マコト

「いってきまーすっ!」


 ボクはお母さんにそう声を掛けて、朝の光が眩しい道路へと飛び出した。

 今朝もいつも通り過ごせていた……と思う。でもあんまり自身ないやー……。

 だって、まだボクの胸は昨日の事でドキドキと鼓動を早くしてるんだから。

 



 昨日、ボクは思い切って声を掛けた。

 以前から気になっていた図書部員のあの子……。

 落ち着いた佇まいに不思議な雰囲気……。とても同学年とは思えなかった。

 そして何よりも、とても綺麗なをしていた……瞳をしてるって思ってた……。そしてその考えは昨日で確信に変わっていた。

 どうやって声を掛けるか、一生懸命に考えた。

 まずはタイミング。

 何時、どんな風に声を掛けようか、どうやって話し掛ければ自然なんだろう……。クラスが違うボクとあの子では、きっかけを作るのも一苦労。


 ―――こんにちは。


 ―――初めまして。


 ―――君、図書部員だよね?


 ……ダメだー……どれも不自然極まりないよねー……。どう考えても改まった言い方にしか聞こえないよ。こんな話し方だと、相手に警戒心を抱かれるに決まってる。

 

 ―――良い天気だね?


 ―――何か手伝う事ある?


 ―――良かったら話をしない?


 ダメダメッ! 更におかしくなってるっ! 全然脈絡ないし、下手したら愛想笑いで終わってしまう話し方だよー……。

 そんな事を考えていたら、あっという間に放課後の図書室開放時間は終わりに近づいてた。このままじゃあ、今日もあの子に話し掛ける事が出来ずに過ぎ去ってしまう。


 ……別にそれでも良かった。


 今日がダメなら明日、明日がダメならその次がある筈だから。

 どちらかが明日転向しちゃうとか、不治の病で死んじゃう……なんて事でも無い限り、少なくとも卒業までは時間がある。今不自然な形で話しかける事を急がなくても、何時かチャンスがやって来るんじゃないかな……? そう考えたりもした。


 ―――でも……そのチャンスって何時来るの?


 ―――そんなチャンスがずーっと来なかったらどうするの?


 それに……。


 ―――今日やらないのに、明日出来るの?


 都合の良い言い訳を考えて図書室を退室しようとした矢先、ボクの心にそんな疑問が厳しく、囃し立てる様に突き刺さった。


 ―――そうだ……今日やらないと……。


 ―――多分……明日も実行しない……。


 そう思った途端に、それまで感じていた焦りや動揺、羞恥心は鳴りを潜めた。ただ一つの想い……。


 ―――今行動を起こさないと、多分ずーっと後悔する。


 と言う、どこか確信めいた想いだけがボクの心を占めたんだ。


『瞳……綺麗だね』


 そんなボクの口から、スーッと自然に漏れ出したのは、それまでいつも感じていた想い。

 驚く程スムーズに、それでいてハッキリとボクの口から放たれた言葉は、閉室間際でリラックス中だったあの子の耳に、間違いなく届いていたと思う。

 その刹那、まるで時間が停まった様に、ボクはあの子を再確認していた。


 ―――窓から射し込む夕日に照らされて、キラキラと金髪にも似た光を放っている美しい茶色の髪とか……。


 ―――ビックリするくらい小さくて線の通った顎のラインとか……。


 ―――綺麗だとしか言いようのない、掛けていた眼鏡を持つ指だとか……。


 そして……。


 やっぱりそうだった。透き通るような、まるで水晶の様に光を受けて乱反射している二つの瞳……。

 これほど美しい物を、多分ボクは今まで見た事が無いと思っていた。


『……え……?』


 ボクが再起動を果たしたのは、あの子がボクの言葉で声を出した時だった。


 ―――ひゃっ!? ちょ……ボク、今、なんてっ!?


 ―――ガラガラガラッ……ピシャッ!


 そう思った瞬間、ボクは図書室を飛び出していた。そしてそのまま、下駄箱まで一気に駆けて行った。

 

「はぁ……はぁ……」


 息が荒い……。

 鼓動が早鐘みたいに脈打ってる……。

 顔は今まで感じた事のない位に火照ってるのが分かる……。

 そのどれもが、ここまで走って来た影響じゃないって事ぐらい、すぐに分かった。

 

「ボク……何てことを言ったんだろう……」


 荒くなった息を整える事もしないままに、ボクは思わずそう呟いていた。

 確かに何か話しかけるきっかけが欲しいとは考えていたよ? その為にも色々と頭の中で考えたり葛藤もした。

 でもだからって……だからってっ!

