第3章
1
上手く粉々になれたのは良いけれどその先は考えていなかったな。
俺は何処かのガレージの中、何かの揺れで目を醒ました。無数の破片になろうが、大部分がある場所で再生するというのは毎日見る飛び降り自殺未遂者たちで実証済みだ。まさかここまで上手くいくとは思っていなかった。
因みに全裸だ。砕けるのに無駄である事、錯乱した自殺者を装うのに適切である事からこの格好な訳だが、再生した後では少し恥ずかしい。股を風が吹き抜けていく。うん、涼しい。
アンナイは見つからないでいてくれているだろうか、ここでは祈る事しか出来ない。
風を感じた方を探す。内側から開くタイプのドアが見つかり安堵する。もしこれが小さな隙間とかだったら自分を解体して投げて再生する手段をとらねばならないところだった。これも千切っては投げ千切っては投げに入るか。それは時間がかかりすぎる。
全裸が清潔な廊下を歩いているのはさぞ目立つだろう、ガレージにあった作業着に着替える。
車に肉片が付いていても気にしないような組織だ、手に取った作業着も相応に汚れていたが文句は言えない。不衛生ではあるが気にする身でもない。
ガレージの外に出る。青白い光に包まれて眩しさに目を細めた。何十年も保ちますと謳われたLEDライトが廊下を照らしているのに慣れるまで少しかかってしまう。
その間に白衣の男が通りかかった。どう丸め込んだものか、考えているうちに彼は足早に通り過ぎた。
他人に無関心にも程がある。
行き場をなくした手をひらひらと振りながら廊下の端を歩く。どうやらこの作業着は清掃員のような扱いを受ける服らしい。
3人目に無視されて何となくこの研究所のルールを察する。
・他人とは挨拶すらしない。
・目も合わせない。
・不衛生なのは流石に気にする人も多いが、注意はされない。
段々楽しくなってきた。無敵モードでのゲームのようだ。
先ほどより大きな態度で廊下を当て所なく歩く。こうなると地図が欲しいと贅沢になるのは例の日以前基準で現代っ子だからだろうか。
少しは見咎められるかと思ったが、ここまで来ると防犯意識の低さに気の毒に思う。挨拶で不審者を撃退と教育された事はないのだろうか。廊下の真ん中を堂々と闊歩しながら、見当違いな義憤を燃やしていた。
この階はどうやら、研究室が集まったような場所らしい。大学の理系棟とは大違いのところだな、と感心してしまう。まず広い、次に器材が充実していて新築のように清潔。
どれも欠けていた俺の大学は一体。
唯一勝てるとしたら、大学は学生の熱気がいつもいっぱいだった事だろうか。部屋の広さの割に少ない無言の人々に、あれでは考え事も行き詰まってしまうのではないか。と細く開けて覗いていた扉を閉じる。
どの部屋も同じ雰囲気だ、仕事を楽しそうにしろとは言わないけれどあれは暗すぎる。
営業的に言わせてもらうと、この電灯は青白過ぎて空間が不穏な空気をまとってしまっている。それはいけない。見積を出すから買い替えを検討した方が良い。
そう言って声をかけてしまおうか、そうしても襲われる事はないだろう。そんな馬鹿な事を思い浮かべてしまうほど、彼等は目の前の現象に集中していた。
この光景には見覚えがある。
顕微鏡を覗く男、モニターを覗き込む女、鼠に何かを注射する男と女。
それはエネルギーコンサルタントと呼ばれていた研究所でやっていた事にそっくりだった。
これはデジャヴというやつだろうか、舌を噛んで現実である事を確かめる。あそこでの実験の風景はよく夢で見ていたから疑ってしまった。夢ならこの後業火に包まれる訳だから、違って良かったと思う。
現実である他にもう1つ違う点としては、あの日よりも明らかに研究が進んでいる事だ。
人間の脚のような生白い物がチューブのような水槽に浮いていて、膝から先がゆっくりと伸びていく。無造作に研究員はそれを掴んで削っては顕微鏡で覗いている。
白黒のモニターに映されるのは扇型の背景に鼓動を起こしている円。何故だか渋谷を連想してしまう、産婦人科でよく見るあれ。それを見ては白衣は一心不乱にものを書きつけている。
