首都高速道路

 雨だ。春だっていうのに、夏のような土砂降りが全身を殴りつける。

「春の雨って思ったり冷たいのね、しかも雨粒が当たるって痛い、これが重力加速かしら。」

 楽しそうな彼女が服を思いっきり引く。

「軽いとはいえ、バランスが崩れるからおとなしくしててくれ。」

 首都高速道路の壁は低いんだから、滑って転けたら海へ真っ逆さまだ。

 ただでさえ崩れている部分がないか確認しながら漕いでいるものだから気が立って、冷たい声が出てしまう。

 全く気にすることなくアンナイは言った。

「高い所にある、だから興奮するわ。」彼女は自分の心を隠そうとはしない。「まるで空を走ってるみたい。これがレインボーブリッジ? 下から見るとお城みたいね。」

 空を見た彼女が思い切り反るものだから、高速での移動を諦めて安全運転の速度へと切り替える。

 高速道路だってのに、速度制限に引っかかるのではないか。


 ※


 その郊外型のショッピングモールは案の定、廃墟と化していた。

 正確には何らかのコミュニティが住んでいる形跡はあったが、話しかけられることはなかった。この国の崩壊前夜、世界の終わりに備えるとした集団の名残だろうか。

 こういった集団はありふれている。

 実を言うと、ウカイのいる図書館、あそこだって一種のコミュニティだ。彼のような本の虫や哲学者は様々な書庫の間に噛り付いている。

 民族性だろうか、知らない他人を排斥することに違和感はない人は多かったようだ。

 俺は、何度も足繁く通って仲良くなることも出来るならば、機会が与えられるならばそういう傾向があっても良いとは思う。営業になって何回か短所だけでなく長所も実感し、知ったことだ。

 それを聞いてアンナイは言う。

「彼等は此処で幸せなの? 」

「そんなの彼等が決めることだ。」

 何をしているのか、と聞かなかっただけましなのだろう。

 アンナイは顔を曇らせたまま続ける。

「ワラナベさんも同じ気持ちなのかな。」


 ※


 彼はあの後、暫く蹲っていた。泣いていたかもしれないけれど、言わないのが礼儀だろう。

 漸く彼が起き上がった後、俺たちがまだいることに驚いていたようだった。

「あの。」アンナイが恐る恐る声をかける。

 ワラナベは答えて笑った。

「醜態を見せたな、これ以上はちょっと話したくない。今日はごめんな。」

 その笑顔はきっぱりと限界を示していて、二の句を告げれなくなる。

「関係あるかわからないけれど、黒くて大きな車がそこの大通りを昨日か一昨日通ったよ。」

 彼が指差した大通りは、途中で高速道路に乗って都心まで繋がっている国道のことだった。

 俺たちがここまで来た経路と全く同じだ。

「彼奴ら、ここへも来ていたのね。」

 アンナイが歯をくいしばる。

「今まで誰もいなかったのはもしかしたら連れ去られた後だからか。」怒りを露わにした。

 あまりにも人がいない世界で生きてきた私には懐疑的な考え方だ。

 同じ時を生きてきたワラナベもそうだったらしい。

「連れ去られた人がいたとしても少数派なんじゃないかな。俺結構長い間ここにいたけれど、通ったのはその車1台だけだ。」

 彼は言葉を選んで言った。気を使う様といい、途方もなく善人と言って良いかもしれない。

「それに今まで行ったところは全て争った形跡はなかったろう。」

 俺はアンナイの研究所との違いを思い出させる。

 そこまでしても彼女は懐疑的だ、当事者だから当たり前かもしれない。

「私の時は同僚のオイカワが事情を聞かせてほしい、って抵抗したから撃たれたのかも。」

 世間をほんの少し見聞きして、自分たちの価値観の特異さを知った彼女は言う。

「どちらにせよ確かめなきゃ。」

 彼女の力強さにワラナベは目を細めた。

「もしその車の人たちが関係あるなら昨日訪れたってことだし、何かサーバー以外の手がかりがあるかもしれない。

 そう思わない、イジュウイン? 」

「あ、うん。」内心とは他所に気の抜けた返事をしてしまう。

 その後、こっぴどく叱る様をワラナベにひとしきり笑われてから出発した。

 ワラナベは笑顔で手を振ってくれた。

「さよなら、探し物見つかると良いね。」


 ※


 アンナイはクーオン社の空のオフィスを見た後から元気がない。

「手がかり、なさそうだな。」

「うん。」

 ここが空になったのは大分前のことなのだろう。食べ物の容器がそのまま捨てられて虫が湧いている。こういった羽虫でも建物の寿命に関わってくるというのに、不衛生なことだ。

