第4話

 あーちゃんの様子がおかしい。

「おはよう」

「オハヨウ」

 起こされなくても自分でちゃんと起きたのに、褒めてくれない。黙々と朝ご飯を食べるだけで、夢の話もしない。今日の服装ヘン、とかかわいい、とかも言わない。いつもは出かける前に鍵は持ったか忘れ物はないか今日は何の授業があるのか、とうるさいのに何も言わない。

 怒ってるのかな? でも何を?

 今朝はヘンなレッサーパンダたちのおかげで一人で起きれたし、おかげで時間も遅くない。怒られるようなことはないと思うんだけどな……?

 結局、今朝の会話はおはよう、と行ってきます、行ってらっしゃいだけだった。

 何なんだよもぉ。

 気まぐれで困る。

 うちはあーちゃんとわたしの二人家族だから、どっちかの機嫌が悪いと家の中に会話がなくなって、ホントに気分が悪いんだから。朝は気持ちよく出かけたいじゃない? そりゃあ、いっつもごちゃごちゃうるさいし、急いでても必ずまとわりついてきたりしてそれはそれでちょっとウザいんだけどさ、うるさいなあって言いながら雑にドア閉めて、わたしの方が態度悪いことの方が多いんだけどさ。

 にこりともしないんだもん。

 夢だって、なんか気になる終わり方だったし、感想ぐらいあってもよさそうなもんじゃない?

「カエサナイ。オモシロクナイカラカエサナイ」

 あのレッサー。

 確かに帰さない、って言ってたよな。でもその後すぐにわたしは目が覚めた。ちゃんと現実に「帰ってきた」。

 面白かったのかな?

 何が?

 そもそも夢とはいえ、レッサあーパンダとかふざけてる。十分面白いんじゃない? 

 だからわたしは帰ってこれたのかな。

 いやでもそもそもただの夢だし。結局はあーちゃんの頭の中ってことでしょ? そりゃ、夢に入ってくとか不思議体験もしてるけどね、やっぱり夢はゆめだよ。

 ……。

 ホントに、ただの夢なのかな。

「イルカいるか、いないか、いるじゃん」

 あー、はいはい。毎度くだらない。

 人が真剣に考えているのに、後ろから来て追い抜きざまに軽くヒトのランドセルをはたいて行くヤツがいる。

「はたくなー」

 まったく。男子はいつまでもガキだわ。

 同じクラスの菅原蓮だ。一年生の時は仲良くレンくん、とかルカちゃん、とか呼び合ってたけど、いつの間にかわたしは「イルカ」になっていた。まあね。イルカだから別にいいんだけど。

 幼稚園の時両親が離婚して、苗字が変わって、わたしは「川井流歌」という名前になった。カワイルカ。中国とかインドの大きな川に実際にいるからねえ。ネタにされると怒って見せるんだけど、イルカ、可愛いし好きだし、実はちょっと気に入っている。

 菅原蓮に追い抜かれたってことは、やばい、ずいぶんぼーっと歩いてたのかも。遅刻しちゃう。

 気になることはあるけど、まあいいや。考えたってしょうがない。

 小走りで急いだ。マンションの前でヒナタが待ってる筈。

 ――あ。

 眼の端に何かが映った気がした。電信柱のところで一瞬足が止まりかけた。

「ルカぁ。おはよう」

 丁字路のところでヒナタが手を振っていた。

 やばいやばい、やっぱり待たせてた。

「おはよう、ごめん遅かった? 」

「大丈夫だよ。あたしも今来たとこ」

 ほっと一息。今一瞬、何か見た気がするけど……まいっか。

 とりあえず、遅刻しないで学校に行かなきゃね。


 放課後、児童館の前の公園でブランコに乗りながら、わたしとヒナタはいつもみたいに話をしていた。実は今日、ヒナタは昨日からしているネックレスを先生に注意されたのでちょっと不機嫌だ。

