研究所
散々さぼって、たどり着いた目的地は21階という縦に遠いオフィスだった。こういう場所は面倒くさい。
いつ電気が切れるかわからない今時、エレベーターを使う気にはなれない。考えてもみてほしい、エレベーターに乗っているときに電気が止まったら?
仕事でも善意でも、助けてくれる人なんて皆無だろう。壁を壊して外に出ようにも鋼鉄の箱だ、怪我を気にしなくて良い身体でも超人になったわけではないのだから、鉄を殴って破ることは出来ない。天井の点検口から外に出ようにもエレベーターの箱の上に乗れるだけ、エレベーターの綱を登っていく芸当なんて俺には出来そうもない。つまり脱出は不可能。永遠に死ねない箱に閉じ込められるなんて、俺にはごめんだ。
それが実際に起きていたのを見てから、日常生活での少しの面倒臭さを取ることは出来なくなった。そんなことは山ほどあって、息苦しくて仕方ない。
職場のシステムによると、壊れたのは天井に埋め込まれているエアコンだった。冷媒漏れ程度なら何とか出来るけれど、他がイかれていたら治せるかわからない。そもそも例の日から50年以上だ、とっくに機械の寿命がきている。
どうせ誰も使わないのだから適当に診断して新しい機械の見積書を作って置いていけば良いか、と仕事の手順を確認する。いつも通り、お粗末な内容だ。
「帝国工業の者です、機械の点検に参りました。」
どうせ返事が返ってくるわけないのだからいつものように無言で侵入しても良かったのだけれど、仕事たるもの、やはり挨拶は大事だろう。
別に今朝、コートの女に言われたことを気にしているわけではない。あんな小さなこととはいえ、いつもと違うことがあった今日なら、今日こそは、誰かから返事が返ってくるかもしれないと期待してしまったからだ。
「ああ。」
仕事では控えている独り言を呟いてしまう。
「返事がなくて良かった。」
落胆での皮肉ではなく、心からの安堵を込めて呟く。
ドアを開けるとひどい有様だった。視界いっぱい血まみれ。机椅子はもちろん、天井に備え付けているエアコンにまで血と穴だらけになっている。よく見るとドアも歪んで電子キーの基盤がむき出しになっていた。
穴は無数だけれど小さく、丁度小指の先くらいで、銃で撃たれたらこんな形になるのだろうなぁとぼんやり思う。こんな穴があいたらそりゃ、機械は壊れるだろう。
俺と違い自動で元に戻らない精密機械だった鉄塊を見て、今日の仕事の終わりを知る。
直せないものは仕方ない、ここから新品の見積書を作りにかからなきゃな、と言っている場合ではないか。
こんなに血が撒き散らされている以上、沢山の人が全員1、2回死んだのだろう。派手な弾痕だ、確実に1日以上、治癒に時間がかかると経験でわかる。
それに、弊社のシステムによるとここの機械は昨日までは壊れていなかった。つまり惨状は二十四時間以内に作られたことになる。
なのに血痕しか残っていない。
そもそもなんでこんなことをする必要があるんだ、とじわじわと溢れる恐怖を怒りに変換しようとする。
殺しても死なないってのに殺す必要はあるのか。しかもその上で、仮死状態の人間を連れ帰るような犯人。変態としか言いようがない。
ーーーがたん
飛び上がる。オフィスのような密閉空間では音が響いて仕方がない。
さっきの音は俺がよろめいたせいか?
