第3話
その晩の夢は妙な始まり方だった。
扉の前に大きな四角いボタンが三つ。
「新規」
「続きを見る」
「出口」
ちょっと考えたけど、結局「続きを見る」を選んで押してみた。「出口」も迷ったけど、それを選んだら帯留めの意味がなような気がするじゃない?
扉は、シャッターみたいに下から上にがらがらーっと開いた。すぐに表れたのはぎざぎざのおっきなサメの歯。それから赤黒いくらい……舌? 床?
巨大ザメのぱっくり開いた口の中にあーちゃんの足があらわれる。そこはステージで、あーちゃんの前にはマイクスタンドがあって、いつも弾いてるギターを持っていた。シャッターが全部開くと上の方にもやっぱりちゃんとサメの歯があって、白く光っていた。
あーちゃんは現実よりずっと上手にギターを鳴らして、聞いたことのある英語の歌を歌っている。歌はいつものようにすごくうまい。
幼稚園生の頃、一回だけステージで歌うあーちゃんの姿を見たことがある。あんまりよく覚えてないけど、まぶしくて、遠くて、不思議な感じがした。それを思い出した。
「何やってんの。あんたもおいで」
間奏で呼ばれた。いつのまにかわたしの肩にもギターのストラップが。大人が持つのよりも一回り小さい、ピンクの、わたしのギターを下げて、右手には猫娘の描かれた赤いピックまで持ってるじゃないか。
「むりむりむり! 弾けないし」
振り返らないでも知っている。後ろには観客がいるんだ。たくさんのお客さんがサメの口のステージを見ている。わたしがステージに上がるのを待ってる。
「だいじょぶだいじょぶ」
またてきとーなことを言ってあーちゃんは手を差し伸べた。
と。
その手が、黒い。
手首のくびれ感がなくなって、もこもこの毛の中から五本の鋭い爪が出ている。
たぬきか!?
反射的に顔を確かめる。
……このつぶらな瞳……。
レッサーパンダだよ……。
黒目勝ちで実は鋭い目はあーちゃんそのまんまで、黒いぬれた鼻とその周りの白、茶色い模様のまぎれもなくレッサーパンダが、体もヌイグルミみたいにもこもこの姿でギターを下げてすっと立っていた。
「レッサあーパンダ」
自己紹介はいりませんから。
後ろのしましましっぽを見ながらよいしょっとステージに上がる。レッサあーパンダがわたしの両肩をつかんでサメステージの真ん中に立たせた。
うながされゆっくり振り返ると。
黒いキラキラのお目々がわたしに集中する。
観客は、全員レッサーパンダだった。
何でこんなおバカな夢をみているのかと言えば、夢をみている張本人がおバカだからに他ならない。
今日は、帰ってくるなりあーちゃんは頭が痛い、と言って目頭のあたりを親指と人差し指でモミモミしていた。仕事のし過ぎかなあ頑張ってるしなあと本人はにやにやしてたけど、きっと電気も消さずにソファで寝てばっかりなせいだろう。
前の晩の夢の話をした。
帯留めをくれたおばあちゃんは銀の湯の主、ってことで意見が一致した。夢の中という自覚があるのはわたしだけ。あーちゃんにしたら、単なる「ルカが出てくる夢」ということらしい。帯留めでつながったせいで、わたしはあーちゃんの夢に引きずりこまれたんだ。
「るーちゃんてば。そォんなにあたしと一緒にいたいのかぁ」
はいはい。言ってなよ。
いろいろ考えた。明晰夢なんて今まで見たこともなかったから、それもやっぱり帯留めの効果なんだろう。今日は起きてる間中もずっと同じことばっかり考えていた。図書室で夢の意味も調べた。海とか魚はいい意味。希望があって、叶う兆しとかなんとか。怪獣とかサメとか食べられちゃうのは、困難とか不安とかの現れ。でも怪獣を乗りこなしたり、サメに立ち向かったり、食べられてもなんともなかったりする意味は解らなかった。
それから妙に引っかかる淳くん似のイケメンお兄さんのことも考えた。ヒナタが反応しなかったのはなんでだろう。普通だったらテンションが上がりまくるだろうけどなあ……。
