15centimeter World

綾部 響

ユウキ

……綺麗だね」


「……え……?」


―――放課後、夕方……図書室。


 この学校は今時珍しく、放課後になると図書室ここを訪れる生徒で賑わう。

 賑わう……と言うのは少し表現が間違っているかもしれない。だってここに来る生徒達は、純粋に読書や勉強をしに来る人達ばかりだから、実際はとても静かだった。言い換えれば多くの生徒がここを訪れる、利用すると言った方が適切かもしれない。

 そんな図書室でクラスでも図書委員であり図書部員のボクは、毎日閉室となるこの時間まで結構忙しい時間を過ごしていた。

 本の貸し出しに返却、希望の本を探してあげたり、展示に掃除、POPの作成だってボクの仕事。

 この学校で唯一の図書部員なボクは、それらの事を一手に引き受けていた。

 実際はそれほど大した業務じゃないかも知れないけれど、それでも閉室を迎える頃には大きく溜息を吐くくらいに疲労を感じていた。


 ―――ふー……。


 殆ど部屋に人が居なくなったと判断して、ボクは眼鏡をはずして一息ついた。声を掛けられたのは正しくそんなタイミングだった。


 不意にそう声を掛けられたから、最初はそれがボクに向けた言葉だって分からなかった。そんな事を言われた事なんてなかったし、そんな事を言ってくれた人も今までいなかったし……。

 

 ―――ガラガラガラッ……ピシャッ!


 すぐにメガネをかけて声の主を確認しようとしたけど、声を掛けてくれた人物は既に図書室このへやから出て行った後で、結局誰だったのか分からなかった。

 

 ―――今のは誰だったんだろう……?


 ―――なんでそんな事言ったんだろう……?


 ―――今の言葉はボクに掛けられた言葉だったのかな……?


 何よりも……。


 ―――本当にボクのは……綺麗なのかな……?


 今までそんな事なんて考えた事も無かった。でもそれだって仕方のない事かも知れないけれど。

 小さい頃からボクの目は分厚いガラスで保護されていた。

 保護されていた……なんて言えば少し聞こえも良いんだけど、つまりは眼鏡をかけていたって事なんだけどね。

 子供の頃には「牛乳瓶の底」と揶揄されるくらい分厚いメガネが無いと、ボクの視界は極端に狭く短くなってしまう。

 そんなメガネだから当然屈折率も高くって、眼鏡越しの外側から見たら、本当のボクなんて歪んで見えてしまうんだろうな。

 良く同級生に眼鏡を渡しては、


「すっげーっ! ぜんっぜん視えねーっ!」


「うわっ! クラクラするーっ!」


なんて、笑いのネタにされてたっけ。そこまで度のきついメガネに守られて来たんだから、本当のボクの素顔を知る人なんていないんじゃないかな? 実の両親だって勿論、それはボクだって例外じゃない。


 ―――だって、ボクは眼鏡を外して自分の顔を見る事も出来ないんだから。


 お風呂に入る時は勿論、部屋に居る時だってこの眼鏡を外す事なんて出来ない。いつも、どんな時だってこの眼鏡を外す事は無いし、当然眼鏡を外した状態で鏡を見る事も無い。

 ボクの物心ついた時から、ボクの身体の一部になっていたんだから……この眼鏡は。

 でも……


『瞳……綺麗だね』


 ―――ガチャ……。


 全部の片づけを終えて、図書室の鍵を閉めた。いつも通りの行動は、体が自然と行ってくれていた。

 その間にボクが考えていた事と言えば、さっき掛けられた言葉の意味だった。

 

 ―――あれは本当に、ボクに掛けられた言葉だったのかな……?


 ―――ただ単に聞き間違い……って事もあり得る……よね?


 ―――それよりも、一体誰がそんな事を言ったんだろう……?


 ―――そして……なんでそんな事を言ったんだろう……?