別の1人が鼠に何かを注射する度に、質量が増加しているのが見て取れる。ほとんど円になったそれをトレイの上に並べる慣れた様は研究者も職人の一種のように思えてくる。
そして皆一様に機械のような冷たさと元気のなさを保っていた。
この生気のなさは何だろう。集中しているのとは違う、焦点のあっていない目たち。
もういっそのこと、彼らが何を考えているか、聞いてしまおう。俺は久しぶりの1人行動に短絡的思考をしてしまう。
どうせ後顧の憂のない身だ。何を遠慮する事がある。飛び出そうと、声をかけようと動いたところで。
誰かに肩を掴まれて物陰に引っ張り込まれる。
「貴方は。ここで何をしている?」
やってしまった。ルールとして、研究者との接触はいけなかったのか。
油染みの浮いたタオルを頭に巻いた男が肩を掴んでくる。ポニーテールの茶髪、細い切れ長の目、高い身長。肩を掴む力から屈強と言っていい青年なのだと推測出来る。身じろぎをして拘束から外れようと抵抗するが、徒労に終わる。
彼は俺がガレージから盗んできた作業着と同じものを着ていた。本来なら同僚にあたる立場なのだろうか。
「ちょっと道に迷ってしまって。」これで誤魔化せると良いな、と俺は虫の良い事を考える。
「その作業着を着たものがここで迷うはずがない。」
甘かったか。肩を掴まれたまま考える。掴まれている部分を切り落として逃げるのは派手だから避けた方が良いだろうか。威嚇にもなるかもしれない。いや、流石に素手で肩を切り落とすのは無理があるな。
こちらをじっと見つめる男の目は、ここにいる研究者とは違った機械質で、ここまでの道中の無謀さを思い知らされる。基本的に行き当たりばったりだったのを認めよう。
暴れるのを止めて、ガレージから拝借したペンチを握る。精神的には慣れた行為だ。目覚ましを止めるより容易い。
「貴方だったのか。」動く前に、男はぽつりと呟いた。
「これを受け取ってほしい。」
がちゃがちゃと自分の身体に巻きつけたチェーンを外して、彼は真っ黒のカードとスマホのようなタッチパネル式の機械を押し付けてくる。ハイテクノロジー、俺が無為に働いている間の進歩を感じてしまう。
「地図と地上に出られる鍵。操作方法はわかるね、貴方はここに居てはいけないよ。」
茶化したような声で何故泣きそうな顔をするのか、俺にはわからない。戸惑う俺に物資を押し付けると、男は去って行こうとする。まるで嵐のようだ。我に返って逆に男を追う。
「初対面の男に何でこんな事をする?」ただより怖いものはないから断れるなら是非とも断らなくては。
「初対面じゃないですよ。」
彼は切ない顔をする。こんな男は見たことがない。例の日以前といったことも考えられるけれど、それならそんな顔をされる謂れはない、彼らの方が俺を置いて行ったのだから。
真相がどうであれ、言葉の通じそうな相手だ。この機会を逃す手はない。
「俺は目的があってきたんだ。」身長の差か、普通に歩くだけで距離が開いていく。「誘拐されてきた研究員、数人いるはずなのだけれど。」
きょとんとした顔の彼に俺は次いで出そうとしていた説明の言葉を引っ込める。
「誘拐というか、強引に連れて来た研究員はいる。」
「そう、その人達。彼等を連れ戻しにきたのだけれど、どこに行けば会える?」
牢屋か、拷問か。実験の内容とあの日から、首をついさすってしまう。
「いや、後ろにいるじゃないか。彼等がそうだ。」
手慣れた様子で実験を行う彼等が目的の被害者? 振り返ってみても、聞こえているだろうに無感情に実験を続けている働き者たちがいるだけだった。囚われの姫たちにしてはふてぶてしい。
「出向が急なものだから多少強引でも最後には納得したと聞いている、現にああしてちゃんと働いているだろう。」
極自然に、彼は誘拐の大前提を崩してくる。
「ここにいる人員は事前に登録された人ばかり。でないと私たちだって連れてこない。」
「拷問を受けての強制労働とか?」
「まさか。彼等に関しては上層部も高く評価している。」一蹴される。「一体何処でそんな法螺を吹き込まれたんだ?」
聞いていた話と違いすぎる。プログラムされたかのように流暢に話す彼に閉口して考え込んでしまう。
アンナイが俺を騙そうとしてここまでしたとは思えない。そこまでする必要は今の所ない。一昨日が初対面なのにここまで来てしまった俺がおかしいと言われたらそこまでだが。あるとしたら勘違いだけれど、ああもニューロン社や電子通信公社が慌てて移転した事実が引っかかる。
船に乗せられるなんて急な転勤だが、それ以外にも何かはあるのだ。
ともあれ無事にここまで来れた以上、1度アンナイの同僚と会ってから逃げるのも大差はないだろう。
「だから早く行ってくれって。」
男は俺を見送ると決めたらしい。立ち止まって振り返ると、今度は着いてきた。
俺といたら不都合があるのではないだろうか、社員として大丈夫か、一般的な社会人として感想を抱く。
侵入者と言われる類であるし、そうでなくても仕事中に話しているというのは心証が悪いのではないか。
その疑問をぶつけてみると青年はあっさりと言う。
「気にしないでください、貴方の侵入を許した時点で命はありませんから。」
言葉の軽さの割には顔が悲痛すぎて気にしないことは出来そうにない。
そんな顔をするなら何故口に出した、と言いたくなる。聞いたら真っ当な人ならどうにかしてやらねばならないではないか。
「何か俺に出来ることはあるか?」人間性を前面に出して問いかけてやる。
これにも彼は悲惨としか言えない面構えで応えてくる。
「出来ることはありますけど、貴方にはやってほしくないんです。」
じゃあ後は俺は慰めることしか出来ないな。きっぱりとした戦力外通告に頭がすぐに切り替わる。伊達に拒絶され慣れていない。
「急げって急かしたのは向こうだと言って洗車しない口実を作ったのに、まさかこんな結果とは。」
彼は爪を噛む。誰しも仕事で悩む時期はあるというが、それを部外者に、しかも切り捨てられた後に言われても困る。
もはや解決する気のない泣き言、つまり愚痴を聞き流しながら階段を登って暫くすると、暗く開けた場所に出た。
やけに人が少ないと思ったが、どうやらここで集会が行われていたらしい。やたらと広い会場は、高校の体育館を思い出してしまった。
ここまでの人数が集まっているのを見るのは久々だ、と感動を覚えてしまう。特に目に止まるのは50年経ってもパイプ椅子なところ、そこはもっと進歩が欲しい、特に柔らかさに主眼を置いた進化を。
懐かしい顔が壇上にあるけれど実験内容から想像出来ていたこと、そこまでの驚きはない。何故お前なのだと言いたくはなるが、あんなことがあればトップとしては責任を取って辞職もしたくなるだろうと慮る。
舞台には大きく横断幕が掲げられており、出航記念、とだけ書かれており、協賛はこの国の名前と1つの省庁の名前が出ていた。
船というとタイミングよくいなくなった会社と友人がいたなぁ、私は連想する。段に上がっている彼らのような昔の知り合いではなく木戸に会いたかった。
壇上の山崎氏は声を荒げている、相変わらずの髭だが心なしかごわついているのは櫛も通していないからか。
「資源がなくなるこの国を出て、世界へ羽ばたきましょう、皆さん。」
目は現場の研究者とは違って輝いていて、口元も笑っている。
「貴方がたは選ばれました。全ての研究には資源が必要でしょう、取りに行きましょう、この船で。その為の武力も何もかも、ご用意致しました。」
壁のスライドショーには勇ましく華々しいプレゼンが並べ立てられている。
遂にこの国から研究者という人種がいなくなるのか。俺はそれを見て、不思議な感慨深さに襲われていた。
友人や同僚だとかの仲の良かった彼等でないからか、その宣言を悲しみを伴わず受け止める。ただ、切り捨てられた虚しさだけが胸に刻まれる感触があった。
「資源がなくなったら? 終わる銀河から出て行きましょう、我々は永遠の知性体です。」
映される明確に示されたこの国の終わりを見る。なるほど、永遠に生きる以上、星の寿命まで見据えて行動しなければならないと説く彼は、アンナイと同じく、本気で未来を考える逸材なのだろう。
それは国どころか、世界の終わりまで正確に測定していた。
研究者というのは全員こうなのか?