 ショッピングモールを2人分の足音が響く。

 人の機微は苦手なのだけれどな。アンナイを見かねて私は声をかける。

「またワラナベさんに話したいのか? 」

「うん、だって、なんか良い人みたいだった。」

 アンナイがもう少し年老いた見た目だったら茶化していたのに、正しく懐いた子供の顔をしているものだから上手く流せない。

「じゃあまた会いに行けば良いよ。」

「え? 」

 彼女の驚いた声がショッピングモールの廊下に響いた。

「何度も行けば良い。その為の不死だ。」

「なんて傲慢なの。」

「何とでも。無駄な時間って時間が有限だった頃の考え方だからな。」

 彼女は混乱した後に言った。

「嫌がられたらどうするのよ。」

「嫌がられたら、その時はその時だ。そうなったら相手を尊重して、アレだ。」

「さようなら? 」

 忌々しい言葉に頷く。これこそ執着しないということだと思う。

 だって、1回だけで会わないと決めてしまうのはなんか寂しいじゃないか。

「それが正解なの? 」

「神様にしかわからないな、それは。」

 こういう時、自分の頭で考えろ、と粗忽な者はそれだけを言うのだろう。

「とにかく、ここを出よう。」

「何故? 」

 アンナイが辺りを見渡して言う。確かに、視界には誰もいないだろう。

「歓迎されていない。」

 私にそうとわかるのは、何度も見落としては殺されたからだ。

 何度も踏みつけられたこのショピングモールのチラシが、書き換えられて違う方角を指した看板が、共用部へ繋がる開かないドアが、目張りのされた窓が、全力でこのコミュニティの方針を伝えていた。

「行くぞ。」多少強引でも早くここを出なくては。

「でも、外すごい雨だよ。」遠くでは太陽が出ていた。「通り雨だし、過ぎるのを待とうよ。」

 私もそうしたい、そうしたいが。

「いや、行こう。雨の中走るのも体験した方が良いからな。」

「何それ。」彼女は私の苦しい言い訳の裏を探っているようだ。

 彼女の背後の扉の磨りガラスの向こう、無数の顔が押し付けられてこちらを見ようと目を凝らしていた。

 わざわざ磨りガラス越しでなく、その扉を開けて覗けば良いのに、わざわざ顔をくっつけて。

 何人いるのだろう、老若男女もばらばらだ。

「ほら、ちゃきちゃき歩きな。」

 間違っても後ろが向けず見えないよう、肩を抱いて歩く。

「こんなことをして全くもう。誰も見ていなくて良かった。普通、誤解されちゃうからね。」

 5歳児の身体はそう、宣った。


 ※


 眼下には東京湾やそれに注ぎ込む河川が見える。

 先ほどと変わらず、俺たちは高速道路を自転車で進んでいた。

 落ち着いて見れば、車1台ないその光景はなるほど、絶景だった。

 夕方に焼けた太陽が海へ落ちていく。

 それをアンナイはじっと見つめていた。ここで気の利いたことを言えたらモテるのか?

 そんな事出来ない俺はオレンジ色のひび割れた首都高を見つめる。逆走して戻れるとはいえ、道が入り組んでいる事には変わりない。道路標識に目を凝らす。

 河川敷、所々決壊した川岸の堤防に何人も横たわっていた。雨が降る度に嵩が増す川の水が彼らを飲み込もうとうねっている。

 東京湾のわずかな砂浜には、ただぼんやりとしているのか生き返るのが間に合っていないのか、何人もが海に足をつけてどこかを見ていた。潮の満ち引きで彼らも海へと落ちていく。

 彼らは楽になれたのだろうか。

「あれが水平線? 」

 つい、と彼女は入水しようとする太陽をなぞった。

「そうだ、見た事ないか? 」

「海、海自体見た事なかったな。」すい、すい、と彼女の指が右に左に水平線を追う。

「何で私は勉強と仕事しかしてなかったのだろうね。」

 首都高傍の崩れた団地が海の線を切る。

「それしか知らなかったからだろ。」

 勉強と仕事だけでも良い、1人でも良い、そう言って笑っているなら何も教える気はなかったが、俺のご飯にあんなに喜ぶから。

 遠回りした首都高の道を今度は正確に辿る。

「もしイジュウインが良ければ。」アンナイは問いかけてくる。「同僚が見つかっても、またこうして遊びに連れて行ってくれるかな。」

 黙っている俺に彼女は付け足す。

「嫌なら断ってね、でも、断らないでほしいな。この星がなくなる前に素敵なところを見ておきたいんだ。」

 50億年後。彼女が乗った宇宙船が飛行機雲を伸ばし、笑顔で別れを告げる光景が目に浮かぶ。

 遊びに行くにも、先の事を考えて言い訳しないといけないらしい彼女は尚も理屈をこねる。

「身体に問題はなくとも頭を休ませた方が効率が良いって知っちゃったし、貴方といる時だとさらに高効率みたいな体感があるわ。」

 自信なさげに彼女は最後に言った。

「美味しいって感覚も綺麗な景色も貴方と知りたいな。」

 告白のような恥ずかしい言葉だ。

 止まっているはずの心臓が痛い。精神が動かされると、脈が止まったこの身でも苦しくなるらしい。

 50億年、彼女を楽しませ続ける事が俺に出来るとは思えない。その前に別れる日は来るに違いない。

「そんなに知ってる事は多くないけれど、よろしく。」

 それでも、つい、返事をしてしまった。輝いたアンナイの顔を私は直視出来なかった。

 ああ、どうして人は、別れるのに出会うのか。

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