 たった一言、誰とも分からない人から、自分に掛けられたものかも分からない言葉が引っ掛かって頭から離れない。そしてそこから広がる疑問が、次々と溢れて来て留まらない。グルグルと頭の中を渦巻いて離れてくれなかった。

 答えも無い、答えなんて出せないその疑問を、ボクは結局ずーっと考え続けながら家への岐路についたんだ。


 


「ユウキーッ! お風呂、入っちゃいなさいねーっ!」


「はーいっ!」


 一階したからお母さんの声が聞こえた。ウチはお父さんとお母さん、ボクと弟の4人家族だから、さっさとお風呂を済ませてしまわないとドンドン遅くなってしまう。ボクはすぐに着替えを持って、お風呂場へと向かった。

 パパッと服を脱いで、浴室へと入ろうとした時、ふと洗面台に備え付けてある大きな鏡を見た。

 鏡の中に居るボクは、やっぱり大きく分厚いメガネをかけた人物で、それだけじゃあボクの瞳が綺麗なのかどうなのかなんて判別付かなかった。

 牛乳瓶の底の様なレンズは透過性が悪いって訳じゃない。いつもメンテナンスには気を付けてるんだから多分綺麗な方だと思うし、レンズにも傷や汚れが付いている訳じゃない。そう言う意味では、他人から見てもボクの瞳や表情が分からないって事は無い……と思う。

 でもやっぱり、レンズ越しに見えるボクは「本当の自分」じゃない様に映った。

 ボクは本が好きで、今までに多くの本を読んだ。だから部員が一人しかいない「図書部」なんて選んだ経緯もある。

 だからと言って、別にボクがお伽噺の世界や空想の世界で生きてるって訳じゃない。ボクはちゃんと現実と空想を分けて理解しているし、その二つが混同する様な事は無いとも分かってる。

 だからボクの言う「本当の自分」と言うのは、何も今この時を生きているボクが本当のボクじゃない! って言う意味じゃない。

 

 ―――ただ何となく……。


 ―――レンズと言うガラスを通してでしか自分の姿を確認出来ないって事実が、どうにも「本当の自分の姿」を認識している様には思えなかった。

 

 ―――ガラガラガラッ。


 引き戸を引いて、浴室の中へ。

 モワッと立ち込めた湯気がボクに纏わりついて、あっという間にボクの周囲を真っ白な世界へと変えてしまった。言うまでも無く、湯気がレンズに付いて見えなくなっただけなんだけどね。それでもこの瞬間に、ボクはやっぱりさっきの思いを強く感じてしまう。

 普段は余り気にした事は無いけれど、今日は何となくその場で眼鏡を取ってみた。その途端、ボクの視界はただ白い風景だけを映し出していた。

 ボクの視力じゃ、メガネを取れば風呂場に立ち込めている湯気なんて関係なく何も見えなくなってしまう。

 勿論全く見えないって訳じゃないけどね。超至近距離まで近づけば、眼鏡が無くても何とか見る事は出来る。でもそれじゃあ、見えているとは言えないよね。

 だからかな?

 ボクはボク以外の世界と一線を引いて、何処か俯瞰して物事を見ている節がある。

 別にそうしようとしてる訳じゃなくて、いつからかそう見ている自分に気付いた。

 

 ―――ガラス越しでしか確認出来ない世界……。


 ―――ガラス越しでのみ確認して貰えていると理解出来る世界……。


 いつからそう考えだしたのか忘れたけれど、一度そう考えだしたらもうそれがボクを取り巻く世界となっていた。

 もしこの眼鏡のレンズを通した世界が無くなったら……。

 ボクの世界は今のこの状況と同じ。

 白い靄だけで包まれた、何もない世界になってしまう。


 ―――みんなが楽しそうに話している場所でも、どこか一歩離れて接している自分がいる……。


 ―――みんなの話題に、楽しそうに相槌を打っているボクを見ているボクが居る……。


 どれも現実で、それでいて現実感がない。

ボクが取った行動だけど、ボクが話した言葉だけど、それを一歩離れて見ているボクがいる。

 このガラス越しの世界で生きていく限り、ガラスを通した物や人しかボクは認識する事が出来ない……そんな考えが意識する訳でも無くボクの中に根付いている。

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