今回の夢は面白いな。
でも、それじゃきっとダメなんだ。
わたしが楽しむ夢じゃなくて、わたしが楽しませる夢が必要なんじゃないのかな。
廊下を進みながら考えた。いっそわたしがこっち側からドアに張り付いてみようかな。いや、そんなんで夢の主は喜ばないか。どっかの部屋に入ってみる? うーんそれはさすがにかなりの勇気がいるなあ。
「ほぉらつまらん」
現れたな夢の主!
振り返るとやっぱり。あーちゃん姿の夢の主が、壁によっかかって腕組みしていた。
「いいことを教えてやる。連中、いつまでも部屋の中にいると思うか? 」
思いません。
「おまえが何者なのかを決めるのは、おまえの行動だけなんだぞっ……と」
ぱたん、と音がして、夢の主は一瞬で姿を変えた。かわいいレッサーパンダの姿で、二本足で立ちあがった。立ち上がるレッサーパンダが話題になったこともあるらしいけど、案外珍しいわけじゃないんだよね。
じっと見るとレッサーパンダはかわいいくせに鋭い顔をしている。眉毛? がきりっと吊り上ってて、口を横に結んで頑固そう。
「ユメなんてな、オモシロくなきゃいみがないんだヨ」
その言葉を合図に、奥からがしゃがしゃがしゃ……と音が鳴り、どんどん近づいてきた。
うわあ嫌な予感。
やっぱりね。順番にドアノブが上に上がってく。そしてゆっくりドアが開き……。
きたきたきたー!
派手な色に毛を染めたカラフルなグレムリンレッサーたちが、奥からどんどん出てきた。こっちに走ってくる。途中のドアも開いてグレムリンレッサーが増えて、あっというまに狭い廊下は大混雑だ。我先にってドアから出ようとするもんだから、つまっちゃって出てこられないヤツらもいる。
感心して見てる場合じゃないよ、とにかく逃げなきゃ。
走った。グレムリンレッサーの大群の先頭をとにかく走る。がんばれわたし!
……あれ。なんか、こう……。
ああもぉ! うまく走れない。こんな時に限って夢らしく、足が空回りしてるみたいで思うようにスピードが出てくれない。
ぴーぴー大騒ぎする声が迫る。やだやだ追いつかれちゃうよ、足元が……足元に何か触れて……はいぃ?
しましましっぽが、長い白いものをなびかせてわたしを追い抜いた。先頭に立ったのは白い鉢巻を巻いた普通の(普通の? )レッサーパンダで、ご丁寧に背中にはゼッケンまでついている。
「うわうわうわ……」
踏んじゃう、踏んじゃうよ。
何匹かがまた足元をすり抜けていく。足のあいだはやめてくださいぃ、転んじゃうよ。
いつの間にかわたしまでゼッケンをつけてるじゃない。ああ……やっぱり。おでこに鉢巻もあるわ。
後ろに続く連中も、みんな極悪じゃあなくなっていて、健康的なレッサーランナーに変わっていた。相変わらず大群だけど。
ドアだったはずの両脇には給水所ができてて、テーブルが並ぶ。ああそうだ。マラソンだ。マラソンだったんだ。
お、先頭集団が給水所で……。
か、かわいい!
テーブルに届かなくて困ってる!
コップを取ろうとして二本足で立って手を伸ばすんだけど、テーブルの端に手がかかるかどうか。
あっという間に追いついちゃった。ふふん。リレーの選手にはなれたことないけど、長距離走は得意なんだもんね、テーブルだって余裕で届くし。
一匹と目が合う。
ちびっちゃーい真っ黒な目が、うるうるとわたしを見つめる。
「……」
「……」
「……ぴぃ」
はいはい。
わかりましたよ。
おメメの訴えには勝てないなぁ。
お水を、取ってあげた。レッサーランナーはもふもふの両手で不器用にコップを受け取って、ピンクの舌でぺろぺろと水をなめる。
かわいー! なんてかわいいんだ!
一生懸命両手でコップを持って、ちびちび飲んでいく。立ち上がるレッサーパンダが話題になったんだから、この姿を動画サイトに投稿したらきっとすごい再生数になるよ。
ぱたん。
……うん?
ぱたん。
そろそろ聞きなれてきたこの音。この音の後にはだいたい、いいことは……。
起きないんだな、やっぱり。
一匹にコップを取ってあげちゃったもんだから、給水所に辿り着いたレッサーランナーたちがみんな尻尾をぱたぱたしながらわたしをうるうるおメメで見上げている。
卑怯だ。この目は絶対卑怯だよぉ。
逆らえなくて、仕方ないから二つ目のコップを手に取って……。
取るんじゃなかった。
かわいい筈のもふもふ手もこれだけいっぱい伸びてくると怖いです。爪だって鋭いし。順番守ってちょうだいよぉ、押さないで、ほらそこケンカしないの……。
ぱたんぱたん。
ぴぃぴぃ。
ぱたんぱたん……。
「……うるさーーーーい! 」
レッサーランナーたちがぴたっ、と静まった。気持ちいい!
鳴き声も尻尾も黙った。これで落ち着いてお水を配れます。
「お水が欲しいヒトはちゃんと一列に並んで、ルールを守ってくださーい。押さない鳴かない割り込まない」
配っても配ってもお水はなくならなくて、渡しても渡してもレッサーランナーは減らない。みんなお行儀よく並んでくれるからそれでもスムーズに給水は進んで……。
何やってんのわたし。
違う違う、ここで給水係やって満足してちゃダメじゃん。ゴールしなきゃ。
我に返ったので、先頭に並ぶレッサーを一匹抱き上げてテーブルに乗せた。もう一匹つかまえて、こっちはテーブルの端に座らせる。一匹にコップを持たせ、それを端っこのもう一匹に渡すように教えて、端っこのレッサーにはそれを下のランナーに渡すように指示する。ぎりぎり届くじゃない。レッサーたちは素直で、ちゃんと自分の役割をわかってくれた。よし。これで大丈夫。
「任せたよ、お願いね」
きゅ、と鉢巻を締めなおして、走り出す。随分遅れちゃった。追いつくかなあ。
さあ巻き返すぞ。
それでどれくらい走ったのか、夢の時間はよくわからない。ゴールが見えた。よっしゃ、ラストスパート――。
うわっ、何?
頭ががくんと後ろに引っ張られた。その拍子に尻餅をつく。
いったぁ。
見ると、鉢巻が長くなってて、床に垂れている。その先端に。
ピンクと水色と黄色に毛を染めたどハデなグレムリンレッサーが座っている。
「メイセキムのくせにモクテキみうしなってるなあ」
ぐいっと鉢巻を引っ張られる。立ち上がりかけたところをまた引っ張られたもんだから、そのままこてんと後ろにひっくりかえっちゃったよ。仰向けで倒れたわたしの上を、レッサーランナーたちが踏んづけてゴールしていく。
踏むなあぁ。爪が痛くて、尻尾が、尻尾がくすぐったいってば。
散々踏まれて、立ち上がる隙がなくって、もしかして走ってる時間より踏まれてる時間の方が長いんじゃないかと思った頃、ようやく立ち上がることができた。よろよろっとゴールすると、手が伸びてきて、カードを渡される。「ブービー賞」って書いてあるけど意味がわからない。
「ブービーって何? 」
「ビリから二番目。頑張ったじゃん。給水係とか、踏まれたりとか」
見慣れた手。
その先にあーちゃんの顔。
ホンモノだ。
「なんか久しぶり」
「そお? 」
「だって丸一日ぶりだよ」
「そうだっけ? 」
ちゃんと人間の姿をして、あーちゃんは首をかしげた。
そっか。あーちゃんはずーっと夢の中にいるまんまだから、どのくらいの時間が過ぎてるのかわかんないんだ。
「あーちゃん、無事? 」
「まったくもって何の問題もないよ」
でも、首輪が付いていて、鎖が伸びている。本人は気にならないのかな。あーちゃんの向こうを見ると、どハデなさっきのグレムリンレッサーが、鎖の先を持っている。
あいつ主だな。感じわる。
「あーちゃんあのね、あーちゃん夢の主につかまってるんだよ」
「そうみたいね」
鎖を指に引っ掛けて、苦笑い。わかってるんだ。
「ルカがなかなかギター弾かないから」
はいごめんなさい。わかってるよ。夢の中でも夢を見ないわたしが原因。
「わたしが助けてあげるからね」
「ほほー。頼もしい。どうやって? 」
「楽しませる」
「だからどうやって? 」
それは……
「まだ考えてないけど」
「あちゃー」
あーちゃんは笑った。
「難しく考えなくっていいよ。ライブの借りはライブで返せばいいじゃん」
成程。
「レッサーパンダたちは楽しい曲が聞きたかったんでしょ。なんか単純な子たちだからね」
さすが夢を見ている張本人。この世界をよくわかってらっしゃる。
「でもライブって言っても、何すればいいのかな」
「そりゃまず練習でしょ」
練習?
「そうだなあ、よっしゃ。」
立ち上がると、あーちゃんはいつの間にやらギターをもっている。おやおや。わたしもだ。
「D、G、Aは弾けるね」
「弾けるといえば弾けるかなあ。押さえ方はわかる」
「んじゃね、あとFとGマイナーとCセブンとDマイナーを覚えよう。」
そんないっぱい無理だよ、と言いかけて、夢の主が目の端に見えたから言葉を飲み込んだ。ここは夢の中だ。夢をみるんだもん。難しい曲でも弾いてみせるって夢。
「あんた英語わかるよね」
幼稚園から友達のアミちゃんはパパがイギリス人で、ママはわたしの英会話の先生だ。小学校に上がる時からずっと教わってる。アミパパは日本語が喋れないけど、わたしはお話しできるもんね。
「BeMyBaby」
どこから出てきたのか、ピンクの表紙の本をぱらぱらっとめくって、あーちゃんがにやっと笑った。ずい、っと本をわたしの目の前に突き出す。
楽譜だよぉ。苦手なのに。
「歌詞も易しい、ギターもそんなに難しくないし、なにより可愛いから大丈夫! 」
なに? なんだ……?
さっぱり分かんない。
と、あーちゃんが軽く歌いだした。ギターも弾いて、軽―い感じ。
あ、これ知ってる。あーちゃんが時々洗い物しながら歌ってる。なんだ、知ってる曲じゃん。これなら、なんとなくわかる。ちょっとは歌える。
いつもよりかわいい声でしゃらしゃらっと歌ってから、あーちゃんはいくつかコードの押さえ方を教えてくれた。覚えられるかな。
「わっ」
じゃらっと鎖が鳴って、あーちゃんがよろけた。
「そろそろひっこンでもらうよ」
夢の主が鎖を軽く引っ張ったんだ。
夢の主が近づいた。ぱたん、と例の音がして、あーちゃんはレッサーパンダに、夢の主はあーちゃんの姿にいれかわる。
「もういいだろう? 」
夢の主はレッサーあーちゃんを抱き上げた。よしよし、と頭をなでる。
なんか意外と仲良さげ?
「わたしは夢の主だがこの夢の持ち主はこいつだ。大事にしないと夢が壊れちゃうだろ」
わかるような、よくわかんないような。
「夢は大事にしないと簡単に壊れるんだよ」
レッサーあーちゃんを抱いた夢の主がだんだん大きくなっていく。ギターも楽譜の本も大きくなって、声がぼわぼわっと広がって、何を言っているのかわからなくなる。わたし以外のものがみんなどんどん大きくなっていって。
目が覚めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます