公園
「ここにも誰もいなかったわね。」
次の目的地は早々に瓦解した金融系、その一支店だった。予想は出来ていたものの、一応の確認をすませる。
西東京の中央支店だったらしいその地方銀行は、全ての扉が開けられていた。それだけだ。それ以外はパソコンサーバーはおろか、何にもなかった。机すらない、プロの窃盗というのはこういうものかとお見それする。
「お金って大事なのかしら? 」崩壊後に社会に出た小娘が言う。
「そりゃ大事だろ。」
「何で? それの何かと交換出来る機能はなくなったじゃない。」
「いっぱいあると豊かになる。」
「何が。」
「心が。」意味がないとわかっていても沢山あるとうきうきしてしまう。
「刷り込みって恐ろしいわね。」
俺に言わせると、金でささやかでも素敵なものと交換出来るのは素敵な時代だった。1人頷く俺にアンナイは懐疑的な目を向ける。
「同僚たちは碌な時代じゃなかったって。水を飲むのにも、旅行するにも、生きるにも対価が必要で息苦しいって。」
「逆に考えてみろ。」あの頃を思い出しながら言う。「何をするにでも対価が支払われる時代だ、今よりずっと良いよ。」
「そうでない企業もあったって。」
アンナイには随分と苦労した同僚がいたらしい。
「ああ、そうだな。そういう場面はあるさ。」改善か逃避をするべきなのだろうが、それが出来れば苦労しない訳だ。アンナイの目を見据えながら言う。
彼女は目をぱちくりとさせた。
「あ、もしかして現状のこと言ってる?」アンナイは鋭く尋ねる。
「さぁ? 休息を取っても良いとは思うけれど。」仰々しく答えた。
「2回目だし、疲れてないでしょ? 」
仕事に関して彼女は鬼畜と言って良い、同じ職場でなくてよかった。
「身体は疲れてなくとも精神や頭は疲れるの、休ませろ。」
「でも同僚が待ってるかもしれないのに。」
如何にもならない尤もな理由を持ち出すのは反則ではないだろうか、ちくちくする心を無視して切り札を切る。
「疲れなくとも脚の筋肉が損傷している、再生の時間をくれ。」脚力に任せて車並みの速度を出している、そりゃこうなるよな、としか言えない。
自分の所為だと気にするタイプの人間にこうなったと伝えたくはなかったのだけれど、察してくれないなら仕方がない。
「ごめん、そういうことなら。」
アンナイは案の定、顔を歪めた。何となくむず痒くなる。
そういえばお互いに気遣った結果台無しとか、久しぶりだったな。
「次行くのはショッピングモール最大手のここね。」
「おっ、ハルジオンだ。」
「クーオン、この大きさの企業で本社が一店舗に同居しているなんて珍しいわね。」
「ピンクがヒメジオンだっけ? 」
「ヒメジオンよ。それで、えっと、ハルジオンの話ね。」
「クーオンの話だよ。」
草地に寝転がるほど幸せなことはそうそうない。こう、風が強めな日なら尚更だ。
真面目に次に訪問する企業の下調べをしているアンナイの声を聞き流しながら、視界に揺れるハルジオンを見ていた。
50年前に捨てられた書店の会社案内、四季報なんて何の役に立つのか私には全く理解出来ない。なのでこうして脚の筋肉が元の健康な状態へ戻るのをただ待っている。それが出版されてから四季が何回移り変わったか彼女は実感していなかったらしいことに呆れる。
決してサボっている訳ではないっていうのに、努力家は冷たい目を向けてくる。
「そんなにサボって大丈夫なの。」
「何が? 」
「焦燥感とか、ないの? 私このままじゃやばいなーとか思っちゃうじゃない。」
漫然と50年過ごしてきた俺に言える話か。心の中でツッコミを入れながら、寝返りを打ってアンナイに背を向ける。
「お前こそ同僚が見つかったら如何するんだよ、研究所はめちゃくちゃだろう。」
俺は背中ごしに負け犬の遠吠えをする。
彼女はほだらかに答えた。
「研究の続きをしたいわね。宇宙空間を人間単身のみで飛行出来る技術、開発出来ていないから。」
これまた荒唐無稽な話だ。「そんな事出来るのか? 」
「出来るようにするの。今は出来なくとも、後数百年、数千年研究し続ければきっと人類は辿り着く。それを全部自分で出来るなんて最高の気分だわ。」
〆切がない仕事なんてぞっとするのは俺が怠惰な人間だからだろうか。
「〆切、あるわよ。」
こともなげに投げられた終焉の期限に、身体中総毛立つ。
「太陽が亡くなる50億年後。そこまでに技術を実用化させないといけないんだから。やる気出るわよね。」
あまりに遠い日付に身体の毛が元に戻っていく。50億年後か、やる気出るか?