「そのネックレスさあ、指輪をチェーンに通してあるんじゃない? 」

 昨日は全然話聞いてなかったから、お詫びも込めてなだめてあげる。いやさ、ホントはヒナタもわたしも解ってるよ。学校に持ってくもんじゃないよなってことは。

「大事なんだからずっと持っていたいのはしょうがないよね」

「うん。家に置いとくとさあ、弟が見つけるかもしれないから。面倒じゃん、親にどうしたのか説明するのとかも」

 昨日の話をできるだけ思い出しながら、そのヒナタの首元のネックレスをよく見た。

 細い銀色のチェーンに、三ミリくらいの幅のリングが三つ通してある。リングは三連だけど離れないようになっていて、よく見るとそれぞれに字が刻まれている。アルファベットみたいだけど英語かな。

「何て書いてあるの」

「わかんない。読める単語書いてないもん」

 英語ならちょっとくらいはわかる。でもわかる単語が書いてあるとも限らないか。

 確か、拾ったとか言ってた。家の近所で、人がぶつかってきて、その後にそこに落ちてたんだ、とかなんとか。もしかしたらそのぶつかってきた人が落としたのかもしれない。顔は見てないみたいだけど、男の人だったもんだから、ヒナタは勝手に運命を感じて盛り上がっている。

「あの感じは絶対かっこいいよ。すぐ走って行っちゃったけど、背中がイケメンだった」

 女の子にぶつかっておきながら顔も見せないで走り去る男の人ってどうよ、とわたしは思うけど、かっこよさげならそのヘンは別にいいらしい。

「きっと大事なもので、あの人はこれを探してるわけ。だから見えるようにつけて歩いてなきゃなのよ。あたしが持ってますってわかるようにしないとせっかくの運命の出会いがすれ違っちゃうじゃない? 」

「そだね。でも最近また不審者情報多いみたいじゃん。ぶつかってそのまんま行っちゃうのとかって怪しくない? 」

「ぶつかってヘンに大丈夫、病院行く、とか声かけてくる方がよっぽど不審だよ。そういう変な人じゃないからすぐ走ってっちゃんたんじゃないの。きっとすごく急いでたんだよ」

 都合よく考えてるけど一理ある。

「大人でしょ? 」

「そんなでもないと思う。小学生じゃないけどそんな大きくなかった」

 読めないアルファベットにしても、何となく高そうな見た目にしても、子供のものじゃなさそうだ。まあ、ホントにその人が落としたのかどうかも分からないんだけど。

 ブランコに乗りたそうなちびっ子が寄ってきたので場所を変えた。トイレに行きたくなってきたところだったし、児童館の中に入る。トイレから出てきて本棚の前の椅子に座っていると、館内放送が流れた。小学生の利用時間はあと一五分です、使った道具はきちんと片づけましょう……。

「高学年になると遊ぶ時間少ないよね」

 ヒナタがつまんなそうに言う。スイミングとピアノと塾に通うヒナタは遊べる日自体が少ない。しかもわたしが英会話に行く木曜日はヒナタは休みで、かみ合わないから案外一緒に遊べなくってつまんない。

「もっと一緒に遊びたいよね。六時間授業とかやめればいいのに」

 六年になったらもっとみんな忙しくなるだろう。うちの学校は結構中学受験する人も多いし、塾に通うのなんて当たり前だ。

「今のうちに何かしたいなあ。」

 何かって、なんだろうなあ。

 何となく二人で黙ってしまった。もうすぐ帰らなきゃだ。ヒナタのうちも共働きだから、しばらくは弟と二人で留守番の筈。うちみたいに遅くまで一人でって訳じゃないけど、やっぱり何となく、退屈な感じがするんだろう。

「お、ヒカゲとイルカじゃん」

 ヒナタとルカです。

 しんみり気分とは無縁そうに、菅原蓮だった。

「何してんだよこんなとこで」

「ガールズトークですぅ。あんたこそ何してんのよ」

「オレはねー。教えてやんねーよー」

 ああ……ガキだ。

 とかいいつつ、ちらちらっと背中のリュックを気にしているのがバレバレだ。そこからは、ドラムスティックが二本頭を出している。

 そういえば、ここには音楽室があったっけ。

「ドラムなんかできるの? 」

 レンは何だよバレてんのかよと不服そうなセリフを、嬉しさが隠せないにやにや顔で口にした。

「まだ叩けるって程じゃねぇけどな。兄ちゃんに教わってちょっと練習してるんだ。そのうちバンドとかするかんな」

 へぇ。

 わたしもほんのちょこっとギターを触ったりしますけど、バンド何て考えたことなかったな。うちは両親がもともと音楽をやってたから、小さい時から楽器は色々家にあった。ほとんどがパパのものだったからあーちゃんと二人で引っ越した後はそうでもないけど、確かギターが何本もあって、キーボードも何台かあったような気がする。ドラムスティックは今も家にあるけど、実はわたしは掃除のときにクッションをはたくのに使ったりしている。