わたしがあれこれ真剣に考えてたら、ごそごそ何かしていたあーちゃんが振り返った。
「見てみて、レッサーパンダ」
はあああぁ。
力が抜けた。
頭痛の母は、湿布をちっちゃな三角に切って、左右の眉頭の下に張り付けて、自慢げに笑っていた。
「あのねえ! こっちは色々と考えてるのに……似てるね。確かにレッサーパンダ」
手鏡片手に妙に嬉しそうだ。あーちゃんはもともとまんがのキャラとか小動物みたいな顔だから、白い三角を目の上につけてホントにレッサーパンダによく似ていた。自分でも気に入ったようでご満悦だ。頭痛も楽しめるなんて幸せな性格だねぇ……。
そんなわけで、レッサあーパンダの登場となったのだ。
でもレッサあーパンダは 、ギターを弾けないようだった。そりゃそうか。もこもこ手に鋭い爪じゃあ弦が押さえられない。夢でもそこら辺のリアリティは守られるんだな。
観客レッサー達が期待をこめてこっちを見つめている。
うーん、この展開は……。
「弾いて。ギター」
だから弾けないってば。
「知ってるじゃん。D、G、Aでいいんだよ」
その三つしか知りません。
しかも、ちゃんと押さえられないからきれいな音は鳴らせない。
「下手でもやらなきゃ観客は納得しないよ」
レッサあーパンダが言う。
「だいじょぶだいじょぶ。あたし歌えるし」
ぱたん。
そうは言っても、わたしは人前でギター弾いたことなんかなくって、それどころか学校の音楽会と学芸会でしか人前に立ったことなんかない。
ぱたん。
ええっと、Dってどう押さえるんだっけ。
ぱたん、
ぱたん。
さっきからぱたんぱたんて?
何?
気配を感じて手元から目線だけを上げると。
かっ……かわいい……!
レッサーパンダの大群が、ぱたんぱたんとしましま尻尾で床をはたきながら徐々に徐々にこっちに迫ってきている。
かわいい。かわいいんだけど……。
怖い。
なんか、怒ってない?
「ほら早く弾かないからお客さん怒っちゃうじゃん」
そういえば、曲は間奏で止まったまんまだ。
どうしよう。ええっと、Dだよね。下三本の弦を人差し指と中指と薬指で……。
じゃらーん。
恐る恐る鳴らしてみた。
一瞬、しーんとして。
ぴいいいいいいいぃ!
うわーごめんなさいぃ!
レッサーパンダたちが一斉に鳴きだした。
ぱたんぱたん、ぴーぴーと大騒ぎだ。てか、レッサーパンダってこんな鳴き声なの? あーちゃんのイメージ? リアリティ?
どっちでもいいけど、レッサーたちは騒ぎながらステージによじ登りはじめた。前列がサメの口にしがみついて登れないとなると、後ろの連中がそれを踏み台にしてとうとうステージに上がってくる。なんなのよー。
「大盛況―!」
ウケてるの? これはウケてる反応なワケ?
「あそこはDじゃなくてGでしょ」
ひとり巨大なレッサあーパンダが、まとわりつくレッサーたちに倒される。喜んでるのか、下手な演奏に怒ってるのか全く分からない。レッサーたちはわたしの足にも群がってきて、強烈にかわいいんだけどものすごく怖いよおぉ。
ちょっ、やめ……。
わあ!
わたしも倒された。
痛くない、と思ったらレッサーを何匹かおしりの下敷きにしちゃった。ひときわ高い鳴き声が尾を引く。
「イジメタナ」
首のあたりがもふもふ気持ちよくなって、耳元で声がした。肩に一匹乗っかってきていて、尻尾が首に巻きつく。気持ちいいけど思ったより毛が硬くてちくちくする。
喋ったのはこいつか。さすが夢。
「ごめんなさい、大丈夫? 」
「ヘタクソ、イジメタ、ユルサナイ」
案外フツーの、男の子とも女の子とも思える声が、淡々とおっかないことを言う。
「カエサナイ。オモシロクナイカラカエサナイ」
は? なに?
ぱ、とサメの口のステージが消えて、誰もいなくなった。真っ白になって……。
そして目が覚めた。
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