いつか太陽が昇らなくなり、空が暗く寒く、冷たいな、とか考えながら星空と噴煙を見ながら眠りにつく。果てしなく遠い日を思い浮かべる。
50億年生きていたら、存外それも良いと思うかもしれない。
「やだやだ、来年の話をすると鬼が笑うっていうのに。」
つい素の面倒くさがりが出てしまう。
熱弁していたのをうっちゃられてアンナイが鬼と化しそうだ。50億年後の話をしているのだから笑ってほしい。
「ふふっ。」
男の笑い声がした。
声がした方に反射的に裏拳を振り切ったところ、呻き声とともに笑い顔で男は昏倒した。
「大丈夫ですか? 」
アンナイが悲鳴をあげる。速やかに脈を測ると少し高血圧気味の脈があった。
「大丈夫だったよ。」
今度こそ息の根を止める為、首に手をかける。
「待って待って。」
アンナイが本気の張り手をかましてくる。子供の柔らかい手なものだから、全く痛くない。
企業が襲撃される中、各会社を訪問して調査を行う2人組。それに声をかける男。
この状況で危機感を持たないなんて信じられない。
「だからって殺そうとするなんて、そっちの方が信じられないわ。」
ぶうたれる俺を尻目にアンナイは男を介抱している。男はロリコンの色でもあるのか、目尻を下げて治療を受けていた。
「包帯も貴重なんだから使わないでくれよ。」
「止血の必要もない、怪我を隠す必要もない、そんな身体なんだからこういう時でもないと使わないでしょ。謝罪の気持ちよ。」
もう傷は治ってるようだけれどそれでも謝罪になるのか。芝生に胡座をかいて男を見据える。
「いやぁ、女性と話すなんて何年ぶりでしょう。ありがとうございます。」
「イジュウインがすみません、気が立っていたみたいで。」
アンナイは男に謝罪する。
「申し訳ありません。」
大人として私も謝罪する。一人にだけ謝らせるほど子供ではない。
「よくあることです、お気になさらず。」
その男は同じように胡座をかいたまま返事をする。伸ばし放題の髭、がさついた肌。お世辞にも清潔とは言えない。
「私はワラナベ。盗み聞きする気はなかったのですが聞こえて笑ってしまって、すみません。」
「私はアンナイ、こちらの地味な男はイジュウイン。だからって過剰反応です。申し訳ありません。」
アンナイの私への評価を思わぬところで聞いてしまった私は口をへの字にする。
「イジュウインがしたようなこと、よくあるの?」アンナイは痛ましげに言う。
ワラナベはきょとんと答えた。
「貴女も知ってるんじゃないですか、法体制がなくなった日のこと。あのしっちゃかめっちゃかの後のことも。」
「アンナイは学校にいて知らなかったみたいで。」
やんわりと言葉を切る。アイコンタクトの意味をワラナベは正しく理解してくれたようだ。
「教えても実感として知っているかで違うものなぁ。」よくわかってらっしゃる。
ワラナベは得心がいったように頷いた。
「だから介抱なんてしたんですね。お嬢さん、そのままの貴女でいてください。」
それは良いことかな。こちらとしては眩しく映りはするだろうけれど、それではアンナイのこの先に差し支えるかもしれない。
内心の葛藤をよそに、アンナイは疑問符を顔いっぱいに浮かべている。
「私は何を知らないの? 」
「知らなくて良いよ。」
彼にも忌々しい経験はあるらしい。辛そうな顔で記憶に蓋をして、ワラナベは彼女の頭を撫でる。
「それにしても学校ですか! 楽しかったですか? 」
「もちろん。みんな優しくてテストとかに苦しんだりしたけれどその後に遊んだりして。」
「そうですか、そうですか。」ワラナベは笑う。
「俺も楽しかったですよ。特に教室から校庭を見るのが好きでした。芝生張りのグラウンドを体育の時間だかで同級生が駆けて行って、それに手を振ったり声をかけて待っててもらったり。」
いやぁあの日は楽しかったな、そう話す彼の口角は少し下がっていた。
沈黙に気まずくなり、手慰みに草を千切る。
「いやすみません。卒業してからも忘れられなくて。戻らない日々なのだからとごまかしごまかし生きていたのだけれど。」
彼はついに口を閉じる。アンナイはそれをどう解釈したのか、励まそうと言葉を探している。
仕方なしに俺は口を開く。
