第5話

 イケメン兄さんのせいで今日のお風呂もテキトーだった。わたしの女子力って……まあ気にしない。だってなんか怖いんだもん、見られてる気がするし。女子力は何も怖いことがない時までとっておけばいいのさ。

 シャワーから出ると、珍しくあーちゃんがもう帰ってきていた。ただいま、とだけ言うと、今朝のまんま、無言。いつもなら頭をくんくんして、今日はばっちり、とかイマイチだなあ、とかいちいち言うくせに。

「なんか怒ってる? 」

 返事がない。

 黙々と晩御飯のしたくを始めた。

「ねえってばぁ。なんで喋んないの? 」

 また何かヘンなルールでも作って遊んでるんだろうか。それとも、わたしが気付いてないだけで何かやらかしてるのかな。

 部屋は……怒られるほどは散らかしてない。おやつは食べすぎたかもしれないけど、ゴミは捨てたし宿題もやった。あ、手紙出してない。あーちゃんの高級クッキーつまみ食いしたのバレたかな? あ、やばい、テレビつけっぱだった。あ、靴もそろえてない。あ、上着もかけてない。あ……。

 心当たりがありすぎる……。

 あーちゃんは怒りのスイッチが入るとホント色々うるさいからなあ。言ってることが正しいのはわかるけどいちいち難しいし、話長いしむちゃくちゃおっかない。たいがい泣かされる。まあ、その後はぎゅってしてくれるから安心するんだけど。

 でも……。

 なんか様子が違う。怒ってるっていうか、別人みたい。顔が違う。

 いやいや、顔は違わないか。違うわけない。

 でも……あーちゃんはこんな無表情じゃない。

「あーちゃん……ホントにあーちゃん? 」

 何でこんなことを聞いたんだろうか。ホントも何もあーちゃんはあーちゃんでしょうが。

「違うよ」

 は? 

「返さないって言った」

 は?

 何のこと? 

 ぱたん、と頭の中で音がした。

 かえさない、どっかで聞いたぞ。

 えーっと……。

 ぱたん。

 ――カエサナイ。オモシロクナイカラカエサナイ――。

 ぱたん。尻尾の音と一緒に思い出した。夢のレッサーパンダだ。

「なんだレッサーパンダごっこ? そのために朝からずーっと黙ってたの? 」

 手の込んだ遊びだ。ずっと喋んないから何やってんのかわかんないじゃん。

「今日は湿布貼ってないからレッサあーパンダじゃないじゃん」

「違う」

「んじゃ何ごっこ? 」

「ごっこじゃない。遊びじゃない」

「やっぱ怒ってる? 今から片付けするよ」

「カエサナイ」

「何を? 」

「レッサあーパンダ」

 ……はい?

 おっしゃってる意味がわかりません。

 包丁を持ったまま、あーちゃんはくるりと体ごとこっちを向いた。

「面白くないから返さない。レッサあーパンダはずっと眠ったままだ。この体はわたしのものだ」

 ブキミな顔。

 眼がどろんとして、口だけが笑っている。

 ワルモノの顔だ、どう見ても。

 握ったままの包丁がきらーんと音を立てて光った気がした。

「……何それ。どちらさまで? 」

「夢の主」

 あーちゃんの姿をしたそいつが言った。

 温泉の主がいるんだから夢の主もいるだろう。あいや待てよ、あのおばあちゃんは温泉の主って決まったわけじゃないのか。あーちゃんの悪ふざけにしちゃあ表情が真に迫りすぎてる。包丁もね。でもあーちゃんなら正義の味方よりはワルモノだよな。うーん。わたしが夢に入るんだから、夢から出てくる人がいても不思議じゃないのかなあ?

「……ゆうべのレッサーパンダさん? 」

「そうだ」

「あーちゃんじゃないの? 」

「そうだ」

「夢から出てきたの? 」

「そうだ」

「あーちゃんは返さないの? 」

「そうだ」

「……レッサーパンダ? 」

「そうだってば! 」

 たん! 

 鋭い音がして、包丁がまな板に突き刺さった。

 うわうわ、そんなことしたらあーちゃん怒るって。この人はあーちゃんじゃ、ない、のか。ホントに。

 カエサナイ、は「わたしのことを帰さない」んじゃなくって、あーちゃんを連れ去ったってことなのか。

「あんた誰!?」

「だーかーらー。夢の主」

「夢の主って何? 」

「夢の主は夢の主だよ! 」

「自己紹介になってない」

「自己紹介聞きたいのか? おまえアホだろう、アホなんだな? 」

「何でよ? 」

「じゃあおまえは誰だ、おまえは何者なんだ」

「わたしはルカでしょー! 自分の子供も解んないのか」

「だからわたしはおまえの親ではない。おまえの親の夢の主なんだってば。じゃあ聞くがルカとは何者なんだ」

 ……わたし? 何者? 