「えー、すごいじゃん。誰とバンド組むの」

「まだ決まってないよそんなもん。もっと叩けるようになったら誰かと組むの。俺がリーダーで、メンバー募集するんだから」

 案外本気度高いのかな。ドラムなんて音楽の時間には出てこないし、クラブもないし、家でもそうそう練習できないと思うんだけど、それでも児童館に来てわざわざ練習するぐらいだから本気なんだろう。

「そういえばルカもギター持ってるよね。あーちゃん弾けるんでしょ」

 ヒナタは家に泊まりに来たことがあるから、我が家のこともわが母のこともよく知っている。あーちゃんがちょっとヘンな人だってことも、知ってる。というか、子供の友達にまで「あーちゃん」とか呼ばれてるしね。

「そんな弾けないよ。時々酔っぱらって弾いてるけど、歌のオマケって感じ」

「なんだよイルカもバンドやるのか? 」

「やんないよ。ギターだってほっとんど弾けないし」

「そっかぁ」

 なによ。

 にやにやしちゃって。

「へー、ギターねぇ」

 とかなんとか言いながら、レンはばいばい、と帰っていく。わたしたちも、小学生は帰りましょうのアナウンスに背中を押されて、誰もいない家に帰ろうと――。

 あれは。

 入口の自動ドアの向こうに。

 じっとこっちを見ているのは……。

 昨日のイケメン兄さん?

「ヒナタねえあの人」

「ん? 」

「自転車置き場の手前の、ほら」

「どこ? 」

 一瞬目を離したら、もうそこには誰もいなかった。

「どの人? 」

「……なんでもない。勘違い」

 そんなわけない。

 確かに、自転車置き場の柱のあたりにいた筈だ。視力一.二はダテじゃない。それにイケメンだから目立つし。

 それで思い出した。今朝、ヒナタに会う直前の事。わたしは走りながら見たんだ。あそこはちょうど昨日の夕方にイケメン兄さんを見た電信柱のところだった。電信柱のちょっと奥、家の門のところに、確かにイケメン兄さんの姿があった。

 一瞬だけだけど、目の端にちらっとだけど、確かに……見たよな。

 今ので三回目。いくら一瞬とはいえ、三回は勘違いじゃないだろう。

 二日間で、三回同じ人を見かけるのって、偶然なのかな。ちょっと奇遇すぎじゃないのかな。

「どうかした? 行こうよ」

「うん……ねえ」

「なになに」

「昨日から三回同じ人見かけてるんだけどさ、ヒナタは気が付かなかった? 淳くん似のイケメンのお兄さん」

「そんな人いたらすぐに気付くに決まってるじゃん! 何それ? ずるいルカだけ見たの」

「ヒナタは見てないの? ヘンだなあ。こっち見てた気がするんだけど」

「いいなあ。今度見かけたら絶対教えてよ」

 うーんさすがイケメン好き。テンション上がりますねぇ。

 外に出てからちょこっと、そのヘンをきょろきょろ探してみたけど、イケメン兄さんは見つからなかった。何だかわたしにしか見えてないみたいな気がする。ま、そんなわけないけど。

 遅めの時間になると、児童館には中学生の利用者がやってくる。音楽室とか体育室とかで、バンドやってる人やダンスサークルの人が集まって練習をするのだ。ダンスは小学生のサークルもあって、うちのクラスにもやってる子がいる。そんなに混んでるわけじゃないけど、児童館を利用する子は結構いるんだ。中学生も別に珍しくない。だからイケメン兄さんを見かけたって不思議じゃない。

 不思議なのは、見かけたのにすぐ見えなくなるってことだけだった。

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