 よりにも依って、何の考えも無しにボクの想いをそのまま口にするなんて、あの時のボクは本当にどうかしていた。あれじゃあ、ボクが考えたどの言葉よりも軽薄に受け取られるかも知れないっ!





 ―――でも、もう言っちゃったものは仕方ない……よね……。


 疑いようがなくボクの口から出た言葉……。

 それは間違いなくあの子の耳に届けられたはず……。

 そしてあの子はボクの姿を見た。真正面に立ってたんだもん、勘違いのしようもないよね……。

 そう考えた所で、ボクは一つの踏ん切りをつける事が出来た。

 今更ジタバタしたって始まらない。踏み出しちゃったものはもう戻らない。

 だったらこのまま、前を向いて進んで行こう! きっと今日もあの子は図書部員として図書室あのへやに居るはず。ボクが行ったら、すぐに昨日の事で気まずい雰囲気になっちゃうかも知れない!

 でもそれが、それこそがボクの望んでいた切っ掛け。漸く作る事の出来た、ボクとあの子の接点なんだから。




 こんなに放課後が待ち遠しくって、こんなに放課後になって欲しくない気持ちなんて初めてだった……。時間の過ぎるのが遅く感じると思ったら……もう6時限目も終わりに差し掛かってる……。後数分で終鈴……そして放課後。

 そうしたら今日も図書室へ行く。それがここ数週間の、ボクの日課になってるんだから。


 ―――でも今日は、どんな顔して図書室に入ろう……?


 ―――そしてどうやって図書室から出よう……?


 入るのはまだ良い。あの子がまだ来てないって可能性もあるんだから。だけど出る時は間違いなく前を通らないといけない。そうしたら間違いなく顔を見られてしまうし、きっと気付かれてしまう。

 その時、ボクはどんな顔をすればいいんだろう……?


 ―――キーンコーンカーンコーン……。


 その時、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。いよいよ決戦? の放課後だ。


 ―――ガラッ!


 意を決して椅子から立ち上がる。あれこれ考えたって仕方ない。


「マコトー、今日も図書室―?」


「うん、先に帰っててくれて良いよ」


「お先にー」


 友達にそう告げて、ボクも早速図書室へと移動を開始した。




 図書室での時間は、いつも通りに過ぎて行った。

 ボクがここに通う理由は、単純に読書と勉強。つい最近までは、本当にそんな理由だった。

 この学校で放課後でもエアコンが動いている空間はここだけだし、いつも静かで勉強や読書がとても捗った。それに本に囲まれた空間と言う事と、この部屋に充満している本の匂いと言うのもとても落ち着く要素だった。

 いつもと変わらない時間、いつもと変わる事のない空間……。でもいつもと大きく変わっていたのは、ボクの内心だった。閉室が近づくにつれて心臓がまた高鳴って来ていた。

 そしていよいよその時間が迫って来た。気付けば多くの生徒は既に退室してる。図書室このへやに残っているのは、ボクを含めてもう数人しかいなかった。下校を促すチャイムも、後十数分で鳴り出す時間だった。

 ボクは帰宅準備を済ませて席を立った。

 

 ―――胸には昨日同様、一大決心を秘めている。


 折角昨日、一歩踏み出したんだから、ここで引き下がる事無く更に一歩進もうと考えていた。

 図書室の出口に向かう。

 ドアが近づくにつれて、ボクの鼓動もどんどん早くなってくる。

 そしてドア……へは近づかず、その横にカウンターとなっている一角で足を止めた。そこは受付に使われてる一角で、本の貸し出しや問い合わせ何かを行う処。

 つまりあの子が座っている所だった。


「……あの……」


 立ち尽くしたまま何も喋らないなんて不自然極まりない。ボクは意を決して、そう声を掛けた。


「……はい」


 机に置いた本へと視線をやったままの姿勢でそう返って来た。


「き……昨日はごめんなさい」


 でもボクは視線がこちらを捉える前に、続けてこう話した。何で謝ったのかは自分でも分からない。

 でも話しかけておいて、すぐにその場から立ち去るって行為をしたのはボクだったし、何よりも他に掛けるべき言葉が思い浮かばなかった。


「……昨日……?」


 漸く視線を上げてボクを見つめ、本当に分かっていない表情でそう答えられた。これはボクにも想定外の反応だった。


「……え……?」


「……昨日……」


 再度呟いて考え込む姿は、本当に思い当たる節が無いと言った様子だった……。

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