「それで、今日はどうしてこの公園に? 」
「どうしてかって。」男は言い淀んだ。
アンナイの遠慮ない追求がされる。
「毎日何をしているの? 」
何て残酷な。ワラナベは頭を抱えている。長い沈黙の後、言った。
「何にもしてないですよ、強いて言えば過去を振り返っている。」
何格好つけた言い方をしているんだ。
「過去を。一体それはどんな研究を? 」
冗談を知らない女は重ねて質問をする。もうやめてやれ。
「風景、かな。」しどろもどろになりながらもワラナベは律儀に答える。
「あれがお前らには何に見えますか? 」
彼が指差した先には誰も住まなくなってぼろぼろになった住宅地がある。
「その手前です、あの石。」それは小山のように積み重なっていた。
「大きい、大きいわね。鉄線っていうのかしら、太い鉄がいくつも石の中に突き刺さっている。」
「鉄筋コンクリートの塊って言うんですよ。」ワラナベは私の言葉に笑みを浮かべた、その笑みは自嘲に満ちていた。
「俺にはあれが学校に見えるんだ。」
赤茶色の外壁も、煉瓦の石畳も、磨かれた窓ガラスも。全て、彼の目には見えてしまっているらしい。
アンナイが顔をしかめる。言葉を発する直前でワラナベは彼女を制止した。
「わかってる、病んでるっていうのは。でもほっといてくれ、何に迷惑をかけているわけじゃないんだから。」
無精髭もがさついた肌も、例の日と同じ身体状態だ。きちんと身なりを整えた状態で例の日を迎え、身体状態が止まった人間は、その後生きていても身なりが乱れることがない。
彼は例の日以前にもこのグラウンドに座り込んでいたのだろう。
「例の日の前だったら自分が生きていくために何かを消費しなきゃいけなくて、迷惑をかけしまっていました。でも今は違います。何も必要ない、何も傷つけなくて良い。」ワラナベは息を吐く。
「だから批判しないでください。俺がお前らに、他人に何をしたというのです。」
それはアンナイの無責任な善意を黙らせるのに十分だった。
50億年後まで考えられる、熱意と力に満ちた彼女は悲しそうな顔で黙る。
俺は終始何も言えなかった。彼の過去への感傷は俺にもあるものだ。
誰もいない事務所に毎日出勤していた俺は、彼を直視することすら出来なかった。
「暗い話をしてごめんなさい。お前らはこのグラウンドに休みに来たのですか? 今まで何をしていたのですか?」
ワラナベはこちらを気遣いながら言う。
「うん。」アンナイは元気がない。
その様子に彼は困ったように頬を掻く。
「親切なお嬢さんにそんな顔をさせるためにこの話をした訳じゃないですよ。」
「それはわかっているわ、気遣ってくれてありがとう。」
そんな顔されて言われてもきっと気は晴れないだろう。
「インターネットサーバーの利用者実態調査をしてるんだ。」
言葉少なな彼女の代わりに答える。少し、意地悪な言い方をした。
「実態調査? そんな企業がやるみたいなことを。」
ワラナベの顔色が変わる。
「お前ら、会社勤めなのか? 」
アンナイの、私の無言が肯定を示す。
ワラナベの身体が震え出す。
「あの忌々しい、放って置いてくれない社会は復活したのか? 」
「いいや、それはない。」
その恐怖の表情に同情して、俺は直ぐに否定した。
「各企業はどんどん内向きに、自分たちのことだけを考えて動いている。研究所や学問をするようなところすら、自分の興味で研究している。
だからお前が心配しているようなことは起こらないよ。」
今日もここは、排斥される社会すらない世界で、再生の兆しはない。
「良かった、良かった! 」
そう涙まじりに零す彼は、寂しさを感じないのだろうか。
「アンナイ、どうした? 」私を見つめる彼女に声をかける。
「もしかしてだけれど。」
ぎゅっと服の裾を握りしめながら彼女は言う。
「イジュウインが社会も利害関係もなしに私に付いてきてくれるのって凄いことなの? 」
そうだと断言出来るほど、俺は自分の自己評価が高くなかった。
「自分で判断してくれ。」
もし、彼女の言葉が疑問系じゃなかったら、凄いことだと断定してくれたなら、小躍りして喜んだのにな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます