繋がりカノン

「なんだお前、気持ち悪い」

 登校するなり友人にそう言われた。どうやら俺の顔は緩みまくっているらしい。

 あれから数日、寝る少し前に成瀬さんとメールをしているのだ。

 話題はバンドの事やら学校の事やら、メールから知らなかった新たな一面も見えた。

 しかし俺は成瀬さんの事がまだわからない。

 何故成瀬さんはあんなに音楽にまっすぐで、異常な程入れ込むのか。その答えにはまだ辿り着けていないのだ。

「まだ気持ち悪いぞ」

 文化祭に向けての準備中にも友人に言われたが気にしない。

 存分に緩め、顔よ。これはそれほど嬉しい事である。

 気も心も大きくなっていた俺は次の路上ライブに差し入れでもしようかとスーパーに向かうことにした。


 *


「疲れたときには甘味だよな、飲み物はその場で買えばいいか」

 チョコ菓子を幾つか買って帰る途中、覚えのある二人を見つけた。

「よっす」

「あら、久しぶり」

「あ、風邪治ったんだー」

 彩音さんとハルさんだ。

 俺は辺りを見渡す、成瀬さんの姿がない。

「成瀬さんは一緒じゃないの?」

「みのりんは今日休み……」

 そこまで言ってハルさんは止まる。一瞬だったが失敗したという顔をしていた。

「成瀬さん休みなの? なんで?」

「さあ、聞いてないわ」

 いつも通りの彩音さん。

「ハルさんは知らない?」

「知らない、よ」

 わかりやすい、顔に知ってますと書いてあるようなものだ。

「そっか」

 この感じだと彩音さんも知っているのだろう。顔には全く出ないけど。

 なぜ二人は成瀬さん欠席の理由を隠すんだ? 俺に隠さなければいけない理由……

 少し考えて思い当たる。風邪だ。

 きっと俺の風邪が成瀬さんにうつってしまったのだ。成瀬さんの事だから気を使って俺には伝えないだろう。

「じゃ、俺はここで」

 二人に別れをつげてから携帯を取り出す。

『件名:いきなりごめん

  大丈夫?』

 送信してから気づく、動揺していたのか単調なメールになっている。

「大丈夫かな……」

 呟いた後にチョコ菓子の存在を思い出し、急いで家に戻る事にした。


「…………」

 あれから一時間、メールに返信はない。

 いつものように決まった時間ではないからかもしれないが……気になる。

 この前の口ぶりからして、成瀬さんの母親も働いているのだろう。ならば成瀬さんは今一人である可能性が高い。

 一人ならば恩返しとして行くべきか……しかし女子一人の家に上がりこむというのも……

「……上がりこまなきゃいいな」

 よくわからない結論を導き出した俺は必要そうな物を持って家を出た。


 *


「…………」

 大雨の日に送った事があったから、成瀬さんの家には簡単についた。

 しかし俺はインターホンを押せないでいた。

 成瀬さんの部屋であろう場所からカノンの旋律が聞こえているのだ。

 綺麗な、しかし平坦な音色だ。感情を押し殺しているかのような……

「……ここにいても仕方ないな」

 決心してインターホンを押す。スタンダードなチャイム音が鳴り響く

「 …………」

 しかし反応はない、平坦なカノンの旋律は続いている。

「…………」

 もう一度鳴らす、反応はない。

 もう一度、もう一度。何度押そうが、鳴らそうが変わらない。

 仕方ない、息を大きく吸い込む。

「成瀬さん!」

 俺が叫んだと同時にカノンが止まる。

 しばらくの沈黙の後、カノンがまた始まる。

「そんなに打ち込んで……」

 予想はハズレているのだろう、成瀬さんは風邪で休んでいるわけではない。

 しかし俺になにができる? この平坦で叫んでいるカノンの旋律を止める事さえできないのだ。

 あの大雨の日と同じだ、今の成瀬さんには声が届かない。

 前回は物理的に、無理やり止める事ができたが今回はそれも無理だ。

『どうするか』ではなく『どうにもできない』のだ。

「……なにもできないのか」

 せめてなにか残していこう。そう考えてついでに持ってきていたチョコ菓子をビニール袋に入れて玄関のドアにかける。

「ごめん……成瀬さん」

 呟いてビニール袋から手を離す。

 重い足を動かして帰ろうとした時、後ろでビニール袋が落ちた音がした。

 振り向いた俺の視界には取っ手から落ちたビニール袋、そして……

 不用心に開いているドアが見えたのだ。

「…………」

 今のこのドアからはいれば成瀬さんの元にはいける。前回のようにカノンの旋律を止める事が出来るかもしれない。

『どうにもできない』が『どうするか』にはなった。

 さあ、どうする。

 そんな自問自答はいらない、答える俺はいてもそんな野暮な事を聞く俺はいない

 さっきまでの俺はどこに行ったのやら、迷う事なく成瀬さんの家に入った。

 誰がどう考えても不法侵入だ。しかしそんな事は気にしない。

 好きな人が苦しんでいるかもしれないのになにもしないなんて……そんな恋、クソくらえだ。

 さっきまであった弱気な考えを棚の上にあげながらカノンの音が聞こえる方にむかう。

 成瀬さんは二階の一室、窓の方に向けてカノンを奏でていた。

「成瀬さん」

 声をかけて前回のように成瀬さんを揺すろうとしたところで手が止まる。これでは前と同じだ、なにも変わらず、成瀬さんの事はわからないままカノンの旋律を止めて……おしまいだ。

 それは応急処置でしかなく、根本的な解決にはならない。

 本当に彼女を助けたいのなら、彼女がなぜそんなに音楽に打ち込むのか、なにに苦しんでいるのか。そして……

「なぜカノンを奏でている時はそんなに……」

 悲しそうで、苦しそうで……余裕がなく必死な顔をしているのか……

 それを、知らなければならない。


 ✳︎


 カノンを奏でる成瀬さんはまったく俺に気づかない。

 カノンが終わればまたカノンが始まる。

 俺は周りを見渡す。

 ここはどうやら音楽関連の部屋のようだ。レコードらしきモノが飾られた本棚や年季の入ったレコーダー、成瀬さんが使っているのとは別のトランペットに小さめのピアノ。

 人を理解するのに否定はいけない。成瀬さんの演奏を強制的に止めるのは否定となる。

 俺はピアノの前に座る。 目を閉じてイメージする……よし、問題ない。

 父さんに関する唯一と言ってもいいパッヘルベルのカノン。幼い頃の俺は家にあった小さなキーボードで何度も練習した。

 楽譜なんか見なくても……指が覚えている。

 もう何度目かわからない成瀬さんのカノンが始まるのに合わせて指を動かす。

 サビに入ると今まで平坦だった成瀬さんの音が大きくなった。

 いつもの成瀬さんのものだ。

 嬉しくなって指が軽くなる。

 演奏はそのまま続き……カノンが終わった。

 何度でも、成瀬さんを理解できるまで続けよう。そう思って指を置き、次のカノンが来るのを待った。

 しかし、俺の耳にはいってきたのはカノンでは無かった。

「忠紀……くん」

 のどが乾いているのか消えそうに小さいその声を、俺は聞き逃さない。

「勝手に入ってごめん、成瀬さん」

 謝りながら立ち上がって成瀬さんの方を見る。

「……え」

 成瀬さんは顔を赤くして泣いていた。

 まるで押さえ込んでいた感情が溢れ出てきたように大量の涙が頰を流れている。

「どうして……カノン……一緒に……」

 掠れていた声が涙声になる。

「成瀬さんを知りたかったから」

「……っ」

 成瀬さんがトランペットを置いて飛び込んできた。

「な、成瀬さん……!?」

 成瀬さんは泣きながら助けを求めるように声を絞り出した。

「じゃあ……聞いてくれる……?」

 俺は戸惑いながらも成瀬さんの背中に手を添える。

「もちろん……聞かせて」


 ✳︎


「……ぷはっ」

 吹いて泣いて水分を大量に消費した成瀬さんは水を一気に飲んだ後に語り出した。

「この前、忠紀くん言ってたよね。カノンがほぼ唯一のお父さんとの繋がりだって」

「そう……だったな」

「わたしにとってもね、パッヘルベルのカノンはお父さんとの数少ない繋がりなの」

「えっ……」

 驚いた俺を気にする事なく、成瀬さんは話を続ける。

「お父さんはわたしが高校一年の時に交通事故で死んじゃったの。……今日で三回忌」

「だから今日は休んでたのか」

 成瀬さんは頷いて口を開く

「そうなんだけどね……行けなくて」

 成瀬さんの目にまた涙がたまる

「今ある唯一の繋がりがカノンなんだ……カノンを演奏している間はお父さんと繋がってるんだ」

 それは恐らく『繋がってる気になれる』なのだろう。

 成瀬さんも本当は、脳ではそれを理解しているのだろう。しかし成瀬さん自身の意思がそれを阻んでいるのだ。

「だからわたしにとって音楽は……カノンは大切なの……音楽を離しちゃうと……」

 ここで成瀬さんは言葉に詰まる。

「お父さんと離れちゃう、か」

 俺が呟くと同時に溜まった涙がこぼれだす。

 今までの俺ならばここで止めていただろう。しかし今回は違う、ここで止めてもなんの解決にもならない……ようやく知れた成瀬さんの事、それこそ今離せば離れてしまうような気がする。

「でも……お別れをしなきゃいけないのは分かってるんだよな」

「…………」

 少しの間の後、成瀬さんは言葉なく頷く。

「今は……無理か?」

 成瀬さんはまた頷く。

「ま、時間は必要だよな」

 この二年間無理だったのだ。話したからといってすぐに割り切れはしないだろう。

 ここまでだ、俺の役目は……いや、違う。それだと何も変わらない。

「なにかあったら……心を吐き出したかったらいつでも呼んで。 すぐに駆けつける」

「……うん」

 成瀬さんは頷いて、小さく笑顔を見せた。

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