アンナイと同じ論調に思う、50億年後なんて馬鹿らしくないか?
宿題をいつも〆切直前に片付けていた男としては首を捻ってしまう。怠惰と怒られてしまいそうだ。研究者たちは
それよりも、壇に上がっているのが山崎氏だけなことに気を回してしまう。
野口氏はどうしたのだろう、そして他の2人? 実力行使も厭わないその性根は直ったのか。死ぬ身体に戻りたいという考えの持ち主だったのではないか、何故永遠を演説する?
聞きたい事はあれど、ここから届く事は何もない。
その船に乗るわけにここに来たわけでもないのだから、俺が忠告する必要もない。
会場を見渡すと白んだ空気にこの集団の先が透けて見える。出港間近の熱意だとか、そういう素敵な想いはここにはなさそうだ。
それよりも銃を求めた山崎氏がトップに立った集団だ、会う人全てを警戒することにしよう。決意を新たにする。
そっと会場を後にする。これ以上聞いてても時間の無駄だし、アンナイの同僚を探すならこうやって人が集められている時の方が都合が良い。
社長の話している間に声を出せる人はいなかったようで、見慣れない、作業着を着た男への視線は感じていたが、それだけだった。ここでも捕まることはない。
柔軟な対応が禁じられているのか、熱意が足りないのか。後者みたいだな、と俺は足早に立ち去りながら考える。
船を動かす事すら出来るか微妙なところだろう。なら働かなきゃ良いのに。
冷ややかな笑いを浮かべて、俺は研究室を漁ることにした。
顔も知らない相手を当てもなく探すには限界がある。
「そりゃ見つからねぇよ。結構広いんだぜ、ここ。だから出口に向かってみろよ。」
その上未だ着いてくる男もいる。うっとおしさと緊張を感じてしまう。
「いい加減に帰ってくれよ、俺にも仕事があるからさ。」
俺に向かってそう宣った彼に、働け、と買い言葉を返しそうになる。
不審者の排除も彼の仕事なのだとしたら、着いてきて定期的に言葉をかけるだけでもきちんと仕事をしている事になるのだろうか。他社の方針はわからない。
くっついて歩いて反応を返される度に眦を下げていたこの屈強な男に、どこか大型犬らしさを感じてしまいそうになる。
この場所見て回るほど真っ当な総合研究棟といった様相で、集会に出ていない研究者たちは1人としてサボらずに仕事を進めていた。それとも、企業として考えるならば集会に出ていない時点でサボっている事になるのだろうか。
彼等の手元には集中して実験を行っていた事を示す成果が山となっていた。
「ここでは皆幸せなのですから、貴方が助けるべき人なんていませんよ。出て行って下さい。」男がまた声を上げる。
素直に信じて帰るのはアンナイのする事だろう。
「出て行け。」男が振り返る。「おい、出て来いよ。何処に行った? 」
どっちなのかわからない奴だ。
天井の点検口から声を聞く。意外と日常での天井を見る人は少ない、経験から知っていることだった。
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