 小学生。一一歳女子。子供。一人っ子で、マラソンは得意だけど他の運動は苦手で、勉強はフツー、たい焼きとおでんが好きで……。

 わたしって何者? 

 自己紹介は自分が何なのかを言ってるわけじゃない気がする。なんか違う。

「……わたしはあーちゃんの子供で、家族」

 夢の主とやらは口の端を釣り上げて笑う。

「それがおまえか」

「そうだよ」

「なかなかいい答えじゃないか」

 褒められた。

 だって、他にわかんないんだもん。

「おまえは親の付属品って訳だな。何かの一部であることがおまえのアイデンテティなんだな」

 ……褒められてない。

「そおゆうんじゃないもん。うまく言えないけど違う」

「違うもんか。自分じゃ何もできない、いや、しないくせになあ」

「そんなことないもん」

「どこがだ。靴もロクにそろえられないじゃないか。親の付属だから親に何でも面倒みてもらうんだろ」

「違うもん。靴ぐらいそろえるもん。上着もかけるもん」

 くっそー。やっぱりあーちゃんか? 言ってることがだんだん普段と同じっぽくなってきた。だからつまり正論で、言い返せない。

「わたしのことじゃなくて、あーちゃんは……あんたは何者なのよ。夢の主って何」

「知るか」

 はあぁ?

 ヒトのことは莫迦にしといて、その答えはないでしょう。

「ずるいよそんなの。ちゃんと考えなさいよね」

「ばぁか。何者であるかなんてのは自分で決めるもんじゃない。行いで決まるんだよ」

 ふん、と鼻で笑って夢の主はまた料理を始めた。

「わたしが夢の主なんだよ。だから夢の主なの」

 結局わかんないよ。あーちゃんの夢の主はあーちゃんじゃないのか?

「夢の主なら夢の中に帰んなよ。てか、あーちゃんと何が違うの? もとのあーちゃんの方がいいんですけど」

「おまえのみる夢はつまらないからヤだね」

 うわ、コドモのココロを傷つける一言だ。

「やだやだムリムリってな。夢だとわかっていても夢をみない」

 う……それは確かにそうなのかもしれない。

「じゃあわたしのみる夢が楽しきゃいいのね、そしたら夢の中に帰るのね」

「そうだな。あっちの方が面白きゃな」

 夢の主は刻んだキャベツを一つつまんで、数秒じっと見てからぱくっと口に入れた。それからうん、と頷くと、まな板一杯に出来上がった千切りキャベツをわしっとつかんでもしゃもしゃ食べだした。口をもぐもぐさせながら冷蔵庫を開け、あーちゃんの大好きなビールを取だし、缶のまま飲んだ。

 あーちゃんじゃない。

 この人はあーちゃんとは違う。

 だって、あーちゃんも帰ってきたら毎日缶のまんまビールを飲むし、行儀も悪いけど、でも必ず「ビール飲んでいい? 」って訊く。必ず嬉しそうに「いっただっきプシュ」って言いながらプシュっといい音を立てて缶を開けて、わたしと乾杯するのに。缶ビールに軽くグーを当てて乾杯するときのあの冷たいのがわたしは大好きなのに。

 わたしを置き去りにして、夢の主とやらはひとりでごくごく喉を鳴らしていた。キャベツを全部食べると、手の甲でごしごし口の周りを拭いてごちそうさま、と言った。

「……晩ご飯は? わたしお腹空いてハゲそう」

「知るか。自分のコトは自分でしろ。それに空腹じゃハゲない」

 知らん顔で、さっさと包丁とまな板を片づける。

 ……やだ。

 こんなの嫌だ。絶対いや。

 朝も忙しくて、お昼は別々、だから晩ご飯だけは毎日一緒に食べるのが家族のルールなのに。どんなにあーちゃんの帰りが遅くても、手抜きでも、三日連続同じメニューでも、半額シールの付いたパックのまんまでも、そのルールは絶対守ってきたのに。

 こォんのやろー!

 わたしも自分のご飯だけを自分で作った。なにさ。料理ぐらいできるもん。ご飯だっていつもわたしが炊いてるんだからね。まな板の上の千キャベツだけ食べてごちそうさまする人になんか負けるもんか。

 テレビを見てふんふん頷いている夢の主の横で、これ見よがしに、上手に焼けた卵焼きとほかほかごはんにカップスープとプチトマトまでつけた豪華なディナーを食べた。今日の卵焼きは甘いやつで、中はほんのり半熟で完璧。横にいるのがあーちゃんだったら、勝手におっきな一口を食べて「すご! うま! 天才! 」って言うところだ。でも夢の主になんかあげないもんね。

 みればいいんでしょ。面白い夢。

 みてやるんだから。

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