この機械は俺では直せそうにないとわかったのだから、一刻も早くこの場を離れるべきだ。そうに違いない。誰も聞いていない言い訳を頭いっぱいに浮かべる。
ーーーがたたっ
俺はじっと息を潜めているのにどこかから音が響く。
誰か、いる。
理解した瞬間に、出来るだけ身を隠せるよう身体を低くして、走る。恥をかなぐり捨てた成人男性の全力疾走だ。
エレベーターを使うのと、疲れない身体に任せて階段を駆け下りるのとではどちらが早いだろう。二十代の男の出せる速度という条件から考えると階段の方が安定感はありそうだが果たして。
永遠に生きられるということは永遠に苦しめられるということなのだから、危険は絶対に回避しなければならない。
エレベーターの中だけでない、回避できなかった人達を私は本当にたくさん見てきた。あの地獄を見た後で立ち向かうなんて出来るわけがない。
「待って、待って待って!」
耳障りな甲高い声が響く。
振り返らず一心不乱に走る。こんな場所で声をかけられる方が怖い。しかもあんな子供みたいな声の持ち主、大手町の高層ビルにそぐわない。理解できないものは怖い。
「待ちなさいってば、馬鹿。」
かつーん、と机を蹴ったであろう音が聞こえた。まるで子供が蹴ったかのように軽い音だ。
「やっとまともな人に会えたのに、行っちゃわないでよ。ねぇ、助けて!」
その子供みたいな声が、あまりにも悲壮感に満ちていたものだから、つい、俺は走るのをやめてしまった。立ち止まっている自分に気づいたときにはもう遅かった。ぱたぱた、と軽い足音が近づいてくる。
意を決して振り返る。距離も縮まってしまった、念のため1回殺してから逃げようか、と考えてマイナスドライバーを逆手に握り締める。これが一番やりやすい。
たかが一度切り刻まれるだけだ。
服を傷つけなければ恨まれることもそうないだろう。
「やっと待ってくれた! 大人なんだから、人の話はちゃんと聞きなさいよ。」
その子はこのフロアが血塗れでなくても不自然な容姿をしていた。服は黒っぽくて無地、オフィスカジュアルと言って良い格好で、靴はスニーカーではあるがかなりかっちりとした素材。髪はしっかりと1つに括られ、ビジネスマナー的にはほとんど完璧でよく見るオフィスワーカーと言って良い。
彼女は年端のいかない女の子だった。
眉を吊り上げた剣呑な表情をしているが、それよりもランドセルやドッジボールが似合う年頃で、間違ってもこんな都会のど真ん中にいるべき年齢ではない。
「帝国工業の人って言ったね。やっと来てくれたのね! メールを片っ端から送った甲斐があったわ。点検なんて、上手い口実ね。大丈夫よ、彼奴らは今はいないから。」
ここまで殆ど口を挟む暇がなく、ぺらぺらと大人びた口調で話す幼女に圧倒されてしまう。
彼女は苛立ちを覚えたようだ。
「ちょっと、何ぼうっとしてるの? メールを見ていたなら一刻も争うってことわかるでしょう?」
「そう言われても、知らないものは知らないよ。」
こう喧しい人は好きではない。状況の異常さを頭の隅に追いやり、目の前の不自然にそっけなく声をかける。
「へ?」
「俺はあの、天井の機械が壊れたって知らされて来ただけなんだ。」
子供にわかりやすいよう、身振りを大きく説明する。
「だからそのメールってのは知らないし、何があったのかわからないんだ。ごめんよ。」
理解出来ただろうか? 幼子の相手は久しぶりだから自信がない。そっと様子を伺うと、彼女は冷たい目をしていた。この年齢の子がしてほしくはない、まるで布団の上に不意にゴキブリが落ちてきたかのような、落胆しきった目をしていた。
「本当にたまたま来ただけなの?」
「そうだよ、だから何があったのか聞かせてほしいな。」
「あぁ、もう、そこまで終わってるのね。」
その幼女は深く息を吐くと椅子に腰掛けて足を組んだ。幼児体型のせいで不恰好なのは指摘しないほうが良いだろう。
「事情は簡単には説明出来ないわ。」その幼女の尊大さに驚きながら、頷いてみせる。事情は分からないが安全が確保されているらしいことは何となく察せられる。ならそう無理に聞く必要はないだろう。この紳士的な態度が賢く生きるコツとしては正しいに違いない。
「修理のお兄さん、お名前を聞かせてください?」
ブロンドの美女が言うなら喜んで答えただろうがちんちくりんの女の子相手だ、偉そうな態度に腹が立つばかりである。
「これを。」
意趣返しに名刺を手渡す。俺の名字は子供には読めないだろうがその態度へのお返しだ。
「伊集院さん?」
あっさり読まれてしまった、この年齢でよっぽど読書家なのだろうか。動揺を隠して私は言う。
「そうだよ、君のお名前は?」
ふんっと鼻を鳴らして彼女は言った。
「私はアンナイよ、ここの技術主任をしていたわ。」
アンナイという漢字が全くわからないことの他に、技術主任というワードに、思わず聞き返してしまう。
「技術主任?」
「ええ、例の日から何年経ってると思うのよ。子供が学校を卒業して就職して、ベテランになってもおかしくない年数経ってるんだから。」
頭を殴られたような衝撃を感じる。考えれば当然だ。人類は不老不死で、子供は子供のまま、老人は老人のまま、それは変わらない。
だけどこうして考えることは出来るのだから、長い年月で知能を発達させる子供が出てもおかしくないのだ。
例の日から私の周りの人間は去っていくばっかりで。まさか成長している人物がいるとは夢にも思っていなかった。
「学校があるのか?」
「あったわよ、個人の趣味に近かったけれどね。教えた年数を数えて、教材を変えて教えていた先生がいたの。」
有志による学校経営というやつか。個人塾に近いかもしれない。なら生徒、成長した幼児たちもそんなに数はいなくて、今まで会ったことがなくとも当然か。
世話をするだけでなく、子供を育て上げるのが趣味だなんて情の厚い人間がこの世の中にそういるとは私には思えなかった。それに、だ。
「学生でいるのはあんなに楽しいのに、なんで社会に出てきたの?」
社会に出て稼いで食べる必要がない、永遠に学生でいても良い身体なのに。
「確かに学生でい続けるのは楽で楽しかったわ。現に、その学校で卒業したのは私くらいよ。」
そりゃそうだろう。
「働かなくても生きていけるのだから、わざわざ頑張らなくても良かったんだよ。」
完全なる善意で勧めると、アンナイはおぞましいと言いたげな顔で言う。
「それよ。それが嫌だったのよ。進歩がない、永遠に停滞しているなんて、私は嫌。」
永遠の停滞、現状を指す言葉でこれほど的確なものはない。それを望んだ人間の多さと情熱を、彼女は知らないのだろう。
彼女から前進しようとする熱を感じて、目をそらしてしまう。同僚たちが友人がいなくなる前に発していた熱はこれと似ていたなぁ、とぼんやり思う。
「理解できたかしら、伊集院さん。」
彼女の身振り手振りを交えたわかりやすい嫌味もなるほど、子供らしからぬ切れ味だ。
「先ほどは見た目で判断して、申し訳ありません。ベテランとは仰いましたが何年ここで働いてるの、ですか。」
「大学を出てからだから、50年以上?」
あぁ、と愉快そうに彼女は笑った。
「驚いた顔をしてどうしたの、子供が成長するのは当たり前でしょ。」
つまりこの子は、この人は50歳以上で、俺は70歳以上ってことになるのか。歳をとるのは早いと聞いていたがこれほどとは。
「惚けちゃって、ボケちゃったのかしら、お爺ちゃん。」
俺の内心を察しているのだろう、彼女は心底楽しそうに目を細めた。なんて性格の悪さだ。
「自分の老いを実感すると大人はこうなるんだよ。」
「それはお生憎様、子供の私にはちっともわからないわ。」
今に見てろ、後輩が出来ていつかわかるに違いない。この世の中でそれがいつなのかはわからないが。
「私以上に年齢が低いと身体の発達がまだ出来ていないらしいから働けないでしょうね。だからきっと今後も貴方の気持ちはわからないわ。いや残念ね。」
口に出していないことまで推測してからかってくる。
「本当に良い性格をしているね。」
「育ちが悪かったのよ。」
なるほど、背景が読み取れない自虐ネタは反応に困る。気まずい沈黙と困惑している俺に構わず、アンナイは立ち上がった。
「何も知らないならいいわ。ここにいる意味もなくなったことだし。」
「もう行くね。」
あ、この言動は知っている。今朝も遭ったことだ。
コートの女の、木戸の、かつての同僚たちの姿がアンナイにだぶる。
「来てくれてありがとう、もうここは誰も使わないから修理は大丈夫よ。」
「どこへ行くんだ?」
「さぁ、どうしようね。わからないや。私のしてた意味って何なんだろうね。」
昔の夢を見たせいか、彼女が庇護すべき子供の姿をしていたからか。それとも、その言葉の内容があまりに寂しかったからだろうか。
とにかく、ついに俺は衝動性のままに、思わずアンナイの腕を掴んでしまった。
「ちょっと、何すんのよ。」
彼女の抗議はごもっともだ。社会人として、こんな、小柄な女性の腕を掴むなんて言語道断だろう。
だけど今日ばかりは紳士面をかなぐり捨てることにした。
「ここまできて事情も話さず行くのかよ。」
「何言ってるの、今日会ったばかりの他人じゃない。」
「煩い。」
俺の50年以上の鬱屈はこの子には一切関係ないだろう。こんなことをしては迷惑だ。
だからどうした。1回くらい許してくれよ。
「とにかく、事情を聞かせろ。」
「嫌よ、きっと私を非難するわ。」
もはや彼女の躊躇いは聞く気にもなれない。怒っている時のあの無敵感はきっと誰しも感じたことがあるだろう、今の俺はそれだ。
怒りをぶつける相手を間違えているのは理解しているが口は止まらなかった。
「この血の海はどうしたんだ? メールって何のことだ? ここで何をしていた?」
「待って、そんないっぺんに聞かれても困るよ。」
「話すんだな?」
「何でそんな必死なのよ。」
だって、
「また行っちゃうんだろ?
みんなみたいに、あの人みたいに。
折角会えたのに、嫌だ。
俺も連れてって。」
一回、アンナイは長く瞬きをして、絶句したようだった。
長い沈黙があり、俺は正気に戻る。何て恥ずかしいことを言ってしまったのだろう。大人の駄々こねほど見苦しいものはないっていうのに。
慌てて掴んでいた腕を離す。離しても彼女は立ち尽くしたままだった。
先程言ったことのほとんどは彼女以外に言いたかったことが混ざっている。訳のわからないことを言って怖がらせてしまったに違いない。
「あの、ごめん。」
「そこで謝っちゃ駄目でしょう。」
心底呆れ返ったかのように彼女は腰に手を当てた。
「行くところなんかないわ。」
「へ?」
「貴方は私に連れてってって言ったでしょ? でも私には行くところなんかないの。だから連れて行けないわ。」
「じゃあ俺の家に来いよ。」
ぽろりと返してしまう。
「とりあえずここよりは綺麗だし、茶くらいなら出せる。一人暮らしだから気兼ねする必要もない。」
アンナイは少し赤面した。
「妙齢の女性を家に呼ぶなんて、何を考えてるのよ。」
こいつは何を言っているんだろう。
「身体も精神も妙齢とは言えないってのに何恥じらってんだよ。」
すぐ口に出してしまうから、営業の成績はいまいちだったのだろうか。
※
気遣いが足りないわ、とアンナイは緑茶を啜っている。
大手町から私の家まで自転車で2時間かかった。疲れない身体だからと随分スピードを上げた所為で純粋に筋肉が損傷したのだろう、脚の筋肉が悲鳴をあげている。疲労はしないのに怪我はするというのは不思議な感覚だ。怪我は直ぐに治るとはいえ、痛いものは痛い。とても辛い。
自転車の2人乗りなんて高校生以来だった。括り付けた工具箱を置いていけるはずもなく、しかもロードレース用の自転車。そしてあの悪路だ。2人乗りにはこれ以上ないほど向いていなかっただろう。
子供の身体であることを良いことに工具箱の隙間をぬって自転車のフレームに立ってもらったが、アンナイの脚や尻にも多大なるダメージがあったらしい。
「まだ痛いわ、乙女の柔肌を大事にしなさいよ。」
「身体はすぐに治るだろ、工具箱が優先。」
「物質至上主義ね。」
「供給ラインが元気な世界で生きてないからな、むしろお前たちの方が珍しいよ。」
信じられないことに、アンナイは現代の物の価値を知らなかった。
「仕方ないでしょう、大学出てからずっとあそこで働いてたのよ。疲れないし面白かったから時を忘れてたわ。」
「外に出たりは?」
「気分転換に出たりはしたけどあの光景でしょう、外出することは滅多になかったわよ。ちょっと不健康よね。」
物より身体を大事にしたり、健康を気にしたり、なんて真っ当な例の
「遊びに行くことくらいあっただろう? 仕事はともかく、遊び道具、車とかスポーツの道具とかで物の大事さを感じることがあったんじゃないか。」
時間はあるが道具はない、学生時代と似た感覚だ。
「ないわ。」
お茶が気管支に詰まって蒸せ返る。呼吸はもうしていないのに体内の異物への反射は健全らしい。
「そんなに驚かないでよ。家族は宗教にはまっていなくなって、恩師や友達とは何となく疎遠になっちゃっただけよ。」
「そんなあっけらかんと話すことか?」
結構ヘビーな内容の気がする。家族も友人も趣味もなくて、仕事しかしていなかったなんて。
彼女はあっさりと言い放った。
「50年以上も生きていたら珍しくないことでしょう? もうそんなことにいちいち傷ついていられるほど柔ではないわ。」
彼女は体が子供でも真っ当に成長している、と痛感する。
例の日以前、それは当然のことだっただろう。けれど、この静止した世界で成長は異常だ。変化を求める人自体少なくて、現状維持をする為に徒党を組んで力を尽くして惨状を作り上げたことすらある中で。
「仕事の研究は楽しかったし、同僚もいたわ。だからこの50年に後悔なんてないわ。」
年月に対する後悔なんて。未だにそれを意識して、密度の濃い時間を過ごそうとする人がいたなんて。
ズレたところに感動しそうになる心を押し留めて、お茶のお代わりを注ぐ。
「ありがとう。ねぇ、もしかしてこれも貴重だったりするの?」
「普通だったらな。お茶の木を近所に植えてあるから気兼ねせず飲めよ。」
「卒がない、流石ね。」
この生活が俺の50年間の成果だと彼女に言ったら失望されそうだから隠しておこう。
茶渋がついている湯呑みを置いて彼女は姿勢を正す。俺も正座した。
「聞くのを待ってくれてありがとうね。何から聞きたい?」
久しぶりに、俺は人の顔を直視した。
「どうして俺に事情を話してくれる気になったんだ?」
会話が成り立っていない質問を返してしまう。それほど俺には大事なことで、50年の孤独というのは臆病さを植え付けるのに十分だったのだと痛感する。
彼女はことも無げに答える。
「何だ、そんなこと。怖い目をして聞くから何かと思ったじゃない。
連れてってくれって言ったでしょ私に。あそこまで悲愴に頼まれたら仕方ないと思ったの、それだけよ。」
そう言うアンナイの顔は、この人は良い人だと一発でわかる優しい表情を浮かべていて。こいつは放っておくと食い潰されるな、とわかるのは俺が汚い大人だからか。
覚悟を決めて、改めて問う。
「聞かせてくれ、何があったのか。」
「だからそう言ってるじゃない。全部答えるから何でも聞いてちょうだい。」
そう、今日会ったばかりの男に堂々と言った彼女は、心優しい純粋な子供の顔をしていた。
「とりあえず自分に関係のあるところからだな。うちに、帝国工業に送ったメールって何?」
彼女は拍子抜けといった表情を浮かべる。
「そこから? 普通、血みどろのあの部屋のことから聞くんじゃないかしら。私の素敵な同僚がどうなったか、とか。」
「いきなりその話題は重いかと思ってさ。」
「変なところで気を使うわね。」
彼女はその光景を思い出したのだろう、顔を強張らせる。
「攫われたのよ。しかも、銃であんなに撃たれた後に。彼奴らは同僚たちを足蹴にして。」
絞り出すように彼女は言った。
「そうか。」
1、2回死ぬ程度、何だっていうんだ。殺されたことより、攫われたことの方を恐れて、怒るべきだってのに。
「そうよ、酷すぎるわ。」
彼女は私の内心に気づかないでいてくれたらしい。
「じゃあもう、経緯が一番わかりやすいことから聞かせてくれ。」
「経緯を話すにはあそこで私たちがどんなことをしていたか話す必要があるわ。きっと軽蔑するわよ。」
そう言うと思ってた。
「大丈夫だよ。」
自信を持って言い切る。軽蔑されることをしたと自責の念を持てる人だって時点で、何でも許せるから。この内心も彼女には伝わらなかったらしい。
両手をぎゅっと握って、祈るように彼女は話し始めた。
その話は世間は狭いのか、同じことを考える人は沢山いるのか、考えさせられるもので。聞き終えた後、思わず大きなため息をついて勘違いした彼女を泣かせてしまった。
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